断片(Ⅱ)
寺田寅彦
断片(2) 寺田寅彦 一 連句で附句をする妙趣は自己を捨てて自己を活かし他を活かす事にあると思う。前句の世界へすっかり身を沈めてその底から何物かを握んで浮上がって来るとそこに自分自身の世界が開けている。 前句の表面に現われただけのものから得た聯想に執着してはいい附句は出来ない。 前句がそれ自身には平凡でも附句がいいと前句がぐっと活きて引立って来る。どんな平凡
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寺田寅彦
断片(2) 寺田寅彦 一 連句で附句をする妙趣は自己を捨てて自己を活かし他を活かす事にあると思う。前句の世界へすっかり身を沈めてその底から何物かを握んで浮上がって来るとそこに自分自身の世界が開けている。 前句の表面に現われただけのものから得た聯想に執着してはいい附句は出来ない。 前句がそれ自身には平凡でも附句がいいと前句がぐっと活きて引立って来る。どんな平凡
原民喜
遠くの路を人が時時通る 影は蟻のやうに小さい 私は蟻だと思つて眺める 幼い児が泣いた眼で見るやうに それをぼんやり考へてゐる
永井荷風
此断腸亭日記は初大正六年九月十六日より翌七年の春ころまで折鉛筆もて手帳にかき捨て置きしものなりしがやがて二三月のころより改めて日日欠くことなく筆とらむと思定めし時前年の記を第一巻となしこの罫帋本に写直せしなり以後年と共に巻の数もかさなりて今茲昭和八年の春には十七巻となりぬ かぞへ見る日記の巻や古火桶五十有五歳 荷風老人書 ●図書カード
永井荷風
暁方雨ふりしと覚しく、起出でゝ戸を開くに、庭の樹木には氷柱の下りしさま、水晶の珠をつらねたるが如し。午に至つて空晴る。蝋梅の花を裁り、雑司谷に徃き、先考の墓前に供ふ。音羽の街路泥濘最甚し。夜九穂子来訪。断膓亭屠蘇の用意なければ倶に牛門の旗亭に徃きて春酒を酌む。されど先考の忌日なればさすがに賤妓と戯るゝ心も出でず、早く家に帰る。
永井荷風
曇りて寒き日なり。九時頃目覚めて床の内にて一碗のシヨコラを啜り、一片のクロワサン(三日月形のパン)を食し、昨夜読残の疑雨集をよむ。余帰朝後十余年、毎朝焼麺麭と琲とを朝飯の代りにせしが、去歳家を売り旅亭に在りし時、珈琲なきを以て、銀座の三浦屋より仏蘭西製のシヨコラムニヱーを取りよせ、蓐中にてこれを啜りしに、其味何となく仏蘭西に在りし時のことを思出さしめたり。仏
永井荷風
くもりて寒し。雪猶降り足らぬ空模様なり。腹具合よろしからず。炉辺に机を移して旧年の稿をつぐ。深更に至り雨降る。
萩原朔太郎
春なれば小椿おちて山吹の黄をもつ流その流背戸を走れるいまやせたり、 木がらしの行方もしらにさはさはと音する枯草のひびき寂寞の影をやどせば敗れ岩ところどころに冬を行くいささ小川の悲しげなりや。 曾てこの河に漁どりすべくいとむつまじき二人のうなゐありき、 されどその事たえたる今にして蓼の香さむきあしたには寒水のほとりうら悲しき笛の音をきくものありと云ふは何ぞや。
牧野信一
止める止めるとこぼしながらうまくゆかないのが多くの飲酒者の通例であるが、止めようと思つたら飲まなければ好いのにと僕は思ひそんなことは口にもせず飲みつゞけてゐたところ急に具合が悪くなつたので止めて見たところ、一向僕には未練もない、性根は余り酒好きでもなかつたのか知ら、他人の酔つてゐるのを見ても白々としたもので、自分も酔つてゐた時はあんな風だつたのか! と思つて
カフカフランツ
この何十年かのあいだに、断食芸人たちに対する関心はひどく下落してしまった。以前には一本立てでこの種の大きな興行を催すことがいいもうけになったのだが、今ではそんなことは不可能だ。あのころは時代がちがっていたのだ。あのころには町全体が断食芸人に夢中になった。断食日から断食日へと見物人の数は増えていった。だれもが少なくとも日に一度は断食芸人を見ようとした。興行の終
宮本百合子
斯ういう気持 宮本百合子 「――春になると埃っぽいな――今日風呂が立つかい」 「そうね、どうしようかと思ってるのよ、少し風が強いから」 「じゃあ一寸行って来よう」 「立ててもよくてよ」 「行って来る方が雑作ない」 愛が風呂場で石鹸箱をタウルに包んで居る間に、禎一は二階へ蟇口をとりに登った。彼は軈て、ドタドタ勢よく階子をかけ降りざま、玄関に出た。 「小銭がなあ
今野大力
太平洋の島国へ一つの智恵が送られてきた智恵をあふるるばかりにくまなく抱く本が送られてきた智恵はまもなく人々のものとなりかけたしかしこの国の人々はその智恵をいろいろに受けとった 誰がこんなことをしたのかある頁が破かれていたある頁に加筆されていたある頁は抹殺された、ある頁は巧妙に張りかえられた 真実は 偉大なる真実は遂に万人のものとなり得なかった多くの人々のもと
宮本百合子
新しい一夫一婦 宮本百合子 私たちが、恋愛とか結婚とかの問題について話す場合、特別その上に新しいという形容詞をつけて持ち出す場合、それは多かれ少かれ、従来理解され、また経験されて来た恋愛や結婚より何かの意味で豊富な、新鮮な、我々の生きる歓喜となり得るものを求めようとする心持が働いていると思う。 昨今のように、一般の社会状勢が息苦しく切迫し、階級対立が最も陰性
