音楽の民族性と諷刺
宮本百合子
音楽の民族性と諷刺 宮本百合子 この春新響の演奏したチャイコフスキーの「悲愴交響楽」は、今も心のなかに或る感銘をのこしている。一度ならず聴いているこの交響楽から、あの晩、特別新鮮に深い感動を与えられたのはおそらく私一人ではなかったろうと思う。 十九世紀のあの時代のロシア、そして、そこを生きたチャイコフスキーが、音楽そのものの力で語り、描き訴えている生命の色彩
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宮本百合子
音楽の民族性と諷刺 宮本百合子 この春新響の演奏したチャイコフスキーの「悲愴交響楽」は、今も心のなかに或る感銘をのこしている。一度ならず聴いているこの交響楽から、あの晩、特別新鮮に深い感動を与えられたのはおそらく私一人ではなかったろうと思う。 十九世紀のあの時代のロシア、そして、そこを生きたチャイコフスキーが、音楽そのものの力で語り、描き訴えている生命の色彩
兼常清佐
音楽界の迷信 兼常清佐 1 迷信 音楽の世界は暗黒世界である。いろいろな迷信が縦横にのさばり歩いている。 私はピアノを例に取る。私は楽器のうちで一番ピアノを愛する。私のこの愛するピアノを今しばらく例に取って見る。 批評家はほとんど例外なしに言う。――パデレウスキーやコルトーのような大家の弾くピアノの音は非常に美しい。彼らのタッチは実に巧妙である。この美しい音
寺田寅彦
音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」 寺田寅彦 この音楽的映画の序曲は「パリのめざめ」の表題楽で始まる。まず夜明けのセーヌの川岸が現われる。人通りはなくて朝霧にぬれたベンチが横たわり、遠くにノートルダームの双生塔がぼんやり見える。眠りのまださめぬ裏町へだれか一人自転車を乗り込んで来て、舗道の上になんだか棒のようなものを投げ出す。その音で長い一夜の沈黙が
兼常清佐
1 私は多分誤報だと思います。一九三五年の太陽が赤々と照っている時に、なんぼなんでも、まさかそんな事はないでしょう。それでも是非私の考えを話せというのですか。―― 何時の時代でも、どこでも、必ず老人と青年の対立というものがあります。老人は自分が生きて来た過去の事をなつかしがります。そして自分の頭の中にあるだけの物を基礎として、世の中をそれに調子を合わさせよう
野村胡堂
夜中の十二時――電気時計の針は音もなく翌る日の最初の時を指すと、社会部長の千種十次郎は、最後の原稿を一と纏めにして、ポンと統一部の助手の机に投りました。 「さア、これでお了いだ」 千種はガードの熱いおでんと、中野のアパートの温いベッドと――何方にしようかと考えて居りました。まる十二時間の労働で、心も身体もボロ切れのように疲れ果てて、此上は、地球そのものを爆弾
水野仙子
響 水野仙子 一 藤村の羊羹、岡野の粟饅頭、それから臺灣喫茶店の落花生など、あの人の心づくしの数々が、一つ一つ包の中から取り出されつゝあつた。――私はゴム枕に片頬をつけたまゝ、默つてお蔦が鋏をもつて糸を切るのから、その糸を丹念にくるくると指の先に巻いて、薄紫と赤と青との切手の貼られた送票を丁寧に剥がしたりしてゐるのを、もどかしく眺めてゐた。けれどもそのもどか
田山花袋
また想像を排さなければならないやうな時代が来た。想像は作をするに就いてはなくてならないものであるのは言ふを待たないが、この想像が新しい時代の人達の単なる要求と相混合して、十のものを百、百のものを千といふやうに、大きなしかし空疎な幻影を描かしめるものの多いに至つては、我々は又例の幻滅論を繰返さなければならなくなる。 新時代の発生は、自然の順序として、さういふ形
