Vol. 2May 2026

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宿命の CANDIDE

坂口安吾

宿命の CANDIDE 坂口安吾 六七年前、菱山と机を並べて仏蘭西語を学んでゐた頃、彼は強度の神経衰弱のやうであつた。眼は濁り、鋭かつた。身体はいつもふらついてゐた。終日読み耽り、考へ耽り、書き疲れて、街頭へ出たものらしい。友達の顔さへ見れば暴風の激しさで語り、その全身の動きと共に論じだしたが、私達に殆んど一語を挿む時間さへ与へなかつた。話の大部はヴァレリイ

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宿酔

萩原朔太郎

堪へがたき惡寒おぼえて ふとめざむれば室内の 壁わたる鈍き光や 障子を照らす光線の やや色づきて言ひ知らず ものうきけしき 物の香のただよふ 宿醉の胸苦し 腦は鉛の重たさに えたへず喉は ひしひしとかわき迫り 口内のねばり酒の香 くるめくにがき嘔づく思 そぞろにもけだものの かつゑし心 獰惡のふるまひを 思ひでて怖れわななく 下卑たる女の物言ひざま はた酌人

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宿題

小川未明

戸田は、お父さんがなくて、母親と妹と三人で、さびしく暮らしているときいていたので、賢吉は、つねに同情していました。それで、自分の読んでしまった雑誌を、 「君見るならあげよう。」と、与えたこともありました。 学校へきても、戸田のようすは、なんとなくさびしそうだった。親しい友だちもなく、いつも独りでいました。運動場へ出ても、賢吉のほうから、話をしなければ、だまっ

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寂寞

末吉安持

たとふれば戦ひ果てぬ、 日は暮れて二時を経ぬ なまぐさき荒野の中に 双の眼を弾丸に射られて なほ黒き呻吟をしのび、 よこたはる負傷の兵の 勇しきわかき心に、 秘めつゝむ苦痛遂に 鈍色の寂寞の気を 吸ふがごと嗚呼われこゝに。 くらがりの冷えたる室に ひとり居ておもひ沈めば、 空想は蠑螺の殻の 底つ闇たどるがごとく、 鬱憂ははた南蛮の 夜深き荒磯の上に 鋭き銛を

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寄席の夕立

折口信夫

寄席なんかに出入りするのは、あまりよい趣味ではない。這入るにも、後先を見すまして、つつと入りこんでしまふ。さう言ふ卑屈な心持ちを恥ぢながら、つい吸はれるやうに、席亭の客になつて行く。こんな風だから、いつだつて大手ふつて、這入つた覚えがない。親たちがこんな風のしつけをしたからなのである。 生薬屋であつた私の家の店先へ、いつからか来て、来れば一時間では腰をあげる

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寄席の没落

田中貢太郎

少し古い土地の人なら、八丁堀に岡吉と云う色物専門の寄席があったのを記憶しているはずである。その寄席の経営者は米と云う仕事師であった。 その米の叔父に一人の僧侶があったが、それが廻国に出かけることになって、僧侶には路銀は不要だと云うので、三百円の金を米に預けて往った。そして、諸国を遍歴しているうちに病気になったので、東京へ帰って来て、預けておいた金を受け取りに

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寄席と芝居と

岡本綺堂

寄席と芝居と 岡本綺堂 一 高坐の牡丹燈籠 明治時代の落語家と一と口に云っても、その真打株の中で、いわゆる落とし話を得意とする人と、人情話を得意とする人との二種がある。前者は三遊亭円遊、三遊亭遊三、禽語楼小さんのたぐいで、後者は三遊亭円朝、柳亭燕枝、春錦亭柳桜のたぐいであるが、前者は劇に関係が少ない。ここに語るのは後者の人情話一派である。 人情話の畑では前記

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寄席行灯

正岡容

寄席行燈 正岡容 秋色寄席懐古 秋になると、あたしの思い出に、旧東京の寄席風景のいくつかが、きっと、儚い幻灯の玻瑠絵ほどに滲み出す。 京橋の金沢――あすこは、新秋九月の宵がよかった。まだ、暮れきって間もない高座が、哀しいくらい明るくって、二階ばかりの寄席(旧東京の、ことに、寄席にはこういう建築が多かった。神田の白梅、浅草の並木、みんなそうだった。明治の草双紙

