Vol. 2May 2026

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パブリックドメイン世界知識ライブラリ

全 14,981 冊中 6,816 冊を表示

ノーベル小伝とノーベル賞

長岡半太郎

ノーベル賞の存在は、昨年湯川秀樹君の受賞により、汎く、我邦人に傳わつた。しかしその賞を發案したノーベル Alfred Bernard Nobel の事績については、知る人稀にして、いかなる動機により、その資産一部を割き優秀なる研究者に與うるようになつたかを明かにするもの少きは、まことに遺憾である。こゝにその一端を記すは無用であるまい。 ノーベルの父は工業家で

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小倉西高校新聞への回答

宮本百合子

小倉西高校新聞への回答 宮本百合子 一、趣味は 音楽、映画などですが、一昨年来病気のため外出も出来ずに居ます。 一、愛読書 文学が文学以外の本によって勉強されてゆく時代になりました。 一、学生生活中、一番楽しかった事 私たちの学生生活時代は、学校外の読書や文学の勉強が一番たのしいという不幸な「女学生」の生活でした。 一、現在学生に云いたい事 このごろのように

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小僧の夢

谷崎潤一郎

………己は名前を庄太郎と云って、今年十六歳になる商店の小僧だ。己の勤めて居る商店は、銀座三丁目の大通りにある、池田屋と云う洋酒店だが、京橋近辺に住んで居る人は大概知って居るだろう。日本橋の方から来て、京橋を渡って、五六丁行った左側に、あんまり立派でもないけれど、小綺麗なショウ、ウインドウの附いて居る、二階建て西洋造りの店があるだろう。その二階の窓から、夕方に

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小さな出来事

寺田寅彦

小さな出来事 寺田寅彦 一 蜂 私の宅の庭は、わりに背の高い四つ目垣で、東西の二つの部分に仕切られている。東側の方のは応接間と書斎とその上の二階の座敷に面している。反対の西側の方は子供部屋と自分の居間と隠居部屋とに三方を囲まれた中庭になっている。この中庭の方は、垣に接近して小さな花壇があるだけで、方三間ばかりの空地は子供の遊び場所にもなり、また夏の夜の涼み場

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小刀の味

高村光太郎

小刀の味 高村光太郎 飛行家が飛行機を愛し、機械工が機械を愛撫するように、技術家は何によらず自分の使用する道具を酷愛するようになる。われわれ彫刻家が木彫の道具、殊に小刀を大切にし、まるで生き物のように此を愛惜する様は人の想像以上であるかも知れない。幾十本の小刀を所持していても、その一本一本の癖や調子や能力を事こまかに心得て居り、それが今現にどうなっているかを

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小切手

中谷宇吉郎

かねというと、何だか資本主義の道具の一つのように響く。しかし、錢には、全くそういう匂いがない。 錢ときくと、すぐ聯想されるのは、五錢の白銅貨である。子供の頃、年に一度の村の祭の日に、この白銅貨を貰うしきたりになっていた。その白い冷たい白銅貨を、しっかり掌の中に握りしめて、盛り場まで行く。着く頃には、掌の中はすっかり汗ばんで、白銅貨は、生温かくなっている。五十

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小品四つ

中勘助

これはもうひと昔もまえの秋のひと夜の思い出である。さっさっと風がたって星が燈し火のように瞬く夜であった。身も世もないほど力を落して帰ろうとするのを美しい人が呼びとめて 「花をきってさしあげましょう」 といいながら花鋏と手燭をもっておりてきた。そして泳ぐような手つきで繁りあった秋草をかきわけ、しろじろとみえる頸筋や手くびのあたりに蝗みたいに飛びつく夜露、またほ

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小唄のレコード

九鬼周造

小唄のレコード 九鬼周造 林芙美子女史が北京の旅の帰りに京都へ寄った。秋の夜だった。成瀬無極氏と一緒に私の家へ見えた。日本の対支外交や排日問題などについて意見を述べたり、英米の対支文化事業や支那女性の現代的覚醒を驚嘆していた。支那の陶器の話も出た。何かの拍子に女史が小唄が好きだといったので、小唄のレコードをかけて三人で聴いた。 「小唄を聴いているとなんにもど