中原中也
頁 頁 頁 歴史と習慣と社界意識 名誉欲をくさして 名誉を得た男もありました 認識以前の徹定 土台は何時も性慾みたいなもの 上に築れたものゝ価値 十九世期は土台だけをみて物言ひました ○××× ○××× ○××× 飴に皮がありますかい 女よ ダダイストを愛せよ ●図書カード
仲村渠
植物はとほくけぶる外輪山の緑のいろ。 ここはたゞ白昼 玉座の怒る噴煙である。 生ものとては火口に飛び交ふ燕のむれだ 断崖の影にかくれて 燕窩にならぶ幼い卵だ飛翔の夢だ お、晴れるぞ霧が。 海をしたがへ 雲をとばし てつぺんに僕を飾つてひらく山岳! 伊豆大島三原山にて ●図書カード
宮本百合子
この頃 宮本百合子 「お前は好い子だネエ」とあたまをなでられたあとでポカリとげんこつをもらう。 「ほんとうになんて可愛い子なんだろうネエ、まあこの形のいい頭は――」ポカリ又小さくて、固くて、痛いげんこをもらう。 ままっ子が根性の悪い母親に可愛がられるような、こんなようなのがこの頃の私の心持で有る。 うれしくて、又なさけなくって、愛しくて、にくらしい、のは、こ
宮本百合子
その頃 宮本百合子 門柱の左には麻田駒之助と標札が出ていて、門内右手の粗末な木造洋館がその時分(大正五年)中央公論社の編輯局になっていた。受付で待っていると、びっくりするばかりの赭ら顔に髪の毛をもしゃとし、眼付が足柄山の金時のような感じを与える男の人が、坪内先生の手紙を片手に握って速足に出て来た。これが瀧田樗蔭氏であった。白絣に夏羽織の裾をゆすって二階へ上っ
北条民雄
朝、起き上るたびに私は一種不可解な気持をもつてあたりを見廻さずにはゐられない。夜が明けるたびに起き上つてはごそごそと動き始める日々といふものを、もう二十年あまりも続けてゐるのであるが、しかしこの単調さにも腐敗しない人間の心理といふものはなんといふ不思議さであらう。況や起き上るたびにもう動き出さうとむづむづしてゐる肉体を感ずる時、いつたい人間を何と解いたら良い
中原中也
暑中休暇が、もう終りに近かつた。私は休暇中の自分の予定が、まだ三分の一も出来てゐないことでヂリヂリしてゐた。それに一ヶ月余りといふものを寝て起きて食ふと言ふ全くその文字通りの日暮しのために、いつときも我慢し切れなくなつてゐた。 或日父は近頃にない早く、外来患者も病室の方も済まして、表の間の卓に頬肘を突いた儘、縁先の河鹿の鉢をヂツと瞶めてゐた。私はその父を見る
小泉信三
今の東宮仮御所のある渋谷常盤松の辺は、土地がゆるやかに起伏し、道路が不整な線をなしてその間にうねっている。幾つかの凸凹の一凸部の端に仮御所はある。もと東伏見大妃殿下のおられた天井の高い旧式の洋館である。 食堂に下りて来られる以外、皇太子殿下は主にその二階にお住居になっている。東に面して三つの部屋が並んでいる。御進講堂、御座所(書斎)、そうして「ピアノの間」で
田山花袋
他を批評するといふ心は、他に対して未だ完全の理解を持つてゐない心である。いかなる批評を以てしても、その当躰の核心は言破することが出来ない。その批評それ自身が批評される当躰と同一乃至抱合の境地に達しない以上は――。そしてその境地は既に批評の境地でなくて、自己の独創になつてゐることを私は思ふ。 批評は他のために存在するものでなくつて、自己の為めに存在するものであ
長塚節
