青塚ノ説
成島柳北
佳人ノ薄命古今何ゾ限リ有ラン。而シテ文士才人ヲシテ長ク魂銷シ腸摧ケシムルモノハ特リ馬嵬ト青塚トニ在リ。然レドモ太真罪業甚ダ重シ。其ノ花鈿委レ地ノ惨禍亦深ク哀シムニ足ラザルモノ有リ。昭君ガ漢宮ノ姫人ニシテ遠ク胡地ニ沈淪シテ死スルニ至テハ、誰カ之ガ為メニ暗涙滴々タラザルヲ得ン。千載ノ下猶多情ノ人ヲシテ、冷風淡月ノ夕、香ヲ焚キ花ヲ奠シ、遠ク青塚ヲ望ンデ、其艶魂ヲ吊
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成島柳北
佳人ノ薄命古今何ゾ限リ有ラン。而シテ文士才人ヲシテ長ク魂銷シ腸摧ケシムルモノハ特リ馬嵬ト青塚トニ在リ。然レドモ太真罪業甚ダ重シ。其ノ花鈿委レ地ノ惨禍亦深ク哀シムニ足ラザルモノ有リ。昭君ガ漢宮ノ姫人ニシテ遠ク胡地ニ沈淪シテ死スルニ至テハ、誰カ之ガ為メニ暗涙滴々タラザルヲ得ン。千載ノ下猶多情ノ人ヲシテ、冷風淡月ノ夕、香ヲ焚キ花ヲ奠シ、遠ク青塚ヲ望ンデ、其艶魂ヲ吊
辰野九紫
新聞雑誌製作者は常に言う。――無責任な読者の投書が多くて困ると。そして必ず附言する――英人は片言隻句にも、本名を記すことを忘れないと。ジョンブル気質礼讃である。然り、匿名での一言居士は、卑怯でもあり、罵詈雑言は慎しまなくてはならぬ。況んや、名誉に関する言議に、覆面の偽人は戒心を要する。さり乍ら、英人と雖も、ハイド公園の散策に、 「モシモシ、あなた、手巾が落ち
北条民雄
朝のうちに神戸港を出帆した汽船浪花丸がひどくたどたどしい足どりで四国のこの小さな港町に着いたのは、もうその日の夕暮であつた。まだ船がかなりの沖合に動いてゐる時分から、ばたばたと慌しげに洗顔に出かけたり、狭い三等船室でよろけながら身仕度を始めたりしてゐた客たちは、もうわれ先にとひしめきながら甲板に押し寄せて行くのだつた。十一月の上旬で、空はどんより曇つて、なん
内田魯庵
青年実業家 内田魯庵 「全でお咄にならんサ。外債募集だの鉄道国有だのと一つの問題を五年も六年も担ぎ廻る先生の揃つてる経済界だもの。近ごろ君、経済書の売行が好いさうだが、何の事は無い、盗賊を見て縄を綯ふやうなもんだ。戦争以来実業が勃興したといふのが間違つてる。何が勃興してゐるもんか、更に進歩しないと云つても宜しい、畢竟空株の空相場が到る処に行はれたので一時に事
北大路魯山人
美術面に於て、現存者から師を仰ぐことはなかなかむつかしい。先輩はあつても其の人が、何等かに偏し、且つ其道の一つに囚はれてゐるからである。之等の一人二人を師と仰ぎ只管教へを乞ふとせば、必ず後日悔を遺さねばならない。 例へば、画青年が梅原、安井を択ぶとせよ、又、古径、靫彦に師事したとせよ、何れを択んだとしても、真の自由は失なはれ視野はせばまつてゆく。謂ふ所の自由
宮本百合子
青年の生きる道 宮本百合子 日本の人口は七千万といわれている。その中で青年はどれほどの数を占めているのであろうか。今日、日本に生きる私達は皆一かたならない困難を持っているし、一朝一夕に片づかない社会的課題を持っている。日本の民主化という窓は明日に向って明るく開かれているけれども、その国を横切りつつある私達の足もとには長い歴史が今日に齎している雑多な矛盾と障碍
甲賀三郎
キビキビした青年紳士 甲賀三郎 帝大土木科出身の少壮技術者の創設にかかるものでN・K・倶楽部というのがある。この倶楽部に多分大正十年頃だったと思うが、科学技術者が大挙して入会することとなり、私は準備委員といったわけで、丸の内の同倶楽部へ時々顔を出したことがある。その時分に倶楽部の仕事も段々多くなるし、会員の大部分は昼間他の職業に従事していて、充分に会務を見る
クロポトキンピョートル・アレクセーヴィチ
