軒もる月
樋口一葉
軒もる月 樋口一葉 「我が良人は今宵も帰りのおそくおはしますよ。我が子は早く睡りしに、帰らせ給はゞ興なくや思さん。大路の霜に月氷りて、踏む足いかに冷たからん。炬燵の火もいとよし、酒もあたゝめんばかりなるを。時は今何時にか、あれ、空に聞ゆるは上野の鐘ならん。二ツ三ツ四ツ、八時か、否、九時になりけり。さても遅くおはします事かな、いつも九時のかねは膳の上にて聞き給
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樋口一葉
軒もる月 樋口一葉 「我が良人は今宵も帰りのおそくおはしますよ。我が子は早く睡りしに、帰らせ給はゞ興なくや思さん。大路の霜に月氷りて、踏む足いかに冷たからん。炬燵の火もいとよし、酒もあたゝめんばかりなるを。時は今何時にか、あれ、空に聞ゆるは上野の鐘ならん。二ツ三ツ四ツ、八時か、否、九時になりけり。さても遅くおはします事かな、いつも九時のかねは膳の上にて聞き給
岸田国士
二月三日(水曜)曇 いよいよ巴里を離れることになつた。 朝八時、タクシイで、ケエ・ドルセエの停車場に行く。寒い。 病気で転地療養をするのに、大袈裟な用意なんかする必要はないといふパパの意見。 それでも、あゝいふ人の集るところだから、トアレツトのひと通りはといふママの意見。 ルイズ叔母さまも、ママの肩をおもちになる。 汽車の中で、正午の体温を計る。三十七度四分
平山千代子
転校 平山千代子 誰にとつてもいやなのは転校である。 私は二年になる時に仙台から東京へ、東京で小学校を卒業して、女子大の附属へ入り、その年の九月に名古屋へ、翌年の九月に又、女子大へと、四度、いやな思ひをした。中でも最もいやな思ひ出を残したのが、女学校に這入つてからの二つ、名古屋へと、東京へとである。小学校のときの転校は、それ程、苦痛を感じないうちに、すぐ馴れ
寺田寅彦
軽井沢 寺田寅彦 十五年ほど前の夏休みに松原湖へ遊びに行った帰りの汽車を軽井沢でおり、ひと汽車だけの時間を利用してこの付近を歩いたことがあった。その時の記憶と今度行って見た軽井沢とで、目についた相違はと言えば、機関車の動力が電気になっていること、停車場前に客待ちのリクショウメンがいなくなって、そのかわりに自動車とバスと、それからいろいろな名前のホテルの制帽を
片山広子
三月二十四日にTが亡くなつた。その二日ばかり前に私は彼と会つて一時間ばかり話をした。その時も彼は空襲がだんだんひどくなるから母さんは早く軽井沢に行つた方がよろしい、自分たちもすぐあとから行くからと私を急かしてゐた。もし軽井沢から急に東京に帰れない場合は彼の妻の実家である岐阜県の大井町へ行つてみるつもりらしかつた。急に彼に死なれて私は疎開する気もなくなつたけれ
正宗白鳥
小川未明君へ。 先日のある新聞で、二兒を左右に伴つた君の勇ましい寫眞を拜見しました。それからその下に掲げられた君の談話の中に、「少しでもいゝ空氣を子供に吸はせたいために朝早く雨戸を開けてやる。」と云つてゐられるのを讀んで、君の側で君の話を聞いてゐるやうな氣がしました。そして、此方の清涼な空氣を君の天神町の二階まで輸送して上げたいと思ひました。(大阪のある富豪
上村松園
軽女 上村松園 数多い忠臣義士物語の中に出てくる女性のうちで、お軽ほど美しい哀れな運命をになった女性は他にないであろう。 お軽は二階でのべ鏡という、――通り言葉に想像される軽女には、わたくしは親しみは持てないが、(京都二条寺町附近)の二文字屋次郎左衛門の娘として深窓にそだち、淑やかな立居の中に京娘のゆかしさを匂わせている、あのお軽には、わたくしは限りない好ま
三木清
