Vol. 2May 2026

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壊滅の序曲

原民喜

壊滅の序曲 原民喜 朝から粉雪が降っていた。その街に泊った旅人は何となしに粉雪の風情に誘われて、川の方へ歩いて行ってみた。本川橋は宿からすぐ近くにあった。本川橋という名も彼は久し振りに思い出したのである。むかし彼が中学生だった頃の記憶がまだそこに残っていそうだった、粉雪は彼の繊細な視覚を更に鋭くしていた。橋の中ほどに佇んで、岸を見ていると、ふと、「本川饅頭」

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壊滅の序曲

原民喜

壊滅の序曲 原民喜 朝から粉雪が降つてゐた。その街に泊つた旅人は何となしに粉雪の風情に誘はれて、川の方へ歩いて行つてみた。本川橋は宿からすぐ近くにあつた。本川橋といふ名も彼には久し振りに思ひ出したのである。むかし彼が中学生だつた頃の記憶がまだそこに残つてゐさうだつた。粉雪は彼の繊細な視覚を更に鋭くしてゐた。橋の中ほどに佇んで、岸を見てゐると、ふと、『本川饅頭

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士族の商法

三遊亭円朝

士族の商法 三遊亭円朝 上野の戦争後徳川様も瓦解に相成ましたので、士族さん方が皆夫々御商売をお始めなすつたが、お慣れなさらぬから旨くは参りませぬ。御徒士町辺を通つて見るとお玄関の処へ毛氈を敷詰め、お土蔵から取出した色々のお手道具なぞを並べ、御家人やお旗下衆が道具商をいたすと云ふので、黒人の道具商さんが掘出物を蹈み倒にやつて参ります。「エヽ殿様今日は。士「イヤ

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宮本百合子

声 宮本百合子 或、若い女が、真心をこめて一人の男を愛した。そして、結婚し、三年経った。けれども、或日その若い女は、 「ああ苦しい、苦しい! 可愛い人。私は貴方が可愛いのよ、だけれども苦しくて、息がつけない」 と、泣き乍ら、男の傍から逃出して仕舞った。 逃げはしたが、女は他に恋した男があったのではない。彼女は、生れた親の家へ戻った。そして、黙って、二粒の涙を

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ヒロシマの声

原民喜

ペン・クラブの一行に加わって私はこんど三年振りに広島を訪れた。街は既に五年前の廃墟の姿とは著しく変っていて、見たところ惨劇の跡を直かに生々しく伝えるものは、あまりなかった。かつての凄惨な印象は一応とりかたづけられて、今はひたすら平和都市としての更生の途上にあるもののようだ。ガスタンクに残る光線の跡も、大阪銀行の石に偲ばれる人影も、産業奨励館の残骸も、それらは

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ヒロシマの声

豊島与志雄

ヒロシマの声 豊島与志雄 一九四五年八月六日午前八時十五分、広島市中央部の上空に世界最初の原子爆弾が炸裂してから、四年数ヶ月になる。而も今になお、その被害の生々しい痕跡が市内の至る所に残っている。 眼がくらむ閃光、強烈な熱線と放射線、狂猛な爆風……。中空には、巨大な松茸形に渦巻き昇る噴煙、地上には、荒れ狂う火炎……。それが当時の状況で、一瞬のうちに、爆心地か

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かすかな声

太宰治

信じるより他は無いと思う。私は、馬鹿正直に信じる。ロマンチシズムに拠って、夢の力に拠って、難関を突破しようと気構えている時、よせ、よせ、帯がほどけているじゃないか等と人の悪い忠告は、言うもので無い。信頼して、ついて行くのが一等正しい。運命を共にするのだ。一家庭に於いても、また友と友との間に於いても、同じ事が言えると思う。 信じる能力の無い国民は、敗北すると思

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声と人柄

宮城道雄

声と人柄 宮城道雄 或時、横須賀から東京に向う省線に逗子駅から乗ったことがあった。ところがその電車が非常に混んでいて、空いた座席が殆どなかった。丁度その時、どこかの地方の青年団の人々が乗っていたが、その中の一人が、私の乗り込んだのを見てか「おい、起て起て」と言ったら、腰かけていた人たちがみな起ちあがって、私たちに席を与えてくれた。 もしその場合に、私が目が見

