神童
マンパウル・トーマス
神童が入って来る――会場はしんとしずまる。しずまったと思うと、やがて人々は手を叩きはじめる。どこかわきのほうの席で、ある生れながらの支配者、統率者である人が、まずはじめに拍手したからである。人々はまだなんにもきかぬうちから、喝采を浴びせている。それは大仕掛な宣伝機関が、この神童の先に廻って活躍したので、知るも知らぬも、みんなすでに眩惑せられているのである。
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マンパウル・トーマス
神童が入って来る――会場はしんとしずまる。しずまったと思うと、やがて人々は手を叩きはじめる。どこかわきのほうの席で、ある生れながらの支配者、統率者である人が、まずはじめに拍手したからである。人々はまだなんにもきかぬうちから、喝采を浴びせている。それは大仕掛な宣伝機関が、この神童の先に廻って活躍したので、知るも知らぬも、みんなすでに眩惑せられているのである。
北原白秋
神童の死 北原白秋 去年の秋、小田原の近在に意外の大惨虐が行はれた。恐らく、この吾が人生に於ける悲劇中の悲劇であらう。而かも私は、未だ曾てかゝる神聖無垢な殺人犯を見た事が無い。清純にして無邪、真実にして玲瓏の極、のみならず、単純無比にして深刻無比。而かもまた無心無我の極にあつて、既に恐るべき悪魔的天才の萌芽を示した雋鋭錐の如き近代の神経と感覚。驚くべきこの犯
坂口安吾
私は中原が訳すまで、ラムボオに『学校時代の詩』といふもののあることを知らなかつた。仏蘭西の全集には載つてゐないものである。日本流に数へて十五歳から十七歳までの作品らしい。 私は今までラムボオは神童だつたに違ひないと考へてゐたが、この詩集を読んでみると私の考へがまちがつてゐたことに気付いた。大人びたところがまるでない。その上、神童らしい神童の鋭さもない。だから
坂口安吾
私は中原が訳すまで、ラムボオに『学校時代の詩』というもののあることを知らなかった。仏蘭西の全集には載っていないものである。日本流に数えて十五歳から十七歳までの作品らしい。 私は今までラムボオは神童だったに違いないと考えていたが、この詩集を読んでみると私の考えがまちがっていたことに気付いた。大人びたところがまるでない。その上、神童らしい神童の鋭さもない。だから
織田作之助
神経 織田作之助 一 今年の正月、私は一歩も外へ出なかった。訪ねて来る人もない。ラジオを掛けっ放しにしたまま、浮浪者の小説を書きながら三※日を過した。土蜘蛛のようにカサカサの皮膚をした浮浪者を書きながら、現実に正月の浮浪者を見るのはたまらなかった。浮浪者だけではない。外へ出れば到る所でいやでも眼にはいる悲しい世相を、せめて三※日は見たくなかった。が、ラジオの
田山花袋
新世紀に出た正宗白鳥君の『古手帳』の中に、『蟲齒が痛んで苦んだ。琺瑯質が壞れて神經が現はれるのださうだ。心の琺瑯質が壞れて、露出した外界の熱さ寒さに觸れたら、どんなに痛いだらう。』といふ句があつた。新人の言、神經家の言。 ●図書カード
坂口安吾
神経衰弱的野球美学論 坂口安吾 このほど東大の神経科へ入院したおかげでいくらか病気がよくなってからの二週間ほどたいがい後楽園へ通った。 科長の内村裕之先生は往年の大投手であり今日でも野球ジャーナリズムの第一人者であるから、廻診の折、もう君、そろそろ、後楽園へ野球でも見物に行きたまえ、その方が気晴らしになる、とアッサリ先方から意外の外出を許された時は、僕も嬉し
寺田寅彦
