日本橋附近
田山花袋
日本橋附近は変ってしまったものだ。もはやあのあたりには昔のさまは見出せない。江戸時代はおろか明治時代の面影をもそこにはっきりと思い浮べることは困難だ。 あのさびた掘割の水にももはやあの並蔵の白さはうつらなかった。あれがあるために、あのきたない水も詩になったり絵になったりしたのに……。それでも去年の暮だったか、あの橋の上を歩いていると、かしましく電車や自動車の
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田山花袋
日本橋附近は変ってしまったものだ。もはやあのあたりには昔のさまは見出せない。江戸時代はおろか明治時代の面影をもそこにはっきりと思い浮べることは困難だ。 あのさびた掘割の水にももはやあの並蔵の白さはうつらなかった。あれがあるために、あのきたない水も詩になったり絵になったりしたのに……。それでも去年の暮だったか、あの橋の上を歩いていると、かしましく電車や自動車の
津田左右吉
日本の歴史の特性ということを話そうとすれば、つまりは日本の歴史そのものを話さねばならぬことになる。日本の歴史の特性は、全体としての日本の民族生活の歴史的発展の上にあらわれているものであり、そうして、その民族生活にも、その発展のすがたにも、いろいろの方面があって、しかもそれらが互にはたらきあって一つの生活となりその発展となるものだからである。けれども、ここでそ
津田左右吉
ちかごろ世間で日本歴史の科学的研究ということがしきりに叫ばれている。科学的研究というのが近代史学の学問的方法による研究という意義であるならば、これは史学の学徒の間においては一般に行われていることであるから、今さらこと新しくいうには及ばないはずである。然るにそれがこと新しいことのように叫ばれるのは、日本の国家の成立の情勢とか、皇室の由来やその本質、ならびにそれ
喜田貞吉
本誌の創刊に際して、余輩の常に使用するに慣れたる「日本民族」なる語が、本来何を意味するか、「日本民族」とは本来いかなるものなるかを説明して、あらかじめ読者諸賢の理会を請うは、余輩が本誌を利用してその研究を進める上に、最も必要なる事と信ずる。 「日本民族」なる語は、近時広く学者・政治家・教育家等の間に用いられて、暗黙の間にほぼその理会は出来ている事とは思われる
戸坂潤
文壇と一部の評論壇では、一口で云うと「日本的なるもの」の検討が風をなしている。私がこう口を切ると、そら公式主義者が「日本的なるもの」にケチをつけようとするものだ、と推量する周章者も少なくないかも知れないが、そう注文通りには行かないのである。併し公式主義という評語はすでにあり公式主義的に使い古された、何とかもう少し利き目のある評語を考え出すことが必要だろうと思
坂口安吾
日本の水を濁らすな 坂口安吾 アジア大会に日本の水泳選手が参加しなかったから水泳競技がないのかと思ったら、やっぱり、あるんだね。 どうして行かなかったんだろうね。相手が不足なのかね。外国遠征は毎年やって、もうあいちゃったし、夏のヒノキ舞台のコンディションにも影響する怖れもあるしというわけか。卒業試験のせいかね。 しかし、日本選手が到着したとき、インドの人たち
福沢諭吉
日本男子論 福沢諭吉 明治十八年夏の頃、『時事新報』に「日本婦人論」と題して、婦人の身は男子と同等たるべし、夫婦家に居て、男子のみ独り快楽を専らにし独り威張るべきにあらず云々の旨を記して、数日の社説に掲げ、また十九年五月の『時事新報』「男女交際論」には、男女両性の間は肉交のみにあらず、別に情交の大切なるものあれば、両性の交際自由自在なるべき道理を陳べたるに、
上村松園
日本画と線 上村松園 日本画 美人画 風俗画 それがこれからどうなってゆくかと申すことにつきましては、いろいろと斯道の人達にも議論せられているようでございますが、いずれに致しましても、どうかしてこの日本特有の絵の心を失わずに持ち続けたいものだと存じます。 それで、この「日本画」殊に風俗画の特有な妙所は何処にあるかと考えてみますると、まず主にそれは絵筆の尖端か
小川未明
いま日本は、一面に戦い、一面に東亜建設の大業に着手しつつある。これは実に史上空前の非常時であるといわなければならぬ。それであるから、老若男女の別を問わず、各分に応じて奉公の誠をいたしつつある。 すなわち国民こぞって、この大業に参加しつつある訳で、農村に、都会に、涙ぐましい彼等の努力を認めることが出来る。 われら国民が、非常時に処する誠心誠意はかくの如くである
坂口安吾
枕もとに子供用の本をあつめてヒルネの前後によむ。暑さにたえかねて編みだした方法である。 面白さについヒルネも忘れがちだったのはシートンの「動物記」(評論社)だけ。次にアンデルセンの童話がちょっと面白いナと思ったぐらいのもので日本の作者のものは教訓くさくてつまらなかった。 アンデルセンの童話はシンから子供向きの本格的な童話だろうと考えて、この年になるまで読んだ
竹越与三郎
只今後藤さんから御紹介を得まして、頗る過當な御評價でくすぐつたい思ひを致しました。併ながら名物に旨いものなしと申しますから、御紹介通りのことを申上げることが出來るか、頗る自信を缺いて居ります。私は今晩は日本の眞の姿と云ふことに付てお話を申上げたいのであります。希臘の哲學者の言葉に、人間第一の務は己を知ると云ふことだと申して居ります。洵に適切の言葉と思ひます。
中谷宇吉郎
