Vol. 2May 2026

도서

공개저작물 세계 지식 라이브러리

14,981종 중 6,720종 표시

実行的道徳

北村透谷

実行的道徳 北村透谷 人は地に生れたるものにして、天を家とするものならず、人生は社会周辺の事実に囲まれてあるものなれば、性行を経綸すべき倫理なるもの一日も無かるべからざるなり。社会は時辰機の如し、一部分の破損は以て全躰の破損となり、遂には運行を止むるに至るべし。之を以て孰れの邦国にも孰れの社会にも必らず何等かの倫理あるなり。近頃実際的道徳の要を知りはじめたる

JA
원문만

実践について ――馬になった話――

中井正一

山口県の「光」に鉄道の講演会に行った帰途であった。柳井の駅で駅員が、「中井先生はいませんか。中井先生はいませんか」と叫んでいる。フト私の事かも知れんと思って、顔を出すと、「真直ぐに尾道に帰らずに広島に降りて下さい。労働者が待っていますから。鉄道電話の連絡です。」と言う。変だなとは思ったが、その頃広島県の中立委員として地方労働委員長をしていた私は、ともかくも広

JA
원문만

実験室の思い出

中谷宇吉郎

実験室に於ける寺田先生のことを書こうと思うと、私はすぐ大学の卒業実験をやった狭い実験室のことを思い出す。 それは化学の新館と呼ばれていた、小さい裸のコンクリートの建物の一階にあった狭い実験室である。震災の翌年のことで、物理の建物が使えなくなったので、化学の新館を借りていたのであった。この実験室の中で、寺田先生の指導の下で卒業実験を始めたのが、正式に先生の下で

JA
원문만

実験室の記憶

中谷宇吉郎

実験室の記憶というのは、追憶という意味ではなく、犬などの記憶というのと同じ意味で、実験室が記憶力をもっているという話なのである。 実験室が記憶力をもつなどというと、いかにも突飛な話のようである。しかし、実際に実験室の生活をした人には、その意味がわかるはずである。 一つの教室に属するいくつかの実験室には、指導者の風格などという高尚な話は別として、卑近な実験技術

JA
원문만

たんざくの客

片山広子

大正のいつごろであつたか、大森新井宿で私はサラリーマンの家の平和な生活をしてゐた時分、或る日奇妙なおじいさんが訪ねて来た。どんな風に奇妙なのか、ただ取次に出た少女が奇妙なおじいさんと言つた。おじいさんは名も言はずただ一枚の短冊を出して、これを奥さんにお目にかけて下さい、用向きもそこに書いてありますと言つたと彼女が取り次いだ。その短冊にはよく枯れた字で書いてあ

JA
원문만

客ぎらい

谷崎潤一郎

○ たしか寺田寅彦氏の随筆に、猫のしっぽのことを書いたものがあって、猫にあゝ云うしっぽがあるのは何の用をなすのか分らない、全くあれは無用の長物のように見える、人間の体にあんな邪魔物が附いていないのは仕合せだ、と云うようなことが書いてあるのを読んだことがあるが、私はそれと反対で、自分にもあゝ云う便利なものがあったならば、と思うことがしば/\である。猫好きの人は

JA
원문만

客居偶録

北村透谷

客居偶録 北村透谷 其一 旅心 暫らく都門熱閙の地を離れて、身を閑寂たる漁村に投ず。これ風流韻事の旅にあらず。自から素性を養ひて、心神の快を取らんとてなり。わが生、素と虚弱、加ふるに少歳、生を軽うして身を傷りてより、功名念絶えて唯だ好む所に従ふを事とす。不幸にして籍を文園に投じ、猜忌の境に身をめり。斯の如きは素願にあらず、希くは名もなく誉もなき村人の中に交り

JA
원문만

室の中を歩く石

田中貢太郎

大阪市住吉区阿倍野筋一丁目に、山本照美と云う素封家の未亡人が住んでいた。其家には三人の子供があって、長女を政子、長男を政重、次男を政隆と云っていた。 その夏照美さんは、子供たちのために、庭へ小さな池を掘って数多金魚を入れたが、池の周囲が淋しいので、石を拾って来てその中へ置いた。それは鶏卵大の石で、数は十六個あったが、そのうち一個だけが赤みがかった石で、他は皆