神話と地球物理学 寺田寅彦 われわれのように地球物理学関係の研究に従事しているものが国々の神話などを読む場合に一番気のつくことは、それらの説話の中にその国々の気候風土の特徴が濃厚に印銘されており浸潤していることである。たとえばスカンディナヴィアの神話の中には、温暖な国の住民には到底思いつかれそうもないような、驚くべき氷や雪の現象、あるいはそれを人格化し象徴化
豊島与志雄
神話と青春との復活 豊島与志雄 内に漲る力、中から盛りあがってくる精神が、新たな建設には必須の条件である。大東亜に新たな文化が要望せられるとすれば――更に、少しく局限して、新たな文芸が要望せられるとすれば、その建設をつきあげてくるところの、内なる力、中なる精神を、どこに探り求めるべきであろうか。その場所は、既に現実の事態の中にある。一つは青春の復活である。こ
折口信夫
静かな秋冬が来る。わが国も、幸福な月日が廻つて来て、神の心も明るくなつて来て居られることゝ思ふ。秋からさきは神事が多く、従つて神の心を賑はし申す行事が、社々で行はれる。耳を澄すと、どこの野山、かしこの町中などに、必日毎に神祭りの楽器の音がしてゐる。秋ばかりに限つた事ではないが、此時期にかう言ふ神事の多く行はれるのは、理由のあることである。祭りがあると、芸能め
喜田貞吉
東北文化の研究については、土俗上、信仰上、見のがすことのできないものの一つにオシラ神がある。オシラ神の事については、ことにこの方面の研究にはなはだ多くの薀蓄を有せられる佐々木喜善君の報告を、本誌創刊号上において紹介するを得たことを光栄とする。たまたまこれと時を同じゅうして、わが郷土研究界の権威なる柳田國男君が、「オシラ神の話」と題する興味深い一文を文藝春秋の
寺田寅彦
毎年春と秋と一度ずつ先祖祭をするのがわが家の例である。今年の秋祭はわが帰省中にとの両親の考えで少し繰り上げて八月某日にする事ときめてあったが、数日来のしけで御供物肴がないため三日延びた。その朝は早々起きて物置の二階から祭壇を下ろし煤を払い雑巾をかけて壇を組みたてようとすると、さて板がそりかえっていてなかなか思うようにならぬのをようやくたたき込む。その間に父上
狩野直喜
祭原教授文 狩野直喜 維大正十三年三月丁亥、故原教授の僚友門人等相謀り、席を妙滿の精舍に設け、僧に請ひ經を誦し、敬みて君の靈を祭る。嗟光陰の逝き易きは、駒の隙を過ぎるに譬ふ、君が館を捐てしより已に二月を經たり。講帷の舊物、卷帙空しく存し、蒿里の新歌、幽明長へに隔たりぬ、嗚呼哀哉。古人言へることあり、上士は生死を齊しくし、下士は生を愛し死を惡んで之に迷ふと。予
豊島与志雄
祭りの夜 豊島与志雄 政代の眼は、なにかふとしたきっかけで、深い陰を宿すことがあった。顔は美人というほどではないが整っていて、皮膚は白粉やけしながら磨きがかかっており、切れの長い眼に瞳がちらちら光り、睫が長く反り返っていて、まあ深みのない顔立なのだが、ちょっと瞬きをするとか、ふと考えこむとか、なにかごく些細なきっかけで、眼に深い陰が宿るのである。以前は芳町の
平林初之輔
油小路の五条を少し上がったところに島田寓と女文字でしるした一軒のしもた家があります。その裏木戸のあたりを、もう十分も前から通り過ぎたり、後戻りをしたり、そっと中の様子にきき耳をたてたり、いきなり、びっくりしたようにあたりを見回したりしている一人の男がありました。 大正十五年八月二十三日の夜でした。その晩は京都地方に特有のむしあつい晩で湿度の多い空気はおりのよ
牧野信一
