Vol. 2May 2026

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Biblioteca de conocimiento mundial de dominio público

14,981종 중 11,208종 표시

短命長命

黒島伝治

短命長命 黒島傳治 ある薄ら曇りの日、ぶらぶら隣村へ歩いた。その村に生田春月の詩碑がある。途中でふとその詩碑のところへ行ってみる気になって海岸の道路を左へそれ、細道を曲り村の墓地のある丘へあがって行った。 墓地の下の小高いところに海に面して詩碑が建っている。生田花世氏がここへ来て、あんたはよいところでお死にになったと夫の遺骸に対して云ったと、私が詩碑の傍に立

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短歌の口語的発想

折口信夫

短歌の口語的発想 折口信夫 短歌に口語をとり入れることは、随分久しい問題である。さうして今に、何の解決もつかずに、残されてゐる。 一体どの時代でも、歌が型に這入つて来ると、大抵は珍しい語に逃げ道を求めた。形式の刺戟によつて、一時を糊塗しようとするのである。若しわれ/\が、文献に現れた死語・古語の中から、当時に於ける口語・文語が択り分けられるとしたならば、必、

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短歌本質成立の時代 万葉集以後の歌風の見わたし

折口信夫

一 短歌の創作まで 短歌の形式の固定したのは、さまで久しい「万葉集以前」ではなかつた。飛鳥末から藤原へかけての時代が、実の処此古めいた五句、出入り三十音の律語を意識にのぼせる為の陣痛期になつたのである。 囃し乱めの還し文句の「ながめ」方が、二聯半に結著したのも此頃であつた。さうして次第に、其本歌なる長篇にとつて替る歩みが目だつて来た。記・紀、殊に日本紀、並び

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短歌様式の発生に絡んだある疑念

折口信夫

短歌様式の発生に絡んだある疑念 折口信夫 今の世の学者が、あらゆる現象を、単純から複雑に展開してゆくものときめてかゝる考へ方は、多くの場合まちがつた結論に安住することになつてゐる。文学の場合もさうであつた。 沢村専太郎氏が、ふた昔も前に発表せられた、短歌様式の論(明治四十年頃の新小説)は、それまでの歌論の、ゆきつく処まで、ひき上してゐる。其後、友人武田祐吉も

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短歌の詩形

寺田寅彦

短歌の詩形 寺田寅彦 比較的新しい地質時代に日本とアジア大陸とは陸続きになっていて、象や犀の先祖が大陸からの徒歩旅行の果に、東端の日本の土地に到着し、現在の吾々の住まっているここらあたりをうろついていたということは地質学者の研究によって明らかになった事実である。しかしその頃既に人間の先祖が象と一緒に歩いていたかどうかはよく分らない。 それはとにかく、日本が大

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短篇小説は何故不振か 文学俗論のうち

佐藤春夫

短篇小説はなぜ不振か。 という質問を提出された時には、実のところそんな現象にもまだ気づいていなかったが、近ごろの雑誌にはいわゆる中間小説というのが幅を利かして、以前の短篇小説はすっかり影がうすれ、さればといって新しい型の短篇というのも見かけない。 それでいて読者が短篇を求めぬのかというと必ずしもさにあらず。芥川の作品などは依然として読まれ楽しまれている。不思

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チェーホフの短篇に就いて

神西清

チェーホフの短篇に就いて 神西清 先日、カサリン・マンスフィールドの短篇集を読む機会があって大変たのしかった。崎山正毅氏の訳も立派だと思った。中でも『園遊会』などは三度くりかえして読んだが、やはり面白さに変りはなかった。これに反し、『幸福』など、繰りかえして読むのはどうかと思われるような作品もある。何かしら匂いが強すぎるのである。それは寧ろ緩やかな忘却作用の

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短索

桜間中庸

生を享けた喜びを感じなければならない。 健全な兩親を持つ幸福を知らなければならない。 教育を與へられる幸ひを思はねばならない。 そして最もよく自己を活かす道を選び、それに邁進しなくてはならぬ。 自己の成長が社會に直接に意義あるやうにしなければならない。 人格の定義を明瞭に知らねばならない。 道徳は社會思潮の變遷と共に變化するものである。 功利的な立場に自己を

