Vol. 2May 2026

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Biblioteca de conocimiento mundial de dominio público

14,981종 중 11,352종 표시

禁酒の心

太宰治

禁酒の心 太宰治 私は禁酒をしようと思っている。このごろの酒は、ひどく人間を卑屈にするようである。昔は、これに依って所謂浩然之気を養ったものだそうであるが、今は、ただ精神をあさはかにするばかりである。近来私は酒を憎むこと極度である。いやしくも、なすあるところの人物は、今日此際、断じて酒杯を粉砕すべきである。 日頃酒を好む者、いかにその精神、吝嗇卑小になりつつ

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禅僧

坂口安吾

雪国の山奥の寒村に若い禅僧が住んでいた。身持ちがわるく、村人の評判はいい方ではなかった。 禅僧に限らず村の知識階級は概して移住者でありすべて好色のために悪評であった。医者がそうである。医者も禅僧とほぼ同年輩の三十四五で、隣村の医者の推薦によって学校の研究室からいきなり山奥の雪国へやってきたが、ぞろりとした着流しに白足袋という風俗で、自動車の迎えがなければ往診

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禅僧

坂口安吾

禅僧 坂口安吾 雪国の山奥の寒村に若い禅僧が住んでゐた。身持ちがわるく、村人の評判はいい方ではなかつた。 禅僧に限らず村の知識階級は概して移住者でありすべて好色のために悪評であつた。医者がさうである。医者も禅僧とほぼ同年輩の三十四五で、隣村の医者の推薦によつて学校の研究室からいきなり山奥の雪国へやつてきたが、ぞろりとした着流しに白足袋といふ風俗で、自動車の迎

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福沢諭吉

服部之総

慶応二年丙寅初冬付『西洋事情』初篇は出版後一年間の売捌高だけで、正版偽版とりまぜ十万部の上にのぼった。福沢諭吉生誕百年祭を祝うきょうび、日本の出版屋にとって涎の垂れる記録である。同書二篇(明治二年)で紹介されたウェーランド『経済要論』はこの年までにアメリカで二十数版を重ねた教科書だが、その二十数版の総部数はわずか五万、その五万を捌いた年月は三十年にわたってい

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福沢諭吉 ペンは剣よりも強し

高山毅

―――――――――――― 「天は人の上に人をつくらず、 人の下に人をつくらず。」 明治のはじめ、「学問のすすめ」で、いちはやく 人間の自由・平等・権利のとうとさをとき、 あたらしい時代にむかう日本人に、 道しるべをあたえた人。 それまでねっしんにまなんだオランダ語をすてて、 世界に通用する英語を、独学でまなんだ人。 アメリカやヨーロッパに三度もわたり、 自分

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禹貢製作の時代

内藤湖南

禹貢製作の時代 内藤湖南 支那古代の經濟事情を研究するに就いて、尚書の禹貢が重要なる史料であることは勿論のことである。それ故近頃學者の此研究に力を致す人が追々と出來てゐるやうである。而るに禹貢が如何なる時代に於て作られたかといふことを先づ決めなければ、その内容に關する研究は往々にして沙上に樓閣を築いたと同樣になる恐がある。禹貢は尚書の中で夏書の部類に入つて居

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禾花媒助法之説

津田仙

明治六年、維納府大展覧会の開場のとき、拙者もその差遣せられた官員の一人でありました。当時〈(そのとき)〉目に触れ、耳に聴くところの利益は、種々様々でありました。 ときに農学〈(アグローム)〉の大家荷蘭人荷衣白蓮〈(ホーイブレング)〉氏という大先生に邂逅しました。これは実に拙者、無上の大幸でありました。幸に先生は維納府外数里の地に住居でありました。拙者一見手を

