女記者の役割
野村胡堂
「オヤお揃いだネ」 カフェー人魚の闥を押して、寒い風と一緒に飛込んで来たのは、関東新報記者の早坂勇――綽名を足の勇――という、筆より足の達者な男でした。 「早坂君かい、どうだい景気は」 声を掛けたのは、高城鉄也という、東京新報の花形記者で、足の勇とは商売敵に当るのですが、敵愾心よりは友情の方をどっさり持って居ようという、優秀な感じのする若い男でした。 「ボー
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野村胡堂
「オヤお揃いだネ」 カフェー人魚の闥を押して、寒い風と一緒に飛込んで来たのは、関東新報記者の早坂勇――綽名を足の勇――という、筆より足の達者な男でした。 「早坂君かい、どうだい景気は」 声を掛けたのは、高城鉄也という、東京新報の花形記者で、足の勇とは商売敵に当るのですが、敵愾心よりは友情の方をどっさり持って居ようという、優秀な感じのする若い男でした。 「ボー
上村松園
女の話・花の話 上村松園 ○ 責任のある画債を少しずつ果していっておりますが、なかなか埓があきません。それに五月一日からの京都市主催の綜合展の出品画――長いこと帝展をやすんでおりますから、その埋め合せと申すのでもありませんが、今度は何か描いてみようと思い立ちまして、二尺八寸幅の横物に、明治十二、三年から四、五年どこの、女風俗を画いております。 あの頃のことは
田中貢太郎
館林の城下では女賊の噂で持ち切っていた。それはどこからともなしに城下へ来た妖婦であった。色深い美しい顔をした女で、捕えようとすると傍にある壁のはめ板へぴったり引附いてそのまま姿を消すのであった。土地の人は何人云うとなしにそれを板女と云っていた。 「昨夜裏の方で犬が啼くから、出て往って見ると、ちらと人影が見えたが、板女かも判らない」 「某家の主人が、夜遅く帰っ
林芙美子
「リラ」の女達 林芙美子 1 もう、いゝかげん退屈しきつて、女達は雀をどりの唄をうたつてゐた。――その雀をどりの唄は、じいつと聞いてゐると、女達自身の心境を語つてゐるやうで、外の雪のけはいと一緒に、何か妙に譚めいて聞えた。 料理店リラの前の赤い自動電話の屋根の上には、もう松茸のやうに雪が深くかぶさつて淡い箱の中の光りは、一寸遠くから見ると古風な洋灯のやうにも
宮本百合子
お女郎蜘蛛 宮本百合子 若い娘の命をとる事もまっしろな張のある体をめちゃめちゃにする事でも平気なかおでやってのける力をもった刀でさえ錦の袋に入った大店の御娘子と云うなよやかな袋に包まれて末喜の様な心もその厚い地布のかげにはひそんで何十年の昔から死に変り生きかわりした美くしい男女の夢から生れた様なあでやかさばかりを輝かせて育った娘の名はお龍と云う。十五六の頃か
国木田独歩
女難 国木田独歩 一 今より四年前のことである、(とある男が話しだした)自分は何かの用事で銀座を歩いていると、ある四辻の隅に一人の男が尺八を吹いているのを見た。七八人の人がその前に立っているので、自分もふと足を止めて聴く人の仲間に加わった。 ころは春五月の末で、日は西に傾いて西側の家並みの影が東側の家の礎から二三尺も上に這い上っていた。それで尺八を吹く男の腰
西東三鬼
人間五十年以上も生きていると、誰でも私の経験したような、奇々怪不可思議な出来事に一度や二度はあうものであろうか。恥を語らねば筋が通らない。話は私の朝帰りから始まる。 およそ朝帰りなるもの、こんないやな気持のものはない。良心の苛責といつてしまえばそれまでだが、もつと肉体的な、たとえばズボンのうしろに自分だけが尻尾をぶらさげて歩いているような、みじめな気持である
宮本百合子
