支流
斎藤茂吉
支流 齋藤茂吉 此方から見ると対岸の一ところに支流の水のそそいでゐるのが分かる。其処迄は相当の距離があるので、細部は見えないがやはり一つの趣があるやうに見える。即ち、直線的な一様な対岸が其処で割れてゐるのだから、割目の感といつたらよいかも知れない。併しその支流は極めて小さいもので、人々の注意する程度にも至つてゐない。 晩秋のある日、自分は病後の体を馴らすため
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斎藤茂吉
支流 齋藤茂吉 此方から見ると対岸の一ところに支流の水のそそいでゐるのが分かる。其処迄は相当の距離があるので、細部は見えないがやはり一つの趣があるやうに見える。即ち、直線的な一様な対岸が其処で割れてゐるのだから、割目の感といつたらよいかも知れない。併しその支流は極めて小さいもので、人々の注意する程度にも至つてゐない。 晩秋のある日、自分は病後の体を馴らすため
桑原隲蔵
支那人の妥協性と猜疑心 桑原隲蔵 緒言 日本と支那とは、いはゆる唇齒輔車相倚るべき國で、勿論親善の間柄でなければならぬ。兩國の親善を圖る爲には、兩國人が互にその相手の氣質を理會して置く事が、一番必要と思ふ。吾が輩はかかる見地から、歴史的に支那人の氣質を多少研究しかけて居る。茲に掲ぐる支那人の妥協性と猜忌心に關する論文も、實はその研究の一端である。既に六十年以
桑原隲蔵
支那人辮髮の歴史 桑原隲藏 一 中華民國が成立してから殆ど一週年、黄龍旗が五彩旗と變つたと共に、支那人の辮髮も次第に散髮と變じ、清朝最後の皇帝であつた宣統帝すら、昨夏既に辮を解いたと傳へられて居る。名物の辮髮がその影を中華全土に絶つに至るは、或は遠き將來であるまいと思はれる。 この名物の支那人の辮髮は、世間で普通に考へられて居るやうに、決して清朝からはじまつ
狩野直喜
支那人心の新傾向 狩野直喜 今晩何か茲に出てお話をして呉れと今村さんからのお頼みでありましたが、何分私は斯う云ふ席に出てお話する資格は無いのであります。併し折角の御依頼でありますから餘り御辭退するのは失禮と思ひまして講演の題目等も色々考へて見ましたが、矢張り私の專門と致しまする支那學の範圍に於て「支那人心の新傾向」と云ふことに就て暫くの間御清聽を願ふことにい
桑原隲蔵
支那人の文弱と保守 桑原隲蔵 緒論 個人に就いて觀察しても、一人一人にその個性がある樣に、國民なり民族なりにも、それぞれ特有の氣質性癖をもつて居る。それを國民性又は民族性と申すのである。一つの國民なり民族なりの間には、隨分種々なる人間があつて、何等統一する所がない樣であるが、他の國民や民族と比較すると、自然に國民毎に、民族毎に、各自の特質をもつて居る。 支那
岸田国士
支那人研究 岸田國士 私は近頃支那人について語られてゐる文章を読む機会が多いのであるが、やはり永く支那にゐて親しく彼地の人々と接した経験が土台になつてゐるやうな意見には、なかなか傾聴すべきものが多い。 この種の研究や紹介が時に目につくといふのは、私自身、これまであまり支那及び支那人について識ることが少なかつたところから来てゐるが、さういふ気持を多くの日本人が
桑原隲蔵
一國の歴史を闡明するには、その一國の記録だけでは不足を免れぬ。是非その國と關係深き他國の記録をも、比較參考する必要がある。支那歴史の研究者としては、支那本國の史料の外に、日本、朝鮮、安南等の記録を參考するは勿論、遠く西域諸國の記録をも利用せなければならぬ。兩漢以來、支那の國威が四表に張ると共に、その國情が次第にキリスト教國や、マホメット教國の間に傳はり、又此
桑原隲蔵
