Vol. 2May 2026

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Biblioteca de conocimiento mundial de dominio público

Mostrando 9648 de 14.981 títulos

正直者

国木田独歩

見たところ成程私は正直な人物らしく思はれるでせう。たゞ正直なばかりでなく、人並變つた偏物らしくも見えるでせう。 けれども私は決して正直な者ではないのです。なまじ正直者と他から思はれたばかりに容易ならぬ罪を今日まで成し遂げて生涯の半を送つて來たのであります。 鏡に對へば私にも直ぐ私自身の容貌が能く解ります。私の顏には角といふものがありません。冴えた色がありませ

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正義

浜尾四郎

「ほう、すると君は今日あの公判廷に来て居たのか。……そうだったのか」 「ええ、あの事件の初めから終りまで傍聴して居ました。あの、あなたが弁護してやってる森木国松っていう被告人ですね、あれが松村子爵を殺したとは僕にも一寸考えられませんよ。……あの事件当時、僕はずい分詳しく新聞を読んで居たんですがね」 「そうかね、僕は君のような芸術家があんな殺伐な犯罪事件に興味

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正義の国と人生

桐生悠々

正義の国と人生 桐生悠々 ゴオリキの「どん底」に現われた不思議な老人ルカの話によると、シベリアに「非常に貧乏で、惨な暮らし」をしていた或男が、「正義の国」を求めていた。この正義の国には「特別な人間」が住んでいて、しかも「立派な人間ばかりで、互に尊敬し合い、どんな些細なことにも助け合う」国であった。そしてこの男は、絶えずこの正義の国を探しに行く用意をしていたが

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正義の花の環 一九四八年のメーデー

宮本百合子

三度めのメーデーが来る。ことしのメーデーはどんなメーデーになるだろう。お天気のよい日であることをのぞみたのしいメーデーの歌と行進とを期待する。去年は職場職場でなかなか趣向のこったプラカードや飾りものをもち出した。ブラス・バンドが先に立って行進した組合もあった。ことしのメーデーに自立合唱団や劇団はどんな自分たちの催しものを、全勤労者のメーデーの賑わいに交える計

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正に芸術の試煉期

小川未明

今度の震災の災禍が、経済上にまた政治上に、影響し、従って複雑な関係を個人生活の上にも生じた点が少くない。その中に於て、文学業者の生活は、元来が、一面社会的であると共に、一面は、全く個人的のものであったと言うことができる。 今日、私は、独り芸術とは限らないが、まず芸術に、それが危機にあると言い得るのは、その作者と立場との関係が、極めてデリケートに置かれているか

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正覚坊

豊島与志雄

正覚坊 豊島与志雄 正覚坊というのは、海にいる大きな亀のことです。地引網を引く時に、どうかするとこの亀が網にはいってくることがあります。すると漁夫達は、それを正覚坊がかかったと言って大騒ぎをします。正覚坊が網にかかるときっと大漁がある、と言われているのです。漁夫達は皆集まって正覚坊をとり巻き、近所の家から酒をたくさん取り寄せて、それを正覚坊に飲ませます。正覚

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正と譎と

高村光太郎

竹田流に言へば、ピカソは譎にして正ならざるもの、ドランは正にして譎ならざるものだ。譎とはたばかる事ではない。意匠に急なる事だ。正とは表現そのものに急なることだ。大雅の畫が表現の畫であり、春星の畫が意匠の畫である事は明らかである。芭蕉の稱する正風とは檀林の意匠文學から、表現そのものに歸る事を意味してゐる。芭蕉の正風を通過して其角は再び新鋭の意匠文學に傾いた。正

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正雪の二代目

岡本綺堂

大泉伴左衞門 千島雄之助 深堀平九郎 津村彌平次 本庄新吾 犬塚段八 三上郡藏 山杉甚作 備前屋長七 下總屋義平 義平の母おかめ 大泉の妹お千代 大泉の女中およし 同じく おみつ 下總屋の若い者時助 同じく 勘八 下總屋の小僧仙吉 下總屋の女中おとよ 番太郎 權兵衞 與力井口金太夫 同心野澤喜十郎 町の娘 おもと 同じく おきん ほかに同心。捕手。町の男。女