女靴の跡 宮本百合子 白いところに黒い大きい字でヴェルダンと書いたステーションへ降りた。あたりは実に森閑としていて、晩い秋のおだやかな小春日和のぬくもりが四辺の沈黙と白いステーションの建物とをつつんでいる。 ステーション前のホテルのなかも物音がなくてカーテンのかげに喪服の婦人の姿があるばかりである。 人通りというものも殆どない。明るい廃墟の市の午後の街上を疾
三田村鳶魚
常憲院實紀を見ると、寶永元年八月の處に女順禮多く打むれ市街を徘徊し、かつ念佛講と稱し、緇素打まじはり、夜中人多く挑燈をかゞけ往來するよし聞ゆ、いとひがことなり、今より後停禁たるべし。といふ禁令がある。更に寶永七年八月の禁令は同文で、『頃日また婦女順禮やまずと聞ゆ、もし此後徘徊せば、町奉行屬吏を巡行せしめ、きびしく沙汰あるべし』と附加してある。女巡禮の禁制は容
南方熊楠
元祿三年版枝珊瑚珠は江戸咄の元祖鹿野武左衞門を初め浮世繪師石川流宣等の噺を集めた物。其卷三に百姓ほめ言葉を出す。曰く「錢とぞ契る御契錢(傾城)百姓の身にし有ば、たよふ格子の詰開き、其と斗りもきせちなし、まつた讃茶のやかばねの、てるばちない二階にて、丁子圓をくやらかし、わんぼうに香を留て、いしくも有ぬいき張合ひ、局の君がおと骨の、えこせぬくぜつもかしがまし、一
上村松園
女の顔 上村松園 顔の時代変遷 美人絵の顔も時代に依って変遷しますようで、昔の美人は何だか顔の道具が総体伸びやかで少し間の抜けたところもあるようです。先ず歌麿以前はお多福豆のような顔でしたが、それからは細面のマスクになって居ります。然しいずれの世を通じましても、この瓜実というのが一番美人だろうと思います。 顔の中心 美人画の顔で一番何処を力を入れて描くかと申
黒田清輝
その時代によつて多少の相異はあるがクラシツクの方では正しい形を美の標準としてゐる。然し私には、このクラシツクの方でいふ正しい形は、どうも厳格すぎるやうな感じがする。 即ちこれを日本人に応用すると混血児になつてしまふ。嫌ひといふではないが絵にするには少し申分がある。眼のパツチリした、鼻の高い、所謂世間で云ふ美人は、どうも固すぎると思ふ。 と云つて又、口元に大変
太宰治
女類 太宰治 僕(二十六歳)は、女をひとり、殺した事があるんです。実にあっけなく、殺してしまいました。 終戦直後の事でした。僕は、敗戦の前には徴用で、伊豆の大島にやられていまして、毎日毎日、実にイヤな穴掘工事を言いつけられ、もともとこんな痩せ細ったからだなので、いやもう、いまにも死にそうな気持ちになったほどの苦労をしました。終戦になって、何が何やら、ただへと
田中貢太郎
新吉は公園の活動写真館の前を歩きながら、今のさき点いたばかりの白昼のような電燈の光に浮き出て見える群集の顔をじろじろ見ていたが、思い出したようにその眼を活動写真館の看板絵にやった。しかし、それは色彩の濃い絵を見るためではなかった。彼はまたむこうの方へ真直にずんずんと歩きだした。しかし、それに目的があるためでもなかった。 新吉はまた元のように擦れ違う人の顔をじ
小川未明
ある空の赤い、晩方のことであります。 海の方から、若い女が、かごの中にたくさんのたいを入れて、てんびん棒でかついで村の中へはいってきました。 「たいは、いりませんか。たいを買ってください。」と、若い女はいって歩きました。 この村に、一軒の金持ちが住んでいました。その家はすぎの木や、葉の色の黒ずんだ、かしの木などで取り囲まれていました。そして、その広い屋敷の周
豊島与志雄
好人物 豊島与志雄 一、高木恒夫の告白 人生には、おかしなことがあるものだ。三千子は僕に対して、腹を立ててるようだが、それもおかしい。僕は彼女の意に逆らったことは一度もなく、すべて彼女の言いなり次第になっているのに、彼女一人でなにか苛ら立って、僕を怒らせようと仕向け、それでも僕が一向に怒らないものだから、ますます焦れてくるといった風である。見ていると、滑稽で
