藤の花
原民喜
運動場の白い砂の上では四十人あまりの男女が体操をしてゐた。藤棚の下で見てゐると微風が睡気を運んで来るので、体操の時間は停まったままでちっとも動かない。機械体操から墜ちて手首を挫いた豊が、ネルの着物の上に袴を穿いて、手を※帯で首から吊ってゐた。そのすぐ側には女の子が二人、やはり体操を休んでゐた。一人の女の子は髪が日向の枯草のやうに乾いてゐて、顔が年寄のやうに落
公共领域世界知识图书馆
原民喜
運動場の白い砂の上では四十人あまりの男女が体操をしてゐた。藤棚の下で見てゐると微風が睡気を運んで来るので、体操の時間は停まったままでちっとも動かない。機械体操から墜ちて手首を挫いた豊が、ネルの着物の上に袴を穿いて、手を※帯で首から吊ってゐた。そのすぐ側には女の子が二人、やはり体操を休んでゐた。一人の女の子は髪が日向の枯草のやうに乾いてゐて、顔が年寄のやうに落
藤野古白
明治の文学者、藤野古白(1871(明治4)年9月22日生、1895(明治28)年4月12日没)は、愛媛松山の生れ。彼が九歳の時、一家が東京に移り、成年となってからは、東京と松山を往復するようになる。幼名、久万夫、本名、潔。正岡子規とは四歳下の従弟。明治21年頃より子規の俳句サークルにて句作し、趣向や句法の斬新さで頭角をあらわす。この頃一時重い抑鬱的精神障害に
三宅花圃
藪の鶯 三宅花圃 第一回 男「アハハハハ。このツー、レデースは。パアトナアばかりお好きで僕なんぞとおどっては。夜会に来たようなお心持が遊ばさぬというのだから。 甲女「うそ。うそばかり。そうじゃござりませんけれども。あなたとおどるとやたらにお引っ張り回し遊ばすものですから……あの目がまわるようでござりますんで。そのおことわりを申し上げたのですワ。 男「まだワル
谷崎潤一郎
君なくてあしかりけりと思ふにも いとゞ難波のうらはすみうき まだおかもとに住んでいたじぶんのあるとしの九月のことであった。あまり天気のいい日だったので、ゆうこく、といっても三時すこし過ぎたころからふとおもいたってそこらを歩いて来たくなった。遠はしりをするには時間がおそいし近いところはたいがい知ってしまったしどこぞ二、三時間で行ってこられる恰好な散策地でわれも
幸田露伴
蘆声 幸田露伴 今を距ること三十余年も前の事であった。 今において回顧すれば、その頃の自分は十二分の幸福というほどではなくとも、少くも安康の生活に浸って、朝夕を心にかかる雲もなくすがすがしく送っていたのであった。 心身共に生気に充ちていたのであったから、毎日の朝を、まだ薄靄が村の田の面や畔の樹の梢を籠めているほどの夙さに起出て、そして九時か九時半かという頃ま
豊島与志雄
蘇生 豊島与志雄 人物高木敬助………二十四歳、大学生中西省吾………二十五歳、大学生、敬助と同居人山根慶子………二十一歳、敬助の自殺せる恋人同 秋子………十八歳、慶子の妹村田八重子………二十一歳、慶子の親友、省吾と許婚の女其他――老婆(六十三歳、敬助と省吾との召使)、看護婦、医師、高橋及び斎藤(敬助の友人)、幻の人物数人 深い水底に沈んだ様な感じだった。何の音
田中貢太郎
蘇生 田中貢太郎 秦郵という処に王鼎という若い男があったが、至って慷慨家で家を外に四方に客遊していた。その王鼎は十八の年に一度細君を迎えたことがあったが、間もなく病気で亡くなった。弟思いの兄の鼎が心配して、ほかから後妻を迎えようとしたが、本人が旅ばかりして家にいないので、話が纏まらない。兄は困って暫く家にいてくれと言って忠告したが、王鼎は耳に入れずにまた船に
牧野信一