『青年に訴う』は、クロポトキン自身も言っているごとく、クロのもっともお得意のものだ。そして二十余りの諸外国語に翻訳されて、クロの著作の中でももっとも広く読まれている。 僕はかつてそれを、もう十三、四年前のことだが、『日刊平民新聞』に訳載した。そしてその最後の一章のために、秩序紊乱という名の下に、二た月か三月牢に入れられた。 その留守中に、クロから故幸徳に手紙
中原中也
――三造の友人達に。 三造は、この世に自分くらゐ切ないがまた、呑気といへば呑気な男はないと思つてゐた。事実彼は呑気であつた。 或時三造の一寸知つた男が彼に言つた。「無念さうな顔をしてかァ」。実際さういはれてみれば自分は無念さうな顔をしてゐたもんだと三造は思つた。「でも、自分の心の中は、無念さうなのではないのだがなあ。しかし……」。三造はドギマギした。それから
小川未明
デパートの内部は、いつも春のようでした。そこには、いろいろの香りがあり、いい音色がきかれ、そして、らんの花など咲いていたからです。 いつも快活で、そして、また独りぼっちに自分を感じた年子は、しばらく、柔らかな腰掛けにからだを投げて、うっとりと、波立ちかがやきつつある光景に見とれて、夢心地でいました。 「このはなやかさが、いつまでつづくであろう。もう、あと二時
宮本百合子
青春 宮本百合子 青春の微妙なおもしろさは、その真只中にいるときは誰しもそれを、後で思い出のなかでまとめるような形ではっきり自覚しないまま、刻々を精一杯によろこび、悲しみながら生きてゆくところにあるのではないだろうか。人間の精神のなかで青春というものの在りようもまたおもしろく微妙で、あながち年の若さということにだけ、根をおいているのでもないらしいのも興味ふか
三木清
わが青春 三木清 一 去年の暮、ふと思い付いて昔の詩稿を探していたら「語られざる哲学」と題するふるい原稿が見付かった。百五十枚ばかりのもので、奥書きには「一九一九年七月十七日、東京の西郊中野にて脱稿」と誌してある。あのころは九月に新学年が始まることになっていたから。ちょうど大学の二年を終えた時で、私の二十三の年である。 想い起すと、その夏、休暇を利用して東京
北条民雄
黒ぐろとうちつづいた雑木林の間から流れ出る夜霧が、月光を浴びて乳色に白みながら見るまに濃度を加へて視野遠く広がつた農園の上を音もなく這ひ寄つて来る。梨畑が朦朧と煙つた白色の中に薄れてしまひ、つらなつた葡萄棚の輪廓が徐々に融かされてゆくと、はるか向うの薄暗く木立の群がつたあたりにちらちらと見えがくれする病舎や病棟の燈もぼんやりと光芒がただれて、眼のさき六七間の
谷崎潤一郎
○「青春物語」は昨秋以来約半歳に亙り、最初の一回を「青春物語」第二回以後を「若き日のことども」と題して中央公論へ連載した作者の青春回想記である。作者は事実の正確を期すると共に、往々先輩知友のアラや失策等に言及したが、それも罪のない素ツ葉抜きの程度に止め、なるべく自他に迷惑をかけないやうに注意したことは勿論である。しかし何分二十年前の出来事を全く自己の記憶と判
槙村浩
(若き日の孤独を灼きつくす情熱をわれらに与えよわれらをして戦いに凍えたる手と疲れたる唇に友を亨けしめよ銀の鉛屋根の上に朽葉色の標燈の照らす夜をわれらの老いたる母のひとり眠る時明るき原と自由なる槌を、こゝに赤きプラカードのごとくわれらと共に擁する友を亨けしめよ 牢獄! 崩れた喜びと愛と思い出の蘇る日友と生活の悦びを金盞花えの雑りけなき接吻と共に鉄色の電気の溶流
前田河広一郎
ニュー・ヨーク 『青春の自画像』より 前田河広一郎 考えると、ずいぶん馬鹿げた服装をしていたものだ。頭には、山高帽という奴をかぶっていたし、口にはチョビ髯、手に贋革の鞄、厚ぼったい灰色の外套を着こんで、片手に例のステッキ。そのころは、まだ流行にならなかった活動のチャップリンにどうやら似通よった姿であった。このほとんどは、シカゴ製のもので、日本から身につけて来