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コーカサスの禿鷹

豊島与志雄

コーカサスの禿鷹 豊島与志雄 一 コーカサスに、一匹の大きな禿鷹がいました。仲間の者達と一緒に、高い山の頂に住んで、小鳥を取って食べたり、麓の方へ下りてきて、死んだ獣の肉をあさったりしていましたが、ある時ふと、ひょんな考えを起こしました。 「自分は仲間の誰よりも、体が大きく、力が強く、知恵もあるので、みんなから尊敬されている。そこで一つ奮発して、みんなよりも

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秀吉・家康二英雄の対南洋外交

国枝史郎

仏印問題、蘭印問題がわが国の関心事となり、近衛内閣はそれについて、満支、南洋をつつむ東亜新秩序を示唆する声明を発した。 これに関連して想起されることは、往昔に於ける日本の南洋政策のことである。 ×     ×      × 日本と南洋諸国、即ち呂宋、媽港、安南、東京、占城、柬埔塞、暹羅、太泥等と貿易をしたのは相当旧くからであるが、それらの国々へ渡航する船舶に

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秀才養子鑑

佐々木邦

小室君は養父の紹介だから、何とかなるだろうと思って出掛けた。養父は中風で、もう廃人だけれど、月二百円以上の恩給を食んでいる。セッセと働いて百円足らずにしかならなかった小室君よりもグッと豪い。逓信省の局長まで行って、その後民間会社の重役を勤めた人だ。長い間には多くの後輩の面倒を見ている。因みに、小室君は当年三十歳、而立というところだが、却って職を失って、新たに

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谷崎潤一郎

もう何年か前、私が一高の寄宿寮に居た当時の話。 或る晩のことである。その時分はいつも同室生が寝室に額を鳩めては、夜おそくまで蝋勉と称して蝋燭をつけて勉強する(その実駄弁を弄する)のが習慣になつて居たのだが、その晩も電燈が消えてしまつてから長い間、三四人が蝋燭の灯影にうづくまりつゝおしやべりをつゞけて居たのであつた。 その時、どうして話題が其処へ落ち込んだのか

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(私はさきごろ)

高村光太郎

(私はさきごろ) 高村光太郎 私はさきごろミケランジェロの事を調べたり、書いたりして数旬を過ごしたが、まったくその中に没頭していたため、この岩手の山の中にいながらまるで日本に居るような気がせず、朝夕を夢うつつの境に送り、何だか眼の前の見なれた風景さえ不思議な倒錯を起して、小屋つづきの疎林はパリのフォンテンブロオの森かと思われ、坂の上の雪と風とに押しひしがれて

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私のこと

木村荘八

私のこと 木村荘八 ………生ひ立ちについて記せといふことですが、生ひ立ち万端すべていつか記しつくしたやうに思ひます。先づ昔の土地についてのことから書くことにしようと思ひます。これも今では移り代りの早さに、文献ものになりました。 ――ぼくは十九の歳、すつかり火事にあひましたので、それまでの記念品のやうなものは写真から、絵から、衣類大小、それこそ根こそぎみんな焼

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私のふるさと

中谷宇吉郎

私のふるさとは、石川県の片山津という温泉地である。柴山潟という湖のほとりにあって、私の子供のころは、まだ淋しい湖畔の小さい温泉地であった。 この潟にはあしが一面に生えていて、ばんという黒い水鳥が、たくさん棲んでいた。泉鏡花の小説にも出てくるが、このばんという鳥は、何となくこの世ばなれをした感じを与える鳥である。女のたましいを思わすような眼をしている。それも玄

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私の一日 軽い酔

牧野信一

四月四日 電灯が消えたので思はず舌を打つた。だが、窓をあけると輝かしい朝陽がみなぎつてゐた。H君と一緒に海辺へ行く。朝釣りから戻つて来た舟の人から大きな鯵を買ひ、H君が尾をさげてもどる。鯵を酢にして朝飯を喰ふ。ビールの軽い酔を得て昼まで眠る。競馬にさそはれたが止める。 二三時間しか眠らないので、頭が変だが、眠くもないので、アメリカ料理の古いグラヒツクなどを眺