JA
원문만

室生さんへの手紙

堀辰雄

御高著「室生犀星詩集」(第一書房版)をお送り下さつて有難うございました。 私はいまこの雜誌からあなたに宛てた手紙の形式で何かあなたのことを書けと云はれ、丁度改造社版の「新選室生犀星集」を讀んでゐたところなので、あなたのさまざまな時代の作品のことを考へるには、最も適當な機会を得た譯であります。 吉村鐡太郎君が「文學」の二月號に「室生犀星論」を書いてゐますが、も

JA
원문만

室生犀星に与ふ

萩原朔太郎

室生君! 君との友情を考へる時、僕は暗然たる涙を感ずる。だがそれは感傷でなく、もつと深い意味のものが、底から湧いてくるやうに思はれる。いかにしても、僕にはその意味が語りつくせない。だが力の及ぶだけ、貧しい表現をつくしてみよう。 室生君! いかに過去に於て、僕が君の詩に魅惑されたか。君の「抒情小曲集」にある斷章や「ふるさと」の詩を、始めて北原白秋氏の雜誌で見た

JA
원문만

室生犀星の印象

萩原朔太郎

室生とはあまり知りすぎて居るので、却つて印象といふやうな者がない。私が始めて彼の名を知つたのは、北原白秋氏の雜誌ザムボア(今のザムボアではない)で、彼の敍情小曲を見た時からだ。その時分は僕等もまた少年時代の心もちがぬけないで、たいさう純樸な若々しい情緒をもつて居たので、お互に浪漫的な小曲をかいてゐた。言はば此の時代は、あの「コサツク」を書いたトルストイ、「貧

JA
원문만

室生犀星君の人物について

萩原朔太郎

最近第一書房からして、僕の選した室生犀星君の詩集が出るので、この際僕の見た室生君を、人物的に略記してみたいと思ふ。尤も僕は、以前から幾度も室生君のことを書き、むしろ書きすぎてゐるほどであるが、最近彼が大森へ移轉して來て、田端以來の舊交が大に温まつたので、また新しく書く感興が起つたのだ。 人物としての室生君は、だれも言ふ如く眞に純情無比の人である。(作品として

JA
원문만

室生犀星君の飛躍

萩原朔太郎

僕は一つの飛躍を見た! 室生犀星君に就いてである。 最近二三ヶ月の間に、彼は驚くべき跳躍をした。勇敢にも、過去の一切を投げ出し、鷲のやうに空を飛んだ。僕はそれを見て勇氣が起り、慄然とし、人生の力ある意志を感じた。 實に室生犀星の今日あるは、僕がかつて前に豫感し、且つ言つたのである。(雜誌・椎の木所載・室生犀星君の心境的推移について・參照)それは最近出版された

JA
원문만

室生犀星に就いて

萩原朔太郎

たいていの文學者は、何かの動物に譬へられる。例へば佐藤春夫は鹿であり、芥川龍之介は狐であり、谷崎潤一郎は豹であり、辻潤は山猫の族である。ところで、同じ比喩を言ふならば、室生犀星は蝙蝠である。彼はいつでも、自分だけの暗い洞窟に隱れてゐる。彼は鷲や鷹のやうな視覺を持たない。けれども翼の觸覺からして、他の禽獸が知らないところの、微妙な空間を感覺して居る。すくなくと

JA
원문만

室鰺

中谷宇吉郎

伊豆の東海岸のこの温泉地では秋風の立ち始めるとともに、また室鰺が沢山漁れ出した。去年の秋の暮、少し静養の意味で、漁港と温泉とを兼ねたここの土地へ移ってきてからもう一年に近い。初めてきた時はちょうど室鰺の盛りの時期であった。通りに面して魚屋の店先には、小鰺と、室鰺との干物が一面に並べられて、秋の陽を一杯に受けながら行儀よく並んで乾されていた。それがいつの間にか

JA
원문만

宮崎の町

中村地平

宮崎は人口七万ばかりの小さな町で、附近に官幣大社宮崎神宮や、熱帯植物の青島があること以外、殆んど世間に知られていない。しかし、そのくせ一度脚を運んだ人は、必ず言いあわせたように、 「いい町ですね、静かで、のんびりしていて……」 言い残してゆくのが普通である。 先頃、僕たちがその土地を訪ねた時は、宮崎を根城にして日向一円を巡遊したのであるが、その町に帰ると、み

