Vol. 2May 2026

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甘い野辺

浜本浩

子供の頃、私は菓子を食べたことがなかった。家が貧しかったし、また私の郷里の土佐の国では、その頃まで勤倹質素を旨とする風習が残っていたので、菓子はぜいたくなもののように考えられていたからである。 菓子を禁じられた子供たちは、いろいろと代用になるものを探して食べた。それは私たちだけではなく、どこでも田舎の子供なら同じことかもしれない。 早春には、まず芝の地下茎を

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甘鯛の姿焼き

北大路魯山人

甘鯛の姿焼き 北大路魯山人 この料理は、東京に昔からあるものだが、大きいのでちょっと厄介である。金串を打つのにコツがあり、なにも知らずに、ただやたらに何本も串を打ってはいけない。 最初に金串を扇形になるように打つ。それからあとは何本打とうと、扇の要のところを中心にすれば適当に打ってよい。そうすると、手で持つのに便利であるし、焼けても扱うたびに身がこわれるとい

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たましいは生きている

小川未明

昔の人は、月日を流れる水にたとえましたが、まことに、ひとときもとどまることなく、いずくへか去ってしまうものです。そして、その間に人々は、喜んだり、悲しんだりするが、しんけんなのは、そのときだけであって、やがて、そのことも忘れてしまいます。 この話も、後になれば、迷信としか、考えられなくなるときがあるでしょう。 *   *   *   *   * わたしの兄は

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どこかに生きながら

小川未明

子ねこは、彼が生まれる前の、母ねこの生活を知ることはできなかったけれど、物心がつくと宿なしの身であって、方々を追われ、人間からいじめつづけられたのでした。母ねこは、子供をある家の破れた物置のすみへ産み落としました。ここで幾日か過ごすうちに、子ねこは、やっと目が見えるようになりました。そして、母親の帰りがおそいと、空き箱の中から、明るみのある方を向いて、しきり

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S・I生へ

牧野信一

本誌の二月号に、君が書いた、僕に関するスケツチ文は、稀に見る非常識な、失敬な文章である。 僕は、在学中適齢に達したが、猶予願ひすらせずに堂々と検査をうけたものだ。君は、どんなつもりで書いたのかも知れないが、縦令一言半句でも、僕の国民としての名誉を傷けるやうな文句を、疎かに使はれては迷惑千万だ。僕は、忠良なる日本国民である。僕は、君の云はれるやうな「ヱビス」の

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生あらば

豊島与志雄

生あらば 豊島与志雄 一 十一月から病床に横わった光子の容態は、三月になっても殆んど先の見当がつかなかった。三十九度内外の熱が少し静まると、胸の疼痛が来たり、または激しい咳に襲われたりした。咳が少しいいと思うとまた高い熱に悩まされた。また不眠の状態と嗜眠の状態とが交々彼女の単調な病床にやって来た。そしてそれらの変化の背後には、絶えざる食慾不振と衰弱とが在った

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生不動

橘外男

生不動 橘外男 一 北海道の留萌港……正確に言えば、天塩国留萌郡留萌町であろうが、もちろんこんな辺陬の一小港などが諸君の関心を惹いていようとも思われぬ。 札幌から宗谷本線稚内行に乗って三時間、深川という駅で乗り換えて更に一時間半、留萌本線の終端駅と言えばすこぶる体裁よく聞えるが、吹雪の哮え狂う北日本海の暗い怒濤の陰に怯えながら瞬いているような侘しい漁師町と思

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生きた人形

小川未明

ある町の呉服屋の店頭に立って一人の少女が、じっとそこに飾られた人形に見いっていました。人形は、美しい着物をきて、りっぱな帯をしめて、前を通る人たちを誇らしげにながめていたのです。 「私が、もしあのお人形であったら、どんなにしあわせだろう……。なんの苦労もなしに、ああして、平和に、毎日暮らしていくことができる。そして、前を通る男も、女も、みんな自分を振りかえっ

