てかてか頭の話
小川未明
ある田舎に、おじいさんの理髪店がありました。おじいさんは、もうだいぶ年をとっていまして、脊が曲がっていました。いいおじいさんなものですから、みんなに、おじいさん、おじいさんと慕われていました。 ちょうど、夏の昼過ぎのことであります。お客が一人もなかったので、おじいさんは、居眠りをしていました。 家の外には、きらきらとして暑そうに日の光がさしていました。往来の
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小川未明
ある田舎に、おじいさんの理髪店がありました。おじいさんは、もうだいぶ年をとっていまして、脊が曲がっていました。いいおじいさんなものですから、みんなに、おじいさん、おじいさんと慕われていました。 ちょうど、夏の昼過ぎのことであります。お客が一人もなかったので、おじいさんは、居眠りをしていました。 家の外には、きらきらとして暑そうに日の光がさしていました。往来の
平林初之輔
頭と足 平林初之輔 一 船が港へ近づくにつれて、船の中で起った先刻の悲劇よりも何よりも、新聞記者である里村の心を支配したのは、如何にしてこの事件をいち早く本社に報道するかという職業意識であった。 彼は、社へ発送すべき電文の原稿はもうしたためている。しかし、同じ船の中に、自分の社とふだんから競争の地位にたっているA新聞の記者田中がちゃんと乗りあわせて、矢張り電
チェーホフアントン
結婚式のあとではちょっとした茶菓さえ出なかった。新夫婦はシャンパンの盃を挙げて、それから直ぐ旅行服に着替えると停車場へ乗りつけた。陽気な結婚舞踏会や晩餐や、音楽や舞踊の代りに、彼等は五十里も隔たった修道院に参詣に出掛けるのであった。多くの人々はこの企てに賛意を表していた。モデスト・アレクセーイチは既に官職も高いし年齢も相当進んだ方だから、騒々しい婚礼などは全
田中貢太郎
建久九年十二月、右大将家には、相模川の橋供養の結縁に臨んだが、その帰途馬から落ちたので、供養の人びとに助け起されて館へ帰った。その橋供養と云うのは、北条遠江守の女で、右大将家の御台所政子には妹婿になる稲毛三郎重成が、その七月に愛妻を失ったので、悲しみのあまりに髪を剃って出家して、その月になって亡妻追福のために、橋供養を営むことになり、右大将家もこれに臨んだの
中村憲吉
* 頼山陽の百年祭が明年に迫つたので、私の県ではその遺蹟顕彰会が組織され、全集の刊行、記念館の設立、旧居保存などそれぞれの準備が進められてゐる。さう云ふとき私は山陽先生を思ふと、妙にその家叔杏坪先生のことに心が惹かされてくる。杏坪先生は山陽終生の理解者であり、殊にその青年逆境の時代には最も温い庇護者であつた。 一体に頼一家の学者詩人は、山陽の盛名によつて、よ
中原中也
トランプの占ひで 日が暮れました―― オランダ時計の罪悪です 喩へ話の上に出来た喩へ話―― 誰です 法律ばかり研究してるのは 林檎の皮に灯が光る そればかりみてゐても 金の時計が真鍮になりますぞ 寺院の壁にトンボがとまつた それは好いが あんまりいたづらは不可ません 法則とともに歩く男 君のステッキは 何といふ緊張しすぎた物笑ひです ●図書カード
夏目漱石
「それから」を脱稿したから取あへず前約を履行しやうと思つて「額の男」を讀んだ。讀んで仕舞つて愈批評をかく段になると忽ち胃に打撃を受けた。さうして二三日の間は殆ど人と口を利く元氣もない程の苦痛に囚へられた。漸く床の上に起き直つて、小机を蒲團の傍まで引張つて來て胃の膨滿を抑へながら、原稿紙に向かつた時は、もう世の中が秋の色を帶びてゐた。時機を失して著者に對しては
久生十蘭
