列車
太宰治
一九二五年に梅鉢工場といふ所でこしらへられたC五一型のその機關車は、同じ工場で同じころ製作された三等客車三輛と、食堂車、二等客車、二等寢臺車、各々一輛づつと、ほかに郵便やら荷物やらの貨車三輛と、都合九つの箱に、ざつと二百名からの旅客と十萬を越える通信とそれにまつはる幾多の胸痛む物語とを載せ、雨の日も風の日も午後の二時半になれば、ピストンをはためかせて上野から
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太宰治
一九二五年に梅鉢工場といふ所でこしらへられたC五一型のその機關車は、同じ工場で同じころ製作された三等客車三輛と、食堂車、二等客車、二等寢臺車、各々一輛づつと、ほかに郵便やら荷物やらの貨車三輛と、都合九つの箱に、ざつと二百名からの旅客と十萬を越える通信とそれにまつはる幾多の胸痛む物語とを載せ、雨の日も風の日も午後の二時半になれば、ピストンをはためかせて上野から
太宰治
一九二五年に梅鉢工場という所でこしらえられたC五一型のその機関車は、同じ工場で同じころ製作された三等客車三輛と、食堂車、二等客車、二等寝台車、各々一輛ずつと、ほかに郵便やら荷物やらの貨車三輛と、都合九つの箱に、ざっと二百名からの旅客と十万を越える通信とそれにまつわる幾多の胸痛む物語とを載せ、雨の日も風の日も午後の二時半になれば、ピストンをはためかせて上野から
長谷川時雨
初かつを 長谷川時雨 鰹といふと鎌倉で漁れて、江戸で食べるといふふうになつて、賣るも買ふも、勇み肌の代表のやうになつてゐるが、鰹は東南の海邊では、どこでも隨分古くから食用になつてゐる上に、鰹節の製造されたのも古いと見えて、社の屋根の鰹木は、鰹節をかたどつたものだと、「舍屋の上に堅魚を」と古事記にあれば、水の江の浦島の子をよめる萬葉の長歌には 春の日の霞める時
正岡容
初代桂春団治研究 正岡容 御一新以後エスペラントと堕した江戸弁は東京の落語の面白さを半減せしめたが、上方には独自の陰影を有つ市井語が現代近くまで遺つてゐたから、此を自由に使駆し得た上方落語は、大へんに幸福であつた。さう云ふ意味のことを私は「上方落語・上方芝居噺」の研究に於て述べたが、その陰影満ち溢るる大阪弁へ、酸を、胡椒を、醤油を、味の素を、砂糖を、蜜を、味
三木貞一
前に谷風なく後に谷風なしと称さるゝ仙台の産、谷風梶之助は、蓋し江戸勧進角力あつてより、昭和の今日に至るまで、力士中の第一人者として、何人も否定する者なき名力士である。故記を案ずるに、此の谷風以前に谷風と称せる力士一二人あり。其の中の讚州高松の谷風梶之助といへるは、大阪に於て多年雄飛して殆んど敵するものなしと言はれし大力士であつたが、後に仙台の谷風出づるに及ん
宮本百合子
この初冬 宮本百合子 鏡 父かたの祖母は晩年の僅かをのぞいて、生涯の大半は田舎住居で過ごしたひとであった。よく働いた人であった。何番目かの子供を生んで、まだ余り肥だたないうちに昔の米沢のどういう季節の関係だったのか、菜をどっさりゆで上げなければならないことがあった。大釜にクラクラ湯を煮立てて、洗った菜を入れては上げ、またあとからと入れながら、竈の火をいじって
寺田寅彦
初冬の日記から 寺田寅彦 一年に二度ずつ自分の関係している某研究所の研究成績発表講演会といったようなものが開かれる。これが近年の自分の単調な生活の途上に横たわるちょっとした小山の峠のようなものになっている。学生時代には学期試験とか学年試験とかいうものがやはりそうした峠になっていたが、学校を出ればもうそうしたものはないかと思うと、それどころか、もっともっとけわ