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生ける人形

寺田寅彦

生ける人形 寺田寅彦 四十年ほど昔の話である。郷里の田舎に亀さんという十歳ぐらいの男の子があった。それが生まれてはじめて芝居というものを見せられたあとで、だれかからその演劇の第一印象をきかれた時に亀さんはこう答えた。「妙なばんばが出て来て、妙なじんまをずいて、ずいてずきすえた」これを翻訳すると「変な老婆が登場して、変な老爺をしかり飛ばした」というのである。そ

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生体構成物質の動的状態

シェーンハイマールドルフ

ルードルフ・シェーンハイマーはベルリンに生まれそこで初期の教育および大学訓練を受けた。1922年にベルリン大学から医学の学位を受けた後でこの市のモアビット病院において1年のあいだ病理学レシデントの地位を得た。そこで彼はアテローム性動脈硬化の問題にひきつけられ、実験動物にコレステロールを与えて動脈硬化を起こすことについてこの時期に始まる最初の論文を出版した。生

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生前身後の事

中里介山

生前身後の事 中里介山 小生も本年数え年五十になった、少年時代には四十五十といえばもうとてもおじいさんのように思われたが、自分が経来って見るとその時分の子供心と大した変らない、ちっとも年をとった気にはなれない、故人の詩などを見ると四十五十になってそろそろ悲観しかけた調子が随分現われて来るけれども、余はちっとも自分では老いたりという気がしないのみならず、それか

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生きぬく力

小川未明

「孝二、おまえでないか。」 「僕、そんなところへさわりませんよ。」 玉石の頭から、すべり落ちた青竹を、口をゆがめながらもとへ直して、おじいさんは、四つ目垣の前に立っていました。いたずら子がきて、抜こうとするのだと思ったのです。竹馬にするには、ちょうど手ごろの竹だからでした。しかし、この辺の子供には、そんな悪い子がないと考えると、植木屋の締め方が足りなかったの

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生みの力

片上伸

批評的精神も創造的精神も、今は共にその意味が變りかゝつてゐる。生活に對しても藝術に對しても、吾々は自分自からの解釋を作つて行かねばならない。吾々は自分自からの道を歩いて行かねばならない。自分自身の言葉、自分自身の生命を掴んで行かなければならない。 リアリズムの藝術は批評の藝術であつた。ロマンティシズムが創造の藝術であつたのに對して、リアリズムは新しい批評的精

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生きるための協力者 その人々の人生にあるもの

宮本百合子

だいぶ古いことですが、イギリスの『タイムズ』という一流新聞の文芸附録に『乞食から国王まで』という本の紹介がのっていました。著者は四〇歳を越した一人の看護婦でした。二〇年余の看護婦としての経験と彼女の優秀な資格は、ロンドン市立病院の一人の看護婦である彼女を、人生のいろいろの場面に立ちあわせることになりました。行路病者として運びこまれた乞食の臨終に立ちあった彼女

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生きている古典

宮本百合子

生きている古典 宮本百合子 マルクス=エンゲルス全集というと、赤茶色クロース表紙の書籍が、私たちの目にある。この本のために、これまでの日本の読者は、どんなに愛情を経験し、また苦労をなめてきただろう。階級のある社会に生活をいとなんでいる以上、そのなかで働いて生活している者であるかぎり、文化の仕事をしていようと肉体の労働にしたがっている人々であろうと、いわば常識

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生命拾ひをした話

坂口安吾

朝日新聞の八段位獲得戦木谷七段対久保松六段の対局で呉七段の解説。参考図一で黒が手を抜いて「い」と打たれても生きがあるといふのである。即ち参考図二白七までゞ目を欠きにきても、次に黒ろと打つ手筋によつて黒に渡りがあるといふ。 娯楽機関の何一つない田舎では、新聞を読むのが最大の娯楽である。僕はラヂオを聴かないが、毎日ラヂオを読むのである。活動写真も音楽も読むのであ

