かぶと虫
新美南吉
お花畑から、大きな虫がいつぴき、ぶうんと空にのぼりはじめました。 からだが重いのか、ゆつくりのぼりはじめました。 地面から一メートルぐらゐのぼると、横にとびはじめました。 やはり、からだが重いので、ゆつくりいきます。うまやの角の方へのろのろいきます。 見てゐた小さい太郎は、縁側からとびおりました。そしてはだしのまゝ、篩をもつて追つかけていきました。 うまやの
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新美南吉
お花畑から、大きな虫がいつぴき、ぶうんと空にのぼりはじめました。 からだが重いのか、ゆつくりのぼりはじめました。 地面から一メートルぐらゐのぼると、横にとびはじめました。 やはり、からだが重いので、ゆつくりいきます。うまやの角の方へのろのろいきます。 見てゐた小さい太郎は、縁側からとびおりました。そしてはだしのまゝ、篩をもつて追つかけていきました。 うまやの
新美南吉
かぶと虫 新美南吉 一 お花畑から、大きな虫が一ぴき、ぶうんと空にのぼりはじめました。 からだが重いのか、ゆっくりのぼりはじめました。 地面から一メートルぐらいのぼると、横に飛びはじめました。 やはり、からだが重いので、ゆっくりいきます。うまやの角の方へ、のろのろといきます。 見ていた小さい太郎は、縁側からとびおりました。そして、はだしのまま、ふるいを持って
田山花袋
種族が異つても、国が異つても、文化が異つても、矢張人間だから、考へることが似たり寄つたりである。それを思ふと、今更ながら最初にかへることが必要だといふ気がする。経文あつての仏法ではない。また哲学あつての思索ではない。もつと先の先にその縁り起つて来る原始的本体があるのである。それに注目せよ。 △ 華厳を読むと、いろいろと面白いことがあるが、先づ打たれるのは、雑
佐藤垢石
ザザ虫の佃煮 佐藤垢石 秋の蠅も、私には想い出の深い餌である。私の少年のころのある期間、父は忙しいので私の釣りの相談相手になれなかったことがある。私は、一人で竿から仕掛け、餌のことまで、才覚思案した。 上州へは、秋が殊のほか早く訪れるのが慣わしである。九月上旬になると、赤城と榛名の峡から遠く望む谷川岳や、茂倉岳の方に、黒い雲が立ちふさがって、冷たい風を麓の方
永井荷風
東京の町に生れて、そして幾十年といふ長い月日をこゝに送つた………。 今日まで日々の生活について、何のめづらしさをも懷しさをも感じさせなかつた物の音や物の色が、月日の過ぎゆくうちにいつともなく一ツ一ツ消去つて、遂に二度とふたゝび見ることも聞くこともできないと云ふことが、はつきり意識せられる時が來る。すると、こゝに初めて綿々として盡きない情緒が湧起つて來る――別
永井荷風
東京の町に生れて、そして幾十年という長い月日をここに送った……。 今日まで日々の生活について、何のめずらしさをも懐しさをも感じさせなかった物の音や物の色が、月日の過ぎゆくうちにいつともなく一ツ一ツ消去って、ついに二度とふたたび見ることも聞くこともできないということが、はっきり意識せられる時が来る。すると、ここに初めて綿々として尽きない情緒が湧起って来る――別
永井荷風
毎年一度の蟲干の日ほど、なつかしいものはない。 家中で一番広い客座敷の椽先には、亡った人達の小袖や、年寄った母上の若い時分の長襦袢などが、幾枚となくつり下げられ、そのかげになって薄暗く妙に涼しい座敷の畳の上には歩く隙間もないほどに、古い蔵書や書画帖などが並べられる。 色のさめた古い衣裳の仕立方と、紋の大きさ、縞柄、染模様なぞは、鋭い樟脳の匂いと共に、自分に取
永井荷風