支那人の食人肉風習 桑原隲藏 この論文を讀む人は、更に大正十三年七月發行の『東洋學報』に掲載した、拙稿「支那人間に於ける食人肉の風習」(本全集第二卷所收)を參考されたい。 この四月二十七八日の諸新聞に、 目下露國の首都ペトログラードの食糧窮乏を極めたる折柄、官憲にて支那人が人肉を市場に販賣しつつありし事實を發見し、該支那人を取押へて、遂に之を銃殺せり。 とい
内藤湖南
支那古典學の研究法に就きて 内藤湖南 支那を解釋するには、支那人が是迄積み上げた事業と云ふ者を十分に研究して見なければならぬ。其の事業は一口に言へば文化であるが、その中には、政治もあれば、文學もあり、藝術もあり、乃至は土工の遺物もあつて、迚も一人の力の窮め得べからざる所であるが、予は其の立場として、支那民族發展の跡を繹ねて、その文化を刔剔し、之を理解する爲め
桑原隲蔵
支那史上の偉人(孔子と孔明) 桑原隲藏 私は今後六囘に亙つて此の題目の下に、過去の支那に現はれた四人の大人物、即ち孔子・始皇帝・張騫・諸葛亮四人の事蹟を紹介せうと欲ふ。今日は民衆萬能の時代で、最早偉人英雄の時代でない。今更偉人などを擔ぎ出すのは、時代錯誤かも知れぬ。併しカーライルもいへる如く、世界の歴史は畢竟偉人の歴史に過ぎぬ。過去の歴史から偉人の事業・功績
内藤湖南
史記が出來てから、その次の代に、史記の後を繼いで出來たものは漢書であるが、この兩者の間に出來た差異の一つは、史記が通史であるのに對して漢書が斷代史であるといふことである。その後の歴史を作る人、殊に支那で正史として取扱はれた歴史を作る人は、編纂の便利であるといふ點から、皆な漢書に倣つて斷代史を作り、史記に倣ふものはしばらくなかつた。これは後に問題になり、歴史は
桑原隲蔵
支那の宦官 桑原隲藏 一 最近の新聞紙の報道によると、支那の宣統〔前〕帝は、宮廷所屬の宦官の不埒を怒り、彼等を一律に放逐して、爾後永遠に使役せぬといふ諭旨を發布されたといふことである。その動機は論ぜず、その理由は問はず、事件そのものが、兔に角一大壯擧たるを失はぬと思ふ。 宦官は必ずしも支那の專有物でない。古代の西アジア諸國、ついでギリシア、ローマにも宦官が使
国枝史郎
私が支那へ行ったのは満洲事変の始まった年の、まだ始まらない頃であった。 上海、南京、蘇州、杭州、青島、旅順、大連、奉天と見て廻った。約一ヶ月を費した。 汽船は秩父丸であった。船がウースン河へ這入り、岸の楊柳が緑青のような色に萌え、サンパンだのジャンクだのが河の上をノンビリと通っている風景は美しかった。 デッキに立ってそういう風景を見ていると、同伴の妻が突然声
津田左右吉
この書の第一部は「日本に於ける支那思想移植史」と題して、岩波講座の『哲学』の昭和八年一月発行の部分に載せたもの、第二部は「文化史上に於ける東洋の特殊性」という題名の下に、同じ講座の『東洋思潮』のために、昭和十一年のはじめに書いたものである。今この二篇を合せて岩波新書の一冊とするに当り、説明の足りなかったところを補い、支那文字を少しでもへらす意味において文字の
内藤湖南
支那に於ける史の起源 支那に於ける史の起源 内藤湖南 支那に於ける史の起源に就て述べようと思ふのですが、此の史といふ字には支那では二樣の意義を持つ事になります、一は歴史の書籍の方の意義で、一は歴史を掌る官吏、即ち史官の事になります、其の史籍の方の起源になりますと種々込入つて居りますので、今日は單に史官の起原の事に就てお話を致さうと思ひます。 支那に史官のあつ
内藤湖南
今日は支那の書目に就いて申上げるのでありますが、第一に申上げたいのは、支那の書目の分類の仕方の變遷でございます。それから其の前に一寸支那の書目といふものは、いつ頃から出來たかといふことを申上げて置きたいと思ひますが、これはもう圖書館の事に御關係の方は、どなたも御承知のことでありまして、現存して居る目録では漢書の藝文志が一番古いといふことになつて居ります。これ
