Vol. 2May 2026

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手紙 086 慶応三年八月八日 坂本権平あて

坂本竜馬

一筆啓上仕候。 弥御機嫌能可レ被レ成二御座一目出度奉レ存候。然ニ先頃長崎より後藤参政と同船ニて上京仕候処、此頃英船御国ニ来るよしなれバ、又、由井参政と同船ニてスサキ港まで参り居候得とも、竊ニ事を論じ候得バ、今まで御無音申上候。此度英船の参ル故ハ、長崎ニて英の軍艦水夫両人酔て居候処を、たれやら殺し候よし、夫を幕吏ニ土佐国の人が殺候と申立候よし。其故ニて御座候。

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手紙 087 慶応三年八月十四日 三吉慎蔵あて

坂本竜馬

今日朔日兵庫出帆、同二日土佐ニ帰り、一昨夜土佐出帆、今日馬関ニ来ル」扨、京師の時勢ハ大様の所ハ御聞取も可レ在レ之候得共、一通申上候」薩此頃(大島吉之助等)決心、幕と一戦相心得候得ども、土佐後藤庄次郎が今一度上京をまち居申候。先頃私、後藤庄次郎上京して西郷小松と大ニ約し候事有レ之候故ナリ。(後藤庄次郎者今月十七日出京。)私事ハ是より長崎へ出候て、蒸気船を求候て

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手紙 092 慶応三年八月二十四日 佐々木高行あて

坂本竜馬

此度、石田英吉の船中は、兼て衣服少なき諸生なれば甚だ気の毒なり。金を御つかはしなれば、早速に求候。もし先生の御著ものでも御つかはし遣さる可く候や。右英吉は非常用向申候義は、官より右よふの事あて御つかはしにて可レ然かと奉レ存候。何卒宜御取計奉レ願候。謹言。 龍拝佐々木様 ●図書カード

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手紙 095 慶応三年八月下旬 佐々木高行あて

坂本竜馬

先、西郷、大久保越中の事、戦争中にもかたほにかゝり一向忘れ不レ申、若しや戦死をとげ候とも、上許両人の自手にて唯一度の香花をたむけくれ候得ば、必ず成仏致し候こと既に決論の処なり。然るに唯今にも引取り可レ申とて糞をくらへと鎮台に攻かけ居り候。何とぞ今少し/\と待つてたべと申来り候間、例の座敷をことはり候て、皆はねかえり足を空にして昼寝をし居申候。何は兎もあれ他人

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手紙 097 慶応三年九月初旬 佐々木高行あて

坂本竜馬

先刻御見うけ申候通りニ、大兄の反したまふより援隊壮士三四等、ときの声を出し、ゑい/\と押来り、くおふるに女軍吾本陳お打破り其声百雷の(如)く、大兄此時ニもれたまふて、地下に吾に何の御顔を見セたまふや。御心根御為レ聞可レ被レ遣候。なぜに来りたまハぬや、御為レ聞。 拝首。呈佐々木将軍 陳下楳 拝首 ●図書カード

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手紙 098 慶応三年九月初旬 佐々木高行あて

坂本竜馬

唯今長府の尼将軍、監軍熊野直助及二人、わらはお供し押来りて、吾右軍と戦ハんとす。かぶらやの音おびたしく、既ニ二階の手すりにおしかゝりたり。別ニ戦を期せし女軍未レ来。思ふニ是ハ我ガをこたるを待つて虚を突かんとの謀ならんか。先ヅ吾レ先の先を以て此方より使ヲはせ、或は自ら兵に将としておそふて、とりことし来らんかとも思へり。 将軍勇あり義あらバ、早く来りて一戦志、共

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手紙 099 慶応三年九月初旬 佐々木高行あて

坂本竜馬

今日の挙や、あへて私しおいとなむニ非ざるなり。則天地神明の知る所なり。 唯大人の病苦をなぐさめん事を欲して也。相会する面々は、女隊ニては西川の二女及胡弓妓外一人、是又有名の一妓、其外下関の老婆、今日相会し次第(但四時迄の心積なれども、九つ時ニも相成んか。)使者さし出申候間、唯今より駕を命じ、且左右調度など御とりしらべ可レ被レ成。弊館ニは弾薬大小の砲銃取りそろ

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手紙 103 慶応三年九月十日 佐々木高行あて

坂本竜馬

只今戦争相すみ候処、然るに岩弥、佐栄兼て御案内の通りに、兵機も無レ之候へば無二余儀一敗走に及び候。独り菅、渡辺の陣、敵軍あへて近寄り能はず、唯今一とかけ合はせは仕り候。当る所ひらき申候。竊に思ふ、富国強兵、且雄将のはたらき、東夷皆イウタンを落し申さんと奉レ存候。 卯九月梅拝佐々木先生 ●図書カード

