失われた半身
豊島与志雄
失われた半身 豊島与志雄 独りでコーヒーをすすっていると、戸川がはいって来て、ちょっと照れたような笑顔をし、おれと向き合って席についた。 「やはり……いつもの通りだね。」 「うむ、習慣みたいなものさ。」 「習慣……、」戸川はなにか途惑ったようで、「然し、一週に一回の習慣というのが、あるかなあ。」 「年に一回のだって、あるからね。正月だとか、盂蘭盆だとか……。
공개저작물 세계 지식 라이브러리
豊島与志雄
失われた半身 豊島与志雄 独りでコーヒーをすすっていると、戸川がはいって来て、ちょっと照れたような笑顔をし、おれと向き合って席についた。 「やはり……いつもの通りだね。」 「うむ、習慣みたいなものさ。」 「習慣……、」戸川はなにか途惑ったようで、「然し、一週に一回の習慣というのが、あるかなあ。」 「年に一回のだって、あるからね。正月だとか、盂蘭盆だとか……。
南方熊楠
五年九号四二頁に宮本君が書いた、周防大島願行寺にむかし住んだ、非常に強記な僧の話は、和漢諸方に古来類話が多い。今ほぼその話を添えられた本人どもの時代の新古に順次して、左のごとく列ね挙げる。 「蜀山人は、(中略)伝えていう、かの人江都小田原町辺の魚肆に因みありて往きかいけるが、一日かの家に往きけるおり、店にありける帳を把って、漫に披閲しけれども、その身に無用の
太宰治
失敗園 太宰治 (わが陋屋には、六坪ほどの庭があるのだ。愚妻は、ここに、秩序も無く何やらかやら一ぱい植えたが、一見するに、すべて失敗の様子である。それら恥ずかしき身なりの植物たちが小声で囁き、私はそれを速記する。その声が、事実、聞えるのである。必ずしも、仏人ルナアル氏の真似でも無いのだ。では。) とうもろこしと、トマト。 「こんなに、丈ばかり大きくなって、私
小栗虫太郎
湯の町Kと、汀から十丁の沖合にある鵯島との間に、半ば朽ちた、粗末な木橋が蜿蜒と架っている。そして、土地ではその橋の名を、詩人青秋氏の称呼が始まりで、嘆きの橋と呼んでいるのだ。 その名はいうまでもなく、鵯島には、兼常龍陽博士が私費を投じた、天女園癩療養所があるので、橋を渡る人達といえば、悉くが憂愁に鎖された、廃疾者かその家族に限られていたからであった。 所が三
豊島与志雄
失策記 豊島与志雄 一 外出間際の来客は、気の置けない懇意な人で、一緒に外を歩きながら話の出来る、そういうのが最もよい。ところが、初対面の、どういう用件か人柄かも分らず、ふだんなら面会を断るかも知れないようなのを、外出間際だからちょっと……という気持で、座敷へ通したりなんかすることがあるから、奇妙だ。 或る時、そういう場合のそういう来客があって、座敷へ行って
牧野信一
一刻も早く家へ帰り度い気持と、それとは反対に、どこかへ行つて見度いといふ気持――がその二つの心にのみ面接してゐたといふ程ではなく、ただその朧ろげな二つの気持を「空漠」とした白さが濡紙のやうにフワリと覆つて、つまり彼はその三つの心を蔵して歩いてゐた。而も彼は家路へは逆に歩いてゐた。――。 (その宵に限つた事ではない。一度外出して、帰路に着かうとする時はいつも同
中島敦
夾竹桃の家の女 中島敦 午後。風がすつかり呼吸を停めた。 薄く空一面を蔽うた雲の下で、空気は水分に飽和して重く淀んでゐる。暑い。全く、どう逃れようもなく暑い。 蒸風呂にはひり過ぎた様なけだるさに、一歩一歩重い足を引摺るやうにして、私は歩いて行く。足が重いのは、一週間ばかり寝付いたデング熱がまだ治り切らないせゐでもある。疲れる。呼吸が詰まるやうだ。 眩暈を感じ
牧野信一
