Vol. 2May 2026

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射的場と墓地

ボードレールシャルル・ピエール

墓地見晴し御休処――「妙な看板だな」――と我が散策者は独言つた――「それにしても、あれを見ると実際喉が渇く様に出来てゐる! きつとこゝの主人は、オラースや、エピキユールの弟子の詩人たちぐらゐは解つてゐるにちがひない。事によつたら、骸骨か、何か人生のはかなさを示す徴がなくては宴会が出来なかつた、古代埃及人程ひどく凝り性なのかもしれない。」 彼は入つて行つて、墓

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将来の日本 01 三版序

新島襄

余が友徳富猪一郎君さきに『将来の日本』と称する一冊子を編著し、これを余に贈り、あわせて余の一言を求めらる。余不文といえども君と旧交のあるあり。あにあえて君の好意を空しゅうすべけんや。余これを読み、その第一回より第十六回に至る、毎回あたかも新佳境に入るの感なきあたわず。けだしその論や卓々、その文や磊々、余をしてしばしば巻をおおい覚えず快哉と呼ばしめたりき。それ

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将来の日本 02 序

田口卯吉

徳富猪一郎君は肥後熊本の人なり。さきに政党の諸道に勃興するや、君、東都にありて、名士の間を往来す。一日余の廬を過ぎ、大いに時事を論じ、痛歎して去る。当時余ひそかに君の気象を喜ぶ。しかるにいまだその文筆あるを覚らざるなり。 すでに西に帰り、信書しばしば至る。書中雅意掬すべし。往時弁論桿闔の人に似ざるなり。去歳の春、始めて一書を著わし、題して『十九世紀の青年及び

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将来の日本 03 再版の序

中江兆民

熊本の徳富君猪一郎、さきに一書を著わし、題して『将来の日本』という。活版世に行なわれ、いくばくもなく売り尽くす。まさにまた版行せんとし、来たりて余の序を請う。受けてこれを読むに、けだし近時英国の碩学スペンサー氏の万物の追世化成の説を祖述し、さらに創意発明するところあり。よってもってわが邦の制度文物、異日必ずまさになるべき云々の状を論ず。すこぶる精微を極め、文

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将棋の話

外村繁

僕達、阿佐ヶ谷に住んでゐる友人達が中心になつて、時時将棋の会を催すことがある。 常連は井伏鱒二、小田嶽夫、上林暁、太宰治、木山捷平、古谷綱武、亀井勝一郎、中村地平君等である。時には上野から砂子屋書房主や尾崎一雄君。また一度などは遥か千葉から浅見淵君が参加したこともあつた。が、皆の腕前は非常にまづいらしく、記録係の、と言つても、ただ勝負の白丸黒丸を書くだけであ

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将棋の鬼

坂口安吾

将棋の鬼 坂口安吾 将棋界の通説に、升田は手のないところに手をつくる、という。理窟から考えても、こんなバカな言い方が成り立つ筈のものではない。 手がないところには、手がないにきまっている。手があるから、見つけるのである。つまり、ほかの連中は手がないと思っている。升田は、見つける。つまり、升田は強いのである。 だから、升田が手がないと思っているところに手を見つ

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尊攘戦略史

服部之総

スローガン「尊王攘夷」はなにも最初から討幕を内容としたものではなかった。反対に、本来のそれは、幕権のためにする名実ともに「天下副将軍」的なスローガンとして生れたものである。 近世史上の尊王論そのものが、やはりそうで、徳川時代の尊王論の先駆者たち蕃山、闇斎、素行、そして水戸学の始祖光圀らが、時を同じうして四代五代将軍時代に輩出したのも偶然ではない。幕府の基礎は

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尊重すべき困つた代物 ――太宰治に就て――

佐藤春夫

「青い花」に出てゐた一見童話風の、しかしその内部には近代人の自己分裂と精神薄弱の自己反省を伴つた現実感を、風の如く、さりげなくしみじみと漂はせて骨格の卑しくないもののあるのを発見したのは一年も前の事であつたらう。題名は今思ひ出せないが、その作者が太宰治であることだけは強く印象に残つた。同じ作者の名を文芸で見て、早速一読すると、これは先日のものが毛糸を解きほぐ

