茶話 07 大正十四(一九二五)年
薄田泣菫
4・15東京日日(夕) 大阪のある大きな会社で、重役の一人が労働問題の参考資料にと思つて、その会社の使用人に言ひつけて、めい/\の家の生活向きを正直に書き出させたことがあつた。いゝ機会だ、ことによると、これが増給のきつかけとなるかもしれないと、職工達はてんでに自分の生活向きを正直に書き出した。正直にうちあければ、うちあけるほど惨めなのは彼れ等の生活だつた。
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薄田泣菫
4・15東京日日(夕) 大阪のある大きな会社で、重役の一人が労働問題の参考資料にと思つて、その会社の使用人に言ひつけて、めい/\の家の生活向きを正直に書き出させたことがあつた。いゝ機会だ、ことによると、これが増給のきつかけとなるかもしれないと、職工達はてんでに自分の生活向きを正直に書き出した。正直にうちあければ、うちあけるほど惨めなのは彼れ等の生活だつた。
薄田泣菫
9・1苦楽 むかし、ある物識りが、明盲の男を戒めて、すべて広い世間の交際は、自分の一量見をがむしやらに立てようとしてはいけない、相身互ひの世の中だから、何事にも、 「堪忍」 の二字を忘れてはならぬと話したことがありました。すると、明盲の男は不思議さうに頭をかしげて、 「お言葉ですが、堪忍の二字とおつしやるのは何かの間違ひではございますまいか。 『かんにん』
薄田泣菫
かういふ話がある。 ある時、山ぞひの二また道を、若い男と若い女とが、どちらも同じ方向をさして歩いてゐたことがあつた。 二また道の間隔は、段々せばめられて、やがて一筋道となつた。見ず知らずの二人は、一緒に連立つて歩かなければならなくなつた。 若い男は、背には空になつた水桶をかつぎ、左の手には鶏をぶら提げ、右の手には杖を持ちながら、一頭の山羊をひつぱつてゐた。
薄田泣菫
5・1女性 男といふものは、郵便切手を一枚買ふのにも、同じ事なら美しい女から買ひたがるものなのだ。――故ウヰルソンの女婿 McAdoo 氏はよくこの事実を知つてゐた。 あるとき McAdoo 氏が、自分の関係してゐるある慈善事業のために、慈善市を催したことがあつた。氏はその売子のなかに幾人かの美しい女優を交へておくのを忘れなかつた。 その日になつて、氏が会場
薄田泣菫
1・5サンデー毎日 若い英文学者のN氏は、神戸のある高等専門学校で語学の教師をつとめてゐた。 その日は学期試験があつたので、朝九時から正午少し前まで、N氏は教室に詰切つてゐなければならなかつた。正午の休み時間に手早く食事ををはつたN氏は、日あたりのいい廊下で日なたぼつこをしながら、自分とさうさう年齢の違ひはない学生を相手に無駄口をきいてゐた。 そこへ小使が電
薄田泣菫
むかしは男は月代といふものを剃つたものだが、それは髭を剃る以上に面倒くさいものであつた。伊勢の桑名に松平定綱といふ殿様があつた。気むづかしやで、思ふ存分我儘を振舞つたものだが、とりわけ月代を剃るのが嫌ひであつた。 「我君、だいぶお頭が伸びましたやうでございますが……」 家来がかう言つてそれとなく催促しても、殿様は余程気軽な時でないと、滅多に月代を剃らうとは言
坂口安吾
第三次世界戦争があるか、ないか。いつ起るか。どこのウチの茶の間の話も、日に一度ぐらいはそれにふれずにいられないような昨今である。そして、どこの茶の間の結論も、要するに「和戦両様の構え」らしい。 むかし――といっても、そう遠い昔ではないが、軍人政治家がよく「和戦両様の構え」と言っていた。今はもっぱら日本の茶の間の態勢である。茶の間には国政を左右する何らの力もな
薄田泣菫