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わが寄席青春録

正岡容

わが寄席青春録 正岡容 第一話 寄席ファン時代 毎々言うが、私の青春は暗黒だった。で、その頃寄席へ行って名人上手の至芸に接するたび、つくづくアベックで聴きに来ている人々がうらやましかった。ことに相手が美しい人たちだといっそうだった。俗にかみはくと仲間から呼ばれていた神楽坂演舞場へよく来ていた美男美女のカップルなど、二十余年を経た今日といえども、まざまざとその

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寄席風流

正岡容

町中や庭持つ寄席の畳替龍雨 かうしたいまは絶えて見られなくなつてしまつた寄席の庭のおもかげ。いしくもそれをつたへてゐる尊い文献の一つに漱石が「硝子戸の中」の日本橋伊勢本を叙するの章りがある。全体「硝子戸の中」には講釈に関する随筆が少からず、のん/\南龍や琴凌をなのつてゐた時代の先代馬琴の読み口や、作者の生家たる牛込馬場下界隈の、年中廿人位のお客を相手に南麟と

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寄生木と縄梯子

牧野信一

「ヤドリ木――知つてゐますか?」 「……知らんのう、実物を見たら、あゝ、これか――と思ふかも知んないが……ヤドリ木? 聞いたこともない。」 誰に訊ねても同じ返答ばかりであつた。私は、小屋を出てから同じ質問を若い木挽にも訊いた。山頭の炭焼の老人にも訊いた。鈴を鳴して橇道を滑走して来る橇の一隊をさへぎつて、皆なに訊いたが、一様に首をかしげて顔を見合せてゐるだけだ

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ふるさとに寄する讃歌 ――夢の総量は空気であつた――

坂口安吾

私は蒼空を見た。蒼空は私に泌みた。私は瑠璃色の波に噎ぶ。私は蒼空の中を泳いだ。そして私は、もはや透明な波でしかなかつた。私は磯の音を私の脊髄にきいた。単調なリズムは、其処から、鈍い蠕動を空へ撒いた。 私は窶れてゐた。夏の太陽は狂暴な奔流で鋭く私を刺し貫いた。その度に私の身体は、だらしなく砂の中へ舞ひ落ちる靄のやうであつた。私は、私の持つ抵抗力を、もはや意識す

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ふるさとに寄する讃歌 夢の総量は空気であった

坂口安吾

私は蒼空を見た。蒼空は私に泌みた。私は瑠璃色の波に噎ぶ。私は蒼空の中を泳いだ。そして私は、もはや透明な波でしかなかった。私は磯の音を脊髄にきいた。単調なリズムは、其処から、鈍い蠕動を空へ撒いた。 私は窶れていた。夏の太陽は狂暴な奔流で鋭く私を刺し貫いた。その度に私の身体は、だらしなく砂の中へ舞い落ちる靄のようであった。私は、私の持つ抵抗力を、もはや意識するこ

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寅彦の作品

中谷宇吉郎

明治大正の時代については、いろいろな見方もあるが、日本民族が、精神的の飛躍をした時代であることには、間違いがない。西欧文明を急速に摂取して、日本が近代世界の仲間入りをした時代である。 この時代の文化人は、今日の文化人とは、教養の質と量とにおいて、大分違うようである。鴎外や漱石が、すぐ例に出されるが、日本人としての精神的骨髄が非常にしっかりしていて、その上に、

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寅彦夏話

中谷宇吉郎

寅彦先生が亡くなられてから二度目の夏を迎えるが、自分は夏になると妙にしみじみと先生の亡くなられたことを感ずる。大学を出て直ぐに先生の助手として、夏休み中狭い裸のコンクリートの実験室の中で、三十度を越す炎暑に喘ぎながら、実験をしていた頃を思い出すためらしい。 先生は夏になると見違えるほど元気になられて、休み中も毎日のように実験室へ顔を出された。そしてビーカーに

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寅彦の遺跡

中谷宇吉郎

高知へ着いた日に、すぐ寺田紀念館で、御親戚の方や、寅彦を敬愛する人たちと、座談会の準備がしてあった。 紀念館は、先生の旧宅のあとに建てられたもので、昔の名残としては、庭の一部と先生が子供の頃勉強された離れ部屋が一ツ残っているだけである。旧宅は全部戦災で焼けてしまった。 新しい紀念館は、戦後顕彰会の手で建てられたもので、中は全くのがらん洞である。遺品や先生ゆか

