宇宙の二大星流
寺田寅彦
我邦のような湿気の多い土地では、空が本当によく晴れ切って天の河原の砂も拾えそうな夜は年中でわずかしかない。先ず十二月から正月へかけて二ヶ月くらいなものであろう。天文学者はこの機を利用して観測に耽り、詩人宗教家はこの間に星月夜の美観を唱い造化の偉大を頌える事が出来る。それで時節柄天体の運動に関する最新の大発見をちょっとここで読者に御紹介しておきたい。 小学校や
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寺田寅彦
我邦のような湿気の多い土地では、空が本当によく晴れ切って天の河原の砂も拾えそうな夜は年中でわずかしかない。先ず十二月から正月へかけて二ヶ月くらいなものであろう。天文学者はこの機を利用して観測に耽り、詩人宗教家はこの間に星月夜の美観を唱い造化の偉大を頌える事が出来る。それで時節柄天体の運動に関する最新の大発見をちょっとここで読者に御紹介しておきたい。 小学校や
海野十三
宇宙尖兵 海野十三 作者より読者へ うれしい皇軍の赫々たる大戦果により、なんだかちかごろこの地球というものが急に狭くなって、鼻が悶えるようでいけない。これは作者だけの感じではあるまい。そこで、もっと広々としたところを見出して、思う存分羽根を伸してみたくなって、作者はここに本篇「宇宙尖兵」を書くことに決めた。 書き出してみると、宇宙はなるほど宏大であって、実は
中谷宇吉郎
宇宙旅行の夢くらい、素晴らしくて、又罪のない夢はない。そういう夢に、いよいよ実現の可能性が出てきたのならば、これは戦争の悪夢にうなされているわれわれには、何よりの清涼剤になるであろう。アメリカの海軍が、時速五千八百マイルのロケットを註文したことは、この可能性を実証するものだが、まず人工衛星をつくることが、宇宙旅行の第一歩である。これさえ出来れば、それを足場に
海野十三
宇宙の迷子 海野十三 ゆかいな時代 このゆかいな探険は、千九百七十何年だかにはじめられた。いいですか。 探険家はだれかというと、川上一郎君、すなわちポコちゃんと、山ノ井万造君、すなわち千ちゃんと、この二人の少年だった。 川上君は、顔がまるく、ほっぺたがゴムまりのようにふくらみ、目がとてもちいさくて、鼻がとびだしているので、まめタヌキのように、とてもあいきょう
田中貢太郎
牡丹の花の咲いたような王朝時代が衰えて、武家朝時代が顕れようとしている比のことでありました。土佐の国の浦戸と云う処に宇賀長者と云う長者がありました。浦戸は土佐日記などにも見えている古い土地で、その当時は今の浦戸港の入江が奥深く入り込んで、高知市の東になった五台山と呼んでいる大島や、田辺島、葛島、比島など云う村村の丘陵が波の上に浮んでいた。長岡郡の国府に在任し
寺田寅彦
宇都野さんの歌 寺田寅彦 ある一人の歌人の歌を、つづけて二、三十も読んでいると、自然にその作者の顔が浮んで来る。しかし作者によってその顔が非常にはっきり出て来るのと、そうでないのとがある。云わば作者の影の濃いと薄いとがある。 作者の本当の顔を知っている場合には、歌によって呼び出される作者の心像の顔は無論ちゃんと始めから与えられたものである。それにもかかわらず
佐藤春夫
二十一日午後十一時ごろ、すでに床について、まさに眠りが訪れようとしていたわたくしは二つの新聞社から起こされて、宇野君の訃に驚かされた。君が一年ばかり前から病臥していたことはもとより知っていた。しかし、元来ねばり強く壮健な体質で、時々病臥しながらすぐ元気になる君を知っていたから、その再起は疑わなかった。そうして病床を訪うこともないうちに君を失ったのは、はなはだ
豊島与志雄