田山花袋
また好きな初冬が来た。今年は雨が多いので、勤めに出かける人などは困つたらうと思ふ。しかしその雨の故か、今年の紅葉の色は非常に好い。私の庭のばかりでない、何処に行つても、濃やかな紅の色彩が何とも言はれない。梧桐の葉などは、いつもならば、黒くしなびてカラ/\と一風に散つて了ふのであるが、今年はそれすら美しく黄ばんだ色を見せてゐる。 山茶花が厚い深い緑葉の中に隠見
宮本百合子
初夏(一九二二年) 宮本百合子 六月一日 私は 精神のローファー 定った家もなく 繋がれた杭もなく 心のままに、街から街へ 小路から 小路へと 霊の王国を彷徨う。 或人のように 私は古典のみには安らえない。 又、或人のように、 眼の眩めくキュービズムにも。 ダダも 面白かろう、 然しそれとても、 私には 折にふれ 行きすぎ 心を掠める 一筋の町の景色だ。 け
小川未明
百姓のおじいさんは、今年ばかりは、精を出して、夏のはじめに、早くいいすいかを町へ出したいと思いました。 おじいさんは、肥料をやったり、つるをのばしたりして、毎日のように、圃へ出ては、 「どうかいいすいかがなりますように。」と、心の中で、太陽に祈りました。そのかいがあって、いいすいかがなりました。おじいさんは、ある朝そのすいかを車にのせて町の八百屋へ持ってゆき
萩原朔太郎
主よ、 いんよくの聖なる神よ。 われはつちを掘り、 つちをもりて、 日毎におんみの家畜を建設す、 いま初夏きたり、 主のみ足は金屬のごとく、 薫風のいただきにありて輝やき、 われの家畜は新緑の蔭に眠りて、 ふしぎなる白日の夢を畫けり、 ああしばし、 ねがはくはこの湖しろきほとりに、 わがにくしんをしてみだらなる遊戲をなさしめよ。 いま初夏きたる、 野に山に、
小川未明
あるところに、踊ることの好きな娘がありました。家のうちにいてはもとよりのこと、外へ出ても、草の葉が風に吹かれて動くのを見ては、自分もそれと調子を合わせて、手や足を動かしたり、体をしなやかに曲げるのでした。 また、日の輝く下の花園で、花びらがなよなよとそよ風にひらめくのを見ると、たまらなくなって、彼女は、いっしょになってダンスをしたのであります。 両親は、自分
北条民雄
駅を出て二十分ほども雑木林の中を歩くともう病院の生垣が見え始めるが、それでもその間には谷のように低まった処や、小高い山のだらだら坂などがあって人家らしいものは一軒も見当たらなかった。東京からわずか二十マイルそこそこの処であるが、奥山へはいったような静けさと、人里離れた気配があった。 梅雨期にはいるちょっと前で、トランクを提げて歩いている尾田は、十分もたたぬ間
正岡子規
(座敷の真中に高脚の雑煮膳が三つ四つ据えてある。自分は袴羽織で上座の膳に着く。)「こんなに揃って雑煮を食うのは何年振りですかなア、実に愉快だ、ハハー松山流白味噌汁の雑煮ですな。旨い、実に旨い、雑煮がこんなに旨かったことは今までない。も一つ食いましょう。」「羽織の紋がちっと大き過ぎたようじゃなア。」「何に大きいことはない。五つ紋の羽織なんか始めて着たのだ。紋の
国木田独歩
初孫 国木田独歩 この度は貞夫に結構なる御品御贈り下されありがたく存じ候、お約束の写真ようよう昨日でき上がり候間二枚さし上げ申し候、内一枚は上田の姉に御届け下されたく候、ご覧のごとくますます肥え太りてもはや祖父様のお手には荷が少々勝ち過ぎるように相成り候、さればこのごろはただお膝の上にはい上がりてだだをこねおり候、この分にては小生が小供の時きき候と同じ昔噺を
小酒井不木