私は今上醍醐の山坊で、非時の饗応をうけてゐる。 坊は谿間の崖に臨むで建てかけた新建で、崖の中程からによつきりと起きあがつて、欄干の前でぱつと両手を拡げたやうな楓の古木がある。こんもりとした其の枝を通して、段々下りの谿底に、蹲踞むだやうな寺の建物が見え、其の屋根を見渡しに、ずつと向うの山根に小ぽけな田舎家が零れたやうに散ばつてゐて、那様土地にも人が住むでゐるの
服部宇之吉
荀子三十二篇は周の戰國時代最後の大儒であつた荀況の著作である。最終の堯問篇の末尾にある短文は荀子自身の筆ではないが、其の他は荀子の書いたものを門人等が少し整理したに過ぎないと思ふ。 荀子の事を漢の人或は孫卿といつたので、色色説を爲す人も有るが、荀と孫とは音の轉訛に過ぎないと思ふ。卿は荀子晩年に人より尊ばれて呼ばれた呼び名である、故に正しくは荀卿といふのを、後
新美南吉
八月八日のおひるすぎ、おとなたちがござをしいて昼寝をしているじぶん、心平君たちは、いつものように、土橋のところへあつまりました。それから、山の大池に向かって、しゅっぱつしました。 六年生の兵太郎君がせんとうで、ほかの者は、そのあとに二列にならび、げんきよく、「世紀の若人」の歌をうたってゆきました。 みかん畠の下までくると、みんな歌をやめました。 「敵のようす
小川未明
ちょうど赤ちゃんが、目が見えるようになって、ものを見て笑ったときのように、小さな花が道ばたで咲きました。 花の命は、まことに短いのであります。ひどい雨や、強い風が吹いたなら、いつなんどきでも散ってしまわなければならない運命でありました。 しかし、このはかない間が、花にとってまたこのうえの楽しいことがないときだったのです。晴れやかな陽の顔も、またあのやわらかな
林芙美子
その村には遊んでゐる女が二人ゐた。一人はほんの少しばかり氣がふれてゐるさえといふ女で、三年ほど前、北支那へ行つてゐて、去年の夏、何の前ぶれもなくひよつこり村へかへつてきた。 さえの家は炭燒きをしてゐたのだけれど、父親はもうずつと以前に亡くなり、たつた一人の兄は二度も兵隊にとられて、その二度目の戰場生活はもう三年ばかりになり、何でもビルマの方へ行つてゐるらしい
徳冨蘆花
草とり 徳冨蘆花 一 六、七、八、九の月は、農家は草と合戦である。自然主義の天は一切のものを生じ、一切の強いものを育てる。うつちやつて置けば、比較的脆弱な五穀蔬菜は、野草に杜がれてしまふ。二宮尊徳の所謂「天道すべての物を生ず、裁制補導は人間の道」で、こゝに人間と草の戦闘が開かるるのである。 老人、子供、大抵の病人はもとより、手のあるものは火斗でも使ひたい程、
田山花袋
『此方の方に来たことはあつて?』 『いゝえ』 『でも、小さい時には遊びに来たことはあるでせう? そら上水の岸で、つばなや何か取つたことがあるぢやないの?』 『さうだつたかしら?』 妹の種子は考へるやうにして言つた。 『あなた忘れつぽい人ね。そら、四国にゐる姉さんがまだ家にゐた時分よ。よく一緒に行つたぢやないの? ほら、あの肥つた喜代子さんといふ姉さんのお友達
徳田秋声
漁船などをつて、××会の同志の若い人達六七人と、若鮎の取れる××川に遊んでの帰り、郊外にあるI―子の家へ三四の人を誘つて行つた頃には、鮎猟の真中に一時しよぼ/\と雨をふらしてゐた陰鬱な梅雨空にもいくらか雲の絶え間が出来て、爽かな星の影さへ覗いてゐた。 I―子はその頃転地先を引揚げて、そこにひそやかな隠れ家のやうな家を一軒もつてゐた。木香の由かしい、天井の高い
小川未明
