芥川竜之介の死
萩原朔太郎
七月二十五日、自分は湯ヶ島温泉の落合樓に滯在してゐた。朝飯の膳に向つた時、女中がさりげない風でたづねた。 「小説家の芥川といふ人を知つてゐますか?」 「うん、知つてる。それがどうした?」 「自殺しました。」 「なに?」 自分は吃驚して問ひかへした。自殺? 芥川龍之介が? あり得べからざることだ。だが不思議に、どこかこの報傳の根柢には、否定し得ない確實性がある
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萩原朔太郎
七月二十五日、自分は湯ヶ島温泉の落合樓に滯在してゐた。朝飯の膳に向つた時、女中がさりげない風でたづねた。 「小説家の芥川といふ人を知つてゐますか?」 「うん、知つてる。それがどうした?」 「自殺しました。」 「なに?」 自分は吃驚して問ひかへした。自殺? 芥川龍之介が? あり得べからざることだ。だが不思議に、どこかこの報傳の根柢には、否定し得ない確實性がある
堀辰雄
芥川龍之介を論ずるのは僕にとつて困難であります。それは彼が僕の中に深く根を下ろしてゐるからであります。彼を冷靜に見るためには僕自身をも冷靜に見なければなりません。自分自身を冷靜に見ること――それは他のいかなるものを冷靜に見ることよりも困難であります。しかし、それと同時に、あらゆる文學上の批評の價値は、いかにその批評家が自分自身を冷靜に見ることが出來たか、と云
萩原朔太郎
この頃になつて、僕は始めて芥川君の全集を通讀した。ずゐぶん僕は、生前に於て氏と議論をし、時には爭鬪的にまで、意見の相違を鬪はしたりした。だが實際のところを告白すると、僕はあまり多く彼の作品を讀んでゐなかつたのだ。そこで二言目には、芥川君から手きびしく反撃された。「君は僕の作品をちつとも讀んでゐないぢやないか。」「君がもし、いつか僕の全集をよんでくれたらなあ!
佐藤春夫
僕は第一回以来の芥川賞詮考委員である。あれはいつからであつたらうか。何しろ二十年もむかしの話で、おほかたは忘れてしまつてゐる。 さすがに第一回だけに、石川達三の当選の時のことだけは、おぼろげながらにも記憶にある。 会場は両国へんのどこかに、大川を見ながら詮考が進められたのは初夏か晩夏であつたのであらう。菊池と久米とが積極的に意見を交換してゐるほかは、誰もあま
島崎藤村
芭蕉 島崎藤村 佛蘭西の旅に行く時、私は鞄の中に芭蕉全集を納れて持つて行つた。異郷の客舍にある間もよく取出して讀んで見た。『冬の日』、『春の日』から、『曠野』、『猿簑』を經て『炭俵』にまで到達した芭蕉の詩の境地を想像するのも樂しいことに思つた。 昔の人の書いたもので、それを讀んだ時はひどく感心したやうなものでも、歳月を經る間には自然と忘れてしまふものが多い。
徳田秋声
深い雑木林のなかに建てられたバンガロー風の其の別荘へ著いたのは午後の何時頃であつたらうか。彼はこの高原地へ来る途中、初めてそこを通る同行の姉娘と妹娘に、ウスヰ隧道の出来た時のことなどを語つて聞かせた。それは四十年足らずのむかし、彼が初めて東京へ出た時の思出話であつた。同じ文学を志した友人のK君と徒歩でこゝを通つたとき、隧道の難工事に従事してゐる労働者達の荒く
窪田空穂
何んな花でもながく見ていれば好きになって来るものだという人がある。自然というものは親しむほど趣の加わって来るものであることを思うと、そうかも知れないという気がする。然し本当に好きになりうる花は、初め一と目見た時から好いたものである。又本当に好きなものがあると、その外の多くを求めようとしない心もある。その意味で私は多くの草花を並べようとは思わない。これだけで沢