虫干 永井荷風 毎年一度の虫干の日ほど、なつかしいものはない。 家中で一番広い客座敷の縁先には、亡つた人達の小袖や、年寄つた母上の若い時分の長襦袢などが、幾枚となくつり下げられ、其のかげになつて薄暗く妙に涼しい座敷の畳の上には歩く隙間もないほどに、古い蔵書や書画帖などが並べられる。 色のさめた古い衣裳の仕立方と、紋の大きさ、縞柄、染模様などは、鋭い樟脳の匂ひ
鷹野つぎ
虫干し 鷹野つぎ 海の南風をうけている浜松の夏は、日盛りでもどこか磯風の通う涼しさがありましたが、夜は海の吐き出す熱気のために、却って蒸暑い時もあるのでした。 そうした夜は寝床にうすべりを敷き、私たちも大人の真似をしてひとしきり肩に濡手拭をあてて寝む事もあるのでした。けれどそれも八月頃のことで、九月も終り頃からは、朝あけや、夕方の空は、露っぽい蒼さに澄んでく
原民喜
二晩ぐらゐ睡れないことがあると、昼はもとより睡れなかった。彼の頭はうつつを吸ひすぎて疲れ、神経はペンさきのやうに尖った。明るい光線の降り注ぐ窓辺のデスクで、彼はペンを走らせた。念想と云ふ奴は縦横に跳梁して彼を焼かうとする。響のいい言葉や、微妙な陰翳や、わけてもすべてのものの上に羽撃く生命への不思議な憧れや…… へとへとに疲れてベットに横はると、更に今度は新し
宮沢賢治
めくらぶどうと虹 めくらぶどうと虹(にじ) 宮沢賢治 城(しろ)あとのおおばこの実(み)は結(むす)び、赤つめ草の花は枯(か)れて焦茶色(こげちゃいろ)になり、畑(はたけ)の粟(あわ)は刈(か)られました。 「刈(か)られたぞ」と言(い)いながら一ぺんちょっと顔(かお)を出した野鼠(のねずみ)がまた急(いそ)いで穴(あな)へひっこみました。 崖(がけ)やほり
澤西祐典
淹れたての番茶を一口すすって、真由美は何気なくリビングの窓に目をやった。大きな窓からは、琵琶湖が一望できた。 あっ、来る。窓に貼りついた水滴の向こうに広がる湖の色を見て、そう直感した。 朝から小雨続きだった。天気予報によると、午後も曇天らしかった。しかし空は天気予報を裏切って、雲の薄い部分から晴れ間を覗かせている。なにより水の色が澄んで、淡く輝いていた。 真
上村松園
虹と感興 上村松園 私は今婦女風俗の屏風一双を描いておりますが、これは徳川末期の風俗によったもので、もうそろそろ仕上りに近づいております。 これは東京某家へ納まるものです。もちろん画題のことなどは殆ど私まかせのものですが、私も何か変った図を捉えたいと思いまして、日を送っていました。この依頼を受けたのは、夏前頃のことでしたから、図題も自然と夏季の初め、すなわち
野口雨情
ある山国に、美しい湖がありました。 この湖には、昔から、いろいろな不思議なことがありました。青々と澄んだ水が急に濁つたり、風もないのに浪が立つたり、空が曇つて星のない晩でも、湖の中にはお星様が映つて見えることなぞもありました。それには何か深い理由があるだらうと、村の人達は思つてゐましたが、湖の中におゐでになる水神様のほかには、誰も知りませんでした。 いろいろ
久生十蘭
北川千代は栃木刑務所で服役中の受刑者で、公訴の罪名は傷害致死、刑期は六年、二十八年の三月に確定し、小菅の東京拘置所から栃木刑務所に移され、その年の七月に所内で女児を分娩した。 受刑者名簿には北川千代となっているが、記名の女性は二十七年の九月に淡路島の三熊山で死亡しているので、もちろん当人であろうわけはない。北川千代の名で服役しているのは、真山あさひという別個
宮原晃一郎
虹猫の大女退治 宮原晃一郎 木精の国をたつて行つた虹猫は、しばらく旅行をしてゐるうち、ユタカの国といふ大へん美しい国につきました。 こゝはふしぎな国でした。大きな森もあれば、えもいはれぬ色や匂ひのする花の一ぱいに生えた大きな/\野原もありました。空はいつも青々とすみわたつて、その国に住まつてゐる人たちはいつも何の不平もなささうに、にこ/\してゐます。でも、た