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短く語る『本の未来』

富田倫生

一九九七年の二月、私はアスキーから『本の未来』を上梓した。 松籟社という京都の学術出版社の相坂一さんが、この本を読んで、連絡をくれた。 「電子出版に興味を持っている知り合いの新聞記者に紹介したい」 上京された際に待ち合わせ、長く話し込んで別れる間際、相坂さんはそう添えた。 相坂さんの頭にあったのは、讀賣新聞大阪本社文化部の井上英司さんだった。 『本の未来』に

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平山千代子

石 平山千代子 私の家に門から玄関まで、ずつと石が敷いてある。 私は、始めは土をふんで歩いた。その頃からこの石とはお馴染である。何度この石につまづいて、口惜しい思ひをしただらう。 「こんな邪魔な石! どけちやえばいゝのに……」と、けとばして見たことも何度かあつた。 この憎まれたり、けとばされたりした、沢山の石の中に、私の好きな石が二つある。一つは玄関近くにあ

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尾崎放哉

石 尾崎放哉 土庄の町から一里ばかり西に離れた海辺に、千軒といふ村があります。島の人はこれを「センゲ」と呼んで居ります。この千軒と申す処が大変によい石が出る処ださうでして、誰もが最初に見せられた時に驚嘆の声を発するあの大阪城の石垣の、あの素破らしい大きな石、あれは皆この島から、千軒の海から運んで行つたものなのださうです。今でも絵はがきで見ますと、其の当時持つ

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石上神宮の神宝七枝刀

喜田貞吉

昨秋〔(大正七年)〕十月大和に遊び、石上神宮に参拝して、有名なる神宝六叉鉾と称する異形の古武器を拝観することを得た。茎一にして、左右に各三枝、都合六個の枝を生じて、切尖とともに七鋒をなしている。その切尖以外、六叉あるので、これを鉾と見立てて、六叉鉾の称を得たと察せられる。しかしこれが六叉鉾ではなく、七枝刀と称するものであることは、銘文に、「□陽造百錬□七支刀

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石亀のこと

佐藤垢石

石亀のこと 佐藤垢石 鮎は、毛鈎や友鈎で掛けるばかりでなく、餌に食いつくのは、誰も知っている。 私が少年のころ、父と共に利根川で用いていた毛鈎は、播州ものの甚だ粗末な出来であった。近年のように加賀鈎や土佐鈎のように精巧のものは、見たこともなかったのである。だから、毛鈎で若鮎を釣るのに、必ず餌をつけたものだ。 最も広く用いられたのが、魚の蛆であった。空鈎を水中

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石仏

小泉八雲

第五高等中学校(五高)の背後にある立田山の一角は――なだらかな丘陵となっていて、小さな段々畑が連なっている――そこに村の小峯という古い墓地がある。けれど、そこはもう使われておらず、このあたりの黒髪村の人たちは今ではもっと離れた区域を墓地としている。村人の畑は、この古い墓地の区域にまでもう迫ってきているように見えた。 つぎの授業までに空いた時間があるので、この

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石の信仰とさえの神と

折口信夫

道祖神の話は、どうしても石の信仰の解決をつけておかぬと、その本当の姿はわからぬ。柳田先生の『石神問答』は、道祖神を中心にしての研究であったが、そのために、いろいろな石の神体のことを問題にせられた。筑前にある神籠石は、神道では、「いはさか」だと言われているが、石が敷き並べてあるばかりでなく、岩石のもある。「こうご」は、かっぱのことでもある。先生はあらゆる石の信

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石器時代総論要領

坪井正五郎

○石噐時代トハ石時代ト直譯スベキ歐羅巴語ノ意譯ニシテ、石ヲ以テ利器原料ノ主要ナルモノトナス時代ヲ云フ。 ○石時代ト稱スベキモノヽ存在ハ今ヨリ凡六十年前「デンマルク」及ビ「スウエーデン」ノ學者ノ考定セシ所ニシテ、此名モ彼等ニ由リテ始メテ用ヰラレタルナリ。 ○考古學上ノ三時代トハ石時代、青銅時代、鐵時代ノ事ナルガ、青銅時代、鐵時代ノ二ツノ稱ヘハ今ヲ距ル二千六百年