内藤湖南
支那歴史的思想の起源 内藤湖南 近頃は私は田舍にばかり引つ込んで居りまして皆さんにお目に掛る機會が少いのでありますが、今度何か支那學會の大會でお話をしろといふことでございますので、段々老衰を致しまして、新しく何物かを調べてお話をするといふやうな大儀なことは叶ひませんから、何ぞ何も新しく調べんでもよいものが思ひ出せたらお引受けしませうと言つて居りました。その後
佐藤垢石
支那の狸汁 佐藤垢石 晋の時代である。燕の恵王の陵の近所に千年をへた古狸が棲んでいた。千年も寿命を保ったのであるから、神通力の奥義に達し、変化の術はなんでも心得ている。 大入道や一つ目小僧などに化けて、村の百姓を脅かすのは、狸界における末輩の芸当だ。そんなのは、とうの昔に卒業している。つまり、自分は狸界の上層部にあって、指導者の最高峰であり、実力の保持者だ。
桑原隲蔵
支那猥談 桑原隲藏 一 吾が輩は今支那の時事問題について格別の意見をもつて居らぬ。それに新春早々に當つて、堅苦しい論文より幾分氣樂な隨筆の方が却つて似付かはしい心地もするので、標題の如き支那猥談を草することにした。猥談は要するに猥談であるが、その猥談の中にも、若干支那及び支那人に對する理會を助け、日支の外交上參考に資すべき材料を發見し得るかと思ふ。 支那は謎
内藤湖南
目録學は支那には古くからあるが、日本には今もつて無い。これは目録といつても、單に書物の帳面づけをするといふやうな簡單なことではない。支那の目録學にはもつと深い意味がある。これを知らないと、書物の分類も解題もできない。のみならず、今日實際に當つて、色々のものを見るのに困る場合が多い。日本の目録には、意味のないことが多い。かの佐村氏の「國書解題」などでも、箇々の
狩野直喜
支那研究に就て 狩野直喜 私は校長のお招きに應じて講演を致す爲めに罷り出ました。誠につまらないお話でありまして定めて皆樣お聞辛いであらうと考へますが暫らくの間御靜聽を煩します。私は今日支那研究に就てと云ふ題でお話を致さうと思ひます、最近我國、朝野人士の間に支那研究の聲が段々高まつて來たやうに感じます、之は現今我國が歐米諸國と相對立して參りますには從來のやうに
橘樸
廣大な支那大陸の天然現象を研究することはその道の學者にとつて興味深いことに相違ないが、一般人の支那を知り度いとか支那は不可解だという云ふ場合の「支那」は其の殆ど總ての場合に於て專ら其人文現象のみを意味するのである。從つて私も亦其意味に從ふであらう。今少し詳しく言へば、我々の論議の對象は支那民族を構成する所の個人及び社會であり、個人に關する諸現象は心理學とか人
狩野直喜
支那近世の國粹主義 狩野直喜 一 支那で國粹保存などいふ事を唱へ出したのは極めて近年のことで、以前には全く無かつたのである。一體かゝる思想は、他國の種類を殊にする文明が俄に侵入し來つて、自國固有の文明が其爲めに破壞されやうとし、或は破壞までは行かずとも、他國の文明の爲め自國の文明が、幾分か光輝を失ひ懸るといふやうな場合に起るものである。 然るに支那は數千年の
中井正一
支部図書館三周年に寄せて 中井正一 三年前、第一回の支部図書館準備会の会合に出席した人々の何人が、この三年目の今日、かかるかたちで三周年を迎えることができると想像しえたであろう。「大陸の法律をやっている私たちには、かかる機構は考えにくいのだ」と、わが館の牧野英一専門調査員がその席上で独語しておられたくらいであるから、大半は、その前途に半信半疑であった。 あわ