新年雑俎
寺田寅彦
新年雑俎 寺田寅彦 数年前までは正月元旦か二日に、近い親類だけは年賀に廻ることにしていた。そうして出たついでに近所合壁の家だけは玄関まで侵入して名刺受けにこっそり名刺を入れておいてから一遍奥の方を向いて御辞儀をすることにしていたのであるが、いつか元旦か二日かが大変に寒くて、おしまいには雪になったことがあって、その時に風邪を引いて持病の胃に障害を起したような機
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寺田寅彦
新年雑俎 寺田寅彦 数年前までは正月元旦か二日に、近い親類だけは年賀に廻ることにしていた。そうして出たついでに近所合壁の家だけは玄関まで侵入して名刺受けにこっそり名刺を入れておいてから一遍奥の方を向いて御辞儀をすることにしていたのであるが、いつか元旦か二日かが大変に寒くて、おしまいには雪になったことがあって、その時に風邪を引いて持病の胃に障害を起したような機
太宰治
新しい形の個人主義 太宰治 所謂社会主義の世の中になるのは、それは当り前の事と思わなければならぬ。民主々義とは云っても、それは社会民主々義の事であって、昔の思想と違っている事を知らなければならぬ。倫理に於いても、新しい形の個人主義の擡頭しているこの現実を直視し、肯定するところにわれらの生き方があるかも知れぬと思案することも必要かと思われる。
坂口安吾
新らしき性格感情 坂口安吾 最近私は、N・R・Fの新年号に於て、イリヤ・エレンブルグが「青年期ロシヤ」という一種の報告書を寄せているのを読んだ。U・R・S・Sも生誕十五年をむかえている。あそこでは、学生達は学ぶことの報酬として給料を貰い、その給料で老いたる両親を扶養することも出来るらしい。こんなに我々とかけ違った方法で成人した若いロシヤの青年達は、彼等の性格
坂口安吾
最近私は、N・R・Fの新年号に於て、イリヤ・エレンブルグが「青年期ロシヤ」といふ一種の報告書を寄せてゐるのを読んだ。U・R・S・Sも生誕十五年をむかへてゐる。あそこでは、学生達は学ぶことの報酬として給料を貰ひ、その給料で老いたる両親を扶養することも出来るらしい。こんなに我々とかけ違つた方法で成人した若いロシヤの青年達は、彼等の性格に於て、心理に於て、まるで変
金森徳次郎
私は世にも珍らしい幸運者であつた。今囘の改正憲法の議會審議に當り、百餘日に亘つて、兩院の有力なる議員諸君と共に、論議を交換し、或る時は氷よりも冷かなる態度を以て法理の徹底を計り、或る時は熔鐵よりも※き心意氣に乘つて運營の將來を痛論した。 斯くして日々の檢討に依り改正案の有する各面を内外表裏より事細かに考へた。そしてこれこそは日本國が遲かれ早かれ踏み行かねばな
林譲治
第九十議會で、再建日本の在り方を規律する憲法の改正が行はれ、ここに民主的、平和的、文化的日本建設への指標が示されたのである。然し乍ら、單に憲法が改正せられ施行せられただけでその目的は達せられないのであつて、まづ、その趣旨が正當に理解せられ浸透せられることが必要である。この爲には、能ふ限り平易且簡明な、讀み易い解説書が必要である。この考へ方から資料等については
日本国
日本國民は、正當に選擧された國會における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸國民との協和による成果と、わが國全土にわたつて自由のもたらす惠澤を確保し、政府の行爲によつて再び戰爭の慘禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主權が國民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも國政は、國民の嚴肅な信託によるものであつて、その權威は
