スペインの女
中野鈴子
軍服をつけ 銃を肩に 立ち上がったこの姿を見よ 沈着と決意に動かぬ この勢揃いを見よ 彼女らの全身の血の集中! すべてを明日に 未来にかけ 今日 立ちふさぐ我ら日本の女 我らの目はあつく燃える 正義と愛と憎しみとに波打つ その立派なたくましい 彼女らの整列の上に ●図書カード
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中野鈴子
軍服をつけ 銃を肩に 立ち上がったこの姿を見よ 沈着と決意に動かぬ この勢揃いを見よ 彼女らの全身の血の集中! すべてを明日に 未来にかけ 今日 立ちふさぐ我ら日本の女 我らの目はあつく燃える 正義と愛と憎しみとに波打つ その立派なたくましい 彼女らの整列の上に ●図書カード
坂口安吾
私は人の顔をジロリと見る悪い癖があるのだそうだ。三十三の年にさる女の人にそう言われるまで自分では気づかなかったが、人の心をいっぺんに見抜くような薄気味わるさで、下品だという話だ。それ以来、変に意識するようになり、あゝ、又やったか、そう思う。なるほど、我ながら、変に卑しい感じがする。魂の貧困というようなものだ。男にはメッタにやらぬ。自分では媚びるような気持のと
坂口安吾
フシギな女 坂口安吾 文字と画はこうも違うものかね。ヤブニラミ、オカメ、無愛想、唇厚く、ニキビ面などと目撃者の表現が散々だから(築地の中華料亭四人殺害事件の犯人)この事件を漫画にとり入れた人々も大そうな不美人をかいていましたね。 ところが、モンタージュ写真を見ると、凄味のある不美人ではなくて、農村でタクサン見かけることができそうな、あたり前の顔だ。女中の顔の
中原中也
女 吸取紙を早くかせ 恵まれぬものが何処にある? マッチの軸を小さく折つた 女 自分は道草かしら 女は摘草といふも勿体ないといつた 俺は女の目的を知らないのださうだ 原因なしの涙なんか出さないと自称する女から言はれた 飛行機の分裂 目的が山の端をとぶ 縫物 秘密がどんなに織り込まれたかしら 女は鋏を畳の上に出したまゝ 出て行つた 自分に理窟をつけずに 只管英
宮本百合子
「女らしさ」とは 宮本百合子 私たち婦人が「女らしい」とか「女らしくない」とかいう言葉で居心地わるい思いをしなくなるのはいつのことだろう。 日本の社会も、袂で顔をかくして笑うのを女らしさといったり、大事な返事をしなければならないときに口もきけなくて畳をむしるのが娘らしいという考えかたからは、ぬけて来た。しかし、何かにつけて思い出したように「女らしさ」が登場し
岸田国士
「女らしさ」について 岸田國士 私はかういふ問題について特に興味をもつてゐるわけではないが、今時かういふ問題が婦人公論のやうな雑誌でとりあげられるといふ事実に多少時代的な意義を見出すのである。 大体「女」といふ言葉は、古来、複雑微妙な語感をもち、時と場合で、その響き方がいろいろに変るのであるが、この「女らしさ」にしても、なにかさういふ捕捉しがたい模糊とした感
宮本百合子
「女の一生」と志賀暁子の場合 宮本百合子 先だっての新聞は元新興キネマの女優であった志賀暁子が嬰児遺棄致死の事件で、公判に附せられ、検事は実刑二年を求刑した記事で賑わいました。出廷する暁子として、写真も大きく載せられ、裁判所は此一人の女優の生涯に起った悲しい出来事の公判のために、傍聴券を出しました。検事の論告は暁子が母性を失っている、母たる資格を持たぬ女であ
岸田国士