小川未明
はちは、人間の邪魔にならぬところに、また、あんまり子供たちから気づかれないようなところに、巣をつくりはじめました。 仲間たちといっしょに、朝は早く、まだ太陽の上らないうちから、晩方はまたおそく、まったく日の沈んでしまうころまで、せっせと働いたのであります。 彼らが、こうして働いているときに、この世の中では、いろいろなおもしろいことや、またおもしろくないことな
小川未明
さまざまの草が、いろいろな運命をもってこの世に生まれてきました。それは、ちょうど人間の身の上と変わりがなかったのです。 広い野原の中に、紫色のすみれの花が咲きかけましたときは、まだ山の端に雪が白くかかっていました。春といっても、ほんの名ばかりであって、どこを見ても冬枯れのままの景色でありました。 すみれは、小鳥があちらの林の中で、さびしそうにないているのをき
長塚節
しらくちの花 しらくちの花 長塚節 明治卅六年の秋のはじめに自分は三島から箱根の山越をしたことがある。箱根村に近づいて来た頃霧が自分の周囲を罩(こ)めた。霧は微細なる水球の状態をなして目前を流れる。冷かさが汗の肌にしみ/″\と感じた。段々行くと皿程の大さの白いものが其霧の中に浮んで居るやうに見えた。それが非常に近く自分の傍にあるやうに思はれた。軈(やが)て霧
田山花袋
アカシヤの花 田山録弥 一 たしか長春ホテルであつたと思ふ。私はその女の話をBから聞いた。しかし、それはその女を主としての話ではなしに、その長春の事務所長をしてゐるS氏の話が出た時に、Bは画家らしいのんきな調子で、莞爾と笑ひながら言つたのであつた。「君、Sさんは、あゝいふ風に堅い顔をしてゐるけれどもね。あれで中々隅に置けないんですよ」 「さうかね?」かう言つ
牧野信一
晴、午後に至りて風強し。頭あがらず。七時八時九時と時計を見入つて登校の思ひに急がれるばかりだがいよ/\もうブラッデイ氏の講義に間に合はぬとあきらめたら再び熟睡に落ちて十二時に醒めた。信一の夢を見ること切りなり。余は二度と故山の土を踏まざる考へを胸底深く秘め居れども子を思ふと決心も危ふし。彼既に四才なり。幸ひであれ。二日酔とは話には屡々聞きたるも斯程苦しきもの
土田杏村
あしびの花 土田杏村 今はもう散つて了つたが、馬酔木の花は樹の花の中でも立派なものだ。梅のさく早春から藤の散る初夏頃まで咲き続き、挿花にでもしようものなら、一箇月の余もしほれないでゐる、生気の強い灌木だ。 馬酔木の花を見ると、大抵の人が少しさびし過ぎると考へるであらう。その色つやも大して立派だとは言ふまい。けれどもそれは馬酔木の古木が本当に咲き盛つてゐるとこ
小川未明
私の家にきた盲目、 帰りにあんずの花折って、 夏がきたら、またこよう。 赤いお月さま出る晩に。 俺はくるくる青坊主、 笠をかぶって坊ちゃんの、 お家の窓から、のぞきましょう。 ●図書カード
永井荷風
二人の借りている二階の硝子窓の外はこの家の物干場になっている。その日もやがて正午ちかくであろう。どこからともなく鰯を焼く匂がして物干の上にはさっきから同じ二階の表座敷を借りている女が寐衣の裾をかかげて頻に物を干している影が磨硝子の面に動いている。 「ちょいと、今日は晦日だったわね。後であんた郵便局まで行ってきてくれない。」とまだ夜具の中で新聞を見ている男の方
牧野信一
テオドル・ルーズベルトが、一九〇二年に大統領の覇権を獲得して、九年までの二期、その前後に於けるW・マツキンレイ及びW・H・タフト――彼等三者の数年間にわたる激しい争覇戦は、北米政戦史の花吹雪と謳はれて、今尚機会のあるごとに多くの人々に噂をのこしてゐるものであるが、――丁度その時代に恰もそれらの三代表の鼎立に伴れて、ワシントン、フイラデルヒア、ハーバードの三大
