Vol. 2May 2026

图书

公共领域世界知识图书馆

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私の信条

豊島与志雄

私の信条 豊島与志雄 私の仕事と世の中とのつながり。―― 私の主な仕事は、文筆の業である。それによってどうにか生活を立てている以上、世の中とのつながりがないわけではない。然し、それを分析してみたところで、消極的な面しか出て来ない。設問の要点は、積極的な面のことであろう。それならば、私自身のことを語るより外はない。 私は生来、孤独が好きで、孤独癖とでも言えるも

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私の信条

小倉金之助

ご自分の仕事と世の中との繋りについて、どうお考えになっておられるか? この問につきましては、私の仕事と世の中との関連について、ただ現在の感想を述べますよりも、自分の成長過程において、その関連状態がどう発展してきたかを語った方が、当を得ているように考えられるのです。そしてもし私に一貫した信条といったものがあるとすれば、かような成長過程を通じて、その裡から見出さ

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私の個人主義

夏目漱石

私の個人主義 夏目漱石 ――大正三年十一月二十五日学習院輔仁会において述―― 私は今日初めてこの学習院というものの中に這入りました。もっとも以前から学習院は多分この見当だろうぐらいに考えていたには相違ありませんが、はっきりとは存じませんでした。中へ這入ったのは無論今日が初めてでございます。 さきほど岡田さんが紹介かたがたちょっとお話になった通りこの春何か講演

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私の先生

林芙美子

私の先生 林芙美子 私は十三歳の時に、中国の尾道と云う町でそこの市立女学校にはいった。受持ちの教師が森要人と云うかなりな年配の人で、私たちには国語を教えてくれた。その頃、四十七、八歳位にはなっていられた方であったが、小さい私たちには大変おじいさんに見えて、安心してものを云うことが出来た。作文の時間になると、手紙や見舞文は書かせないで、何でも、自由なものを書け

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私の処女出版

小山清

私の処女出版、と言つてもそれはついこなひだのことである。丁度一年まへに、私は初めて、「落穂拾ひ」といふ貧しい小説集を出した。そして私は分不相応な好意を受けた。けれども、好意といふものは、本来さういふものなのであらう。道ばたの雑草に露が降りるやうな。私もまた、これまでに書いたものは、みんな不満である。けれども、愛着といふことは、これはまた別であらう。私は、この

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私が占ひに観て貰つた時 消えぬホクロ

牧野信一

自分からすゝんで占ひを観て貰つたことはないが、十七八歳の頃祖母が突然小生の面上のほくろを気にしはぢめて、占ひ者に謀り、何れと何れとを抹殺すべきかと二三を指摘し、さて占者は小生を静座せしめて、はたとその面を睨めて物凄い声で気合ひをかけた。そして数回に亘つて、薬液体のものを、不吉と称するほくろの上に注いだが、一向に効目もなく、終ひにそのまゝ烏耶無耶のうちに中止と

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私は地下へもぐらない

坂口安吾

十一月二十日の本欄に私が地下へもぐったなどと小原特審局の怪情報が現れたが、だいたい地下へもぐるというのはシサイあるサムライのやることだ。 小生は幼にして出家遁世を志し、こと志とややちがって半分ホラアナに住んでるようなものだから、これ以上もぐりようはないさ。久方ぶりに花の銀座へ現れてちょうど四晩にわたってお酒を味っているというのに、地下へもぐったとあっては飲み

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私の変態心理

牧野信一

到底こゝには記し切れぬ程、生涯の自分の芸術の対照となすべく充分と思ふ程の病的心理がある――或日はさう思ふ。次の日には――そんなことに興奮したのは幼稚な感傷であつた、と打ち消す。また次の日には――それは愚かな対他的な理性で、わが本来の性癖は第一のことに根す、といふ風にも考へる。この三つの感情に悩されること夥しい。これが現在の自分の最も苦しい変態心理である。以上

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私と外国文学

田山花袋

私達が外国文学を研究する時分には、本がないので非常に困つたものである。ロシアのものとか、フランスのものとか、ドイツのものとか、さういふものを研究しやうとするには、何うしてもその国々の原語から習つて行かなければならなかつた。ことに英語には他国の新しいものゝ翻訳などゝいふものは非常に少なかつた。英語でロシア物などを読むなどゝいふことは殆ど不可能であると言つても好

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私の小説

坂口安吾

近頃の編輯者は芸なしぞろひで、今年になつてから、私に、私の小説の弁明を書けと言つてきた新聞、雑誌が、合計二十ほどあるのである。新聞雑誌の数にくらべて二十は少い数なのか知らないが、たつた一ヶ月といふ短かい期間に、東西南北、別々の編輯室の窓の下で智恵をしぼつたあげくに、二十人の編輯者が同じ原稿をたのみにくるとは、無芸大食、大食は否応なしに封じられてゐるかも知れぬ

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「私」小説と「心境」小説

久米正雄

此頃文壇の一部に於て、心境小説と云ふものが唱道され、又それに対して、飽くまで本格小説を主張する人々が在つて、両々相譲らないと共に、それに附随して、私小説と云ふものと、三人称小説との是非が、屡々論議された。 心境小説と云ふのは、実はかく云ふ私が、仮りに命名したところのもので、其深い趣意に就ては、いづれ章を改めて述べるが、只茲に一言で云へば、作者が対象を描写する

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私の履歴書

中谷宇吉郎

人間の履歴を知るには、履歴書を見るのが一番早い。しかし履歴書にあらわれているのは、決してその人の本当の履歴ではない。少なくも私の場合などは、大学の物理科を出ていることになっていて、それは事実ではあるが、今から考えてみると、全く偶然の機会の重り合いが、自分を物理学者としたようなものである。私の歩んだ道は、履歴書の上ではきわめて平凡であるが、その内容はきわめて浮