須磨の浦を一の谷へ歩いて行く。乾き切つた街道を埃がぬかる程深い、松の木は枝も葉も埃で煤が溜つたやうに見える、敦盛の墓の木蔭にはおしろいが草村をなしてびつしりと咲いて居る、柔かな葉はやつぱり埃が掛つて居るが、赤や黄の相交つた花には目立つて見えぬ、敦盛とおしろいの花といふ偶然の配合に興味を感じて名物の敦盛蕎麥へはいる、店先にはガラスの駄菓子箱があつてそれも埃であ
根岸正吉
須賀爺の面の憎さよ。 あの 額に寄する残忍の皺よ。 冷酷のまなざしよ。 憎らしき靨よ頬っぺたの穴よ。 須賀爺の面の憎くさよ。 今日も亦緯糸をたぐりしと叱りし。 解雇するぞとおどかせし。 そんなに叱るなよ。罵しるなよ。 おれは慣れないのだ。 機台の前に立つさえ怖いのだ。 あの杼の音箴打つ音にも驚くのだよ。 須賀爺の面の憎さよ。 おれのみが憎むのではない。 みん
クローデルポール
わが魂は主を崇め奉るなり。 噫今は越方となりし辛き長き途よわれたゞ孤なりしその日よ。都大路の流離よ、御堂へ下る長町よ。宛も若き競技者が方人、調練者の群に急れてか楕圓砂場をさして行く時、一人は耳に囁きつ、またの一人は腕に自由を許しつゝ布もて腱を卷き縛る如きめをみて、わが神々の忙しき足の中をわれは進みぬ。聖約翰祭夏至の頃森陰の音なひよりも、あるは、ダマスコの里水
富永太郎
鋼の波に アベラール沈み 鉛の艫に エロイーズ浮む 骸炭は澪に乗り 直立する彼岸花を捧げて走り 『死』は半ば脣を開いて 水を恋ひ また 燠を霊床とする すべては 緑礬のみづ底に息をつく 象牙球の腹部の内側に ●図書カード
北村透谷
頑執妄排の弊 北村透谷 宇宙を観察するの途二あり、一は宇宙を「死躰」として観るにあり、他は宇宙を「生躰」として観るにあり、人生を観察するの途二あり、一は人生を今世に限られたるものとして観るにあり、他は人生を未来に亘るものとして観るにあり。爰に於て吾人は知る、人間世に処するの途は、現在に希望を置くと、未来に希望を置くとの二岐に分るゝあるのみ。更に去つて歴史を観
豊島与志雄
ジャングル頭 豊島与志雄 夜の東京の、新宿駅付近や、上野不忍池付近は、一種のジャングル地帯だと言われる。酔客、ヨタモノ、パンスケ、男娼、などなどの怪物が横行していて、常人は足をふみ入れかねる。このジャングルを、一夜、警官の案内で坂口安吾は探検した。 だが、ジャングルは他にもある。近頃の若い婦人の頭髪を御覧なさい。パーマの長髪を、頭の二倍大、三倍大にふくらまし
北村四海
頭上の響 北村四海 「君、如何だ、近頃は不思議が無いか」 私の友人は、よく私にこういうて笑うが、私には如何してもそれが冗談として打消されない、矢張何か一種の神秘作用としか思われないのである、如何いうものか吉兆の方は無い――尤も私の今日までの境遇上からでもあろうが――が奇妙に凶事に関しては、事件の大小を論せず、必ず自分には前報がある、遅いのは三四日前、早いのは
小川未明
三郎は、往来で、犬と遊んでいるうちに、ふいに、自分のかぶっていた帽子をとって、これを犬の頭にかぶせました。 ポチは、目が見えなくなったので、びっくりして、あとずさりをしました。それに、坊ちゃんの大事な帽子をよごしたり、いためたりしては、わるいと思ったので、遠慮するように見えたのであります。 「ポチ、帽子をかぶって、歩くんだよ。」と、三郎は、いいました。 「私
小酒井不木
実験室の前の庭にある桐の若葉が、ようやく出そろった五月なかばのある朝。塚原俊夫君が「Pのおじさん」と呼ぶ警視庁の小田刑事は、珍しくも私服を着て、私たちの事務室兼実験室を訪ねられました。小田さんは東京に近い△△県の田舎の生まれだそうですが、その村の小田さんの親戚の家に一つの事件が発生したので、俊夫君にその解決を依頼すべく来られたのです。 今日からちょうど五日前