徳田秋声
新吉がお作を迎えたのは、新吉が二十五、お作が二十の時、今からちょうど四年前の冬であった。 十四の時豪商の立志伝や何かで、少年の過敏な頭脳を刺戟され、東京へ飛び出してから十一年間、新川の酒問屋で、傍目もふらず滅茶苦茶に働いた。表町で小さい家を借りて、酒に醤油、薪に炭、塩などの新店を出した時も、飯喰う隙が惜しいくらい、クルクルと働き詰めでいた。始終襷がけの足袋跣
豊島与志雄
新たな世界主義 豊島与志雄 戦争は終ったが、平和は到来しなかった。人類が待ち望んでいたような平和は到来しなかった。それは遠い過去に置きざりにされている。歴史の歩みは早い。将来に平和があるとすれば、それは過去のものとは異った形態のものであろう。その平和を、吾々は、そして人類は、獲得しなければならないのだ。武器は一応収められたが、破棄されたのではない。ホット・ウ
宮本百合子
新世界の富 宮本百合子 第二次世界大戦では、世界のあらゆる国々が大きい犠牲を払った。地球はこの戦争によって血みどろにされた。然し全人類的なこの闘争は、これまでの歴史にあったすべての戦争と全く種類を異にしている。人間のあらゆる智慧をふりしぼって、破壊の為の武器が作られその効果が験された。けれどもこの戦争の人類の歴史に対してもっている最大の意義は野蛮な独善的な権
今野大力
行け! 私達自然の教徒よ 高く高く燃え燃ゆる自然の精霊の上へ 人間の生命の魂を 燃えべくして燃えざりし炬火を 天日の情熱に投げこんで 紅蓮の焔を眺めつつ 歌え、歌え、輝かせよ (大地よ、ゆるぐべきものよ古哲の教授よ 何と皮相なよろこびなる 草ものびる、私も育つ ああ、生長への伴奏よ 葬送への奏楽ぞ)
坂口安吾
新人へ 坂口安吾 如何に生くべきか、ということは文学者の問題じゃなくて、人間全体の問題なのである。人間の生き方が当然そうでなければならないから、文学者も亦そうであるだけの話である。 如何に生くべきか、が人間のあたりまえの問題でなくて、特に文学だけの問題のように考えられているところに、日本文学の思想の贋物性、出来損いの専門性、一人ガテンの独尊、文学神聖主義があ
正宗白鳥
暦の上で何度新しき年を迎へても、心が新たになるのではない。私は、二十代の昔も七十代の今日も、根底においては、自分の考へ方は同じやうに思はれる。經驗を積み知識も豐かになつたにしても、すべて皮相な經驗、皮相な知識の積み重ねであつたのに過ぎないやうに思はれる。そして、大抵の人間が究極の所、さうではないかと私に思はれてゐる。 私は何も知らない嬰兒として、偶然この世に
堀辰雄
一、履歴、僕は千九百四年十二月東京に生れた。 芥川龍之介は僕の最もよき先生だつた。彼の死くらゐ僕を感動させたものはない。 彼の死後、まもなく、僕はひどい肺炎にかかり、長いあひだ生と死との間にあつた。 僕の肉體はやがて恢復した。しかし僕の氣持はまだ生と死との間をためらつてゐる。その時分僕は僕の友人等に自殺するだらうと噂されたものだ。 さういふ死の境地から僕を救
平林初之輔
大下宇陀兒氏の「蛞蝓奇談」(『新青年』増刊)これはショート・ストーリーである。という意味は短いながらも一つの完結した物語であるという意味だ。なめくじという妙な動物の不思議な習性についての最初の説明はそれ自身で面白いのみならず、それがこの作品の伏線として役だっているのだから、無駄のない書き方だといわねばならぬ。なめくじとつばきのかたまりとを間違えるというような
坂口安吾
新作いろは加留多 坂口安吾 いろは加留多には「ン」がない。多分ンで始まる言葉がないからだらう。ところが、四五年前、ンで始まる金言を発見したから、ついでに「いろは加留多」を作らうかと思つた。そのうちに忘れてしまつたけれども、又、正月が近づいたから、思ひだした。ンの金言を発見した次第は、次のやうなものである。 北原武夫が都新聞の文芸記者をやつてゐたときの話である
宮本百合子
新入生 宮本百合子 この頃は朝早く出かけることが多くて、電車へのるところまで歩く間に、どっさり学生にすれちがう。新しい靴、洋服、ランドセルに大きめの帽子をかぶった小学一年生。新入学の女学生や中学生たち。七つ八つの子供から二十を越したぐらいの男や女の子が、様々の表情と風采とをもつ勤人たちの波に混って、楡の芽立ちかけた横通りを来るのである。それらの人通りは、あん
宮本百合子
新しい卒業生の皆さんへ 宮本百合子 きょう、この会に出席して、みなさまにお目にかかれないのを、ほんとうに残念に思います。去年の秋、過労して健康をわるくしてから、おはなしができないで、ずいぶんあちこちの学校からの御希望に添えませんでした。そういう学校からの方たちも、あるいは、新しい卒業生としてきょうの会に御出席かもしれません。それを思うと、一層ひとこと御挨拶を
岸田劉生
私は明治二十四年に銀座の二丁目十一番地、丁度今の服部時計店のところで生れて、鉄道馬車の鈴の音を聞きながら、青年時代までそこで育って来た。だから銀座のうつりかわりは割合にずっと見て来ている訳であるが、しかし正確なことはもとよりわからない。が、「煉瓦」と呼ばれた、東京唯一の歩道時代からのいろ/\のうつりかわりにはまた語るべきことも多い様である。いろいろの思い出や