生きている看板
小川未明
町から、村へつづいている往来の片側に、一軒の小さなペンキ屋がありました。主人というのは、三十二、三の男であったが、毎日なにもせずに、ぶらぶらと日を送っていました。このあたりの商店は、一度、かけた看板は汚れて、よくわからなくなるまで、懸けておくのが例であって、めったに、新しくするということはなく、また、新しい店が、そうたくさんできて、看板を頼みにくるということ
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小川未明
町から、村へつづいている往来の片側に、一軒の小さなペンキ屋がありました。主人というのは、三十二、三の男であったが、毎日なにもせずに、ぶらぶらと日を送っていました。このあたりの商店は、一度、かけた看板は汚れて、よくわからなくなるまで、懸けておくのが例であって、めったに、新しくするということはなく、また、新しい店が、そうたくさんできて、看板を頼みにくるということ
中井正一
ヘーゲルの弁証法が生れる周囲には、その頃の青年ドイツ派ロマン的皮肉があると考える人々がある。ロマン的皮肉とは、ヘーゲルの友人のゾルゲルで代表されるところの一つの表現、自分達の凡ての行いや言葉のすぐそばに、「黙ってジッと自分を見つめている眼なざし」があると云う一つの不安と怖れである。自分の反省の中にある、限りない圧迫感である。自分の中に、いつでも自分をすべりぬ
小川未明
日にまし、あたたかになって、いままで、霜柱が白く、堅く結んでいた、庭の黒土が柔らかにほぐれて、下から、いろいろの草が芽を出してきました。 「お父さん、すずらんの芽が、だんだん伸びてきましたよ。」と、庭に出て、遊んでいた少年が、奥の方に向かっていいました。 へやで、お父さんは、本を読んでいられた。 「兄さん、どこに、すずらんが芽を出したか、僕に見せておくれよ。
小山清
私は数え年の二つのとき、父母に伴われて大阪へ行った。大正の始であった。 その頃、私の父は摂津大掾の弟子で、文楽座に出ていた。父は二つのとき失明した。脳膜炎を患ったためだという。父は十三四の頃初めて大阪へ行き、はじめ五世野沢吉兵衛の手解をうけ、その後当時越路太夫と云った摂津大掾のもとに弟子入りをした。祖父の姉で出戻の身を家に寄食していた人が、父に附添って行った
堀辰雄
或る夏、一つのさるすべりの木が私を魅してゐた。ホテルの二階の窓から、私は最初その木を認めた。其處からは、丁度物置かなんぞらしい板屋根ごしにその梢だけが少し見えてゐたので、私はそれをホテルの木だとばかり思つて、ときどき何といふこともなしにそれへ空虚な目をやつてゐただけだつた。……或る日、ホテルの裏の水車の道の方へ散歩に行つて歸つてきた私はいつものやうに裏木戸か
宮本百合子
生きつつある自意識 宮本百合子 ロジェ・マルタン・デュガールの長篇小説「チボー家の人々」は太平洋戦争がはじまる前に、その第七巻までが訳された。山内義雄氏の翻訳で、どっさりの人に愛読されていたものであったが、ドイツのナチズムとイタリーのファシズムの真似一点ばりだった当時の日本の政府は、敵性の文学であるという理由で、それから益々興味ふかくなる第八巻からあとの出版
槙村浩
高粱の畠を分けて銃架の影はけふも続いて行く銃架よ、お前はおれの心臓に異様な戦慄を与へる――血のやうな夕日を浴びてお前が黙々と進むときお前の影は人間の形を失ひ、お前の姿は背嚢に隠れお前は思想を持たぬたゞ一箇の生ける銃架だきのふもけふもおれは進んで行く銃架を見た列の先頭に立つ日章旗、揚々として肥馬に跨る将軍たち、色蒼ざめ疲れ果てた兵士の群―おゝこの集団が姿を現は
知里真志保