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コクトオの『声』その他を聴く

岸田国士

コクトオの『声』その他を聴く 岸田國士 最近、仏蘭西版の新しい舞台のレコオドを幾枚か聴く機会を与へられた。 コクトオの「声」はベルト・ボヴィイといふ女優、ミルボオの「事業と事業」を例のフェロオヂイ、ラシイヌの「アンドロマアク」を名悲劇女優バルテといふ風に、僕の耳と心は、再び、十年前の巴里へ舞ひ戻つた次第だが、僕は今ここで、この晩の楽しく、且つ、胸を打たれた数

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声と性格

宮城道雄

声と性格 宮城道雄 私は盲人であるので、すべてのことを声で判断する。殊に婦人の美しさとか、若い乙女の純な心とかは、その声や言葉によって感じるわけである。従って、声が美しくて、発音が綺麗であると、話している間に、春の花の美しさとか、鳥の鳴き声をも想像する。 それで、私はなるべく婦人の言葉は優しいことを希望する。あまり漢語などを沢山使わず、ごく平易な、女らしい言

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声と食物

宮城道雄

声と食物 宮城道雄 私の経験から歌についていうと、言葉と節とが調和する時と、しない時とがある。従って、外国の歌を日本語に訳した際に、訳され方によって、音と言葉とがあっていないような気がする。殊にオペラなどにおいて、そうした点に無理なところがあるのを感じるのである。そこへ行くと、長年聞き馴れた邦楽は言葉と節とがよくそぐうているような気がする。その最もよい例は義

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壱岐国勝本にて

長塚節

壹岐國勝本にて 長塚節 地圖を見ても直ぐ分る。對州は大きな蜈が穴から出かけたやうでもあるし又やどかりが體を突出したやうでもあつて、山許りだから丁度毛だらけのやうに見える。それが壹州になると靜かな水の上に溶けた蝋がぽつちりと落ちたやうな形である。さうしてさう高い山がないから地圖で見ても滑か相である。それが一昨日と昨日と空氣が冴えたので、それでなくても景色のいゝ

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こんにゃく売り

徳永直

こんにゃく売り 徳永直 一 私は今年四十二才になる。ちょうどこの雑誌の読者諸君からみれば、お父さんぐらいの年頃であるが、今から指折り数えると三十年も以前、いまだに忘れることの出来ないなつかしい友達があった。この話はつくりごとでないから本名で書くが、その少年の名は林茂といった心の温かい少年で、私はいまでも尊敬している。家庭が貧しくて、学校からあがるとこんにゃく

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つじうら売りのおばあさん

小川未明

ある日、雪のはれた晩がたでした。 「きょうは、義雄さんの家のカルタ会だ。」というので、みんなは喜んでいました。 達夫くんは、おとなりのかね子さんをさそって、いくことになっていました。 入り日が、赤く雲をそめて西にしずみますと、雪のつもった山のかげがまっ黒になって見えました。いよいよ出かける時分には、雪の上がこおって、歩くとさらさらと音がしたのです。 「このあ

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売薬ファン

古川緑波

先に言つて置く。僕は、賣藥ファンといふ奴、それも、ミーちやんハーちやん的のファンで、理窟も何もない、たゞ、いろんな藥を服みたくつてしようがない性分である。 たとへば、錠劑の、眞つ赤な色が氣に入つたとか、グリーンが美しいから、好きだとか言つて、愛用するといふくちだ。 隨分、幼稚で、お話にならない。 今でも、毎日五六種類から、十種類ぐらゐの賣藥を服む。 何時頃か

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売られていった靴

新美南吉

売られていった靴 新美南吉 靴屋のこぞう、兵助が、はじめていっそくの靴をつくりました。 するとひとりの旅人がやってきて、その靴を買いました。 兵助は、じぶんのつくった靴がはじめて売れたので、うれしくてうれしくてたまりません。 「もしもし、この靴ずみとブラシをあげますから、その靴をだいじにして、かあいがってやってください。」 と、兵助はいいました。 旅人は、め