小川未明
(この話をした人は、べつに文章や、歌を作らないが、詩人でありました。) 支那人の出している小さい料理店へ、私は、たびたびいきました。そこの料理がうまかったためばかりでありません。また五目そばの量が多かったからでもありません。じつは、出してくれる支那茶の味が忘れられなかったからです。支那茶の味がいいってどんなによかったろうか。まず、その店で飲むよりほかに、私は
グルモンレミ・ドゥ
花屋の前を通り過ぎた。威勢よく反身になつてゐる花もある、しよんぼりと絶え入つてゐる花もある、その花屋の前を通りすがると、妙に氣を搖る意地の惡い香がした、胸苦しいほど不思議の香がした。そこでなかへ入つて行つて尋いてみた。 「おかみさん、どうぞ、その花をお呉んなさい、その一つで三つの花、薔薇と鈴振花と茉莉花の三つの香がする薫の高い意地惡さうな花をさ。その變にほん
萩原朔太郎
皐月あやめさくころ。思ふどち二人三人かいつらねて、堀切の里にいきけり。「むさしや」といふ家のはなれを借りて根合せならねど、あやめの歌合といふを試みけり。 あやめは、池のこのもかのもに咲き誇れり。池には舟板橋を渡せり。人人袖ふりあひてゆきちがふ。一しきり風立ちて、えならぬ薫はおばしま近く通ひつ。 北の屋蔭の苔むしたる井筒に、新調の洋服涼しげなる若人二人、巴里形
樋口一葉
本郷の何處とやら、丸山か片町か、柳さくら垣根つゞきの物しづかなる處に、廣からねども清げに住なしたる宿あり、當主は瀬川與之助とて、こぞの秋山の手の去る法學校を卒業して、今は其處の出版部とやら編輯局とやらに、月給なにほど成るらん、靜かに青雲の曉をまつらしき身の上、五十を過ぎし母のお近と、お新と呼ぶ從妹の與之助には六歳おとりにて十八ばかりにや、おさなきに二タ親なく
豊島与志雄
花ふぶき 豊島与志雄 千代は少し白痴なのだ。高熱で病臥している折に、空襲で家を焼かれ、赤木の家に引き取られて、あぶなく脳膜炎になりかかった、そのためだと赤木は言うが、確かなことは分らない。口がゆがみ、眼尻がへんに下り、瞳が宙に据り、そして頬の肉にはしまりがなくて、今にもにやりと笑いそうだ。不自然なほど肌色が白い。外を出歩くのが好きで、そろりそろりと、重病人の
小川未明
母ちょうは子ちょうにむかって、 「日が山に入りかけたら、お家へ帰ってこなければいけません。」とおしえました。 子ちょうは、あちらの花畑へとんでいきました。赤い花や青い花や、白い、いい香いのする花がたくさん咲いていました。 「これはみごとだ、うれしいな。」といって、花から花へとびまわって、おいしいみつをすっていました。そのうちに日が山へはいりかけました。けれど
新美南吉
その遊びにどんな名がついているのか知らない。まだそんな遊びをいまの子どもたちがはたしてするのか、町を歩くとき私は注意してみるがこれまでみたためしがない。あのころつまり私たちがその遊びをしていた当時でさえ、他の子どもたちはそういう遊びを知っていたかどうかもあやしい。いちおう私と同年輩の人にたずねてみたいと思う。 なんだか私たちのあいだにだけあり、後にも先にもな
幸田露伴
花のいろ/\ 花のいろ/\ 幸田露伴 梅 梅は野にありても山にありても、小川のほとりにありても荒磯の隈にありても、たゞおのれの花の美しく香の清きのみならず、あたりのさまをさへ床しきかたに見さするものなり。崩れたる土塀、歪みたる衡門、あるいは掌のくぼほどの瘠畠、形ばかりなる小社などの、常は眼にいぶせく心にあかぬものも、それ近くにこの花の一ト木二タ木咲き出づるあ