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小問題大問題

佐々木邦

津島君の子爵病は長いことだった。一杯やると発作的に催す。遠く王政維新廃藩置県の頃に溯って、 「祖父がその時好機会を逸しなかったら、僕も今頃は子爵の御前様で納まり返っていられるのになあ」 と口惜しがるのを常とした。生れてもいない昔のことを今更何と言っても仕方あるまいに、そこが酒の上だ。酔えば無暗に喧嘩を吹っかける奴さえあるのだから、五十年前の愚痴なら先ず/\好

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小国寡民

河上肇

小国寡民 河上肇 放翁東籬の記にいふ、 「放翁告帰(退官して隠居すること)の三年、舎東の地(草の生ひしげる土地)を闢く。南北七十五尺、東西或ひは十有八尺にして贏び、或ひは十有三尺にして縮まる。竹を插んで籬と為す、其地の数の如し。五石瓮(かめ)を※め、泉を瀦めて池と為し、千葉の白芙※(蓮)を植う。又た木の品(木の類)若干と草の品若干を雑へ植う。之を名づけて東籬

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小園の記

正岡子規

小園の記 正岡子規 我に二十坪の小園あり。園は家の南にありて上野の杉を垣の外に控へたり。場末の家まばらに建てられたれば青空は庭の外に拡がりて雲行き鳥翔る様もいとゆたかに眺めらる。始めてこゝに移りし頃は僅に竹藪を開きたる跡とおぼしく草も木も無き裸の庭なりしを、やがて家主なる人の小松三本を栽ゑて稍物めかしたるに、隣の老媼の与へたる薔薇の苗さへ植ゑ添へて四五輪の花

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「小売商人の不正事実」について

宮本百合子

所謂出入商人の、種々な間違いや「つけがけ」をふせぐために、出来るだけ現金払いにしているので、生憎、はっきりした数字的の事実はあげられません。相当な注意をもって比較した結果、信用した店を買いつけにしているので、実験上の不正事実は思いあたりません。後ればせながら、御返事申上ます。 〔一九二一年十一月〕 ●図書カード

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小壺狩

薄田泣菫

小壺狩 薄田泣菫 一 彦山村から槻の木へ抜ける薬師峠の山路に沿うて、古ぼけた一軒茶屋が立つてゐます。その店さきに腰を下ろして休んでゐるのは、松井佐渡守の仲間喜平でした。松井佐渡守といふのは、当国小倉の城主細川忠興の老臣として聞えた人でした。 晴れた初夏の昼過ぎて、新鮮な若葉の山は、明るい日光をうけて陽気に笑つてゐました。先刻から軒さきに突つ立つた高い木の枝に

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小夜の中山夜啼石

岡本綺堂

秋の末である。遠江国日坂の宿に近い小夜の中山街道の茶店へ、ひとりの女が飴を買ひに来た。 茶店といつても型ばかりのもので、大きい榎の下で差掛け同様の店をこしらへて、往来の旅人を休ませてゐた。店には秋らしい柿や栗がならべてあつた。そのほかにはこの土地の名物といふ飴を売つてゐた。秋も深けて、この頃の日脚はだん/\に詰まつて来たので、亭主はもうそろ/\と店を仕舞はう

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小さい太郎の悲しみ

新美南吉

お花畑から、大きな虫がいっぴき、ぶうんと空にのぼりはじめました。 からだが重いのか、ゆっくりのぼりはじめました。 地面から一メートルぐらいのぼると、横にとびはじめました。 やはり、からだが重いので、ゆっくりいきます。うまやの角の方へのろのろとゆきます。 みていた小さい太郎は、縁側からとびおりました。そしてはだしのまま、篩をもって追っかけてゆきました。 うまや

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小さな妹をつれて

小川未明

きょうは、二郎ちゃんのお免状日です。お母さんは、新しい洋服を出して、 「これを着ていらっしゃい。よごすのでありませんよ。」と、おっしゃいました。二郎ちゃんの、いままで着ていた洋服はよごれて、ところどころつくろってあります。 「お母さん、これでいいよ。」と、二郎ちゃんは、いいました。こないだまで、こんな服は、みっともないといったくせに、きょうは、新しい服を着て