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生まれ変った赤坂離宮

中井正一

生まれ変った赤坂離宮 中井正一 二つの足で立つようになるために、人間は二十万年もころんでは立ち、ころんでは立ちしたんだろう。そして、手が自由になったとき、どんな気持ちがしただろう。 ものをつかんで、土の上に立った人間のすがた。今はあたりまえのことだが、このあたりまえのことを、何十万年も努力した人間の勝利の記録であることを思ってみる人が、今地球上で何人いるだろ

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生きてゆく姿の感銘

宮本百合子

生きてゆく姿の感銘 宮本百合子 この小説の最後の一行を読み終って、さてと心にのこされたものをさぐって見ると、それは作者がカソリック精神で表現している「死の意味」への納得ではなくて、死というものをもこれだけに追究しとり組んで行く、人間の生きてゆく姿の感銘であるのは、非常に面白いところであると思われる。私たちの世代では、人間一人の生の意味の面からの追究でなければ

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生存理由としての哲学 ――哲学界に与うる書――

三木清

時代は行動を必要とする、あらゆるものが政治的であることを要求している。このときしかし、哲学するということは、およそ人間の生存理由もしくは意義をなし得るであろうか。人間の「レエゾン・デエトル」として、哲学はいかなるものであるべきであろうか。これは現代において、すべての哲学者にとって、最も切実な問題でなければならぬ。哲学が学問としていかなるものであるべきかという

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生きている忠臣蔵 ――忠臣蔵は何故流行するか――

尾崎士郎

忠臣藏を上演、もしくは上映すれば必ず大當りをとるといふのが今や一定不變の興行常識とされてゐる。 原作者の竹田小出雲(二代目出雲)も、これだけの魅力と影響力を後世に持續し得るとは夢にも想像しなかつたであらう。(事實は三好松洛と、並木千柳との共同製作であるが) その流行の底に潜む秘密は今日といへども的確な判斷を下されてはゐない。人はしばしば、作品の樞軸をなす世俗

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よく生きてきたと思う

竹内浩三

よく生きてきたと思う よく生かしてくれたと思う ボクのような人間を よく生かしてくれたと思う きびしい世の中で あまえさしてくれない世の中で よわむしのボクが とにかく生きてきた とほうもなくさびしくなり とほうもなくかなしくなり 自分がいやになり なにかにあまえたい ボクという人間は 大きなケッカンをもっている かくすことのできない 人間としてのケッカン

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生きるための恋愛

宮本百合子

生きるための恋愛 宮本百合子 こういう質問が出ることはわたしたちに深く考えさせるものがあります。ブルジョア雑誌は毎号かかさないように新しい時代の幸福とか恋愛とか結婚の問題をとりあげて沢山のページをさいています。『アカハタ』にはぬやま・ひろしの「大うけだった恋愛談義」という見出で記事がのりました。それらの恋愛論はそして結婚論は今日こういう問が出てくることに対し

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生態の流行

宮本百合子

生態の流行 宮本百合子 二ヵ月ばかり前の或る日、神田の大書店の新刊書台のあたりを歩いていたら、ふと「学生の生態」という本が眼に映った。おや、生態ばやりで、こんなジャーナリスティックな模倣があらわれていると半ば苦笑の心持もあってその本を手にとってみたら、それはどこかの場当りなブック・メイカアがこしらえているものではなくて、官立大学の学生主事をしている人が、そう

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生きている戦死者

牧逸馬

背の高い、物腰の柔かい上品な男だった。頭髪は黒く、頬骨が高くて、一見韃靼人の血が混っていることを思わせる剽悍な顔をしていた。一九一二年の春の初めである。匈牙利の首都ブダペストから四哩程離れた田舎に、ツインコタという風光明媚な避暑地がある。ちょっと週末旅行などにも好いところで、附近にはヴィスグラッド、ナジ・モロス、ブダフォックなんかと、名前は恐しげだが、景色の

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