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石川五右衛門の生立

上司小剣

文吾(五右衞門の幼名)は、唯一人畦の小徑を急いでゐた。山國の秋の風は、冬のやうに冷たくて、崖の下の水車に通ふ筧には、槍の身のやうな氷柱が出來さうであつた。布子一枚で其の冷たい風に慄へもしない文吾は、實つた稻がお辭儀してゐる田圃の間を、白い煙の立ち騰る隣り村へと行くのである。 隣り村には、光明寺といふのがあつて、其處の老僧が近村の子供たちに手習ひをさして實語教

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石川啄木と小奴

野口雨情

石川啄木が歿つてからいまだ二十年かそこらにしかならないのに、石川の伝記が往々誤り伝へられてゐるのは石川のためにも喜ばしいことではない、況んや石川が存生中の知人は今なほ沢山あるにも拘はらず、その伝記がたまたま誤り伝へられてゐるのを考へると、百年とか二百年とかさきの人々の伝記なぞは随分信をおけない杜撰なものであるとも思へば思はれます。ですから一片の記録によつてそ

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石工

ベルトランルイ

石工の長曰く、見よ、この稜堡を、この支柱を。 末代までの固と人はいふらむ。 シルレル「ルヘルム・テル」 石工アブラハム・クップフェルは鏝を片手に足場の上で歌つてゐる。隨分高く登つたものだ。大鐘の銘の文句を讀んでると、飛迫控の三十もあるこの御堂、御堂の三十もあるこの市と、同じ高さに足が來てゐる。 ここに見る石鬼の樋嘴は石葺屋根の水を吐き出して、臺に、窓に、隅折

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石の思い

坂口安吾

私の父は私の十八の年(丁度東京の大地震の秋であったが)に死んだのだから父と子との交渉が相当あってもよい筈なのだが、何もない。私は十三人もある兄弟(尤も妾の子もある)の末男で下に妹が一人あるだけ父とは全く年齢が違う。だから私の友人達が子供と二十五か三十しか違わないので子供達と友達みたいに話をしているのを見ると変な気がするので、私と父にはそういう記憶が全くない。

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石の思ひ

坂口安吾

石の思ひ 坂口安吾 私の父は私の十八の年(丁度東京の大地震の秋であつたが)に死んだのだから父と子との交渉が相当あつてもよい筈なのだが、何もない。私は十三人もある兄弟(尤も妾の子もある)の末男で下に妹が一人あるだけ父とは全く年齢が違ふ。だから私の友人達が子供と二十五か三十しか違はないので子供達と友達みたいに話をしてゐるのを見ると変な気がするので、私と父にはさう

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石を愛するもの

薄田泣菫

石を愛するもの 薄田泣菫 一 いろんなものを愛撫し尽した果が、石に来るといふことをよく聞いた。屠琴塢は多くの物を玩賞したが、一番好きなのは石だつた。一生かかつて奇石三十六枚を貯へ、それを三十六峰に見立てて、一つびとつ凝つた名前をつけ、客があるとそれを見せびらかせたものださうだ。鄭板橋はまた好んで石を描いたが、その石といふ石がみんな醜くて、ずばぬけて雄偉なのに

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石を投ぐるもの

宮本百合子

石を投ぐるもの 宮本百合子 去る十二月十九日午後一時半から二時の間に、品川に住む二十六歳の母親が、二つの男の子の手をひき、生れて一ヵ月たったばかりの赤ちゃんをおんぶして、山の手電車にのった。その時刻にもかかわらず、省線は猛烈にこんで全く身動きも出来ず、上の子をやっと腰かけさせてかばっていた間に、背中の赤ちゃんは、おそらくねんねこの中へ顔を埋められ圧しつけられ

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