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正雪の遺書

国枝史郎

正雪の遺書 国枝史郎 1 丸橋忠弥召捕りのために、時の町奉行石谷左近将監が与力同心三百人を率いて彼の邸へ向かったのは、慶安四年七月二十二日の丑刻を過ぎた頃であった。 染帷に鞣革の襷、伯耆安綱の大刀を帯び、天九郎勝長の槍を執って、忠弥はひとしきり防いだが、不意を襲われたことではあり組織立った攻め手に叶うべくもなく、少時の後には縛に就いた。 この夜しかも同じ時刻

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武士を夷ということの考

喜田貞吉

国史地理学上、本邦の種族調査の一部として、さきに「夷俘・俘囚の考」と「東人考」とを発表したる余輩の研究は、ここに中世において武士を夷と称したることの理由を説明すべき順序となれり。「えびす」とはいうまでもなく古史に見ゆる蝦夷、すなわち今日北海道になお約二万の遺を存するアイヌ族のことなり。その住所東方にあるがゆえに、あるいはこれを東夷という。平泉中尊寺なる藤原清

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武士道の山

新渡戸稲造

武士道は斜面緩かなる山なり。されど、此処彼処に往々急峻なる地隙、または峻坂なきにしも非らず。 この山は、これに住む人の種類に従って、ほぼ五帯に区分するを得べし。 その麓に蝟族する輩は、慄悍なる精神と、不紀律なる体力とを有して、獣力に誇り、軽微なる憤怒にもこれを試みんと欲する粗野漢、匹夫の徒なり。彼らはいわゆる「野猪武者」にして、戦時には軍隊の卒伍を成し、平時

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武州公秘話 02 跋

正宗白鳥

「蓼喰う蟲」以後の谷崎君の作品は、残りなく通読しているつもりでいたが、この「武州公秘話」だけにはまだ目を触れていないのであった。谷崎好みの題材を谷崎式手法で活写しているだけで、この怪異な物語に私は驚かされはしなかったが、この老作家の老熟した近作中でも、筆が著しく緊縮していることが特に感ぜられた。のんびりしたところが皆無で窮屈そうである。似寄った変型愛慾の描写

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武州喜多院

中里介山

武州喜多院 中里介山 これも五月のはじめ、郊外の新緑にひたろうと、ブラリ寓を出でて、西武線の下井草までバス、あれから今日の半日を伸せるだけのして見ようと駅で掲示を見る、この線の終点は川越駅になっている、発駅は高田馬場である、そこで六十何銭かを投じて川越駅までの切符を求めた。 特に川越を目的とする何等の理由は無かった、全く出来心ではあったし、川越という処も一両

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武ちゃんと昔話

小川未明

この夏休みに、武ちゃんが、叔父さんの村へいったときのことであります。 ある日、村はずれまで散歩すると、そこに大きな屋敷があって、お城かなどのように、土塀がめぐらしてありました。そして、雨風にさらされて古くなった門が、しめきったままになって、内には、人が住んでいるとは思われませんでした。 「どうしたんだろうか。」と、武ちゃんは、不思議に思いました。門のすきまか

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武田麟太郎追悼

織田作之助

武田麟太郎追悼 織田作之助 武田さんは大阪の出身という点で、私の先輩であるが、更に京都の第三高等学校出身という点でもまた私の先輩である。しかも、武田さんは庶民作家として市井事物一点張りに書いて来た。その点でも私は血縁を感じている。してみれば、文壇でもっとも私に近しい人といえば、武田さんを措いて外にない。いわば私の兄貴分の作家である。そしてまた、武田さんは私の

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武甲山に登る

河井酔茗

武甲山は武蔵の一名山である。其山、秩父連山の入口にあたり、而かも山姿高峻、優に秩父連山の群を抜き、遠く武蔵野平原から望んでも、武甲山だけは、著しく天空に聳ええて居る。 武甲山より二里許り奥に、三峰山があって、三峰神社の信仰者は多く登山するが、武甲山の方は近いに拘わらず、信仰の伴わない山だから、滅多に登山するものがない。武蔵風土記其他の古書に武蔵の名山なりとあ