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手紙 104 慶応三年九月十日 長崎奉行あて差出の草案

坂本竜馬

於二丸山一 此度英人殺傷之儀ニ付、  上様御書を以て御名江被レ遣、則平山図書(頭)、戸川伊豆(守)、設楽岩次郎御来国ニ相成、其節英国軍艦も渡来 仕り、御調ニ相成、猶於二此地ニ一屡々御談判席ニ相加リ、 今日ニ至リよをやく嫌疑相晴一同安心罷在候」 然ニ此儀ハ英人等道路雑説を聞取、疑念之筋申上候より上件ニ立至リ候得ども、何等の証跡も無レ之儀ニ御座候」向後外国人横死

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手紙 105 慶応三年九月十三日 陸奥宗光あて

坂本竜馬

三四郎及、龍も一所に大兄の御咄し相聞しに、芸州の方へは別段に三四郎が参るに不レ及かのよふ存込ミ居候。 然ニ今日右よふの手紙が参り候得ば、もしつがふあしくはあるまいかと存候へバ、御相談申上候。今日は三四郎も病気に候得バ、たれでも代人つかハし候間、御同行奉レ頼候。御帰り次第、佐々木の宿ニ御成奉レ願候。早頓首。 十三日龍 〆   楳太郎奥陸元二郎様左右 ●図書カー

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手紙 107 慶応三年九月二十日 木戸孝允あて

坂本竜馬

一筆啓上仕候。 然ニ先日の御書中大芝居の一件、兼而存居候所とや、実におもしろく能相わかり申候間、弥憤発可レ仕奉レ存候。 其後於二長崎一も、上国の事種々心にかゝり候内、少存付候旨も在レ之候より、私し一身の存付ニ而手銃一千廷買求、芸州蒸気船をかり入、本国ニつみ廻さんと今日下の関まで参候所、不レ計も伊藤兄上国より御かへり被レ成、御目かゝり候て、薩土及云云、且大久保

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手紙 108 慶応三年九月二十四日 渡辺弥久馬あて

坂本竜馬

渡辺先生   左右 一筆啓上仕候。 然ニ此度云々の念在レ之、手銃一千挺芸州蒸汽船に積込候て、浦戸に相廻申候。参がけ下ノ関に立より申候所、京師の急報在レ之候所、中々さしせまり候勢、一変動在レ之候も、今月末より来月初のよふ相聞へ申候。二十六日頃は薩州の兵は二大隊上京、其節長州人数も上坂(是も三大隊斗かとも被レ存候。)との約定相成申候。小弟下ノ関居の日、薩大久保一

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手紙 110 慶応三年十月九日 坂本権平あて

坂本竜馬

其後芸州の船より小蝶丸ニ乗かへ須崎を発し、十月九日ニ大坂に参り申候。則今朝上京仕候」此頃京坂のもよふ以前とハよ程相変、日にごて/\と仕候得ども、世の中は乱んとして中不レ乱ものにて候と、皆申居候事に御座候」先は今日までぶじなる事、幸便ニ申上候。謹言。 十月九日梅太郎〆上町本一丁目坂本権平様坂本龍馬御直披 ●図書カード

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手紙 111 慶応三年十月十日頃 後藤象二郎あて

坂本竜馬

去ル頃御健言書ニ国躰を一定し政度ヲ一新シ云々の御論被レ行候時ハ、先ヅ将軍職云云の御論は兼而も承り候。此余幕中の人情に不レ被レ行もの一ヶ条在レ之候。其儀は江戸の銀座を京師ニうつし候事なり。此一ヶ条さへ被レ行候得バ、かへりて将軍職は其まゝにても、名ありて実なけれバ恐るゝにたらずと奉レ存候。此所に能々眼を御そゝぎ被レ成、不レ行と御見とめ被レ成候時は、義論中ニ於て何

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手紙 112 慶応三年十月十三日 後藤象二郎あて

坂本竜馬

御相談被レ遣候建白之儀、万一行ハれざれば固より必死の御覚悟故、御下城無レ之時は、海援隊一手を以て大樹参内の道路ニ待受、社稷の為、不(倶)戴天の讐を報じ、事の成否ニ論なく、先生ニ地下ニ御面会仕候。○草案中ニ一切政刑を挙て朝廷ニ帰還し云、此一句他日幕府よりの謝表中ニ万一遺漏有レ之歟、或ハ此一句之前後を交錯し、政刑を帰還するの実行を阻障せしむるか、従来上件ハ鎌倉已

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