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変る

豊島与志雄

変る 豊島与志雄 壁と天井が白く塗ってあるので、狭い屋内は妙に明るく見えるが、数個の電灯の燭光はさほど強くない。柱の籠に投げ入れてある桃の蕾と菜の花の色も、季節に早いせいばかりでなく、へんに淡い。だが、木下大五郎の存在は目立った。帽子と外套の襟及び袖の折返しに、薄茶色の絨毛がもりあがっている。その色ではなく、そうした服装が、季節後れというよりも、なんだか場違

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変ったホテル

中谷宇吉郎

ボストンは米國の東海岸、大西洋に面した街である。このあたりは、ニュー・イングランドと呼ばれ、初めに英國の清教徒精神をもった連中が、拓いたところである。 この附近は、いわばアメリカの「山の手」であって、ジャズ文化とは反對の舊い文化の中心地となっている。ボストンはアメリカの學都と呼ばれ、ハーバート大學や、岡倉天心がいた美術館のあるところとして、日本にもよく知られ

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変人伝

佐々木邦

「勉強しないと、東京の叔父さんのところへやってしまいますよ」 僕が中学生の頃、母は然う言って驚かすのが常だった。叔父は母の弟だ。父は女学校の先生だけれど、叔父は高等学校の先生だから尚お豪いことになっていた。しかし父に言わせると、叔父は変りものだった。 「叔父さんは学者でしょうね?」 と僕は母に訊いて見た。 「今に博士になりますよ」 「もうなっても宜い時分じゃ

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変な恋

小酒井不木

変な恋 小酒井不木 変な人間が恋をすると、変な結末に終り易い。しかしたとい変な人間の恋といえども、恋そのものは決して変ではなく、変でない人の恋と同じであるけれども、結末が変であれば、まあ「変な恋」といってもよいであろう。 アメリカ合衆国にニューヨークという所がある。こういうと読者は人を馬鹿にするなといわれるかも知れぬが、ロンドンという町がカナダにもあるから、

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変なあたま 最近の心境を語る

辻潤

辻潤 ●本文中、底本のルビは「(ルビ)」の形式で処理した。 ●本文中、[※1~3]は底本からの変更部分に関する入力者注を表す。注はファイルの末尾に置いた。 「最近の心境を語る」というのが与えられた題名なのだが今のところ別段とりたてて「心境」という程の纏まった気持も抱いてはいないから出まかせに書いてみようと思うのだ。つまり頭がひどく空虚で、ぼんやりしているとい

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変災序記

田中貢太郎

変災序記 田中貢太郎 大正十二年九月一日の朝は、数日来の驟雨模様の空が暴風雨の空に変って、魔鳥の翅のような奇怪な容をした雲が飛んでいたが、すぐ雨になって私の住んでいる茗荷谷の谷間を掻き消そうとでもするように降って来た。私は平生のように起きて、子供たちと一緒に朝飯を喫い、それから二階へあがって机に向ったが、前夜の宿酔のために仕事をする気になれないので、籐の寝椅

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変な男

豊島与志雄

変な男 豊島与志雄 一 四月末の午後二時頃のこと、電車通りから二三町奥にはいった狭い横町の、二階と階下と同じような畳数がありそうな窮屈らしい家の前に、角帽を被った一人の学生が立止って、小林寓としてある古ぼけた表札を暫く眺めていたが、いきなりその格子戸に手をかけて、がらりと引開けるなり中にはいった。其処の土間から障子を隔てた、玄関兼茶の間といった四畳半の、長火

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変装綺譚

牧野信一

図書館を出て来たところであつた、たゞひとりの私は――。脚どりが、とてもふわ/\してゐるのを吾ながら、はつきりと感じてゐたが、頭の中に繰り拡げられて行く夢の境と今、其処に足が触れてゐる目の前の風景とが難なく調和してゐるので、面白気に平気で歩いてゐた。 あわたゞしく目眩しい街であつた。真夏の日暮時であつた。濤のやうな――騒音が絶え間なく渦巻いてゐる賑やかな大きな

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