女七歳 岸田國士 彼は彼女を愛してゐるやうに見えた。 彼女は彼を愛しかけた。 彼は彼女を得た。 S子が生れた。 彼は彼女から遠ざかつた。 彼女は待つた。 彼は帰らなかつた。 五度目の春が来た。 彼女の父が死んだ。 ――おぢいちやま……おんぶ。 S子はよく夢を見た。 S子は彼女に手を曳かれておぢいちやまのお墓なるものに参つた。 彼女の兄が長い長い旅から帰つて来
羽仁もと子
第一には容易に腹を立てないこと、第二には他人をうらやまないこと、第三には時とものとをむだにしないように働くこと。この三ヵ条を忘れなければ、誰でもかならず福々しい身の上になることができます。 人は一生食べるだけのものを持って生まれているのだともいい、ものを粗末にする人は、年とってから乏しい目をするともいいます。そんなことはあるまいと思う人もあるようですが、よく
岸田国士
女九歳 岸田國士 Y子はK病院で扁桃腺の手術をすることになつた。 Y子は九歳で、春夏秋冬、風邪をひいた。 Y子は母親と、K子叔母ちやまと、女中とに連れられて家を出た。 Y子はその日、平生よりもはしやいでゐた。そして、時々、溜息を吐いた。 裸にされ、手術室にはひると、そばに母親も、K子叔母ちやまも、女中もゐなかつた。 Y子は、一寸泣きたさうな顔をしたが、やがて
太宰治
女人創造 太宰治 男と女は、ちがうものである。あたりまえではないか、と失笑し給うかも知れぬが、それでいながら、くるしくなると、わが身を女に置きかえて、さまざまの女のひとの心を推察してみたりしているのだから、あまり笑えまい。男と女はちがうものである。それこそ、馬と火鉢ほど、ちがう。思いにふける人たちは、これに気がつくこと、甚だおそい。私も、このごろ、気がついた
豊島与志雄
女人禁制 豊島与志雄 女人といっても、老幼美醜、さまざまであるが、とにかく、女性として関心のもてる程度の、年配と容貌とをそなえてる方々のことなのであって――。 一 汽車の寝台ではよく眠れないという人が、ずいぶんあるようだが、私はそれが腑におちない。充分に手足をのばせない憾みはあっても、縮こまっていた方がよくねつかれる道理で、しいて眠ろうとする時に人は大抵、布
太宰治
女人訓戒 太宰治 辰野隆先生の「仏蘭西文学の話」という本の中に次のような興味深い文章がある。 「千八百八十四年と云うのであるから、そんな古い事ではない。オオヴェルニュのクレエルモン・フェラン市にシブレエ博士と呼ぶ眼科の名医が居た。彼は独創的な研究によって人間の眼は獣類の眼と入れ替える事が容易で、且つ獣類の中でも豚の眼と兎の眼が最も人間の眼に近似している事を実
田中貢太郎
女仙 田中貢太郎 市ヶ谷の自証院の惣墓の中に、西応従徳と云う法名を彫った墓がある。それは西応房と云う道心坊主の墓で、墓の主の西応房は、素養などはすこしもなかったが、殊勝な念仏行者で、生涯人の悪を云わず、他人の罪を被せられても弁解せず、それで咎められる事でもあるとあやまり入り、それが後になって明白になっても、別に喜びもしないで、そうであったかなあと云ってすまし
坂口安吾
岡本は谷村夫妻の絵の先生であつた。元々素行のをさまらぬ人ではあつたが、年と共に放埒はつのる一方で、五十をすぎて狂態であつた。 谷村夫妻の結婚後、岡本は名声も衰へ生活的に谷村にたよることも多かつたので、金銭のこと、隠した女のこと、子供のこと、それまでは知らなかつたり、横から眺めてゐたにすぎないことを、内部に深く厭でも立入らねばならなかつた。 岡本は己れの生活苦
岡本綺堂
女侠伝 岡本綺堂 一 I君は語る。 秋の雨のそぼ降る日である。わたしはK君と、シナの杭州、かの西湖のほとりの楼外楼という飯館で、シナのひる飯を食い、シナの酒を飲んだ。のちに芥川龍之介氏の「支那游記」をよむと、同氏もここに画舫をつないで、槐の梧桐の下で西湖の水をながめながら、同じ飯館の老酒をすすり、生姜煮の鯉を食ったとしるされている。芥川氏の来たのは晩春の候で
