其中日記 14 (十三の続)
種田山頭火
晴れて暑い、虹ヶ浜。 午後三時の汽車で徳山へ、白船居で北朗君を待ち合せ、同道して虹ヶ浜へ。 北朗君は一家をあげて連れて来てゐる、にぎやかなことである、そしてうるさいことである(それが生活内容を形づくるのだが)。 いつしよに夕潮を浴びる、海はひろ/″\としてよいなあと思ふ、波に乗つて波のまに/\泳ぐのはうれしい、波のリズム、それが私のリズムとなつてゆれる。 松
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種田山頭火
晴れて暑い、虹ヶ浜。 午後三時の汽車で徳山へ、白船居で北朗君を待ち合せ、同道して虹ヶ浜へ。 北朗君は一家をあげて連れて来てゐる、にぎやかなことである、そしてうるさいことである(それが生活内容を形づくるのだが)。 いつしよに夕潮を浴びる、海はひろ/″\としてよいなあと思ふ、波に乗つて波のまに/\泳ぐのはうれしい、波のリズム、それが私のリズムとなつてゆれる。 松
種田山頭火
曇――雨。 聖戦第三年、興亜新春、万歳万々歳。 安眠、朝寝、身心平静。 おめでたう、ありがたう。 ――起きるなり、水を汲みあげて腹いつぱい飲んだ、それは若水であり、そして酔醒の水であつた。 朝湯、香をいて自戒自粛、――回顧五十年、疚しくない生活、悔のない生活、あたりまへの生活、すなほにつゝましく生活したい。 朝酒、かたじけなし、酒を楽しみ味ふ境涯であれ。 雑
種田山頭火
晴。 さらりと朝湯によごれを流して。―― 自分のうちのしたしさ、そしてむさくるしさ、わびしさ。 日本晴、めつきり夏めいた。 今日はアルコールなし!
岸田国士
内村直也君の『秋水嶺』 岸田國士 内村君の処女作『秋水嶺』は、非常に素直な力作である。戯曲といふものに十分興味をもち、しかも卑俗な方向をねらはずに、舞台の芸術的効果を計算して作り上げられてゐることがわかる。 所謂「お芝居」をさせずに、必要な筋の起伏を盛るといふことは、作者の文学的才能と人生的経験に俟つ外はないが、内村君の若さは、たしかにこの題材の前で汗を流し
岸田国士
内村直也の劇作家としての出発は「秋水嶺」だと言つていい。旧朝鮮の日本人コロニイを背景とした「秋水嶺」は、現代日本の「青春」の一風景が素直な眼で捉へられ、健やかな感覚で舞台にくりひろげられた注目すべき力作であつた。私は故友田恭助に勧めてこれを築地座の上演目録に加へることにした。 「秋水嶺」から「雑木林」までは可なり年月の距りがある。劇作家を成熟させる外部的条件
牧逸馬
食卓の人々は、つと顔を見合わせた。かすかに叩戸の音が聞えた――ような気がしたのだ。 夜の八時過ぎだ。おそい晩飯だ。小作人ドルフ・ホルトン―― Dolf Horton ――の家である。野良を終っても、何やかや仕事が残って、いつも食事が遅れる。英吉利の四月は、春とはいってもまだ冬の感じだ。八時にはもう真っ暗で、ことに今夜は霧がある。しっとり濡れた濃い闇黒が戸外に
北村透谷
内部生命論 北村透谷 人間は到底枯燥したるものにあらず。宇宙は到底無味の者にあらず。一輪の花も詳に之を察すれば、万古の思あるべし。造化は常久不変なれども、之に対する人間の心は千々に異なるなり。 造化は不変なり、然れども之に対する人間の心の異なるに因つて、造化も亦た其趣を変ゆるなり。仏教的厭世詩家の観たる造化は、悉く無常的厭世的なり。基督教的楽天詩家の観たる造
佐藤春夫
一人の画家がゐた。売出しの女優は花束でとり囲まれるが、彼は幸福そのものでとりかこまれた。若い美しい妻をめとることが出来た。二人して海の近くに新婚の旅をしてゐる間に新しい画室はタウンの端れに落成した。時は、悲しいものをより甚しく悲しましめる代りには、楽しいものにより一層楽ましめるといふ晩春初夏であつた。 ‘No, not happiness; certainl