僕等が小学校の時分に、写絵といふものが非常に流行しました。それは毒々しい赤や青の絵具で紙に色々な絵が描いてあつて、例へば武人の顔とか軍旗とか、花とか、その中で自分の気に入つた絵を切り取つて、水にぬらして腕や足に貼付け、上から着物で堅く圧えつけるのです。暫くたつて紙をそつとはがすと、その絵がそのまゝ腕に写つてしまふのです。たゞそれだけの事ですがそれをどういふも
福沢諭吉
蘭学事始の原稿は素より杉田家に存して一本を秘蔵せしに、安政二年、江戸大地震の火災に焼失して、医友又門下生の中にも曾て之を謄写せし者なく、千載の遺憾として唯不幸を嘆ずるのみなりしが、旧幕府の末年に神田孝平氏が府下本郷通を散歩の折節、偶ま聖堂裏の露店に最と古びたる写本のあるを認め、手に取りて見れば紛れもなき蘭学事始にして、然かも斎先生の親筆に係り門人大槻磐水先生
福沢諭吉
蘭学事始の原稿は素より杉田家に存して一本を秘蔵せしに、安政二年江戸大地震の火災に焼失して、医友又門下生の中にも曾て之を謄写せし者なく、千載の遺憾として唯不幸を嘆ずるのみなりしが、旧幕府の末年に神田孝平氏が府下本郷通を散歩の折節、偶ま聖堂裏の露店に最と古びたる写本のあるを認め、手に取りて見れば紛れもなき蘭学事始にして、然かも斎先生の親筆に係り、門人大槻磐水先生
谷崎潤一郎
A雑誌の訪問記者は、蘿洞先生に面会するのは今日が始めてなのである。それで内々好奇心を抱いて、もうさっきから一時間以上も待っているのだが、なか/\先生は姿を見せない。取次に出た書生の口上では「まだお眼覚めになりませんから」と云うことだった。寝坊な人だとは記者もかね/″\聞いていたから、その積りで来たのだけれど、何ぼ何でも既に十二時半である。三月末の、彼岸桜が咲
久米正雄
新派俳優の深井八輔は、例もの通り、正午近くになつて眼を覚した。戸外はもう晴れ切つた秋の日である。彼は寝足りた眼をわざとらしくしばたゝいて、障子の硝子越しに青い空を見やると、思ひ切つて一つ大きな伸びをした。が、ふと其動作が吾乍ら誇張めいてゐるのに気がつくと、平常舞台での大袈裟な表情が、此処まで食ひ込んでゐるやうな気がして、思はず四辺を見巡し乍ら苦笑した。彼は俳
田中貢太郎
虎媛 田中貢太郎 明の末の話である。中州に焦鼎という書生があって、友達といっしょにの上流へ往ったが、そのうちに清明の季節となった。その日は家々へ墓参をする日であるから、若い男達はその日を待ちかねていて、外へ出る若い女達を見て歩いた。焦生も友達といっしょに外へ出る若い女を見ながら歩いていたが、人家はずれの広場に人だかりがしているので、何事だろうと思って往ってみ
田中貢太郎
閨秀画家の伊藤美代乃女史は、秋田の出身であるが、その女史が小さい時、それは晩春の事であった。某日隣の友達と裏の田圃へ出て、虎杖を採って遊んでいると、どこからともなく六十位の優しそうな老人が来て、 「わしにもおくれ」 と云うので、採っていた虎杖を二つ三つやると、老人は皮も除らないでべろりと喫ってしまって、また手を出して、 「もうすこし、おくれよ」 と云った。そ
中島敦
私は虎狩の話をしようと思う。虎狩といってもタラスコンの英雄タルタラン氏の獅子狩のようなふざけたものではない。正真正銘の虎狩だ。場所は朝鮮の、しかも京城から二十里位しか隔たっていない山の中、というと、今時そんな所に虎が出て堪るものかと云って笑われそうだが、何しろ今から二十年程前迄は、京城といっても、その近郊東小門外の平山牧場の牛や馬がよく夜中にさらわれて行った
今野大力