幣原喜重郎
私は先ず我国民生活が目下の窮迫情態に陥った原因に溯って一言したいことがあります。我々は昭和六年満州事変の発生以来、昭和二十年太平洋戦争の終了に至る迄、我国が対外関係に於いて執り来った行動を、冷静に、客観的に顧みてみまするならば、遺憾ながら正しい道を踏み誤まった事実を認めざるを得ませぬ。その行動が、仮令何ずれの大国でも過去の歴史を穿鑿すれば有り勝ちの性質のもの
宮本百合子
新しい抵抗について 宮本百合子 一 今日のファシズムのありかた この八月十五日には、四回目のポツダム宣言受諾の記念日がめぐってくるわけです。その記念日にあたって、わたしたちが力をつくして闘い、抵抗しなければならないのが国の内外にあらわになって来ているファシズムであり、戦争挑発であるということは、実に感慨無量のことです。 日本のファシズムは、本年に入ってから、
服部之総
夫れ非常の変に処する者は、必らず非常の士を用ふ――。 清河八郎得意の漢文で、文久二年の冬、こうした建白書を幕府政治総裁松平春嶽に奉ったところから、新撰組の歴史は淵源するのだが、この建白にいう「非常の変」には、もうむろん外交上の意味ばかりでなく、内政上のいみも含まれていた。さて幕末「非常時」の主役者は、映画で相場がきまっているように「浪士」と呼ばれたが、その社
坂本竜馬
第一義 天下有名ノ人材ヲ招致シ 顧問ニ供フ第二義 有材ノ諸侯ヲ撰用シ 朝廷ノ官爵ヲ賜ヒ 現今有名無実ノ官ヲ除ク第三義 外国ノ交際ヲ議定ス第四義 律令ヲ撰シ 新ニ無窮ノ大典ヲ定ム 律令既ニ定レバ諸侯伯皆此ヲ奉ジテ部下ヲ率ス第五義 上下議政所第六義 海陸軍局第七義 親兵第八義 皇国今日ノ金銀物価ヲ外国ト平均ス右預メ二三ノ明眼士ト議定シ 諸侯会盟ノ日ヲ待ッテ云々○
坂口安吾
近年、新興芸術の名に於て幾多の文芸運動が試みられてきたが、徒らに皮相の新奇を追ふほかに為すところを知らなかつた。従来幾多の此の如き新(?)文学運動の完全な失敗は、「新らしさ」を誤らしめ、同時に文学を過らしめた。 私の考へによれば、芸術は反撥精神のあらはれであり、時代創造的な激しい意志によつて為さるべきものであると思はれるに拘らず、最近日本文学の新しい傾向は、
坂口安吾
近年、新興芸術の名に於て幾多の文芸運動が試みられてきたが、徒らに皮相の新奇を追うほかに為すところを知らなかった。従来幾多の此の如き新(?)文学運動の完全な失敗は、「新らしさ」を誤らしめ、同時に文学を過らしめた。 * 私の考えによれば、芸術は反撥精神のあらわれであり、時代創造的な激しい意志によって為さるべきものであると思われるに拘らず、最近日本文学の新らしい傾
宮本百合子
文学に心をひかれる人は、いつも、自分がかきはじめるより先にかならず読みはじめている。しかも、わたしたちがはじめて読んだ小説や、詩はどんな工合にして手にふれたかと云えば、それは十中八九偶然である。そういう人は大抵よむのがすきで、年の小さいときからいつとはなしに、あれやこれやの文学をよんで来ているのだが、はじめて読んだ小説をいまわたしたちがわきまえているような意
宮本百合子
一 さきごろ中野重治が二つの短いアレゴリーを『改造』へ書いた。 自分はよんでいないけれども、彼は先に「根」という、やっぱりアレゴリーの成功した作品を書いたそうだ。 というと、つまり、『改造』に発表された方のはアンマリ成功していないということになる。作者の主観的な、古風な言葉でいえばある述懐というようなものは理解できる。が、作品は註つきでよませる物ではないから
宮本百合子