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私の万年筆

牧野信一

西暦一九〇三年の?月――日露の講和会議が米のポーツマスに開催されると決定された数ヶ月前に、一人の日本学生が、急にホワイトハウスの何課かに雇入れられました。その青年は何も学術に秀れてゐたからとかといふ理由ではなく、近くのカレツヂに籍を置く、たつたひとりの日本人といふだけの資格で、臨時雇ひの栄を蒙つたのです。彼の仕事といふのは官邸の下級吏員から日本の風俗や習慣に

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私の事

中原中也

どうしてこんなに暗くなるのだらう……どうもこれはかう理由もなく暗くなるのでは、理由を神秘に索めるよりほかはない。愉快に友達と話してゐても、或る時或る時刻から、急に何の理由もなく暗くなるといふ風だ。 毎晩アパート三階の便所に行くと、新宿の百貨店や何かの電燈広告が五六町ばかりの向ふに灯つてゐて、まるでほんとかと云ひたくなる。いつたいあれが僕の気持とどれだけの関係

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私のすきな人

宮城道雄

私のすきな人 宮城道雄 私のすきな人はたくさんあるので、みな書くことは出来ないが、最近倒れた印度のガンジー翁などはすきである。ラジオや新聞によると、ガンジーは、いつもヤギの乳や、ナツメの実ばかり食べて生活していたとか、それに何か願いごとがあると、よく断食をやったが、その時は、むろんこのヤギの乳も、ナツメの実も食べなかったのであろう。 私は子供の時に気に入らな

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私の仕事 松篁の仕事

上村松園

私の仕事 松篁の仕事 上村松園 二十年来の画債整理と、皇后陛下よりの御用命に依り、双幅藤原時代美人数名の揮亳完成を期するために、今度は是非に謹製致したいと思いながら、遂に三年許りの歳月が過ぎて了いました。今年は是非共献上致さねばなりませぬので、只今下絵浄書中でございます。何分いろいろの画債が積って居りますので、たとえ半分なりとも片付けられたら又出品画という様

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私の作陶体験は先人をかく観る

北大路魯山人

長次郎(安土、桃山時代)……日本陶芸史上唯一の芸術家。 本阿弥光悦(安土、桃山から江戸初期)……多趣味多能にして広範囲の美術鑑賞眼をもつ道楽者。 長次郎三代 のんこう(江戸初期)……のんこうには長次郎にみられる強さはない。豊かさに於ても格段に劣る。 野々村仁清(江戸初期)……陋習の中国趣味を捨て去り、純日本美を陶器に移し、優雅極まりなき日本固有の美術表現に終

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私信

太宰治

叔母さん。けさほどは、長いお手紙をいただきました。私の健康状態やら、また、將來の暮しに就いて、いろいろ御心配して下さつてありがたうございます。けれども、私はこのごろ、私の將來の生活に就いて、少しも計畫しなくなりました。虚無ではありません。あきらめでも、ありません。へたな見透しなどをつけて、右すべきか左すべきか、秤にかけて愼重に調べてゐたんでは、かへつて悲慘な

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私信

太宰治

叔母さん。けさほどは、長いお手紙をいただきました。私の健康状態やら、また、将来の暮しに就いて、いろいろ御心配して下さってありがとうございます。けれども、私はこのごろ、私の将来の生活に就いて、少しも計画しなくなりました。虚無ではありません。あきらめでも、ありません。へたな見透しなどをつけて、右にすべきか左にすべきか、秤にかけて慎重に調べていたんでは、かえって悲

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私の信条

小倉金之助

ご自分の仕事と世の中との繋りについて、どうお考えになっておられるか? この問につきましては、私の仕事と世の中との関連について、ただ現在の感想を述べますよりも、自分の成長過程において、その関連状態がどう発展してきたかを語った方が、当を得ているように考えられるのです。そしてもし私に一貫した信条といったものがあるとすれば、かような成長過程を通じて、その裡から見出さ

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