我々は我々の書いたものを互にもっと読むようにしたいと思う。私は必ずしもそれを尊重せよというのではない。正直に云って、日本の学界の水準は西洋の学界の水準よりも低いことを認めねばならぬ。そしてものがそれの本質的な価値に相応して尊重されるということは正しいことであり、善いことである。私の求めているのは親切である。日本人は日本人の書いたものを互にもっと親切に読むよう
水野仙子
輝ける朝 水野仙子 さうだ、私はそれを忘れないうちに書きとめて置かう。この輝いた喜の消え去らぬうちに、このさわやかな心持のうすれゆかぬうちに……私はこの朝の氣持を、決して忘れる事はないであらうけれども、だからといつて書きとめて置く事の決して無益なことではあるまいと思ふ。却つて私の病に於ける無爲の時間が、その爲に生きこそはしても。 それは昨夜のことであつた。…
田山花袋
モウタアの音がけたゝましくあたりにひゞいて聞えたので、仕度をして待つてゐた二人はそのまゝ裏の石垣になつてゐるところへと出て行つた。外洋の波の高くつてゐるのはそれと指さゝれたけれども、港の内は静かで、昨夜遅く入つて来たらしい二本マストの小さな汽船がそこに斜に横たへられてあるのを眼にしたばかりであつた。モウタアを仕かけたその小さな伝馬は、すぐその向うのところに来
新美南吉
ついぢの 椿の花のした、 ここから 輪まはし かけてつた。 木ぎれで ひいた横の線、 ここから からから かけてつた。 帽子に 椿の花插して、 ぬくとい 垣根に そつてつた。 ついぢに 凭れてあつち見て、 あの子が ひとり まつてゐる。 ●図書カード
小川未明
(この童話はとくに大人のものとして書きました。) 昔、京都に、利助という陶器を造る名人がありましたが、この人の名は、あまり伝わらなかったのであります。一代を通じて寡作でありましたうえに、名利というようなことは、すこしも考えなかった人でしたから、べつに交際をした人も少なく、いい作品ができたときは、ただ自分ひとりで満足しているというふうでありました。 しかし、世
田中貢太郎
轆轤首 田中貢太郎 一 肥後の菊池家に磯貝平太左衛門武行と云う武士があった。頗る豪勇無雙の士であったが、主家の滅亡後、何を感じたのか仏門に入って、怪量と名乗って諸国を遍歴した。 甲斐の国を遍歴している時、某日唯ある岩山の間で日が暮れた。そこで怪量は恰好な場所を見つけて、笈をおろして横になった。 横になる間もなく月が出た。その月の光が四辺に拡がったかと思うと、
豊島与志雄
轢死人 豊島与志雄 S君が私に次のような話をしてきかした。 「……そういうわけで、私の友人はその男の後からついて行ったそうです。而もその男というのが友人の知人なんです。常識で考えると一寸妙な話ですが、若々しい情熱に駆られてる頃には、知人の死をただじっと見送るようなこともあるらしいです。その気持ちを想像出来ないこともありませんね。まあ自殺の傍観的共犯者とでも云
堀辰雄
「春の奈良へいつて、馬酔木の花ざかりを見ようとおもつて、途中、木曾路をまはつてきたら、おもひがけず吹雪に遭ひました。……」 僕は木曾の宿屋で貰つた絵はがきにそんなことを書きながら、汽車の窓から猛烈に雪のふつてゐる木曾の谷々へたえず目をやつてゐた。 春のなかばだといふのに、これはまたひどい荒れやうだ。その寒いつたらない。おまけに、車内には僕たちの外には、一しよ
中原中也
辛いこつた辛いこつた! なまなか伝説的存在にされて あゝ、この言語玩弄者達の世に、 なまなか伝説的存在にされて、 (パンを奪はれ花は与へられ) あゝ、小児病者の横行の世に! 奴等の頭は言葉でガラガラになり、 奴等の心は根も葉もないのだ。 野望の上に造花は咲いて 迷つた人心は造花に凭る。 造花作りは花屋を恨む、 さて、花は造花程口がきけない。 造花造りの羽振の