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富士に就いて

太宰治

甲州の御坂峠の頂上に、天下茶屋という、ささやかな茶店がある。私は、九月の十三日から、この茶店の二階を借りて少しずつ、まずしい仕事をすすめている。この茶店の人たちは、親切である。私は、当分、ここにいて、仕事にはげむつもりである。 天下茶屋、正しくは、天下一茶屋というのだそうである。すぐちかくのトンネルの入口にも「天下第一」という大文字が彫り込まれていて、安達謙

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富士屋ホテル

古川緑波

箱根宮の下の富士屋ホテルは、われら食子にとって、忘れられない美味の国だった。 戦前戦中、僕は、富士屋ホテルで、幾度か夏を過し、冬を送ったものだった。それが、終戦後、接収されて、日本人は入れなくなってしまった。そして又、それが一昨年の夏だったか、解除になって、再び日本人も歓迎ということになり、ホテルから通知が来た。 行きたいとは思いながら、暇もなかったし、又一

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富士登山

高浜虚子

私が富士山に登ったのは十五六年前のことである。平々凡々の陸行であったので特に書き記すほどのこともない。殊に当時ホトトギス誌上には碧梧桐君が其記事を書いたので私は何も書かなかった。今書くとなるともう大方は忘れてしまっているので、いよいよ何も書くことはないわけであるが、それでも思い出し思い出し概略を記して見ることにする。 十五六年前の富士登山は、今日ほど普通なも

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富岡先生

国木田独歩

富岡先生 国木田独歩 一 何公爵の旧領地とばかり、詳細い事は言われない、侯伯子男の新華族を沢山出しただけに、同じく維新の風雲に会しながらも妙な機から雲梯をすべり落ちて、遂には男爵どころか県知事の椅子一にも有つき得ず、空しく故郷に引込んで老朽ちんとする人物も少くはない、こういう人物に限ぎって変物である、頑固である、片意地である、尊大である、富岡先生もその一人た

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富嶽百景

太宰治

富士の頂角、広重の富士は八十五度、文晁の富士も八十四度くらゐ、けれども、陸軍の実測図によつて東西及南北に断面図を作つてみると、東西縦断は頂角、百二十四度となり、南北は百十七度である。広重、文晁に限らず、たいていの絵の富士は、鋭角である。いただきが、細く、高く、華奢である。北斎にいたつては、その頂角、ほとんど三十度くらゐ、エッフェル鉄塔のやうな富士をさへ描いて

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『富嶽百景』序

太宰治

所收――「富嶽百景」「女生徒」「滿願」「駈込み訴へ」「女の決鬪」「走れメロス」「彼は昔の彼ならず」「ロマネスク」 明治四十二年の初夏に、本州の北端で生れた氣の弱い男の子が、それでも、人の手本にならなければならぬと氣取つて、さうして躓いて、躓いて、けれども、生きて在る限りは、一すぢの誇を持つてゐようと馬鹿な苦勞をしてゐるその事を、いちいち書きしたためて殘して置

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富嶽の詩神を思ふ

北村透谷

富嶽の詩神を思ふ 北村透谷 空を望んで駿駆する日陽、虚に循つて警立する候節、天地の運流、いつを以て極みとはするならん。 朝に平氏あり、夕に源氏あり、飄忽として去り、飄忽として来る、一潮山を噬んで一世紀没し、一潮退き尽きて他世紀来る、歴史の載するところ一潮毎に葉数を減じ、古苔蒸し尽して英雄の遺魂日に月に寒し。 嗟吁人生の短期なる、昨日の紅顔今日の白頭。忙々促々

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富籤

チェーホフアントン

イワン・ドミートリッチは中流階級の人間で、家族と一緒に年に千二百ルーブルの収入で暮らして、自分の運命に大いに満足を感じている男であった。或る晩のこと夜食のあとで、彼は長椅子の上で新聞を読みはじめた。 「私、今日はうっかりして新聞も見なかったのよ」と彼の細君が、食器のあと片附けをしながら言った。 「当り籤が出てないか、ちょっと見て下さいな。」 「ああ、出てるよ

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