白老のシュバイツァーとして、すでに貴重な存在になっている高橋房次氏が、今度白老町の住民一同から銅像をおくられることになったという。町民がこぞって醵金に応じ、町役場前の広場に銅像をたてるということは、誠に意義の深いことだと思われる。 大正11年3月に、旧土人保護法施設として完備された道立白老病院の院長とし、高橋氏が赴任されてからも37年になる。その間、土人部落
久生十蘭
松久三十郎は人も知る春陽会の驥足である。 脚絆に草鞋がけという実誼な装で一年の半分は山旅ばかりしているので、画壇では「股旅の三十郎」という綽名をつけている。 飛騨の唐谷の奥に、谷にのぞんだ大きな栃の木があって、満開のころになると幾千とも数えきれない淡紅色の花をつけ、それに朝日の光がさしかかると、この世のものとも思われないほど美しいという。それを見るために出か
小泉八雲
昔、江戸霊岸島に喜兵衞と云う金持ちの瀬戸物店があった。喜兵衞は六兵衞と云う番頭を長く使っていた。六兵衞の力で店は繁昌した、――余り盛大になって来たので、番頭独りでは管理して行かれなくなった。そこで、経験のある手代を雇う事を願って許された、それから自分の甥を一人よびよせた――以前大阪で瀬戸物商売を習った事のある、二十二ばかりの若者であった。 この甥は甚だ役に立
グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール
むかしむかし、ひとりの仕立屋さんがおりました。仕立屋さんは三人のむすこと、それから、ただ一ぴきのヤギをもっていました。 ところでこのヤギは、そのお乳でみんなをやしなっていたのですから、よいえさをもらわなければなりません。それで、まい日草原へつれだしてもらいました。むすこたちも、じゅんじゅんにこの役めをやっていました。 あるとき、いちばん上のむすこが、それはそ
岸田国士
用捨なき観客 岸田國士 今日我が新劇の観客といへばどういふ人達であるか――。いづれも多くは「現在までの新劇」を標準にして「まあこれ位ならば……」といふ見当をつけて見に行く人々である。結局、今迄のものより悪くなければ、勿論我慢をしてくれ、その中からさへも、何かしら「今までのもの」より以上のものを見落すまいとしてくれる人々である。 然し、これは我が新劇の為に、存
折口信夫
用言の発展 折口信夫 われ/\は常につくろふとかたゝかふとかいふ所謂延言の一種を使うて居つて何の疑をもおこさぬ。今日の発音ではつくろふもたゝかふも、みな終止形はおの韻をもつたら行長音なりか行長音なりになつてしまふのであるから疑のおこらぬのも尤である。けれども仮字づかひについて考を及してみるとどうもをかしい。なぜつくろふの ro は rofu でかたらふの r
蒲松齢
武承休は遼陽の人であった。交際が好きでともに交際をしている者は皆知名の士であった。ある夜、夢に人が来ていった。 「おまえは交游天下に遍しというありさまだが、皆濫交だ。ただ一人患難を共にする人があるのに、かえって知らないのだ。」 武はそこで訊いた。 「それは何という人でしょうか。」 その人はいった。 「田七郎じゃないか。」 武は夢が醒めて不思議に思い、朝になっ
太宰治
田中君の作品に就いてよりも、まづ田中君の人間に就いてお知らせして置いたはうが、いまは、必要なやうに思ひますから、そのはうだけを、少し書きます。 この創作集の末尾に、田中君が跋文を書き添へてゐるやうですが、それに據れば、「俺の過去は醜惡で複雜、まともに語れるものではない。この醜くさは、顏が赧くなつて脇の下から冷汗ものだ、などといふ體裁の好いものではなかつた筈だ
寺田寅彦
