話に聞いた近藤勇
三田村鳶魚
話に聞いた近藤勇 三田村鳶魚 この頃はとんだ人間がはやるので、その一人は唐人お吉という淫売女、早く外国人に春を鬻いだということが景物になっている。売淫が景物になるような人間は、あまり披露されては迷惑であります。が、これは別にお話し申すこととして、それとともに持て囃されている近藤勇、これは淫売を景物にするほどではないが、決して立派な代物ではない。近藤については
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三田村鳶魚
話に聞いた近藤勇 三田村鳶魚 この頃はとんだ人間がはやるので、その一人は唐人お吉という淫売女、早く外国人に春を鬻いだということが景物になっている。売淫が景物になるような人間は、あまり披露されては迷惑であります。が、これは別にお話し申すこととして、それとともに持て囃されている近藤勇、これは淫売を景物にするほどではないが、決して立派な代物ではない。近藤については
中谷宇吉郎
このごろ、あまり意外なことが、つぎつぎと出て来るので、たいていのことには、そう驚かなくなった。ところが、最近全く奇想天外な話をきいて、大いに度胆を抜かれた。それは重力を絶ち切る研究の話である。 宇宙旅行は、目下、世界的なブームであるが、現実味が少しでもある話は、皆ロケット、あるいは類似のものである。 しかしロケットでは、もう古くなったので、空想小説や、いわゆ
三木清
眞理の概念は知識の問題の中心概念である。それだから我々は先づこの概念の檢討から始めよう。 いはゆる模寫説(Abbildtheorie)ほど今日不評判なものはないであらう。誰も自分の考へ方が模寫説であるといはれることを極端に恐れてゐる。模寫説といはれてゐるのは、我々の表象と實在との一致をもつて眞理と考へる思想である。心の外にある物が心の中に映じ、この映像が物に
戸坂潤
認識という言葉は今日では、殆んど完全に日常語となっている。元来日本の哲学用語は、大部分欧米語からの直訳であり、そうでなければ支那語又は支那語訳のサンスクリットからの借用である。後者は歴史的に時間が経っているだけに日本語として、相当熟してはいるが、併しそれが日常語となっているものは、甚だしく滑稽な用途に制限されて了っているとも見られる。例えば往生とか成仏とかで
戸坂潤
文芸学の対象は云うまでもなく文芸である。尤も従来の日本語の習慣によると、文芸は又文学とも呼ばれている。文学という言葉は通俗語として、又文壇的方言として、特別なニュアンスを有って来ている。単に文芸全般を意味する場合ばかりでなくて、却って小説とか詩とかいう特定の文芸のジャンルを意味したり、又はそうでなくて、一つの作家的乃至人間的態度を意味したりもしているのである
戸坂潤
クリティシズムの哲学的意義について、私は前に色々書いたことがある。今これを拡張しようと思う。哲学的意義という規定をもう少し厳密に云えば、夫を認識論的意義と云っていいだろう。なぜ哲学的ということが厳密にいうと認識論的ということになるかは、もっと一般的な先決問題であるが、それは話しを進めて行くうちにおのずから明らかになるとしよう。クリティシズムの認識論的意義とは
原民喜
雄二の誕生日が近づいて来ました。学校では、恰度その日、遠足があることになっていました。いい、お天気だといいがな、と雄二は一週間も前から、その日のことが心配でした。というのが、この頃、毎日あんまりいいお天気ばかりつづいていたからです。このまま、ずっとお天気がつづくかしら、と思って雄二は、校庭の隅のポプラの樹の方を眺めました。青い空に黄金色の葉はくっきりと浮いて
中谷宇吉郎
