織田作之助 · 일본어
전문
원문 (일본어)
吉岡芳兼様へ
織田作之助
御たより拝見しました。
拙作を随分細かく読んで下すって、これでは作者たるものうっかり作品が書けぬという気がしました。もっとも、うっかり書いたというわけでもないのですが。
自作を語るのは好みませんが、一二お答えします。
まず「新潮」八月号の「聴雨」からですが、高木卓氏が終りが弱いといわれるのも、あなたが題が弱いといわれるのも、つまりは結びの一句が「坂田は急ににこにこした顔になった。そうして雨の音を聞いた」となっていることをいわれたのであろうと思います。どういう雨かとのお問いですが、はて、どういう雨でしょう。この小説の冒頭に「雨戸を閉めに立つと池の面がやや鳥肌立って、冬の雨であった」と書いてあります。「私」は書斎で雨を聴き、坂田翁も雨を聴いたのです。「春雨じゃ濡れて行こう」などという雨ではありません。ただ、雨の音を聴いたのです。それだけです。冒頭の「私」が聴く雨と最後の坂田翁の聴く雨とを照応させて「聴雨」としたのです。因みに坂田翁が木村八段と対局した南禅寺の書斎には「聴雨」の二字を書いた額が掛っていたとのことです。
次にこの小説で「私」を出したのはどういう秘密かとのお問いですが、これはあくまで秘密として置きましょう。ただ、僕が「私」を出さずに、この小説を書いたらそれはどういう小説になったかを考えてみて下さい。僕には作風をかえる上からも「私」が必要だったのです。といって、僕は私小説を書いたのではありません。また、坂田三吉を書いたのではありません。
この「私」の出し方と「文芸」九月号の出し方は、すこし違います。作中に「オダ」という人名が出て来ますが、これは読者が佐伯は作者であるなど思われると困りますので、「オダ」が出て来るのです。
「聴雨」でもこの小説でも、作風は語り物の形式を離れて、分析的になっていることはお気づきのことと思いますが、もともと僕はそういう作風であったので、今のスタイルをつくるためにせいぜい「私」を出しているわけです。佐伯=作者の想念が「私」のために邪魔されたといっておられますが、計画的に邪魔をして行っているわけです。
次に、表現を色彩へ持って行くことが誇張だとは、どういうことでしょうか。「眼の前が真っ白になる」と。「青ざめた顔」はむしろ月並みです。しかし、僕は「赤い咳」という表現を出すために白と青を持って来たのです。ここで「赤い」といったのは「恐怖」の表現です。この「赤」は佐伯の頭に喀血の色と見えるのです。
冒頭の一節、「古雑布」「古綿を千切る」「古障子」などの形容は勿論あなたのおっしゃるように視覚的ではありません。しかし、視覚的というのは絵と映画に任せて置きましょう。僕らは漬物のような色をした太陽を描いてもよいわけではありませんか。
友田恭助を出したのが巧を奏したとおっしゃいますが、あそこは僕としては一番気になるところです。失敗ではなかったかと思っています。但し、理髪店から「友田……」の声がきこえて来るところ、あそこがこの小説の眼目です。この友田は「聴雨」の坂田と同じ重要性をもっているのです。友田も坂田も青春なき「私」のある時代に映じたある青春の象像です。それで理髪店の「友田……」という声がきこえて来るわけです。しかし、あそこの真実感がないとおっしゃる。作者の技術の不足と思っています。
どうも自作をさりげなく当り前な顔をして語るのはむつかしいです。作品が自ら語ってくれるとやに下っている方が無難でしょう。作中の「私」一つの問題でも、たとえ「聴雨」の続篇を「若草」の十月号に書きましたが、この中に「私」はもう前二作の「私」でない、僕もいろいろに思案もし、迷っているのです。自作を語るどころの騒ぎではないようです。
以上御返事まで。
織田作之助
번역 현황
대기로그인 후 번역을 요청하실 수 있습니다.
이 저자의 다른 작품
자주 묻는 질문
네, 완전히 무료입니다. 이 책은 저작권이 만료된 퍼블릭 도메인 도서라 회원가입·결제 없이 바로 읽을 수 있습니다. Pagera는 광고 수익으로 운영됩니다.
독서·어학에 도움이 되는 상품
일본어 문법서
원문 문장 구조를 정확히 이해하고 싶다면
일본어 단어장
원문에 자주 나오는 단어를 미리 익히고 싶다면
독서대·북라이트
더 편안한 자세로 오래 읽고 싶다면
이 포스팅은 쿠팡 파트너스 활동의 일환으로, 이에 따른 일정액의 수수료를 제공받습니다.
무료 이용 안내
회원가입 없이도 바로 읽기를 시작할 수 있습니다. 더 많은 열람과 기능은 회원 가입 후 이용하세요.