野菜を積んだ馬車を駆つて、朝毎に遠い町の市場へ通ふのが若者の仕事だつた。 村を出はづれると、白い川の堤に沿つて隣りの村に入り、手おし車ならばそのまゝ堤づたひに真ツすぐに、また次の村に入れるのだが、そのあたりから道が急に狭くなつてゐるので、馬車だと迂回して、鎮守の森の裏手から、村宿を通り抜け、鍛冶屋と水車小屋に、朝の挨拶をかけて、橋を渡るのであつた。 「お前の
中野鈴子
秋の風 野面を渡る さく さく 腕も軽し 早稲を刈る この祭り日に たわわに実るありがたさ 早出供米 他村に魁け お国につくす稲を刈る この祭り日に 息子らは遠き戦野に 村に居残る吾等 田畑引き受け 休みなし この祭り日に ●図書カード
宮沢賢治
アナロナビクナビ睡たく桐咲きて 峡に瘧のやまひつたはる ナビクナビアリナリ赤き幡もちて 草の峠を越ゆる母たち ナリトナリアナロ御堂のうすあかり 毘沙門像に味噌たてまつる アナロナビクナビ踏まるゝ天の邪鬼 四方につゝどり鳴きどよむなり ●図書カード
宮本百合子
千人針の女のひとたちが街頭に立っている姿が、今秋の文展には新しい風俗画の分野にとり入れられて並べられている。それらの女のひとたちはみな夏のなりである。このごろは秋もふけて、深夜に外をあるくと、屋根屋根におく露が、明けがたのひとときは霜に凝るかと思うほどしげく瓦やトタンをぬれ光らせている。戦いに年が暮れるのだろうか。 この間二晩つづけて、東京には提灯行列があっ
宮沢賢治
祭の晩 宮沢賢治 山の神の秋の祭りの晩でした。 亮二はあたらしい水色のしごきをしめて、それに十五銭もらって、お旅屋にでかけました。「空気獣」という見世物が大繁盛でした。 それは、髪を長くして、だぶだぶのずぼんをはいたあばたな男が、小屋の幕の前に立って、「さあ、みんな、入れ入れ」と大威張りでどなっているのでした。亮二が思わず看板の近くまで行きましたら、いきなり
成島柳北
第四回改称節ノ賀筵上ニ於テ、社長柳北恭シク社主ヨリ賜ハル酒ノ※余ヲ奠シテ、汝活字子ノ霊ニ告グ。嗚呼吾ト汝ハ如何ナル宿因有テカ、一度莫逆ノ交ヲ訂セシヨリ旦暮相離レズ。汝ハ吾ガ為メニ勤労シ吾レハ汝ニ頼テ衣食スルコト、茲ニ満三年ニシテ、本社改称節ノ賀儀ヲ挙グルモ既ニ四回ニ及ブ。吾ガ汝ヲ眷愛スルノ念、豈ニ我ガ子弟ニ異ナランヤ。汝ハ形躯有ルモ智覚無キガ如シ。人皆汝ヲ目
片山広子
ミケル祭の聖者 片山廣子 九月二十八日はミケルマス(ミケル祭)といつて、聖マイケルを記念する祭日である。むかしはミケルマスの前夜にはたいそう賑やかな催しがあり、幾組かのあたらしい婚約者も出来あがる慣はしであつたさうだが、現代ではどの聖者の祭日もみんな同じやうなもので、先づおミサに始つて、それから家々で飲んだり食べたり騒いだりするものらしい。 おもてむきの解説
成島柳北
明治十年二月十三日、上子斎戒沐浴シ、恭シク一壜ノ葡萄酒ト一臠ノ牛肉トヲ具ヘテ自ラ其ノ舌ヲ祭ル。其文ニ曰ク、嗚呼吾ガ心ハ謹慎ニシテ吾ガ胆ハ縮小ナリ。生来未ダ嘗テ狂暴悖戻ノ事ヲ為サズ。然ルニ汝三寸ノ贅物妄リニ喋々トシテ遂ニ意外ノ禍害ヲ招キ、吾ヲシテ飛ンダ迷惑ヲ為サシメタル。思ヒ出ダセバ去年今月今日ニシテ、即チ一周年ノ忌辰ニ当レリ。其日ノ景况ハ如何ナリシト思フゾヤ
野村胡堂
「旦那様、これは又大した古疵で御座いますが、――さぞ、お若い時分の、勇ましい思い出でも御座いましょう」 「いや、そう言われると恥かしい、後ろ傷をと言うわけでは無いが、相手の刃物が伸びて、腰車を妙に背後へかけて斬られて居るから、人様の前でうっかり肌を脱ぐと、飛んだ変な目で見られることがある――」 本所割下水に住んで居る、浪人者の原口作左衛門、フト呼び入れた年若