花袋・秋声の祝賀会に際して
宮本百合子
花袋・秋声の祝賀会に際して 宮本百合子 御二方には未だ御目に掛った事もございませんが、お催しとしては結構で御座いましょう、只丁度五十歳前後の父を持って居ります自分には、何だか「もうお祝い?」というような心持が致します。 〔一九二〇年十月〕
公共领域世界知识图书馆
宮本百合子
花袋・秋声の祝賀会に際して 宮本百合子 御二方には未だ御目に掛った事もございませんが、お催しとしては結構で御座いましょう、只丁度五十歳前後の父を持って居ります自分には、何だか「もうお祝い?」というような心持が致します。 〔一九二〇年十月〕
折口信夫
花の話 折口信夫 一 茲には主として、神事に使はれた花の事を概括して、話して見たいと思ふ。 平安朝中頃の歌の主題になつて居た歌枕の中に、特に、非常な興味を持たれたものは、東国の歌枕である。 東国のものは、異国趣味を附帯して、特別に歌人等の歓迎を受けた。其が未だに吾々の間に勢力を持つて居る。譬へば関東には「迯げ水」の実在が信ぜられて居た。それは、先へ行けば行く
今野大力
小金井の桜の堤はどこまでもどこまでもつづく もうあと三四日という蕾の巨きな桜のまわりは きれいに掃除され、葭簀張りののれんにぎやかな臨時の店店は 花見客を待ちこがれているよう 私の寝台自動車はその堤に添うて走る 春めく四月、花の四月 私は生死をかけて、むしろ死を覚悟して療養所へゆく すでに重症の患者となった私は これから先の判断を持たない 恐らく絶望であろう
永井荷風
しづかな山の手の古庭に、春の花は支那の詩人が春風二十四番と數へたやう、梅、連翹、桃、木蘭、藤、山吹、牡丹、芍藥と順々に咲いては散つて行つた。 明い日の光の中に燃えては消えて行くさま/″\な色彩の變轉は、默つて淋しく打眺める自分の胸に悲しい戀物語の極めて美しい一章々々を讀み行くやうな軟かい悲哀を傳へる。 われの悲しむは過ぎ行く今年の春の爲めではない、又來べき翌
永井荷風
しづかな山の手の古庭に、春の花は支那の詩人が春風二十四番と数へたやう、梅、連翹、桃、木蘭、藤、山吹、牡丹、芍薬と順々に咲いては散つて行つた。 明い日の光の中に燃えては消えて行くさま/″\な色彩の変転は、黙つて淋しく打眺める自分の胸に悲しい恋物語の極めて美しい一章々々を読み行くやうな軟かい悲哀を伝へる。 われの悲しむは過ぎ行く今年の春の為めではない、又来べき翌
桜間中庸
お馬がたれた なあがいおくび 菜の花たべようと そうろりたれた 花がゆれた 黄色い花だよ お鼻のところで ゆうらりゆれた お馬はたべぬ お花をたべぬ お耳をたれて にほひをかいでる ●図書カード
牧野信一
私は卓子の上に飛びあがると、コップを持つた腕を勢ひ好く振りあげた――酒は天井にはねあがつた。 そして私は、 「花鬘酒の栓を抜け!」 と叫んだ。――「踊子達よ、一斉に盃をとつて、あの舞踏酒の歓喜に酔へ。俺は、ピピヤスの傍らへ走つて、あの花籠を買つて来る、あれらの花が凋まぬ間にあの壺をあけて、ストーロナ産の花を盛らなければならない。飲め/\/\、そしてイダーリア
長谷川時雨
芳川鎌子 長谷川時雨 一 大正六年三月九日朝の都下の新聞紙は筆を揃えて、芳川鎌子事件と呼ばれたことの真相を、いち早く報道し、精細をきわめた記事が各新聞の社会面を埋めつくした。その日は他にも、平日ならば読者の目を驚かせる社会記事が多かった。たとえば我国の飛行界の第一人者として、また飛行将校のなかで、一般の国民に愛され、人気の高かった天才沢田中尉が、仏国から帰朝