いつも私はひとりで、教室の一番うしろの席について、うつらうつらと窓の外を眺めてゐる文科の学生であつたが、毎時間毎時間そんな風にして居眠りをしたり、屋根を見あげたりしてゐるうちに、恰度私の窓と真向ひにあたる政治部の教室で、やはり私と同じやうにぼんやりとして此方の窓を眺めたり、空を見あげたりしてゐる眼の据つた何処となく鷲を想像させるかのやうな精悍な容貌の学生と顔
正宗白鳥
こんな珍しい話がありますよ。 あるホテルであつたことですがね。ある晩、そのホテルの帳場へ、築地の吉田といふ待合から電話が掛つて、「今夜わたしとこのお客がそちらへ行くから、泊めてくれないか。」といふんです。「何といふ方だ。」ときくと、名前は今いへないといふ返事なので、それぢや困ると、ホテルでは一先づ斷つたのでした。それで、もしも、さういふ變な客が來たら、泊めな
豊島与志雄
奇怪な話 豊島与志雄 私の故郷の村中に、ちょっと無気味な隘路がある。両側は丈余の崖で、崖上には灌木や竹が生い茂り、年経た大木が立並んで空を蔽い、終日陽の光を見ることなく、真昼間でさえ薄暗く、肌寒い空気が湛えている。隘路の地面は妙に湿っぽく、落ち散った木の葉がじめじめとこびりついている。而もこの隘路の中、片方に、深さ丈余の小溝があって、覗きこんでも底はよく見え
葛西善蔵
薪の紅く燃えてゐる大きな爐の主座に胡坐を掻いて、彼は手酌でちび/\盃を甞めてゐた。その傍で細君は、薄暗い吊洋燈と焚火の明りで、何かしら子供等のボロ布片のやうな物をひろげて、針の手を動かしてゐた。そして夫の、今夜はほとんど五合近い酒を飮んでも醉を發しない、暗い、不機嫌な、屈托顏をぬすみ視た。そして時々薪を足して、爐の火を掻き熾した。 外では雪が、音も立てずに降
長谷川伸
世間には思いもよらない変った渡世をするものがある。たとえば幽霊が憑いているのを、その日その日のくらしの種にして、日本中を廻り歩くとか、親不孝の罰はこれこのとおりだと、蛇を首に巻いて日本中どころか、海を渡って儲けて帰ったとか、因果物師の手にかかっている角男、章魚小僧、小あたま、鶏娘、桃太郎、猩々太郎、さては生きている夷三郎――人力車に乗って絵端書を売って歩く―
野村胡堂
何年目かで開かれた、それは本当に久し振りの「奇談クラブ」でした。会長の吉井明子嬢は三十近い吉井明子夫人になって、たけく美しく、世にもめでたい令夫人になりましたが、限りなくロマンスを追う情熱は、少しも吉井明子嬢の昔に変りは無く、幹事の今八郎を督励して、吉井合名会社の会議室に、昔の会員達を集めたのです。 今八郎が半白の中老人になったように、若くて華やかだった会員
野村胡堂
奇談クラブの席上、その晩の話し手天野久左衛門は、こんな調子で始めました。 「これは実に今日の常識や道徳から見れば不可思議極まる事件だが、芸術至上主義に対する、一つの反逆でもあると思います。筋にはなんの誇張もなく、全く切れば血の出るような本当の話ですが、この話の中から、興味以上のものを汲みとって下されば、私の満足はこの上もありません」 そういい乍ら、天野久左衛
野村胡堂
「この物語の不思議さは、常人の想像を絶しますが、決して出たらめな作り話ではありません。この広い世の中には、アラビアンナイトや剪灯新話にも劣らぬ怪奇な事件があり得るということを明らかにし、その中に潜む道徳を批判して頂くために、いろいろの差し障りを忍んでこの事件の真相を発表することになったのであります」 奇談クラブの席上、真珠色の間接光線のあふれる中で、ピアニス
野村胡堂
それは四回目の奇談クラブの席上でした。 その日の話し手桜井作楽は、近頃では珍らしい和服姿――しかも十徳を着て頤を生やした、異様な風体で、いとも悠揚と演壇に起ったのです。 真珠色の光の中に、二十四人の会員と、その半数ほどの臨時会員は、美しき会長吉井明子夫人を中心に、期待に張り切って、この一風変った話し手を見詰めて居ります。 「さて皆様、私の話は、自由自在に歓楽