牧野信一
彼の昨日の今日である、樽野の――。 今朝はまた昨日にも増した麗かな日和で、長閑で、あんなに遥かの沖合を走つてゐる漁船の快い発動機の音までが斯んなに円かに手にとるかのやうに聞えるほどの、明るい凪は珍らしい。だから云ふまでもなく、海原は青鏡で、ただ、波を蹴たてて滑つて行く舟の舳先で砕ける飛沫が鮮やかに白く光るより他に目を射るものもないのだ。――樽野は、醒めきらな
正岡容
暮れも押し詰まった夜の浅草並木亭。 高座では若手の落語家橘家圓太郎が、この寒さにどんつく布子一枚で、チャチな風呂敷をダラリと帯の代わりに巻きつけ、トボけた顔つきで車輪に御機嫌を伺っていた。 クリッとした目に愛嬌のある丸顔の圓太郎がひと言しゃべるたび、花瓦斯の灯の下に照らしだされた六十人近いお客たちは声を揃えてゲラゲラ笑いこけていた。こんな入りの薄い晩のお客は
田中貢太郎
円朝の牡丹燈籠 田中貢太郎 一 萩原新三郎は孫店に住む伴蔵を伴れて、柳島の横川へ釣に往っていた。それは五月の初めのことであった。新三郎は釣に往っても釣に興味はないので、吸筒の酒を飲んでいた。 新三郎は其の数ヶ月前、医者坊主の山本志丈といっしょに亀戸へ梅見に往って、其の帰りに志丈の知っている横川の飯島平左衛門と云う旗下の別荘へ寄ったが、其の時平左衛門の一人娘の
正岡容
圓朝花火 正岡容 こはこれ、我が五色七いろの未定稿なり、覚え書なり。 われ、三遊亭圓朝を愛慕すること年久しく、その一代を長編小説にまとめあげん日もまた近づきたり。 「圓朝花火」一篇は、実にそが長編の礎稿をなすものなり。青春の、中年のはたまた晩年の、彩り多く夢深かりし彼がひと日ひと日の姿絵をばここにかかげ、大方の笑覧を乞わんのみ。再び言う、こはこれ、まったくの
菱山修三
梶井基次郎氏が死んだ。――氏の生の論理もたうとう往きつく処まで往きついた。それはもはや何ものも語らない。在るものは寂寞ばかりだ。まことに死は現実の極点であらう。氏は最後のその死を死んだ。そこからはもはや何にも始まらない。唯現在、何かが始まるとすれば、――それはまさしく私の入り込んでゐる薄暗い、冷やかな、しづかな世界以外の処ではないであらう。 ……始めにはよく
宮本百合子
再刊の言葉 宮本百合子 『働く婦人』がまた発行されることになりました。こんど初めて手にとる方も多いでしょうが、なかには、まあ、『働く婦人』がまた出るようになったか、と、心からよろこんで読んで下さる方も少くないだろうと思います。 毎日の生活に関係の深いいろいろな社会の出来ごとについて、正しい知識を得るとともに、本当に私たちの婦人雑誌として可愛く思う『働く婦人』
牧野信一
こんな芝居を観に来るんぢやなかつた――と夫は後悔した。彼は、細君がどんな顔をしてゐるか気になつて、一寸横目をつかつた。――「チヨツ、怪しからんぞ!」 細君は夫のことなど毛程も意識にいれてゐないらしく息を殺して舞台を眺めてゐた。 夫は、彼女のことばかしが気に懸つてもう芝居の筋なんて目茶苦茶になつた。が何でもそれは、女房が新しい思想とか何とかに眼醒めて、同時に新
島崎藤村
再婚について 島崎藤村 神坂も今は秋の収穫でいそがしくもまた楽しい時と思います。 ことしの秋は、柳ちゃんを連れて神坂の土を踏みたいとは、かねてから楽しみにしていたことでしたが、いろいろの都合で十一月の初めごろに出かけることはちょっとむつかしくなりました。 さて、きょうは珍しい報告を送る思いでこのおたよりいたします。ことしの夏の初めあたりから、とうさんは自分の