不知森 もう秋も深い十月の中旬。 年代記ものの黒羽二重の素袷に剥げちょろ鞘の両刀を鐺さがりに落しこみ、冷飯草履で街道の土を舞いあげながら、まるで風呂屋へでも行くような暢気な恰好で通りかかった浪人体。船橋街道、八幡の不知森のほど近く。 生得、いっこう纒まりのつかぬ風来坊。二十八にもなるというのに、なんら、なすこともなく方々の中間部屋でとぐろを巻いて陸尺、馬丁な
久生十蘭
獅子噛 春がすみ。 どかどんどかどん、初午の太鼓。鳶がぴいひょろぴいひょろ。 神楽の笛の地へ長閑にツレて、なにさま、うっとりするような巳刻さがり。 黒板塀に黒鉄の忍返し、姫小松と黒部を矧ぎつけた腰舞良の枝折戸から根府川の飛石がずっと泉水のほうへつづいている。桐のずんどに高野槇。かさ木の梅の苔にもさびを見せた数寄な庭。 広縁の前に大きな植木棚があって、その上に
久生十蘭
馬の尻尾 「はて、いい天気だの」 紙魚くいだらけの古帳面を、部屋いっぱいにとりちらしたなかで、乾割れた、蠅のくそだらけの床柱に凭れ、ふところから手の先だけを出し、馬鹿長い顎の先をつまみながら、のんびりと空を見あげている。 ぼろ畳の上に、もったいないような陽ざしがいっぱいにさしこみ、物干のおしめに陽炎がたっている。 あすは雛の節句で、十軒店や人形町の雛市はさぞ
久生十蘭
魚釣談義 神田小川町『川崎』という釣道具屋。欅の大きな庇看板に釣鈎と河豚を面白い図柄に彫りつけてあるので、ひとくちに、神田の小河豚屋で通る老舗。 その店先に、釣鈎や釣竿、餌筥などをところも狭にとりひろげ、ぬうとかけているのが顎十郎。所在なさに、とうとう釣りでもはじめる気と見える。 顎十郎と向きあっているのは、辣薤面のひどく仔細らしい番頭で、魚釣りの縁起、釣り
久生十蘭
藤波友衛 坊主畳を敷いた長二十畳で、部屋のまんなかに大きな囲炉裏が切ってある。磨出しの檜の羽目板に、朱房のついた十手や捕繩がズラリとかかって、なかなか物々しい。 数寄屋橋内、南番所御用部屋。まだ朝が早いので、下ッ引の数もほんの三四人、炉端にとぐろを巻いて、無駄ッ話をしているところへ、不機嫌な突袖でズイと入って来た卅二三の男。土間で雪駄をぬぐと、畳ざわりも荒々
久生十蘭
左きき 「こりゃ、ご書見のところを……」 「ふむ」 書見台から顔をあげると、蒼みわたった、鬢の毛のうすい、鋭い顔をゆっくりとそちらへ向け、 「おお、千太か。……そんなところで及び腰をしていねえで、こっちへ入って坐れ」 「お邪魔では……」 「なアに、暇ッつぶしの青表紙、どうせ、身につくはずがない。……ちょうど、相手ほしやのところだった」 「じゃア、ごめんこうむ
久生十蘭
新酒 「……先生、お茶が入りました」 「う、う、う」 「だいぶと、おひまのようですね。……鞴祭の蜜柑がございます、ひとつ召しあがれ」 「かたじけない。……季節はずれに、ひどくポカつくんで、うっとりしていた」 大きなあくびをひとつすると、盆のほうへ手をのばして蜜柑をとりあげる。 十一月の入りかけに、四五日ぐっと冷えたが、また、ねじが戻って、この三四日は、春のよ
久生十蘭
賜氷の節 「これ、押すな、押すな。……押すな、と申すに」 「どうか、お氷を……」 「あなただけが貰いたいのじゃない、みな、こうして待っている」 「……ほんの、ひとかけでも……」 「いま、順にくださる、お待ちなさい……」 「じつは……」 「おい、お武家さん、おれたちは、こうして炎天に照らされながら二刻も前から待っているんです。……つい、いま来て、先にせしめよう
久生十蘭
二の字の傷 恒例の鶴御成は、いよいよ明日にせまったので、月番、北町奉行永井播磨守が、城内西の溜で南町奉行池田甲斐守と道中警備の打ちあわせをしているところへ、 「阿部さまが、至急のお召し」 と、お茶坊主が迎えに来た。 鶴御成というのは、十月の隅田川、浜御殿の雁御成、駒場野の鶉御成、四月の千住三河島の雉御成とともに将軍鷹狩のひとつで、そのうちにも鶴御成はもっとも