守宮 豊島与志雄 私の二階の書斎は、二方硝子戸になっているが、その硝子戸の或る場所に、夜になると、一匹の守宮が出て来る。それが丁度、私の真正面に当る。硝子戸から二尺ばかり距てて机が据えてあり、机の上に電気スタンドが置かれているので、夜の光をしたしんで飛んでくる虫は、大抵、真正面の硝子戸に集り、その虫を捕獲に来る守宮も、随って、真正面のところに姿を現わすことに
中谷宇吉郎
先日安倍(能成)さんが見えていたと思ったら、もう今日屆いた『心』の五月號に、安倍さんを圍んでの皆さんの座談會の記事が載っていた。アメリカと日本との距離も、ずいぶん近くなったものである。 安倍さんは、非常に元氣で、方々アメリカを見て歸られたから、御土産話がたくさんあることと思うが、その中に決して出て來ない話を一つ紹介しよう。というのは、安倍さん自身が御存じのな
坂口安吾
安吾下田外史 坂口安吾 ハリスが通訳ヒュースケンを従え米国総領事の資格で下田に上陸したのは一八五六年九月三日(日本暦では八月五日)のことだ。なぜ下田に上陸したかというと、前にペルリが日本と薪炭条約を結んだ際、もしも後日両国合意の上領事を置くような場合には下田におくという取りきめがあったからである。 下田と江戸の陸上交通は山また山で非常に不便であるが、その不便
坂口安吾
まえがき 仕事の用で旅にでることが多いので、その期間の新聞を読み損うことが少くない。旅から戻ってきて、たまった古新聞を一々見る気持にもならないので、いろいろの重大ニュースを知らずに過していることがある。 そんな次第で、オール読物の編輯部からきた三ツの手記のうち、二ツの出来事はちょうど私が旅行中で、知らなかったものである。もっとも、一ツはラジオの社会の窓だそう
坂口安吾
男子は慰藉料をもらえないという話 婚姻予約不履行による慰藉料損害賠償請求事件の訴状 中央区京橋八丁堀、吉野広吉方でクリーニング業に従っていた原告、羽山留吉は、昭和二十三年六月八日新堀仲之助氏の口ききで被告中山しづと見合の上新堀、吉野両氏夫婦の媒酌で、同年八月十九日三越本店式場で結婚式をあげ事実上の婚姻予約をなした。 しづの姉婿、加藤律治氏は杉並でクリーニング
坂口安吾
妻を忘れた夫の話 山口静江(廿四歳) 『これが僕のワイフか? 違うなア』行方不明になって以来三ヶ月ぶりでやっと三鷹町井ノ頭病院の一室に尋ねあてた夫は取り縋ろうとする私をはね返すように冷く見据えて言い切るのでした。いくら記憶喪失中の気の毒な夫の言葉とはいえ余りの悲しさに、無心に笑っている生後五ヶ月の長女千恵子を抱いて思わずワッと泣き伏してしまいました。思い起
坂口安吾
人形をだく婦人の話 高木貴与子(卅四歳) 女礼チャン(六ツ)の事でございますか、動機と申しましても、さあ他人はよく最愛の子供を亡くしたとか、失恋して愛情の倚りどころを人形に托したと御想像になりますが、これといって特別な訳があるのではございません。丁度終戦直後、人形界の権威といわれる有坂東太郎先生について人形つくりを始めてから半年程してお嬢さんを亡くした知り
坂口安吾
悪人ジャーナリズムの話 平林たい子 おどろいた。胸を打たれてまとまった感想も浮かんで来ない。かぞえてみると私達は廿五、六年来の友人だが、めったにあわなかった。最近、婦人公論の集りで久しぶりに一緒になり、興奮して大いに語った。彼女は心臓の不安を訴えた。フランスにも行きたいが、この体では行かれないと言った。それから私に、フランスへ一緒に行こうとしきりにさそった。
坂口安吾
奈汝何 節山居士 抑々男女室に居るは人の大倫であり、鰥寡孤独は四海の窮民である。天下に窮民なく、人々家庭の楽あるは太平の恵沢である。家に良妻ある程幸福はない。私の前妻節子は佐原伊能氏の娘で、実に貞淑であり、私の成功は一にその内助に依り、その上二男三女を設けて立派に嫁婚を了えた。憾むらくは金婚式を拳ぐるに至らず、私の為に末期の水を取ると臨終の際まで言いつゞけ