JA
원문만

あとがき(『宮本百合子選集』第一巻)

宮本百合子

あとがき(『宮本百合子選集』第一巻) 宮本百合子 「貧しき人々の群」は一九一六年、十八歳のときに書かれた。そして、その年の秋中央公論に発表された。 「貧しき人々の群」は、稚いけれども純朴な人道的なこころもちと、自然の豊富さ、人間生活への感動にたってかかれている。少女だったわたしは、日本の農村というものが、どんなに封建的な土地関係におかれており、また、どんなに

JA
원문만

あとがき(『宮本百合子選集』第七巻)

宮本百合子

あとがき(『宮本百合子選集』第七巻) 宮本百合子 暗くしめっぽい一つの穴ぐらがある。その穴ぐらの底に一つの丸い樽がころがされてあった。その樽は何年もの間、人目から遮断されたその暗がりにころがされていて、いそがしく右往左往する人々は、その穴ぐらをふさいでいる厚板の上をふんで歩いていながら、その足の下にそんな樽のあることは心づかなかった。よしんば、そこの穴ぐらや

JA
원문만

あとがき(『宮本百合子選集』第三巻)

宮本百合子

あとがき(『宮本百合子選集』第三巻) 宮本百合子 「美しき月夜」は一九一九年の夏アメリカのレーク・ジョウジという湖畔に暮したころに書かれた。この作品は、われわれの人生に災難という形であらわれる偶然の力につよく印象づけられたことがあって、それが題材にされた。それから数年後に書かれた「顔」も、またちがった意味で偶然が人生に与える影響ということについて深く動かされ

JA
원문만

あとがき(『宮本百合子選集』第九巻)

宮本百合子

あとがき(『宮本百合子選集』第九巻) 宮本百合子 選集第八巻、第九巻に、ソヴェト見学時代のいろいろな報告をあつめることができたのは、思いもかけなかったよろこびである。 一九二七年の冬から一九三〇年の十一月まで、まる二年七ヵ月ほど作者は主としてモスクワに生活した。一九二九年の春から十二月初旬までパリ、ロンドン、ベルリンなどに行ったが。 モスクワでの生活と、その

JA
원문만

あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)

宮本百合子

あとがき(『宮本百合子選集』第二巻) 宮本百合子 この第二巻には、わたしとしてほんとうに思いがけない作品がおさめられた。それは二百枚ばかりの小説「古き小画」が見つかったことである。 一九二二年の春のころ、わたしは青山の石屋の横丁をはいった横通りの竹垣のある平べったいトタン屋根の家に住んでいた。ある日、その家の古びた客間へスカンジナヴィア文学の翻訳家である宮原

JA
원문만

あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)

宮本百合子

あとがき(『宮本百合子選集』第二巻) 宮本百合子 「古き小画」の新聞切抜きが見つかって、この集に入れられたのは思いがけないことだった。この、ペルシャの伝説から取材した小説は一九二三年の夏じゅうかかって執筆され、書き上ってから北海道の新聞にのせられた。スカンジナヴィア文学の専攻家でブランデスやハムスンを日本に紹介した宮原晃一郎氏が、故郷である北海道の新聞へ何か

JA
원문만

あとがき(『宮本百合子選集』第五巻)

宮本百合子

あとがき(『宮本百合子選集』第五巻) 宮本百合子 この集には、一九三七年、三九年、四〇年の間にかいた十篇の小説と亡くなった父母について記念のための随筆二篇が収められている。 一九三七年と云えば、中国への侵略戦争を拡大しながら日本の内部のあらゆる部面に軍事的な専制が強力にしかれはじめた時期であった。二・二六事件があったのが前年の三六年のことである。 一九三八年

JA
원문만

あとがき(『宮本百合子選集』第八巻)

宮本百合子

あとがき(『宮本百合子選集』第八巻) 宮本百合子 この第八巻には、主としてソヴェト生活の見聞記があつめられている。モスクワ印象記は、わたしがモスクワで暮すようになって半年ばかりたった一九二八年五月ごろ、書き終えられた。これを書いたのは、モスクワ市をかこむ並木道のはずれにあるアストージェンカという町の狭いクワルティーラ(アパートメント)の一室だった。「子供・子

JA
원문만