宮原晃一郎
虹猫と木精 宮原晃一郎 第一回の旅行をすまして、お家へ帰つた虹猫は、第二回の旅行にかゝりました。 或日、れいのとほり、仕度をして、ぶらりと家を出て、どことはなしに、やつて行きますと、とうとう木精の国に来てしまひました。木精といふやつは面白い、愉快な妖精で、人に害をするやうなこともなく、たゞ鳥のやうに木にすまつてゐるのです。けれども鳥とちがつて、飛ぶことはでき
宮原晃一郎
虹猫の話 宮原晃一郎 いつの頃か、あるところに一疋の猫がゐました。この猫はあたりまへの猫とはちがつた猫で、お伽の国から来たものでした。お伽の国の猫は毛色がまつたく別でした。まづその鼻の色は菫の色をしてゐます。それに目玉はあゐ、耳朶はうす青、前足はみどり、胴体は黄、うしろ足は橙色で、尾は赤です。ですから、ちやうど、虹のやうに七色をしたふしぎな猫でした。 その虹
宮沢賢治
むかし、ある霧のふかい朝でした。 王子はみんながちょっといなくなったひまに、玻璃でたたんだ自分のお室から、ひょいっと芝生へ飛びおりました。 そして蜂雀のついた青い大きな帽子を急いでかぶって、どんどん向こうへかけ出しました。 「王子さま。王子さま。どちらにいらっしゃいますか。はて、王子さま」 と、年よりのけらいが、室の中であっちを向いたりこっちを向いたりして叫
牧野信一
若しも貴方が妾に裏切るやうな事があれば、妾は屹度貴方を殺さずには置きませんよ、と常に云つてゐた女が、いざとなつたら他愛もなく此方を棄てゝ行つた。此方こそかうして未練がましくも折に触れては女の事を思ひ出して居るが向うでは……妾は自分の将来を考へなければなりません。貴方のやうな全く取得のない不真面目なさうして涙を持たぬ人はつくづく愛想が尽きたのです。貴方のやうな
織田作之助
彼の家は池の前にあった。蚊が多かった。 新婚の夜、彼は妻と二人で蚊帳を釣った。永い恋仲だったのだ。蚊帳の中で螢を飛ばした。妻の白い体の上を、スイスイと青い灯があえかに飛んだ。 痩せているくせに暑がりの妻は彼の前を恥しがらなかった。妻は彼より一つ歳上だった。彼の方がうぶらしく恥しがっていた。 妻は池の風に汗を乾かしてから寝ついたが、明け方にはぐっしょり寝汗をか
寺田寅彦
自分は蚊帳が嫌いである。しかし蚊に責められるのはそれ以上に嫌いだから仕方なしに毎晩このいやな蚊帳へもぐり込んで我慢している、そしてもう少し暑苦しくない心持のよい蚊帳が出来ぬだろうかと思う。一夜寝ながら色々考えてみた。 第一に蚊帳の内と外とで温度がどれだけ違うだろうかと思って夜中に寒暖計を持って出たり入ったりしてみたが残念ながら大した差はなかった。しかし人体に
沖野岩三郎
蚊帳の釣手 沖野岩三郎 一 万作は十二歳になりました。けれども馬鹿だから字を書く事も本を読む事も出来ません。数の勘定もやつと一から十二までしか知らないのでした。 「おい万作! お前は幾歳になつた。」と問ひますと「十二です!」と元気よく答へますが、其時「来年は何歳になる?」と問ひますと、もう黙つてしまひます。それは、十二の次が十三だといふ事を知らないからであり
宮本百合子
蚊遣り 宮本百合子 丘をはさんで点綴するくさぶき屋の低い軒端から、森かげや小川の岸に小さく長閑に立っている百姓小舎のくすぶった破風から晴れた星空に立ちのぼってゆく蚊やりの煙はいかにも遠い昔の大和民族の生活を偲ばせるようで床しいものです。此の夏は福島のふるさとに帰って祖母達と久しぶりで此の俳味に富んだ何とも云われぬ古風な懐しい情景に親しむことができました。夕方