坂口安吾
華頂博信氏手記 私どもの離婚は決して夫婦喧嘩ではありません。私は廿五年間命をかけて妻を愛していました。それだけに離婚の決意は、七月十八日夜自宅のクローク・ルームで戸田氏と華子との姿を発見して以来の妻の思想と言動に就いて冷静な判断を下した上でなされたものです。妻はこの事件に対して少しも悔悟して居りません。 否、寧ろ今後も婦人衛生会の仕事に名を借りて戸田氏との接
坂口安吾
不見転観相学 桜井大路 この写真(次頁の)から観た処では、額、眉、耳と何れにも非常に強く反家庭的な相が感じられる。特に顔全体の大きな特徴を成している鼻によくない相がある。この種の鼻を持つ人は、金を稼ぎ出す力は持っていても、常に散じてしまう人である。又、大変に短気であり、若くして家を捨ててしまう生え際をしている。 尚、一番強く出ているのは常識的な人間ではない
坂口安吾
天草四郎という美少年は実在した人物には相違ないが、確実な史料から彼の人物を知ることはほとんどできない。 天草島原の乱のテンマツ自体が、パジェスの記事や、海上から原城を砲撃したオランダの船長の書いたものなどで日本の史料を補っているような有様であるが、史料の筆者たる日本人も外国人も、一揆の内部のことには知識がなく、外部の日本人は特に切支丹宗門の内情に不案内である
坂口安吾
国史上「威風高き女性」をもとめると数は多いが、私は高野天皇の威風が好きである。高野天皇は孝謙天皇のこと。孝謙天皇は重祚して称徳天皇とも申し、道鏡との関係は称徳天皇と称して後のことであるが、一人の天皇を孝謙とよび称徳とよぶのはわずらわしいからオクリ名の高野天皇を用いることに致します。 男装して朝鮮へ攻めこんだという神功皇后は威風リンリンの最たるものかも知れない
坂口安吾
勝海舟の明治二十年、ちょうど鹿鳴館時代の建白書の一節に次のようなのがある。 「国内にたくさんの鉄道をしくのは人民の便利だけでなくそれ自体が軍備でもある。多く人を徴兵する代りに、鉄道敷設に費用をかけなさい」 卓見ですね。当時六十五のオジイサンの説である。当時だからこうだが、今日に於てなら、国防と云えば原子バクダン以外には手がなかろう。兵隊なんぞは無用の長物だ。
坂口安吾
伊豆の伊東にヒロポン屋というものが存在している。旅館の番頭にさそわれてヤキトリ屋へ一パイのみに行って、元ダンサーという女中を相手にのんでいると、まッ黒いフロシキ包み(一尺四方ぐらい)を背負ってはいってきた二十五六の青年がある。女中がついと立って何か話していたが、二人でトントン二階へあがっていった。 三分ぐらいで降りて戻ってきたが、男が立ち去ると、 「あの人、
坂口安吾
松谷事件は道具立が因果モノめいていて、世相のいかなるものよりも、暗く、陰惨、蒙昧、まことに救われないニュースであったが、骨子だけを考えれば、昔からありきたりの恋の苦しみの一つで、当事者の苦しみも察せられるのである。 骨子は何かと云えば、 一、政治意見の対立する男女が円満に結婚生活と政治生活を両立せしめうるか。二、男には妻子がある。 悲しい恋の骨子というものは
坂口安吾
一人の部隊長があって、作戦を立て、号令をかけていた。ところが、この部隊長は、小隊長、中尉ぐらいのところで、これが日本共産党というものであった。その上にコミンフォルムという大部隊長がいて、中尉の作戦を批判して叱りつけたから、中尉は驚いて、ちょっと弁解しかけてみたが、三日もたつと全面的に降参して、大部隊長にあやまってしまったのである。 これは新日本イソップ物語と