新日本文学の端緒 宮本百合子 満州事変以来今日までの十四年間に、旧日本の文学が崩壊しつくして行った過程は、日本文学史にとって未曾有のことであるばかりでなく、世界文学の眺望においても、駭くべき一事実ではないだろうか。 戦時下、西欧の多くの国々が文化の混乱と貧困とに陥った。けれども、それは日本におけるように文学精神そのものの喪失ではなかったと思う。更に心をうたれ
宮本百合子
日本に、言葉の正しい由緒にしたがっての、アカデミア、アカデミズムというものが在るのだろうか。徳川幕府のアカデミアであった林氏の儒学とそのアカデミズムとは、全く幕府の権力に従属した一つの思想統制のシステムであった。幕末の、進歩的な藩に置かれた藩学校は、当時表面上は幕府法律で禁じられていた英、蘭学の学習を秘密に行ったり、「万国」の事情に精通しようとする努力を示し
寺田寅彦
新春偶語 寺田寅彦 新玉の春は来ても忘れられないのは去年の東北地方凶作の悲惨事である。これに対しては出来るだけの応急救済法を講じなければならないことは勿論であるが、同時にまた将来いつかは必ず何度となく再起するにきまっているこの凶変に備えるような根本的研究とそれに対する施設を、この機会に着手することが更に一層必要であろうと思われる。可憐な都会の小学児童まで動員
坂口安吾
新春・日本の空を飛ぶ 坂口安吾 元旦正午、DC四型四発機は滑走路を走りだした。ニコニコと親切な米人のエアガールが外套を預る。真冬の四千メートルの高空を二〇度の適温で旅行させてくれる。落下傘や酸素吸入器など前世紀的なものはここには存在しない。爆音も有って無きが如く、普通に会話ができるのは流石である。 読売社の年賀状をまくために高度六百メートルで東京を二周する。
豊島与志雄
新時代の「童話」 豊島与志雄 それを二十世紀的と云おうと、現代と云おうと、或は新時代と云おうと、言葉はどうでもよろしいが、過去と現在との間に一種の距離を感じ、歴史の必然的なるべき推移のうちに一種の飛躍を感ずる、そういう時代に吾々は在る。 後方を振向いて眺めると、驚くほど遠望がきく。そしてこの遠望、普通のものではない。そこには距離の混乱がある。遠い「昔」のもの
小酒井不木
鯉坂嗣三君は生理学者であります。 彼は奇人とよばれることを頗る嫌って居りますけれど、友人たちは、ことごとく彼を奇人だといって居ります。すべて、医学を修めて、「医者」にならない人間には、どこかに変ったところのあるものですが、とりわけ、生理学を専攻する者の中には、ちょいちょい人間ばなれのした人があって、わが鯉坂君も、どちらかというと、その人間ばなれのした部類に属
宮本百合子
新しきシベリアを横切る 宮本百合子 十月二十五日。(一九三〇年) いよいよモスクワ出立、出立、出発! 朝郵便局へお百度を踏んだ。あまり度々書留小包の窓口へ、見まがうかたなき日本の顔を差し出すので、黄色いボヤボヤの髪をした女局員が少しおこった声で、 ――もうあなたを朝っから二十遍も見るじゃありませんか! と云った。 ――ご免なさい。だが私はこの我らのモスクワに
太宰治
甲府は盆地である。四辺、皆、山である。小学生のころ、地理ではじめて、盆地という言葉に接して、訓導からさまざまに説明していただいたが、どうしても、その実景を、想像してみることができなかった。甲府へ来て見て、はじめて、なるほどと合点できた。大きい大きい沼を掻乾して、その沼の底に、畑を作り家を建てると、それが盆地だ。もっとも甲府盆地くらいの大きい盆地を創るには、周
北原白秋
新橋 北原白秋 私が東京に着いて一番に鋭く感じたのは新橋停車場の匂でした。門司ではバナナや鳳梨の匂を嗅ぎながら税関の前に出るとすぐ煤烟のなかを小蒸汽に乗つて関門海峡を渡つたので都会と云ふ印象よりも殖民地といふ感が強かつた、究竟、都会としての歴史や奥行といふものがなく出口と入口とが同一になつてゐるからであらう。その他、神戸大阪京都名古屋と云ふ順序で東海道の各都