坂口安吾
青春論 坂口安吾 一 わが青春 今が自分の青春だというようなことを僕はまったく自覚した覚えがなくて過してしまった。いつの時が僕の青春であったか。どこにも区切りが見当らぬ。老成せざる者の愚行が青春のしるしだと言うならば、僕は今も尚青春、恐らく七十になっても青春ではないかと思い、こういう内省というものは決して気持のいいものではない。気負って言えば、文学の精神は永
小川未明
さよ子は毎日、晩方になりますと、二階の欄干によりかかって、外の景色をながめることが好きでありました。目のさめるような青葉に、風が当たって、海色をした空に星の光が見えてくると、遠く町の燈火が、乳色のもやのうちから、ちらちらとひらめいてきました。 すると毎日、その時分になると、遠い町の方にあたって、なんともいえないよい音色が聞こえてきました。さよ子は、その音色に
西村陽吉
青い服の長い列、 みんな揃って青い服、 ひょろひょろとした、 せいのひくい、 営養不良の、 顔まで青い長い列。 みんな同じようなゲートルをまいて、 手に手に日の丸の小旗をもって、 生徒のような帽子をかぶって、 どれもこれも、 鉱毒と過労にひきつったような顔。 時間にして一時間以上、 長さにして一里以上、 数にして一万以上、 砲兵工廠から二重橋まで うねうねと
甲賀三郎
青服の男 甲賀三郎 奇怪な死人 別荘――といっても、二昔も以前に建てられて、近頃では余り人が住んだらしくない、古めかしい家の中から、一人の百姓女が毬のように飛出して来た。 「た、大へんだア、旦那さまがオッ死んでるだア」 之が夏なら街路にはもう人の往来もあろうし、こんな叫び声が聞えたら、あすこ、こゝの別荘から忽ち多勢の人が飛んで来ようが、今は季節外れの十二月で
太宰治
青森 太宰治 青森には、四年ゐました。青森中学に通つてゐたのです。親戚の豊田様のお家に、ずつと世話になつてゐました。寺町の呉服屋の、豊田様であります。豊田の、なくなつた「お父さ」は、私にずいぶん力こぶを入れて、何かとはげまして下さいました。私も、「おどさ」に、ずいぶん甘えてゐました。 「おどさ」は、いい人でした。私が馬鹿な事ばかりやらかして、ちつとも立派な仕
太宰治
青森 太宰治 青森には、四年いました。青森中学に通っていたのです。親戚の豊田様のお家に、ずっと世話になっていました。寺町の呉服屋の、豊田様であります。豊田の、なくなった「お父さ」は、私にずいぶん力こぶを入れて、何かとはげまして下さいました。私も、「おどさ」に、ずいぶん甘えていました。 「おどさ」は、いい人でした。私が馬鹿な事ばかりやらかして、ちっとも立派な仕
北条民雄
霧の深い夜が毎晩のやうに続いた。黒々と打ち続いた雑木林の繁みの間から流れ出して来るかのやうに、それは月光を浴びて乳色に白みながら、音もなく菜園の上に拡がりわたつた。梨畑が朦朧と煙つた白色の中に薄れて行くと、連なつた葡萄棚の輪郭も徐々に融かされて行き、あたりはただ乳白の一色に塗り込められてしまふ。はるか向うの、群がつた木立の中にちらちらと見えがくれする病舎や病
萩原朔太郎
私の情緒は、激情といふ範疇に屬しない。むしろそれはしづかな靈魂ののすたるぢやであり、かの春の夜に聽く横笛のひびきである。 ある人は私の詩を官能的であるといふ。或はさういふものがあるかも知れない。けれども正しい見方はそれに反對する。すべての「官能的なもの」は、決して私の詩のモチーヴでない。それは主音の上にかかる倚音である。もしくは裝飾音である。私は感覺に醉ひ得