田丸先生の追憶 寺田寅彦 なくなってまもない人の追憶を書くのはいろいろの意味で困難なものである。第一には、時のパースペクティヴとでもいうのか、近いほうの事がらの印象が遠い以前のそれを掩散したがる傾向がある。第二には、近いほうの事を書こうとすると自然現在の環境の中でのいろいろの当たりさわりが生じやすい。第三には、いったいそういうものを書こうというような気持ちに
豊島与志雄
重夫は母のしげ子とよく父のことを話し合った。それは、しげ子にとっては寧ろどうでもいい問題であったが、重夫にとっては何かしら気遣わしい、話さないではおれない問題であった。 実際、重夫の父田原弘平は凡てに於て観照家でそして余りに寛大であった。然しそれはいいことであったかも知れない。ただ重夫が気遣わしく思ったのは、物にぶつかってゆく力を欠いだ父のそうした生活態度を
楠山正雄
田原藤太 楠山正雄 一 むかし近江の国に田原藤太という武士が住んでいました。ある日藤太が瀬田の唐橋を渡って行きますと、橋の上に長さ二十丈もあろうと思われる大蛇がとぐろをまいて、往来をふさいで寝ていました。二つの目玉がみがき上げた鏡を並べたようにきらきらかがやいて、剣を植えたようなきばがつんつん生えた間から、赤い舌がめらめら火を吐くように動いていました。あたり
豊島与志雄
田園の幻 豊島与志雄 「おじさん、砂糖黍たべようか。」 宗太郎が駆けて来て、縁側に腰掛け煙草をふかしている私の方を、甘えるように見上げた。私に食べさせるというより、自分が食べたそうな眼色である。 「だって、君んとこに、砂糖黍作ってないじゃないか。」 「うん、貰って来るよ。今日はお祭りだから、誰も叱りゃしない。」 先日、夕食後の散歩の時、宗太郎が砂糖黍を二本折
佐々木邦
「秋ちゃん」 と水町君が見つけて、人の肩越しに呼びかけた。混んでいる汽車の中だった。 「あらまあ!」 ふり返った秋ちゃんは水町君の風体まで認識して、 「磯釣?」 と言い当てた。 「うむ。天気が好いから」 「どこ?」 「大岩浜」 「私も大岩よ」 「何しに?」 「親類がありますから」 水町君は村から市へ出て来て、市から汽車に乗ったのだった。五駅走ると海が見え始め
佐藤春夫
井伏鱒二君の文は虚実相半して自ら趣を成すものである。たとへばそれは歪んだ面をもつた田舎の理髪店の鏡のごとく現実を歪んで映し出してゐる。しかし決して現実の姿を総体として誤ることなく映し出してゐるのも事実であつて、そのままならぬ姿の現実、現実を井伏特有の方則で歪めてゐるところに君の所謂なつかしい現実の世界を創造してゐる。その姿はやや不確に歪みながらにもその内部に
宮沢賢治
十の蜂舎の成りしとき よき園成さば必らずや 鬼ぞうかがふといましめし かしらかむろのひとありき 山はかすみてめくるめき 桐むらさきに燃ゆるころ その農園の扉を過ぎて 苺需めしをとめあり そのひとひるはひねもすを 風にガラスの点を播き 夜はよもすがらなやましき うらみの歌をうたひけり 若きあるじはひとひらの 白銅をもて帰れるに をとめしづかにつぶやきて この園
寺田寅彦
現代の多くの人間に都会と田舎とどちらが好きかという問いを出すのは、蛙に水と陸とどっちがいいかと聞くようなものかもしれない。 田舎だけしか知らない人には田舎はわからないし、都会から踏み出した事のない人には都会はわからない。都鄙両方に往来する人は両方を少しずつ知っている。その結果はどちらもわからない前の二者よりも悪いかもしれない。性格が分裂して徹底した没分暁漢に
夏目漱石
田山花袋君に答う 夏目漱石 本月の「趣味」に田山花袋君が小生に関してこんな事を云われた。――「夏目漱石君はズーデルマンの『カッツェンステッヒ』を評して、そのますます序を逐うて迫り来るがごとき点をひどく感服しておられる。氏の近作『三四郎』はこの筆法で往くつもりだとか聞いている。しかし云々」 小生はいまだかつて『三四郎』をズーデルマンの筆法で書くと云った覚えなし