私が今までに知っている誕生日の贈物の中で、一番大きい贈物の話をしよう。もちろん自分のことではなく、知人のアメリカ人の親戚の人の話である。 今年の春頃、原宿の家へ、その知人の紹介で、中年の立派な身なりの米人夫妻がやって來た。アメリカでも相當知られた金持らしく、その訪日について、大使館から政府の方へ連絡があったそうである。しかしこんどの日本訪問は全くの私用で、公
知里真志保
アイヌ語やアイヌ文学を扱っていると、われわれの予想もしなかったような考え方にぶつかって戸惑いするのは毎度のことである。 例えば氷をアイヌ語では「ル」(ru-p)と言う。「とける・もの」ということである。日本語の「コオリ」という語は「氷るもの」という意味であったと思われるから、さし示す対象は同じでも、ことばの裏の考え方には根本的なくいちがいがある。 アイヌ語に
中谷宇吉郎
先年北海道で雪の研究に手を付けた時、日本の昔の雪の研究として有名な、土井利位の『雪華図説』と鈴木牧之の『北越雪譜』とを何とかして手に入れたいものと思って、古書の専門店の方へも聞き合せたことがあったが、折悪しくどうも手に入らないので困っていた。ところが、何思わずそういう意味のことを雑文の中に書いておいたら、早速それでは私のところにあるものを御頒けしましょうと言
三木清
語られざる哲学 三木清 一 懺悔は語られざる哲学である。それは争いたかぶる心のことではなくして和ぎへりくだる心のことである。講壇で語られ研究室で論ぜられる哲学が論理の巧妙と思索の精緻とを誇ろうとするとき、懺悔としての語られざる哲学は純粋なる心情と謙虚なる精神とを失わないように努力する。語られる哲学が多くの人によって読まれ称讃されることを求めるに反して、語られ
知里真志保
アイヌ語の研究にかけては、世界的な権威として、その名声をうたわれているジョン・バチラー博士が、アイヌ語で説教をして、アイヌを感心させたという話が伝えられております。明治の中頃、といえば、アイヌがまだアイヌ語を使って暮らしていた時代なのでありますが、北海道の南の方の、とあるアイヌ部落に、当時まだ非常に若く、新進気鋭の牧師であられたバチラー博士があらわれて、部落
正宗白鳥
明治十年代の末期から二十年代へ掛けて、新時代の文學が芽生えたので、早稻田で文學部が創設され、早稻田文學が發刊された時分は、少數ではあつたが、若い文學愛好者の間には、清新な藝術氣分が、漂つてゐたのだ。坪内先生の企てられた文學部の教育方法は、幼稚であつても、未熟であつても、藝術教育であつた。實生活を顧慮しない天才教育のやうなものであつた。和漢の古典は元より、徳川
新村出
キセルがカンボヂヤ語だと云ふことを知つたのはつひ近頃のことであつた。 私は今年新年號の本誌に「煙管」と題してその語源考をあげて某氏から傳聞した小亞細亞の一都邑エスキシエルから出たとは考へられないかといふ一案を提示しておいた。エスキシエル市は陶製パイプの名産地としてきこえてゐるのである。又獨逸製に一種の櫻の小枝で出來たパイプがあつてそれをヴアイクセルロール略し
岸田国士
われわれ日本人は、子供の時分から、文字を眼で読むといふ努力をあまりに強ひられた結果、「口から耳へ」伝へられる言葉の効果に対しては、余程鈍感になつてゐるやうである。もちろんその他にも原因はあるだらうが、書かれた言葉、即ち文章についてやかましい批評をする人も、「語られる言葉」即ち「談話」については、案外、無関心であるなども、その証拠だらうと想はれる。 雄弁術とい
折口信夫
語部と叙事詩と 折口信夫 私は、語部の職掌及び、其伝承した叙事詩の存在した事を、十数年以来主張して来た。語部が、対話として散文的に古い説話を記憶して、話し聞かした事だけは、反対する人もなかつたが、その伝承の対象が叙事詩の形を持つて居り、其を暗誦したり、聞かしたりするのは、ある節まはしで謡うたものだといふ点には、反対する人が、陰に陽にかなりあつた。私の考へはじ