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尋常一様

北大路魯山人

尋常一様 北大路魯山人 ある日、友人の紹介で人が来た。客は、わたしをつかまえてさっそく質問を発した。 「先生、料理の根本義についておきかせください」 そこで、わたしは言下に答えた。 「食うために作ることだ」 客は物足りぬ顔をしながらまたきいた。 「食うために作ることですか、先生。そんなら、なんのために食うのですか」 「そりゃ生きるためにだ」 「なんのために生

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小むすめ

清水紫琴

小むすめ 清水紫琴 氷の塊かとも見ゆる冬の月は、キラキラとした凄しい顔を大空に見せてはをれど、人は皆夜寒に怖ぢてや、各家戸を閉ぢたれば、まだ宵ながら四辺寂として音もなし。さなきだに陰気なる家の、物淋しさはいや増しぬ。二分じんのランプ影暗く、障子の塵、畳の破れも、眼に立ちては見えねど、病みたる父の、肉落ち骨立ちてさながら、現世の人とも思はれぬが、薄き蒲団に包ま

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小さなねじ

小川未明

おじいさんは、朝起きると、火鉢に当たりながら、もうそのころ配達されている新聞をごらんになっています。これは、毎朝のことでありました。 今日も、早く起きて火鉢の前にすわっていられました。外ではうぐいすの声がしていました。 「だいぶ春らしくなったな。この分では、もうじきに桜の花が咲くだろう。」と、独り言をしながら、眼鏡をかけ直して、新聞をひろげていられました。お

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小さいアルバム

太宰治

小さいアルバム 太宰治 せっかくおいで下さいましたのに、何もおかまい出来ず、お気の毒に存じます。文学論も、もう、あきました。なんの事はない、他人の悪口を言うだけの事じゃありませんか。文学も、いやになりました。こんな言いかたは、どうでしょう。「かれは、文学がきらいな余りに文士になった。」 本当ですよ。もともと戦いを好まぬ国民が、いまは忍ぶべからずと立ち上った時

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小人のくつ屋さん

グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール

あるところに、くつ屋さんがおりました。自分がわるいことをしたわけでもないのにとにかくお金がなくて、一足のくつを作るだけの皮しかもう残っていません。ある夜、あくる朝に仕立てようと皮を裁ち切っておきました。心根のよい人でしたから、ひそやかにベッドで横になりながら、おいのりをとなえつつ、ねむりに落ちます。朝になって、おいのりしたあとで、さて仕事に取りかかろうとする

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小伜の釣り

佐藤垢石

小伜の釣り 佐藤垢石 こうして私は、長い年月東西の国々を釣り歩いた。そして、五、六年前に、何十年ぶりかで故郷に帰り住むようになり、再び利根川の水に親しんだ。 もう、長男が十二、三歳になっていた。私が、亡き父に伴われては河原の陽に照らされていた年頃である。子供が次第に大きく育っていくのを見るのは、何事にもかえがたい。その子が、不出来であろうが、まずい顔をしてい

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ノーベル小伝とノーベル賞

長岡半太郎

ノーベル賞の存在は、昨年湯川秀樹君の受賞により、汎く、我邦人に傳わつた。しかしその賞を發案したノーベル Alfred Bernard Nobel の事績については、知る人稀にして、いかなる動機により、その資産一部を割き優秀なる研究者に與うるようになつたかを明かにするもの少きは、まことに遺憾である。こゝにその一端を記すは無用であるまい。 ノーベルの父は工業家で

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小倉西高校新聞への回答

宮本百合子

小倉西高校新聞への回答 宮本百合子 一、趣味は 音楽、映画などですが、一昨年来病気のため外出も出来ずに居ます。 一、愛読書 文学が文学以外の本によって勉強されてゆく時代になりました。 一、学生生活中、一番楽しかった事 私たちの学生生活時代は、学校外の読書や文学の勉強が一番たのしいという不幸な「女学生」の生活でした。 一、現在学生に云いたい事 このごろのように