久生十蘭
勝色定紋つきの羽二重の小袖に、茶棒縞の仙台平の袴を折目高につけ、金無垢の縁頭に秋草を毛彫りした見事な脇差を手挾んでいる。どう安くふんでも、大身の家老かお側役といったところ。 五十五六の篤実な顔立ち。なにか心配ごとがあると見えて白い鬢のあたりをそそけさせ、いやな色に顔を沈ませている。重厚に、膝に手をおいて、 「実は……」 と、口をきると、深く面をうつむけ、 「
久生十蘭
神隠し もう子刻に近い。 寒々としたひろい書院の、金蒔絵の京行灯をへだてて、南町奉行池田甲斐守と控同心の藤波友衛が、さしうつむいたまま、ひっそりと対坐している。 深沈たる夜気の中で、とぎれとぎれに蟋蟀が鳴いている。これで、もうかれこれ四半刻。どちらも咳ひとつしない。 江戸一といわれる捕物の名人。南町奉行所の御威勢は、ひとえにこの男の働きによるとはいえ、布衣の
久生十蘭
川風 「阿古十郎さん、まア、もうひとつ召しあがれ」 「ごうせいに、とりもつの」 「へへへ」 「陽気のせいじゃあるまいな」 「あいかわらず、悪い口だ。……いくらあっしが下戸でも、船遊びぐらいはいたします。……これがあたしの持病でね。……まア、いっぱい召しあがれ」 川面から映りかえす陽のひかりが屋根舟の障子にチラチラとうごく。 むこうは水神の森。波止めの杭に柳が
久生十蘭
初鰹 「船でい」 「おお、船だ船だ」 「鰹をやれ、鰹をやれ」 「運のいい畜生だ」 「おうい、和次郎ぬし、船だぞい、おも舵だ」 文久二年四月十七日、伊豆国賀茂郡松崎村の鰹船が焼津の沖で初鰹を釣り、船梁もたわむほどになって相模灘を突っ走る。八挺櫓で飛ばしてくる江戸の鰹買船に三崎の沖あたりで行きあうつもり。 ちょうど石廊岬の端をかわし、右に神子元島の地方が見えかか
久生十蘭
夕立の客 「……向島は夕立の名所だというが、こりゃア、悪いときに降りだした」 「佐原屋は、さぞ難儀していることだろう。……長崎屋さん、ときに、いま何字でございますね」 「はい、ちょうど七字と十ミニュート……」 「ああ、そうですか。……六字に神田を出たとして、駕籠ならば小泉町、猪牙ならば厩橋あたり。……ずぶ濡れになって、さぞ、弱っているだろう」 「……佐原屋の
久生十蘭
金の鱗 看月も、あと二三日。 小春日に背中を暖めながら、軽口をたたきたたき、五日市街道の関宿の近くをのそのそと道中をするふたり連れ。ひょろ松と顎十郎。 小金井までの気散じの旅。名代の名木、日の出、入日はもう枯葉ばかりだが、帰りは多摩川へぬけて、月を見ながら鰻でも喰おうというつもり。 ひょろ松は、小金井鴨下村の庄屋の伜で、百姓をきらって家督を弟にゆずり、今では
久生十蘭
恍けた手紙 「……手紙のおもむき、いかにも承知。……申し越されたように、この手紙の余白に、その旨を書きつけておいたから、これを御主人に差しあげてくれ」 「それで、御口上は?」 若いくせに、いやに皺の多い古生姜のようなひねこびた顔で、少々ウンテレガンらしく、口をあけてポカンと顎十郎の顔を見あげながら、返事を待っている。 「わからねえ奴だな。……だから、お前の持
久生十蘭
あぶれ駕籠 「やけに吹きっつぁらしますね」 「うるるる、これはたまらん。睾丸が凍えるわ」 師走からこのかた湿りがなく、春とはほんの名ばかり、筑波から来る名代の空ッ風が、夕方になると艮へまわり、梢おろしに枯葉を巻き土煙をあげ、斬りつけるようにビュウと吹き通る。いやもう骨の髄まで凍えそう。 もとは、江戸一といわれた捕物の名人、仙波顎十郎も、この節はにわか駕籠屋で