野村胡堂
霖雨と硝煙のうちに、上野の森は暮急ぐ風情でした。その日ばかりは時の鐘も鳴らず、昼頃から燃え始めた寛永寺の七堂伽藍、大方は猛火に舐め尽された頃までも、落武者を狩る官兵の鬨の声が、遠くから、近くから、全山に木精を返しました。 「今の奴、何処へ逃げた」 「味方を四五人騙し討ちに斬って居るぞ。逃してはならぬ奴だ」 「まだ遠くへは行くまい」 「見付かったら、朋輩の敵、
高橋竜雄
國學院大學の學長として母校の爲にいひ知れぬ恩惠を與へられたことは、定めて他の院友諸兄が書かれることであらうとおもふので、私は博士が國學院にまだ御關係のなかつた時代、即ち「日本主義」時代のことを述べて、博士の高徳を追慕したいのです。 「日本主義」といふ言葉は、實に「日本主義」といふ雜誌が出てからのことだ。この雜誌は明治三十年五月に開發社(湯本武比古先生社長)か
佐佐木信綱
龜原の木立のひまに夕日しづみ悲しくも君をはふりつるはや これは、芳賀博士を音羽護國寺なる墓地に埋葬した日、遺族及び多くの知己門下の人々のかげに立つて、まむかひの雜司が谷龜原の冬木立の間に沈みはてた夕日を眺めつつ、心のうちに湧きおこつた感懷をさながらのべたのである。 廬山にあつて廬山を見ずといふ如く、多年親しく博士に接してをつた爲に、却つてその傑出した點を感じ
折口信夫
日本の大貴族であつた人が、東京劇場の先代萩政岡忠義の段を見てをられた。その真うしろの席に偶然見物してゐたのが私だ。七日のことだつた。山城少掾が語り、文五郎が政岡まゝたきの人形を使つてゐる。大貴族なるが故に、今までほしいまゝにすることの許されなかつた、芸の喜びにふけつてゐる人の心が、時々私の胸に触れて来た。この国の歴史には、さして高くない民たちが、権勢の擁護も
折口信夫
「……花を惜しめど花よりも惜しむ子を棄て武士を捨て、住みどころさへ定めなき有為転変の世の中や……。」幼年時代から何十遍見聞きした熊谷陣屋幕切れの渡りぜりふである。竟に一度何の感傷も覚えなかつた文句である。其が今度といふ今度、真に思ひがけなく不意討ちのやうに鼻の心を辛くさせられた。 世間も個人も皆痛切に、此段切れの文句に身をつまされる有為転変を、実感してゐるの
北大路魯山人
今後に望まれる工芸作陶界は、まずそれに相応しい可能の許す限りの高き教養を基礎に、自由思想を育成し、真の自由人と思想家の出現に努め、この作陶人をして思い切った自由を作陶の上に振舞わしめざるを得ない。切羽詰っての恵まれた時代がやって来たようである。それには、この際を期して、斯界に一大革新運動を起こしてかかる要が必死の間題であろうと私は思っている。 わが国現在の美
折口信夫
あまり世の中が変り過ぎて、ため息一つついたことのなかつた我々も、時々ほうとすることがある。鳥が粟を拾ふやうにと言ふが、ほんたうに零細な知識を積んで来た私どもの学問も、どうかかうか、若い人たちが継承して行つてくれるに任せるほかはない。そんな妙な方法で、学問と言へるのか、変な学問もあつたものだと言はれ/\して来た私たちの研究も、おのづから中絶する日が、そこに見え
太宰治
魯迅の随筆に、「以前、私は情熱を傾けて支那の社会を攻撃した文章を書いた事がありましたけれども、それも、実は、やっぱりつまらないものでした。支那の社会は、私がそんなに躍起となって攻撃している事を、ちっとも知りやしなかったのです。ばかばかしい。」というような文章があって、私はそれを読んでひとりで声を出して笑ってしまった事があるけれども、私が映画に就いて語る場合も
上村松園