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小僧の夢

谷崎潤一郎

………己は名前を庄太郎と云って、今年十六歳になる商店の小僧だ。己の勤めて居る商店は、銀座三丁目の大通りにある、池田屋と云う洋酒店だが、京橋近辺に住んで居る人は大概知って居るだろう。日本橋の方から来て、京橋を渡って、五六丁行った左側に、あんまり立派でもないけれど、小綺麗なショウ、ウインドウの附いて居る、二階建て西洋造りの店があるだろう。その二階の窓から、夕方に

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小さな出来事

寺田寅彦

小さな出来事 寺田寅彦 一 蜂 私の宅の庭は、わりに背の高い四つ目垣で、東西の二つの部分に仕切られている。東側の方のは応接間と書斎とその上の二階の座敷に面している。反対の西側の方は子供部屋と自分の居間と隠居部屋とに三方を囲まれた中庭になっている。この中庭の方は、垣に接近して小さな花壇があるだけで、方三間ばかりの空地は子供の遊び場所にもなり、また夏の夜の涼み場

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小刀の味

高村光太郎

小刀の味 高村光太郎 飛行家が飛行機を愛し、機械工が機械を愛撫するように、技術家は何によらず自分の使用する道具を酷愛するようになる。われわれ彫刻家が木彫の道具、殊に小刀を大切にし、まるで生き物のように此を愛惜する様は人の想像以上であるかも知れない。幾十本の小刀を所持していても、その一本一本の癖や調子や能力を事こまかに心得て居り、それが今現にどうなっているかを

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小切手

中谷宇吉郎

かねというと、何だか資本主義の道具の一つのように響く。しかし、錢には、全くそういう匂いがない。 錢ときくと、すぐ聯想されるのは、五錢の白銅貨である。子供の頃、年に一度の村の祭の日に、この白銅貨を貰うしきたりになっていた。その白い冷たい白銅貨を、しっかり掌の中に握りしめて、盛り場まで行く。着く頃には、掌の中はすっかり汗ばんで、白銅貨は、生温かくなっている。五十

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小品四つ

中勘助

これはもうひと昔もまえの秋のひと夜の思い出である。さっさっと風がたって星が燈し火のように瞬く夜であった。身も世もないほど力を落して帰ろうとするのを美しい人が呼びとめて 「花をきってさしあげましょう」 といいながら花鋏と手燭をもっておりてきた。そして泳ぐような手つきで繁りあった秋草をかきわけ、しろじろとみえる頸筋や手くびのあたりに蝗みたいに飛びつく夜露、またほ

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小唄のレコード

九鬼周造

小唄のレコード 九鬼周造 林芙美子女史が北京の旅の帰りに京都へ寄った。秋の夜だった。成瀬無極氏と一緒に私の家へ見えた。日本の対支外交や排日問題などについて意見を述べたり、英米の対支文化事業や支那女性の現代的覚醒を驚嘆していた。支那の陶器の話も出た。何かの拍子に女史が小唄が好きだといったので、小唄のレコードをかけて三人で聴いた。 「小唄を聴いているとなんにもど

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小問題大問題

佐々木邦

津島君の子爵病は長いことだった。一杯やると発作的に催す。遠く王政維新廃藩置県の頃に溯って、 「祖父がその時好機会を逸しなかったら、僕も今頃は子爵の御前様で納まり返っていられるのになあ」 と口惜しがるのを常とした。生れてもいない昔のことを今更何と言っても仕方あるまいに、そこが酒の上だ。酔えば無暗に喧嘩を吹っかける奴さえあるのだから、五十年前の愚痴なら先ず/\好

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小国寡民

河上肇

小国寡民 河上肇 放翁東籬の記にいふ、 「放翁告帰(退官して隠居すること)の三年、舎東の地(草の生ひしげる土地)を闢く。南北七十五尺、東西或ひは十有八尺にして贏び、或ひは十有三尺にして縮まる。竹を插んで籬と為す、其地の数の如し。五石瓮(かめ)を※め、泉を瀦めて池と為し、千葉の白芙※(蓮)を植う。又た木の品(木の類)若干と草の品若干を雑へ植う。之を名づけて東籬

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