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武者小路氏のルナアル観

岸田国士

武者小路氏のルナアル観 岸田國士 本誌七月号に「読んだ戯曲六篇について」批評の筆を取られた武者小路氏は、たまたま、拙訳になるルナアルの「日々の麺麭」に言及されてゐる。 先づ、訳者としてあれを読んで下さつたことを感謝する。そしてそれについていつもながらの直截な議論に接したことを幸せに思ふ。 あの訳文を、あれだけに買つて頂けば、訳者として瞑すべきである。たゞ、ル

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武者窓日記

牧野信一

けふこの頃、うらゝかな小春の日和が日毎日毎さんさんと打ちつゞいてゐる。三田の寺町にある私の寓居は、崖ふちに添ふて立ちならぶ長屋の端で家構への貧弱さは随一であるが、展望の拡さだけが悲しみに満ちた私の胸を慰めてゐた。しかし私は、まさか斯んな位置の窓から遠くの山の姿などが眺められるとは夢にも期待してゐなかつたのだが、或日、不図、二階の窓から、うらうらと晴れわたつて

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武者ぶるい論

坂口安吾

妖雲天地にたちこめ、円盤空をとび、巷の天文家は戦争近しと睨んだ形跡であるが、こと私自身に関しては、戦争になっても余り困らない人間だ。どうなろうと運命だから仕方がないという考えは私の持病なのだから。もっとも、運命とみて仕方がねえやと言うだけで、火の子だの地震だの戦争に追いまくられるのが好きな性分ではない。 強いて闘争を好まず、ただ運命に対処する、という心掛けは

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武蔵野

国木田独歩

武蔵野 国木田独歩 一 「武蔵野の俤は今わずかに入間郡に残れり」と自分は文政年間にできた地図で見たことがある。そしてその地図に入間郡「小手指原久米川は古戦場なり太平記元弘三年五月十一日源平小手指原にて戦うこと一日がうちに三十余たび日暮れは平家三里退きて久米川に陣を取る明れば源氏久米川の陣へ押寄せると載せたるはこのあたりなるべし」と書きこんであるのを読んだこと

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武装せる市街

黒島伝治

五六台の一輪車が追手に帆をあげた。 そして、貧民窟を横ぎった。塵埃の色をした苦力が一台に一人ずつそれを押していた。たった一本しかない一輪車の車軸は、巨大な麻袋の重みを一身に引き受けて苦るしげに咽びうめいた。貧民窟の向う側は、青い瓦の支那兵営だ。 一輪車は菱形の帆をふくらましたまゝ貧民窟から、その兵営の土煉瓦のかげへかくれて行った。帆かげは見えなくなった。だが

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武鑑譜

服部之総

徳川時代を通じておこなわれていた「武鑑」について、いまの若い人たちは知ることが少いであろう。 戦争まえまでは、古書展でもさまで珍しがられず、古地図などにくらべて値も安かった。銀座の松坂屋まえの露店に、十数年古本をあきなっている山崎さんなどは、この方面が好きで、いつも何冊か仕入れていたが、値は特別に安かった。 もっともそれは、わたしの漁るものが珍品として値の高

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歩む

戸田豊子

街で兄に遇った。走ってる電車のなかで新聞を読んでいた。ハンドルを持つ手が、赤く大きく、じろりと、とも子を見た。 「仕事をみつけたのかい」 いかにも疲れたらしい妹の恰好に眼をつけ乍ら、そう言った。とも子は黙って肯いた。スカートがべとべとからみつく様な疾風に逆いながら、一日ぐるぐる歩きまわった。訪問、契約、拒絶、報告、――。 「今度は何だい。また馘られんようにし

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歩々到着

種田山頭火

歩々到着 種田山頭火 禅門に「歩々到着」という言葉がある。それは一歩一歩がそのまま到着であり、一歩は一歩の脱落であることを意味する。一寸坐れば一寸の仏という語句とも相通ずるものがあるようである。 私は歩いた、歩きつづけた、歩きたかったから、いや歩かなければならなかったから、いやいや歩かずにはいられなかったから、歩いたのである、歩きつづけているのである。きのう

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