牧野信一
文科大学生の戸田の神経衰弱症が日増に亢進してゐる模様だつたので、私は彼を百合子に紹介した。百合子は女子大に通つてゐたのだつたが、彼女の都会生活の風聞に関して、実家の人達が極度の寒心を覚えて反対するところから、通学を断念してゐた。そして、仏語の家庭教師を欲しがつてゐた。 あの閑静な田舎で、百合子の語学研究の相手でもしながら田園生活に親しんだら、間もなく戸田の病
田中貢太郎
明治二年七月八日発行の明治新聞と云うのに、浜田藩の淀藤十郎と云うのが、古著屋からであろう、蚊帳を買って来て、それを釣って寝たところで、その夜の半夜頃、枕頭へ女の姿があらわれた。それは白地に覇王樹のような型を置いた浴衣を著て、手に団扇を持っていた。淀は気のせいだろうと思ってそのままにしていたところで、その翌晩もまたその翌晩もやはり女の姿があらわれるので、友人に
坂口安吾
石毛存八は刑務所をでると、鍋釜バケツからタオル歯ブラシに至るまで世帯道具一式を買ってナンキン袋につめこんだ。物事はハジメがカンジンだ。その心になったら、まず何よりもそれにとりかかることがカンジンだ。小さいながらも世帯を持ちたいと思ったら、まず鍋釜を買っちまうのだ。そして鍋釜にかけても世帯を持たねばならぬと盲メッポウ一路バクシンの執念をもつことだ。これが存八の
坂口安吾
女占師の前にて 坂口安吾 これは素朴な童話のつもりで読んでいただいても乃至は趣向 の足りない落語のつもりで読んでいただいてもかまひません 私はあるとき牧野信一の家で長谷川といふ指紋の占を業とする人に私の指紋を見せたことがありました。私は彼のもとめに応じて私の左右の掌を交互に彼の面前に差出したまででありますが、君のもともとめられた牧野信一は神経的に眉を寄せ、い
福沢諭吉
女大学評論 福沢諭吉 一 夫女子は成長して他人の家へ行き舅姑に仕ふるものなれば、男子よりも親の教緩にすべからず。父母寵愛して恣に育ぬれば、夫の家に行て心ず気随にて夫に疏れ、又は舅の誨へ正ければ堪がたく思ひ舅を恨誹り、中悪敷成て終には追出され恥をさらす。女子の父母、我訓なきことを謂ずして舅夫の悪きことのみ思ふは誤なり。是皆女子の親の教なきゆゑなり。 成長して他
田中貢太郎
明治三十年比のことであったらしい。東京の本郷三丁目あたりに長く空いている家があったのを、美術学校の生徒が三人で借りて、二階を画室にし下を寝室にしていた。 夏の夜のことであった。その晩はそのあたりに縁日があるので、夕飯がすむと二人の者は散歩に往こうと云いだしたが、一人は従わなかった。 「杖頭もないのに厭なこった」 「まあ、そんなことを云わずに往こうじゃないか、
佐々木邦
清之介君の結婚式は二ヵ月かゝったというので未だに一つ話になっている。新夫婦は式後愛情真に濃かに、一ヵ月と二十何日というもの絶対に引き籠っていた。余り念が入った所為か、清之介君はその揚句初めて出勤する時、ネクタイの結び方を忘れてしまった。こんな筈はなかったのにと、白シャツ一枚で頻に我と我が喉の縊り方を研究している中に悪寒を覚えて、用心の為め又三四日休んだ。元来
鈴木三重吉
女の子 鈴木三重吉 自分が毎日物を書く一と間の前には、老い耄けたやうな、がた/″\の黒板塀が限られてゐる。左の建物の壁の根に、三つ股になつた、ひよろ/\の低い無花果の木が、上の方に僅かの小さい若芽を附けて、置き忘れられたやうに乏しく踞まつてゐる外には、何の植つてゐるものもない。 いかにも裏町らしい、黒ずんだ土の上には、板塀の下から潜り出たどくだみの四五本が、