兄さんの打った球が、やぶの中へ飛び込むたびに辰夫くんは、草を分けてそれを拾わせられたのです。 「なんでも、あのあたりだよ。」と、兄の政二くんは指図をしておいて、自分は、またお友だちとほかの球で野球をつづけていました。 「困ったなあ。」と、思っても、しかたがなかったので、辰夫くんは、しげった草を分けて、ボールをさがしにやぶの中へ入りました。 さっきまで、はるぜ
小川未明
私たちは、村はずれの野原で、日の暮れるのも知らずに遊んでいました。草の上をころげまわったり、相撲を取ったり、また鬼ごっこなどをして遊んでいると、時間は、はやくたってしまったのです。 毎日学校から帰ると、家にじっとしていられませんでした。机に向かっても、遠くあちらの草原の方から、自分を呼んでいる声がきこえるようです。そして、大急ぎで、復習をすますと、駆け出して
折口信夫
飜案物と言へば、少し茫漠とするが「書き直し物」で通つてゐる種類の脚本がある。歌舞妓根生ひにでなく、他の読み物・語り物・謡ひ物から題材の出てゐる狂言を言ふ語なのだが、歌舞妓の性質から、も一つ特殊な分類を示す語にもなつてゐる。曾我物・浅間物・伊達物などと言ふ風に、一つ題材の狂言をくり返してゐるものは、其主要な事件や、人物を据ゑ置いて、脚色を替へると言ふ方法が行は
桜間中庸
知らないか 知らないか 子牛は草の實知らないか 子牛のしつぽの草の實を 知らないよ 知らないよ 子牛は草の實知らないよ 子牛のしつぽの草の實を きつとだろ きつとだろ 草の實ぽいと乘つただろ 子牛がみちくさくつたとき ●図書カード
田山花袋
私は童話でも書くやうな、または刺繍でも見るやうな気持で、昔の恋愛の心の光景を眺め返して見たのでした。私は不思議な気がしました。それは再びその時分の心持に戻つたとは言へないまでにも、何だか非常に若い心を掘返したやうに思はれたのでした。若い人達の読物にしては或は熱に乏し過ぎるかも知れません。熟し過ぎたといふよりは、古くなつた果物といふ気がするかも知れません。しか
種田山頭火
庵のまわりには茶の木が多い。五歩にして一株、十歩にしてまた一株。 私は茶の木を愛する、その花をさらに愛する。私はここに移ってきてから、ながいこと忘れていた茶の花の趣致に心をひかれた。 捨てられるともなく捨てられている茶の木は『佗びつくしたる佗人』の観がある。その花は彼の芸術であろう。 茶の木は枝ぶりもおもしろいし、葉のかたちもよい。花のすがたは求むところなき
種田山頭火
大正十四年二月、いよいよ出家得度して、肥後の片田舎なる味取観音堂守となつたが、それはまことに山林独住の、しづかといへばしづかな、さびしいと思へばさびしい生活であつた。 松はみな枝垂れて南無観世音 松風に明け暮れの鐘撞いて ひさしぶりに掃く垣根の花が咲いてゐる 大正十五年四月、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た。 分け入つても分け入つても青い山
宮本百合子
草の根元 宮本百合子 五時に近い日差しが、ガラス窓にうす黄色くまどろんで居る。 さっきまで、上を向いて見ると、眼の底から涙のにじみ出すほど隈なくはれ渡って、碧い色をして居た空にいつの間にかモヤモヤした煤の様な雲が一杯になってしまって居る。 桜が咲きかけて居るのに、晩秋の様な日光を見て居ると、何となくじめじめした沈んだ気になる。 暖かなので開け放した部屋が急に
田山花袋
高原から下りた処には、両岸から絶壁が迫つて、綺麗な谷川が流れて居た。 朝から晴れたり曇つたりして居た。時には雨も来た。日影を受けながらサツと降つて通る気まぐれな雨、谷川の橋を渡る時には、私は蝙蝠傘をさして居たと記憶して居る。 胸を突くやうな坂、雨と霧とに滑る山路、雑草の中には大きな山百合が俛首れて咲いて居た。霧の間から見えて隠れる木立の幹はあたりを何処となく