弟治宇二郎が書いた本というのは、表題の『日本石器時代提要』であって、菊判三百ページくらいの堂々たる体裁であった。評判も大分良かったらしく、『朝日新聞』の書評でも「年齢わずか三十歳の著者が」と、大いに褒めてあった。しかし本当は、当時二十七歳くらいだったので、ひどく早熟な方であった。 語学には、妙な才能をもっていて、来た時は仏蘭西語はボン・ジュールくらいしか知ら
喜田貞吉
惚れた目から見れば痘痕も笑窪に見えるという諺があるが、反対に、いやと思う眼から観れば笑窪も時に痘痕に見えようというもの。余輩が昨年〔(昭和一〇年)〕癌腫保持者たるの宣告を受けて、懇意な人の中には手術をすすめてくれる者もあったが、多数は反対の意見に傾いて、「何分お年がお年だから、それに心臓も丈夫でないようだから」などと、医者からまでも非観説を聞かされてみると、
岸田国士
時 昭和十四年初夏より同年の晩秋にかけて 処 関東地方の小さな町 人 志岐行一 二十五 ふく 二十 行一の妹 きぬ 四十五 行一の母 大坪参弐 二十四 大五 六十 参弐の父 飯田虎松 四十二 町長代理 角崎九蔵 三十八 在郷軍人分会長 北野守男 四十五 国民学校々長 上島 通 二十五 農事試験場技手 結城正敏 四十二 予備陸軍少佐 小菅三郎 二十五
坂口安吾
日本精神 坂口安吾 ヨーロッパ精神は実在するか、また実在するとせば如何なるものがそれであるか、といふことが西洋の思想界でもだいぶ問題になつてゐるといふことで、私もヌーヴェル・リテレールのアンケートで同じ質問の解答を読んだ記憶がある。ヴァレリイとかロマンローラン、クロオデル等といふフランス文壇の大御所達が顔を並べて答へてゐたが、個々の意見は記憶にない。概してヨ
津田左右吉
「日本精神」という語が何時から世に現われたのか、確かには知らぬが、それがひどく流行したのは最近のことのようであり、いわゆる「非常時」の声に伴って急激に弘まったものらしく思われる。断えず高い調子で叫ばれ、何となく物々しいところがあるのみならず、いいようにより聞きようによっては一種の重苦しい抑圧的のひびきさえも感ぜられるのは、この故であろう。平安朝の昔にいわれた
折口信夫
日本美 折口信夫 私は日本の民俗の上からお話を申し上げたいと思つてゐます。譬へば、貴女方が花をお活けになる、さうした我々に芸術的感銘をお与へにならうとする花よりも、もつとうぶな花、宗教的な花の話をしてみたいと思ひます。 八月の月見、日本では月見が存外新しいことのやうに思つていらつしやるかも知れませんが、世の中の習慣は印象の深いものだから、月見が来ると花をお供
中井正一
これからいろいろ「日本の美」について、お話をいたしますにあたって、まず、この章は、西洋の美と東洋の美の関係について、のべさせていただきます。 いろいろの世界の学者の議論の中に、一つの間違ったと思われる考えかたがあり、また日本人もそう思っているらしい思い違いがありますので、そのことをいっとうはじめに申しあげておきます。 それは、東洋の芸術は野蛮な民族の芸術であ
内藤湖南
我國の繪畫が主として支那に起原せる事は勿論にして、支那の繪畫が時代によりて變遷ある毎に我國にも影響せし事は疑なし。其中に於て、肖像畫も殆んど現存の繪畫の開闢期より既に存在せしが、その肖像畫が日本に於て最も發達し、獨得の技倆を發揮せしは果して何時代の頃なりや、これに就ては、史學者、美術史家等の間に既に議論せられし事なるが、こゝに一己の私見を述べんとす。 其前に
折口信夫
日本芸能史といふこの課題の目的に答へることが出来るか、どうか訣りません。或は雑駁なお話になるかも知れません。 最初に芸能とはどういふ意味であるか、といふことに就て、私らの見るところを申上げたいと思ひます。大体「語」といふものは、実感をもつて使つてゐる間は、定義によつて、動いてゐるものではありません。使つてゐる間に語が分化して来て、そこで始めて、定義づけてみよ
折口信夫
私の演題には、二つの説明して置かなければならぬことがあります。第一は芸能と言ふこと、第二は特殊性と言ふことです。特殊性と言ふ語は、実は説明しなくともすむ事はすみますが、芸能と言ふことは、説明しなくては、承服なさらない方もあると思はれます。私の使ふ意味は、只今世の中で申して居る演芸――演芸と言つても漠然として居ますが、常識から申しまして演芸と言ふことで頭にはひ
折口信夫
お互ひにおめでたうございます。どうぞこの上とも皆さんのお力をもちまして、この会の目的が達成せられますやうに、また努めて行きますうちに、だん/\新しいよい目的を発見して、展開して行く、それもだん/\遂げて行きますには、皆さんのお力をお借りしたいと申す外はございません。 芸能といふことにつきましては、皆さんにいろ/\なお考へもおありでせうが、大体に於て、シナで使
竹内浩三
この空気 この音 オレは日本に帰ってきた 帰ってきた オレの日本に帰ってきた でも オレには日本が見えない 空気がサクレツしていた 軍靴がテントウしていた その時 オレの目の前で大地がわれた まっ黒なオレの眼漿が空間に とびちった オレは光素(エーテル)を失って テントウした 日本よ オレの国よ オレにはお前がみえない 一体オレは本当に日本に帰ってきているの
坂口安吾
日本の詩人 坂口安吾 碁の専門家は十四五歳で初段になるのが普通ださうだ。二十四五歳で高段者、準名人にもなつてしまふ。それから後は衰へる一方だといふから、力士や野球の選手と同じやうなものらしい。その道の天才がなければ大成しがたいものではあらうが、能だとか浄瑠璃だとか、人形使ひといふものと比べることはできない。芸ではなく、力の錬磨に重点がある。 詩人が碁打と同じ