野村胡堂
小説家大磯虎之助は、奇談クラブのその夜の話し手として、静かに壇上に起ちました。 まだ三十を幾つも越していない筈ですが、一と頃人気の波に乗って、文壇の一角から、その同志達に号令をかけていただけに、なんとなく老成した感じの、やや旧式な美成年でした。 「これは私の友人の経験した話で、決して大衆小説の筋のように、奇っ怪なものではありませんが、この少しばかりロマンティ
野村胡堂
「皆様、丁度十五年目でこの奇談クラブの会合を開きました。世の中も変りましたが御同様私共もすっかり年を取ってしまいました」 幹事の今八郎はそう言って見事に禿げた頭をツルリと撫で乍ら続けました。 「長い長い間、私共は自由に会合して面白い話を交わすことさえ遠慮しなければなりませんでしたが、今では最早そのような気兼も苦労もなく、存分に考え、存分に働き、そして存分に楽
野村胡堂
奇談クラブその夜の話し手は、彫刻家の和久井献作でした。この人は日本の木彫に一新生面を開いた人ですが、旧い彫刻家達の持っている技巧を征服した上、一時はシュールレアリズムの運動にまで突き進み、一作毎にジャーナリズムの問題を捲き起して居ります。 「私のお話は、まことに他愛のないことですが、若い頃聴いた話を綴り合せて、仏像に恋をした話を纏め上げて見たいと思います。仏
野村胡堂
話し手の望月辛吉は、有名なジレッタントで、レコードの蒐集家の一人として知られた男でした。叔父の経営している会社の平社員で――望みさえすれば、専務にも支配人にもなれる七光りの背景を持っているのですが、望月辛吉に取っては下手な詩を作って、好きなレコードを集めて、外国の探偵小説を読んで、マドロス・パイプを磨いて、出世もしない代り、首にもならない今の地位が、譬えよう
野村胡堂
その夜の話し手遠藤盛近は、山羊の萎びた中老人で、羊羹色になった背広の、カフスから飛出すシャツを気にし乍ら、老眼鏡の玉を五分間に一度位ずつの割りで拭き拭き、見掛けに依らぬ良いバリトンで、こう話し始めました。 「私の話はさしたる奇談ではありませんが、旧式の道徳観からすれば少しく途方も無いのです。旧い秩序と常識を尊ぶ方々からは、甚だ喜ばれないかも知れず、これだけの
野村胡堂
「これは低俗な義理人情や、歪められた忠義を鼓吹した時代には発表の出来なかった話で、長い間私の材料袋に秘められて居りましたが、今となっては最早憚り恐るる節もなく、この物語を発表したからと言って、私を不忠者不義者扱いにする、頭の固い便乗者も無くなってしまったことでしょう。私は思い切ってこの秘話を発表いたしますが、たった一つ、殿様の本当の名前だけは隠さして頂きたい
野村胡堂
「あらゆる偶然は可能だ、と笠森仙太郎は信じておりました。この広い宇宙の中で、大海の粟粒よりもはかない存在に過ぎない我々の地球が、他のもう一つの気紛れな粟粒なる彗星と衝突することだってあり得るだろうし、世界の人間が全部、一ぺんに気が違うことだって、あり得ないと断ずることはできない。プロバビリティの算出によれば、我々――いや私のような平凡人でも、随分運の廻り合せ
野村胡堂
「徳川時代の大名生活のただれ切った馬鹿馬鹿しさは話しても話しても話し切れませんが、私にもその一つ、取って置きの面白い話があるのです」 話し手の宇佐美金太郎は、こんな調子で始めました。飴の中から飛出したような愉快な江戸っ子で、大柄の縞の背広は着ておりますが、その上から白木綿の三尺を締めて、背広に弥蔵でもこさえたい人柄です。 「私の話は、大名が乞食になった話で、