松濤明
再び山へ 松濤明 間もなく軍隊に入る。戦争に行く、そして山とは永久にお別れになる――。こうした残り少ない山生活が、なおどれだけの情熱に値するか? 大東亜戦争の始まる頃から、この懐疑は不断にまつわりついて、山へ出かける時にも、山を歩く時にも私を離れなかった。自分の幸福、他の者の幸福――他の者の幸福に基づく自分の幸福……。 軍隊に入る時は、よもや二度と生きて山を
佐左木俊郎
再度生老人 佐左木俊郎 私が十一の頃、私の家の近所の寺に、焼和尚という渾名のお坊さんが住んでいた。私はこれから、この話を、その焼和尚のことから始めようと思う。…… 焼和尚は坊さんのくせに、大変女が好きだった。そして、彼の前身を知っている人の話によると、彼は、若い時分には盛んに発展し、やたらと女を買ったものだということだった。彼の頭が、薬罐のように、赤くてかて
正岡子規
再び歌よみに与ふる書 正岡子規 貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候。其貫之や古今集を崇拝するは誠に気の知れぬことなどと申すものゝ実は斯く申す生も数年前迄は古今集崇拝の一人にて候ひしかば今日世人が古今集を崇拝する気味合は能く存申候。崇拝して居る間は誠に歌といふものは優美にて古今集は殊に其粋を抜きたる者とのみ存候ひしも三年の恋一朝にさめて見ればあん
宮本百合子
世界平和大会へ日本の代表は行くことができなかった。世界労連の会議にも出席させられなかった。ペンクラブの大会へ日本の作家が招かれたが、これもゆく人がなかった。代表一人につき百万円(一ドル三六〇円のわり)の旅費は、作家のふところからは払いきれなかった。ところがこのあいだ、スイスのコーでひらかれた道徳再武装(MRA)の第二回大会へは、選挙に惨敗して暇ができたか社会
南方熊楠
丙寅三號五葉裏に黒井君は『南方熊楠氏は毘沙門の名號に就てと題して曰く「此神、前世夜叉なりしが、佛に歸依して沙門たりし功徳により、北方の神王に生れ變つた云々」と書れたが、此事件を信じて居るから申したので有うが、小生の立場からは些の價値がないのである云々。其のみならず、佛の時代と毘沙門の時代が異つて居る』と申された。然し熊楠は價値の有無に拘らず、只々此話の出處を
宮本百合子
再版について(『私たちの建設』) 宮本百合子 この本にたいする要求は、第一版のでた一九四六年の春から後、一般にたかまっていた。新しく社会生活の面を多様に積極にされた婦人のために、この本のもっている範囲では役に立つところもあったためだった。 用紙の関係で、再版がおくれた。その二年ちかくに、私たちの現実は実にひどくかわった。生活の困難は益々おびただしく、いまでは
坂口安吾
この小説は私にとつては、全く悪夢のやうな小説だ。これを書きだしたのは昭和十一年の暮で、この年の始めに私はある婦人に絶縁の手紙を送り、私は最も愛する人と自ら意志して別れた。 それは私にとつては、たしかに悲痛なものであつた。私はその婦人と、五年間の恋人だつたが、会つたのは合計一年にもならない年月で、中間の四年間は、私は他の女と同棲してゐた。会はなかつた四年の年月
田中貢太郎
再生 田中貢太郎 秦の始皇の時、王道平という男があった。若い時、同村に棲んでいる唐叔偕の女と夫婦になる約束をしていたが、そのうちに道平は、徴発せられて軍人となり、南の国へ征伐に往って、敵の中へ陥って九年の間も帰ることができなかった。女の家では女が年比になったのを見て、生きているやら死んでいるやら判らない男を待たしておくわけにもゆかないので、劉祥という者の家へ