坂口安吾
敗戦国の手足を苛酷にもぎとれば再び戦争へ駆りたてる条件をつくるようなものである。手足をもがれたままでは暮せないからだ。歴史はこの課題を解決したことがない。 マッカーサー元帥は、自分に託された敗戦国日本にこの課題の歴史的な解決をなしとげたいという責務と情熱に燃えて日本へ乗りこんできたように見うけられますね。敵意や偏見は見られない。建設の意欲、情熱、義務感。創作
今井邦子
赤染衞門は先程から不思議なものを見た、と云ふ氣がしてならなかつた。併し其れは決して惡い氣持のものではない。いやむしろ先程から清げに、圓滿に落着くべき處に落着いた惱みの道を全く通り拔けて、女として、人間として、最も落着いた境地に入り得た者の、其の姿を見たと云ふ氣で、ともすれば吾れ知らず惹きつけられて、尼君の短かい髮のあたり、その未だ老に入らない不思議な美しさを
槙村浩
健康(1)の一語をかる/″\しく口にするな!健康(1)の錯誤は健康の犠牲よりいたましいこれほどわたしら共同の仕事の大きな邪魔者があろうか! どちらがより多く仕事が出来るか?獄内で坐っているわたしらにか、獄外で迫害に耐えているきみらにか?わたしらはいつもきみらの過誤と素朴と情熱とを愛したわたしらは出獄した時のきみらの仕事の成果をまじめに期待したその後をわたしら
小酒井不木
誤った鑑定 小酒井不木 晩秋のある夜、例の如く私が法医学者ブライアン氏を、ブロンクスの氏の邸宅に訪ねると、氏は新刊のある探偵小説雑誌を読んでいた。 「探偵小説家というものは随分ひどい出鱈目を書くものですね」と、氏は私の顔を見るなり、いきなりこういって話しかけた。 「え? 何のことですか?」と私は頗る面喰って訊ね返した。 「今、ジョージ・イングランドの『血液第
神西清
ハビアン説法 神西清 昨日はよつぽど妙な日だつた。日曜のくせにカラリと晴れた。これが第一をかしい。無精な私が散歩に出る気になつた。これも妙だ。北条の腹切り窟の石塔を、今のうちに撮影しておかうなどと、殊勝な心掛をおこした。これが第三にをかしい。おまけにまた……いや、順を追つて話すとしよう。 とにかく、カメラをぶらさげて家を出た。Nといふ小川を渡る。そこから爪先
河野常吉
本邦人類學上の一大疑問たるコロポックルは、アイヌの口碑に出でたるものなるか、アイヌには蝦夷本島アイヌ、樺太アイヌ、北千島アイヌの三派ありて、此三派はコロポックルに就き語る所一樣ならざるのみならず、其他種々の點に於て本題に少なからざる關係あるを以て、先づ此三派に就きて略述するの必要あり。 本島アイヌは、現今北海道本島及び南千島なる國後、擇捉の二島に住居するもの
河野常吉
北千島アイヌは、其祖先が石器土器を使用せりと語るのみならず、玻璃瓶の破片を以て、石器を製造せんとせし事實も發見せられて、其年代も略ほ推察し得べきを以て、其石器土器の使用に關しては、何人も疑を容れずと雖も、樺太アイヌ、本島アイヌに就ては、議論紛々また決着する所を見ず、然れども是れ亦解決し得べきものなり。 先づ樺太イアヌに就て言はんに、其土器に關しては、北蝦夷圖
福沢諭吉
読倫理教科書 福沢諭吉 過般、榎本文部大臣が地方官に向って徳育の事を語り、大臣は儒教主義をとる者にして、いずれ近日儒教の要を取捨して、学生のために一書を編纂せしむべしとのことなり。然るに、徳教書編纂の事は、先年も文部省に発起して、すでに故森大臣の時に(明治二十年)倫理教科書を草し、その草案を福沢先生に示して批評を乞いしに、その節、先生より大臣に贈りたる書翰な