人は苦しまなければいけない、苦しんでこそ初めて生まれるものが有る。わたしはひと頃異常に生きていることに疑問を感じたことがあった。何のために生きているのだろう。画を描くことによって画名を揚げてさて何になるのだろう。むしろ死んだ方がいいのじゃないかと悶えたことがあった。四十歳前後のことで、考えてみればはや二十年ばかりも前のことである。 そんな時分にはよくわたしは
倉田百三
芸術上の心得 倉田百三 一、堅く堅く志を立てること。 およそ一芸に秀で一能に達するには、何事によらず容易なことではできない。それこそ薪に臥し胆を嘗めるほどの苦心がいるものと覚悟せねばならない。昔から名人の域に達した人が、どれほど苦しんだかということは歴史に伝わっている。芸術は百芸の長である。故にその芸術を一生の仕事としようとする者は、初めに堅く志を立てて如何
中井正一
ハイデッガーが存在に問いを発するにあたって、人間に優先性をあたえたのは、人間がすでに存在の会得をもち、彼のありかた existentia によって、それが何であるか essentia を把握することができるゆえである。 人間においては Was-Sein は Wie-Sein にほかならない。 いかに生きるかということによって、それが何であるかということをあら
津田左右吉
芸術史家、または芸術の批評家が或る個人の作品を観てそこにその作家の属している国民全体の趣味なりまたは物の見かたなり現わし方なりの或る傾向が見えるというのは尤な話である。しかし芸術家が製作をするに当って「おれは日本人だから日本人の趣味を現わすのだ」というようなことを意識してかかるものがあるならば、それは飛んでもない見当ちがいの話である。芸術家が製作するに臨んで
宮本百合子
先達て「リビヤ白騎隊」というイタリー映画の試写を観る機会を得た。原作はフランスのジョセフ・ペイレのゴンクール受賞作品だそうで、ファッショ紀元十五年度のムッソリーニ賞杯獲得映画である。筋は単純なものである。クリスチアーナという女の愛に失望したマリオ・ルドヴィッチ中尉が従来の生活環境と感情とから脱却するために、アフリカのリビヤへ赴きそこの守備隊に加って土民征服に
岸田国士
一 翼賛会の文化部と致しましては、実は、現在の楽壇の実状を考へまして、直ちにこれをどうしようといふ風には考へてゐないのであります。申すまでもなく翼賛運動は国民自身の運動となるべき性質のものでありまして、芸術分野といふやうなものも抑々国民生活の中から生れ出たものであり、従つて国民生活の実際の動きからは離れることはできないものであります。特に音楽などは、今日まで
ボードレールシャルル・ピエール
秋の日の暮方は何と身に沁み入ることだ。苦しいまでに身に沁みる。何故と言つて、朧ろげではあるが強さには事欠かぬ、えも言はれぬ或る感覚があるものだから。また、「無窮」の刃くらゐ鋭い刃はないものだから。 空と海との無限の中にわが眼を溺らせる味ひ! 孤独、沈黙、蒼空の類ない純潔! 地平線上にぶるぶる顫へながら、その微小と孤独とでもはや如何ともしがたい私の生活をかたど
宮本百合子
芸術家と国語 宮本百合子 日本語と云うものが、地球上、余り狭小な部分にのみ通用する国語であると云うことは、文筆に携る者にとって、功利的に考えれば、第一、損な立場であると思います。 使用上、所謂、敬語、階級的な感情、観念を現す差別の多いこと、女の言葉、男の言葉に著しい違いのある点、文字が見た眼には、字画がグロテスクで、実は精緻な直感に欠けていることなども不満と