佐々木邦
「安子や、一寸見ておくれ」 と千吉君は家へ帰って和服に着替えると直ぐに細君を呼んだ。出入り送り迎えは欠かさないが、着替えの手伝いまでしてくれる時代はもう疾うに過ぎ去っている。結婚して六七年になれば細君も良人を理解する。この人ならこれぐらいで沢山と略見当がついて、待遇が自ら定って来る。但し粗末にするという意味では決してない。自分の都合の好い折丈け勤めて置く。気
成島柳北
古物ヲ玩ブコトハ、古キ世ヨリ今ニ至ルマデ、連綿トシテ絶タルコト無シ。人々ニシテ其ノ好ム所ハ異ナレドモ、書画鼎鐺偶像貨幣ノ類、其ノ質ノ金石木磁絹紙タルヲ問ハズ、古物ホド面白キモノハ有ラジ。サレド之ヲ愛玩スルニ就テ、論ズ可キコト亦鮮ナカラズ。今余ガ思フマヽヲ書キ綴リテ、世ノ好古家ニ質サントス。定メテ其ノ心ニ逆カフコトモ有ランナレド、ソハ余ガ一家言トシテ宥シ給ヒネ
織田作之助
好奇心 織田作之助 殺された娘、美人、すくなくとも新聞の上では。それが宮枝には心外だ。宮枝はその娘を知っている。醜い娘、おかめという綽名だ。 あたしの方がきれいだ。あたしの方が口が小さい。おかめなんていわれたことはない。宮枝の綽名はお化け。あんまり酷だから、聴える所では誰も言わなかった。お化け、誰のことかしら。声だけは宮枝も女だった。 誰でも死ぬ。クレオパト
金森徳次郎
最近はほとんど映画を見てないんで、好きな女優といわれても困るね。若い人たちと違って映画を見る場合も、それに出てくる俳優よりも、やはりその映画全体のよしあしが目につくものだから、いまだに俳優の名前もほとんど知らないくらいなんだよ。 まあ面と向かって話をしたり、握手をしたりすればまた別だがねなかなか図書館を訪ねてくれる女優さんもないからねえ。 そうね、最近見たも
折口信夫
鴎外と逍遙と、どちらが嗜きで、どちらが嫌ひだ。かうした質問なら、わりに答へ易いのです。でも、稍老境を見かけた私どもの現在では、どちらのよい處も、嗜きになりきれない處も、見え過ぎて來ました。それでやつぱり、かうした簡單な討論の方へ加はれさうもありません。だからまして、廣く大海を探つて一粟をつまみあげろと言つた難題には、二の脚を踏まずには居られません。さあだれが
豊島与志雄
好意 豊島与志雄 河野が八百円の金を無理算段して、吉岡の所へ返しに来たのは、何も、吉岡の死期が迫ってると信じて、今のうちに返済しておかなければ………とそういうつもりではないらしかった。河野の細君にはそういう気持が多少働いてたかも知れないが、河野自身には少しもそんなことはなかったらしい。後で河野は私へ向って云った。 「八百円の金を拵えるのに貧乏な僕は、ひどい無
牧野信一
わたしは昨今横須賀に住んでゐるので、映画などを見たいときは湘南電車で、横浜へ出かけるのであつた。ながい間の酒の習慣を、止むなく禁じなければならない健康状態から、恰度この一年ばかりの間、あちこちの田舎に移り住んで、夕暮時のてれ臭さとたゝかひつゞけてゐたわけだつたが、さう軍艦や飛行機ばかりにうつゝを抜かしても居られず、そんな健康的な軍港に移つても、灯のつく時刻に
牧野信一
回想 父の十三回忌が一昨年と思はれ、たしかその歿後の翌年と回想される故指折れば早くも十星霜にあまる時が経ちしなり、故葛西善蔵氏が切りと余に力作をすゝめ、稿終るや氏は未読のまゝに故滝田哲太郎氏へおくられたるなり。その稿が幸ひにも大いに滝田氏の賞揚するところとなり、次々の作を滝田氏より多くの鞭韃を享けつゝ発表の期を得たるなり。最初の作「父の百ヶ日前後」また次の「