初往診 小酒井不木 先刻から彼は仕事が手につかなかった。一時間ばかり前に、往診から戻って来た彼は、人力車を降りるなり、逃げ込むように、玄関の隣りにある診察室へ入ると、その儘室内をあちこち歩いて深い物思いに沈むのであった。 彼の胸はいま、立っても居ても居られないような遣瀬ない気持で一ぱいであった。いつもは彼を慰さめてくれる庭先の花までが、彼を嘲って居るかのよう
国木田独歩
初恋 国木田独歩 僕の十四の時であった。僕の村に大沢先生という老人が住んでいたと仮定したまえ。イヤサ事実だが試みにそう仮定せよということサ。 この老人の頑固さ加減は立派な漢学者でありながらたれ一人相手にする者がないのでわかる。地下の百姓を見てもすぐと理屈でやり込めるところから敬して遠ざけられ、狭い田の畔でこの先生に出あう者はまず一丁前から避けてそのお通りを待
中原中也
最も弱いものは 弱いもの―― 最も強いものは 強いもの―― タバコの灰は 霧の不平―― 燈心は 決闘―― 最も弱いものが 最も強いものに―― タバコの灰が 燈心に―― 霧の不平が 決闘に 嘗てみえたことはありませんでしたか? ――それは初恋です ●図書カード
寺田寅彦
幼い時に両親に連れられてした長短色々の旅は別として、自分で本当の意味での初旅をしたのは中学時代の後半、しかも日清戦争前であったと思うから、たぶん明治二十六年の冬の休暇で、それも押詰まった年の暮であったと思う。自分よりは一つ年上の甥のRと二人で高知から室戸岬まで往復四、五日の遠足をした。その頃はもちろん自動車はおろか乗合馬車もなく、また沿岸汽船の交通もなかった
木暮理太郎
大正七年の秋の末に初めて黒岳山から大菩薩峠に至る大菩薩山脈の主要部を縦走した時の山旅は、おかしい程故障が多かった。これは余り暢気に構えて必要の調査を怠ったり、地図を信用し過ぎたり、又はそれを無視したりした結果でもあったが、どういう訳か其時は誰の心にも少しの屈托がなかった。其日暮しの行きあたりばったりという気持であった。これが失錯続出の最大原因であったように思
原口統三
日輪は遠く逃げゆく 有明けの天上ふかく 日輪は遠ざかりゆく 仰ぎ見よ暁闇の空 罪びとの涙もしるく 薄冥の雲間に凍り 日輪は遠く消えゆく 一九四三・十二・三十一
正岡容
初看板 正岡容 上 ……つらつら考えてみると、こんな商売のくせに私はムッツリしてていったい、平常はあなたもご存じの通りに口が重たいほうなのに、しかもいたってそそっかしい。これはまあどういう生まれつきなんだろうと、ときどき情なくなることがありますが、ほんとにムッツリとそそっかしいんです。いつかも銭湯で帽子をかぶり、股引をはいたまま、あわや湯槽へ入ろうとして評判
永井荷風
一 家尊来青山人世に在せし頃よりいかなる故にや我家にては嘗て松のかざりせし事なし。雑餅乾数ノ子なんぞ正月の仕度とてただ召使ふものゝ為にしつらへ置くのみにて家内の我等はただ形ばかり箸取るなりけり。大正改元の歳雪中に尽きて新春の第二日父失せ給ひければそれよりして我家にはいよ/\新玉の春らしき春といふもの来らずなりぬ。一 われ今世の交全く絶果てし身なり。門扉常に掩
夏目漱石
汽車の窓から怪しい空を覗いていると降り出して来た。それが細かい糠雨なので、雨としてよりはむしろ草木を濡らす淋しい色として自分の眼に映った。三人はこの頃の天気を恐れてみんな護謨合羽を用意していた。けれどもそれがいざ役に立つとなるとけっして嬉しい顔はしなかった。彼らはその日の佗びしさから推して、二日後に来る暗い夜の景色を想像したのである。 「十三日に降ったら大変