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私が張作霖を殺した

河本大作

大正十五年三月、私は小倉聯隊附中佐から、黒田高級参謀の代りに関東軍に転出させられた。当時の関東軍司令官は白川義則大将であったが、参謀長も河田明治少将から支那通の斎藤恒少将に代った。 そこで、久しぶりに満洲に来てみると、いまさらのごとく一驚した。 張作霖が威を張ると同時に、一方、日支二十一カ条問題をめぐって、排日は到る処に行われ、全満に蔓っている。日本人の居住

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私の従軍報告

岸田国士

私の従軍報告 岸田國士 戦線は無限に広いこと 武漢が落ち、広東が陥ち、わが軍の作戦区域が著るしく拡大されたことは云ふまでもないが、私の今度の中支従軍を通じて、現実にこれは大変だと感じたことは、普通第一線と呼ばれてゐる作戦軍の正面以外に、鉄道の沿線と揚子江流域の重要な都市を囲む殆ど中支一帯の地域に残敵の有力な部隊が蟠居して、わが占領地区を脅かしてゐることである

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どうしたら私は憐れな彼女を悸さずに済せるだらう

牧野信一

或望遠鏡製作所に居る友達を私は頻りに訪れてゐる、私は或望遠鏡を彼に依頼したのである、その眼鏡の構造を此処に述べるのは大変だから省かう。 どうせ忙しい友達が仕事の合間を見計つて徐々と組み立てるのだから何時仕上るか解らない、彼と私と共同で設計した少々型ちの変つた眼鏡でウマク行けば今の私にとつては得難い侶伴になる筈だ。――私達は静かに亢奮してギンザ裏のバーを次々に

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私は懐疑派だ

二葉亭四迷

私は懐疑派だ 二葉亭四迷 私は筆を執っても一向気乗りが為ぬ。どうもくだらなくて仕方がない。「平凡」なんて、あれは試験をやって見たのだね。ところが題材の取り方が不充分だったから、試験もとうとう達しなくって了った。充分に達しなかったというのは、サタイアになったからだ。その意ではなかったのが、どうしても諷刺になって了った。 「其面影」の時には生人形を拵えるというの

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私の探偵小説

坂口安吾

私は探偵小説が好きなのである。 私は仕事に疲れ、二三十分ごろりとねころんで休憩するとき、詰碁か詰将棋か探偵小説を読む。探偵小説の在り方はそれでいゝのだろうと思う。探偵小説を書いている人たちは自分が苦労して書いているから芸術品のように尊重されたいと考える。その気持もうなずけるが、そんな風に言う必要のないことだと私は思っているのである。 私の小説、いわゆる純文学

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私の探偵小説

坂口安吾

私の探偵小説 坂口安吾 私は少年時代から探偵小説の愛好者であったが、日本で発行されたほぼ全部の探偵小説を読むに至ったのは戦争のおかげであった。 戦争中は酒も飲めなくなり、遊ぶ所もなくなり、雑誌もなくなって小説を書く当もなくなったから、残されたのは読書だけ。私はその頃「現代文学」という集りの同人であったが、この同人の中で探偵小説の愛好者が集って、犯人の当てっこ

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私の文学

織田作之助

私の文学 織田作之助 私の文学――編集者のつけた題である。 この種の文章は往々にして、いやみな自己弁護になるか、卑屈な謙遜になるか、傲慢な自己主張になりやすい。さりげなく自己の文学を語ることはむずかしいのだ。 しかし、文学というものは、要するに自己弁護であり、自己主張であろう。そして、自己を弁護するとは、即ち自己を主張することなのだ。 私の文学は、目下毀誉褒

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私の料理ばなし

北大路魯山人

わたしはイタイケな時分から、食べ物にはなかなかやかましく、養父母にうるさがられたものである。子供のくせに食品にいやに眼が利き、味の良否も他に勝っていたようである。 飯も九歳の春から炊き続けて来たが、へんな飯は一度も炊いたことはないようである。それから何十年をいわば美食生活を寸断されることなく続けて今日に至っているが、困ったことには、自分の食歴を書き遺すなどい

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私の書斎

土田杏村

私の書斎 土田杏村 標題だけは書いたが、さて何を書いて見ようといふ案もない。ただ自分も一介の読書生として、終日この書斎の中に籠居してゐるとでも書けばよいのであらうか。 私の書斎、先づ大いさを言へば、四畳半、六畳、十畳の三室から出来てゐる私の家――といつても野の中の極めて小さいものだが、その全面積の約半ばが私の書斎だといふ訳である。本来この家を建てる時に私は京

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私の机

岡本綺堂

私の机 岡本綺堂 ある雑誌社から「あなたの机は」という問合せが来たので、こんな返事をかいて送る。 天神机――今はあと方もなくなってしまいましたが、私が子供の時代には、まだそれが一般に行われていて、手習をする子は皆それに向ったものです。わたしもその一人でした。今でも寺子屋の芝居をみると、何だか昔がなつかしいように思われます。 これも今はあまり流行らないようです

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私の果樹園

三木清

私の果樹園 三木清 豊かな果樹園をつくるのは 貴い魂にふさわしい仕事だ。 それは孕める羊が産まぬ間に 草原から草原へさまよい歩く 遊牧の民のことではない。 泣き叫ぶ声ききながら日の落ちぬ間に 村から村を襲うて狂う 暴虐な軍隊のことではない。 また次の骰が投げられぬ間に 町から町をかけめぐる 苛立しい都会人のことでもない。 豊かな果樹園をつくるためには、 たま

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