砂時計はさらさらと流れる 民衆の赤き血は流された 到る処に銃火と剣戟がひらめいた 到る処に窮乏と犯罪が増加した 新聞紙はもっと恐しい話を捏造する 伯林ではパリーの革命を報道する フランスの都ではリーブクネヒトの死が印刷される ……アンリ、ギルボウ 「自分を免職し得るものは民衆のみ」と独逸独立社会党員アルヒホルンは拒絶した。けれど政府は断然彼を除名した、そして
宮沢賢治
虔十公園林 宮沢賢治 虔十はいつも縄の帯をしめてわらって杜の中や畑の間をゆっくりあるいているのでした。 雨の中の青い藪を見てはよろこんで目をパチパチさせ青ぞらをどこまでも翔けて行く鷹を見付けてははねあがって手をたたいてみんなに知らせました。 けれどもあんまり子供らが虔十をばかにして笑うものですから虔十はだんだん笑わないふりをするようになりました。 風がどうと
宮沢賢治
虔十はいつも繩の帯をしめてわらって杜の中や畑の間をゆっくりあるいてゐるのでした。 雨の中の青い藪を見てはよろこんで目をパチパチさせ青ぞらをどこまでも翔けて行く鷹を見付けてははねあがって手をたゝいてみんなに知らせました。 けれどもあんまり子供らが虔十をばかにして笑ふものですから虔十はだんだん笑はないふりをするやうになりました。 風がどうと吹いてぶなの葉がチラチ
夏目漱石
虚子君へ 夏目漱石 昨日は失敬。こう続けざまに芝居を見るのは私の生涯において未曾有の珍象ですが、私が、私に固有な因循極まる在来の軌道をぐれ出して、ちょっとでも陽気な御交際をするのは全くあなたのせいですよ。それにも飽き足らず、この上相撲へ連れて行って、それから招魂社の能へ誘うと云うんだから、あなたは偉い。実際善人か悪人か分らない。 私は妙な性質で、寄席興行その
三島霜川
虚弱 三島霜川 友と二人でブラリと家を出た。固より何處へ行かうといふ、的もないのだが、話にも厭きが來たので、所在なさに散歩と出掛けたのであツた。 入梅になッてからは毎日の雨降、其が辛と昨日霽ツて、庭柘榴の花に今朝は珍らしく旭が紅々と映したと思ツたも束の間、午後になると、また灰色の雲が空一面に擴がり、空氣は妙に濕氣を含んで來た。而て頭が重い。 「厭な天氣だね。
太宰治
虚構の春 太宰治 師走上旬 月日。 「拝復。お言いつけの原稿用紙五百枚、御入手の趣、小生も安心いたしました。毎度の御引立、あり難く御礼申しあげます。しかも、このたびの御手簡には、小生ごときにまで誠実懇切の御忠告、あまり文壇通をふりまわさぬよう、との御言葉。何だか、どしんとたたきのめされた気持で、その日は自転車をのり廻しながら一日中考えさせられました。というの
萩原朔太郎
いとしや いとしや この身の影に鳴く蟲の ねんねんころりと鳴きにけり たれに抱かれて寢る身ぞや 眞實我身は獨りもの 三十になるといふ その事の寂しさよ 勘平さんにはあらねども せつぷくしても果つべきか ても因業なくつわ蟲 ●図書カード
中戸川吉二
イボタの虫 中戸川吉二 無理に呼び起された不快から、反抗的に、一寸の間目を見開いて睨むやうに兄の顔を見あげたが、直ぐ又ぐたりとして、ヅキンヅキンと痛む顳を枕へあてた。私は、腹が立つてならなかつたのだ。目は閉ぢはしてゐても。枕許に立つてゐて自分を監視してゐるであらう兄の口から、安逸を貪ることを許さないと云ふ風な、烈しい言葉が、今にも迸りさうに思はれてゐたのだ。
槙本楠郎
有一君は四年生で、真奈ちやんは二年生です。二人は競争で、毎朝涼しいうちに、夏休みの「おさらひ帳」を勉強します。今日もやつとすませたばかりのところへ、お隣の二年生の宗ちやんが、きれいなお菓子箱をかゝへて、内庭に入つて来ていひました。 「ねえ、いゝものあげようか?」 すると二人はお縁に飛んで出て、いつしよに手を出してさけびました。 「おくれ、僕に!」 「あたしに