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小学教育の事

福沢諭吉

小学教育の事 福沢諭吉 小学教育の事 一 教育とは人を教え育つるという義にして、人の子は、生れながら物事を知る者に非ず。先きにこの世に生れて身に覚えある者が、その覚えたることを二代目の者に伝え、二代目は三代目に授けて、人間の世界の有様を次第次第に良き方に進めんとする趣意なれば、およそ人の子たる者は誰れ彼れの差別なく、必ず教育の門に入らざるをえず。いかなる才子

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小山内君の戯曲論 ――実は芸術論――

岸田国士

「……私は、此の牢屋のやうな暗い処で蠢いてゐる人間のために一つの窓を明けて、人間の貴さを見せてやる、それが芸術家の仕事ではないかと思つてゐる。真暗な牢屋の壁に一つの穴をあけて、明るい世の中を見せる。そこでは人間が獣でもなければ、神様でもない、人間は人間であつて同時に超人である。私はそれを見せて貰ひたい」 「私の標準は甚だ狭いかも知れない。人道主義的だと云はれ

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小山内薫先生劇場葬公文

久保栄

小山内薫先生劇場葬公文 久保栄 築地小劇場劇団部主事小山内薫先生は、昭和三年十二月二十五日午後七時、日本橋亀島町旗亭「偕楽園」において発病、主治医蘆原信之氏看護のもとに危篤のまま四谷南寺町七番地の自宅に送られ、同日午後十一時ついに永眠せられた。宿痾の動脈硬化症による心臓麻痺のためである。遺族、近親は遺骸を二階十畳の間に安置し、喪を秘して翌朝に及び、二十六日午

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小山祐士君の『瀬戸内海の子供ら』

岸田国士

小山祐士君の『瀬戸内海の子供ら』 岸田國士 小山君の戯曲家としての成長は、その階梯が極めて劃然とし、『翻るリボン』から、『十二月』、それからこの『瀬戸内海の子供ら』に至る最近の三作を通じて、見事な飛躍をなし、遂に、同君の今日の境地に於て、恐らく完璧ともいふべき表現に到達し得たといふことは、芸術修業の道にあるものが、等しく羨望に堪へぬところである。如何なる好条

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小さな山羊の記録

坂口安吾

小さな山羊の記録 坂口安吾 私は若い頃から、衰頽の期間にいつも洟汁が流れて悩む習慣があった。青洟ではなく、透明な粘液的なものであった。だから蓄膿症だと思ったことはない。然し、ねていると胃に流れこみ、起きていると、むやみに洟をかみつゞけなければならない。胃へ流れこむまゝにすると、忽ち吐き気を催し、終日吐き気に苦しんで、思考する時間もなく、仕事に注意を集中し持続

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小島の春 01 序

高野六郎

小川さんは完全な癩療養所の先生であると私は信じている。完全な者はそう幾人もない。小川さんは日本における稀有な存在である。 小川さんは心魂を捧げつくして癩事業に精進する。小川さんの「土佐の秋」や「小島の春」を読んで圧迫を感じない者はなかろう。 「誰にでも、一人でも、療養所を、癩を諒解して貰いたい心願に燃えて」小川さんは土佐の山奥や瀬戸の小島を心身を消耗させなが

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小島の春 02 序

下村海南

トラツクのふちにつかまりすすり上げすすり上げ泣く四十の男 これやこの夫と妻子の一生の別れかと想へば我も泣かるる 夫と妻が親とその子が生き別る悲しき病世に無からしめ 一等国中の一等国である日本には、まだ癩の患者が至るところに、医療の手当にも恵まれずに散らかっている。欧米各国では患者の全部が隔離され収容され、それぞれに手当をうけて余生を送っている。そうした患者が

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小島の春 03 序

光田健輔

女医が癩救療に一地歩を築きたるは日本医学史に特筆すべき事実である。先づ服部けさ子女史の草津聖バルナバ医院における、余生において西原蕾、五十嵐正の二女史のごとき、大島に高橋竹代女史あり、我が愛生園にはさきに大西富美子女史あり、本篇の著者小川正子女史あり。皆一身を此事業になげうって悔なきの決心を有し、両親親戚の勧告に耳をもかさず、世人の批評に頓着なきの男まさりの

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