三木清
辞書の客観性 三木清 私がヴォルテールの『哲学辞書』を買つたのは、たしか大黒屋といふ本屋であつたと思ふ。これは京都ホテルの前にあつた洋書屋で、ホテルに来る外人が主な客であつたらしいが、現在はなくなつてしまつたやうだ。京都で洋書を売つてゐたのは丸善とこことの二軒であつたので、私は学生時代に折々出掛けて行つたが、或る時この本を見出したのである。初めそれを手に取つ
牧野信一
あるところに大層偉い王様がありました。お国は大へんよく治つて居りましたが、たつた一つ王様にとつて心配なことがありました。それは王様には王子様が一人も無いといふことなのです。王様は常々からこの事を非常に心配して居られました。 ある時王様は国中にお布令を出しました。そのお布令は、人民の中から王様の試験に合格した者を王子として選ぶといふのでした。 このお布令が出る
金沢庄三郎
あつめおく辭の林ちりもせでちとせかはらじ和歌のうら松 (續千載和歌集) 國語は思想の代表者にして、辭書は國語の寶庫たり。故に其内容は直ちに以て其社會の發達を卜し、其文華の程度を窺ふ料とすべし。我言靈の幸ふ國、我言靈の助くる國、古くより辭書に乏しからず。上は和名類聚鈔・新撰字鏡の類より、下は東雅・和訓栞・雅言集覽・俚言集覽等に至るまで、皆其時代に應じて撰述
新村出
『辞苑』のここに完成を告ぐるに当つて一言述べたいと思ふ。 顧みれば、近時、国運の急激なる進展に伴なつて幾多の新造語は誕生し、国語化せる外来語の激増亦とどまる所を知らず、又、吾人の煩瑣なる生活は、新旧広汎なる事項を包含する簡便化国語辞書を要求してやまない。換言すれば、新時代に適応する国語辞書は、従来の国語辞書に満足することを許さない。即ち一般大衆の要求する国語
今野大力
雪に埋れ 吹雪に殴られ 山脈の此方に 俺達の部落がある 俺達は侯爵農場の小作人 俺達は真実の水呑百姓 俺達の生活は農奴だ! 俺達はその日 隊伍を組んで 堅雪を渡り 氷橋を蹴って 農場事務所を取巻いた 俺達はその日の出来事を知っている その日俺達の歩哨は喇叭を吹いた 喇叭の合図で 俺達はみんな 見分の家につんばり棒をおっかって 家を出た 俺達の申し合せは不在同
宮沢賢治
日ハ君臨シカガヤキハ 白金ノ雨ソソギタリ ワレラハ黒キ土ニ俯シ マコトノ草ノタネマケリ 日ハ君臨シ穹窿ニ ミナギリ亙ス青ビカリ 光ノ汗ヲ感ズレバ 気圏ノキハミクマモナシ 日ハ君臨シ玻璃ノマド 清澄ニシテ寂カナリ サアレヤミチヲ索メテハ 白堊ノ霧モアビヌベシ 日ハ君臨シカヾヤキノ 太陽系ハマヒルナリ ケハシキ旅ノナカニシテ ワレラヒカリノミチヲフム ●図書カー
宮沢賢治
フランドン農学校の豚 宮沢賢治 〔冒頭原稿一枚?なし〕 以外の物質は、みなすべて、よくこれを摂取して、脂肪若くは蛋白質となし、その体内に蓄積す。」とこう書いてあったから、農学校の畜産の、助手や又小使などは金石でないものならばどんなものでも片っ端から、持って来てほうり出したのだ。 尤もこれは豚の方では、それが生れつきなのだし、充分によくなれていたから、けしてい
中谷宇吉郎
終戦と同時に、ニセコの観測所は、当然閉鎖の運命にあった。 親元の技術院が解散して孤児になったこの研究所は、まず解体するより仕方がない。それにこの研究所の使命であった航空気象学の問題も、もう我が国では用が無くなった今日、それを一つ育て上げてみようという天邪鬼の篤志家も、今日の情勢ではまず求められない。 技術院の方は、戦争がすんだから戦時研究は中止、従ってその施