小泉八雲
小泉八雲 · Tiếng Nhật
Sketsa observasi Lafcadio Hearn yang berbasis pada peristiwa nyata di stasiun kereta Kumamoto pada Juni 1893 (Meiji 26).
Chi hien thi ban dich Tiếng Indonesia.
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Sketsa observasi Lafcadio Hearn yang berbasis pada peristiwa nyata di stasiun kereta Kumamoto pada Juni 1893 (Meiji 26). Seorang penjahat yang membunuh polisi empat tahun sebelumnya akhirnya tertangkap di Fukuoka dan dibawa kembali ke Kumamoto. Saat tiba di stasiun, kepala polisi memanggil janda korban dan anaknya yang baru lahir setelah ayahnya terbunuh. Konfrontasi tanpa kata antara pembunuh dan anak yang belum pernah melihat ayahnya menjadi puncak kisah ini, diakhiri dengan permintaan maaf yang menyayat hati dan air mata para saksi—bahkan polisi pengawal. Hearn menutup esai ini dengan refleksi tentang inti budaya Jepang: kasih sayang seorang ayah kepada anaknya yang mampu menggerakkan hati bahkan penjahat paling keras sekalipun. Cerita pendek 2.794 kata yang menggabungkan jurnalisme, dokumenter, dan meditasi humanis—karya khas Hearn sebagai pengamat luar yang menjadi suara batin Jepang Meiji.
Tac gia
小泉八雲
Koizumi Yakumo (1850~1904), nama asli Patrick Lafcadio Hearn, adalah penulis dan jurnalis kelahiran Yunani yang menjadi naturalisasi Jepang pada 1896 setelah menetap di Matsue dan Kumamoto sejak 1890. Karyanya menjembatani Barat dan Timur, memperkenalkan cerita rakyat, lanskap spiritual, dan kehidupan rakyat Jepang Meiji kepada pembaca berbahasa Inggris. Karya terkenalnya termasuk Kwaidan (Kisah Hantu, 1904), Glimpses of Unfamiliar Japan (1894), dan Kokoro (1896). Sebagai pengamat luar yang berempati mendalam, Hearn menulis esai ini berdasarkan peristiwa nyata yang ia saksikan di stasiun kereta Kumamoto.
小泉八雲 · Tiếng Nhật
Sketsa observasi Lafcadio Hearn yang berbasis pada peristiwa nyata di stasiun kereta Kumamoto pada Juni 1893 (Meiji 26).
Toàn văn
Ban goc (Tiếng Nhật)
明治二六年六月七日
きのうの福岡発信の電報によると、当地で逮捕された兇徒が、裁判のために、きょう正午着の汽車で熊本へ護送されるということだった。熊本の警察官が、この兇徒を引取るために福岡に出張していたのである。
四年前、熊本市相撲町のある家に、夜半、盗人が押し入り、家人らを脅して、縛り上げ、高価な財産を盗んだ。警察がうまく追跡して、盗人は二四時間以内に逮捕されたので盗品を処分することもできなかった。ところが、警察署に連行されるとき、捕縄を解き、サーベルを奪い、巡査を殺害して逃走したのである。つい先週までこの兇徒の行方はまるっきりつかめなかった。
ところが、たまたま福岡の監獄所を訪れていた熊本の刑事が、四年もの間、写真のように脳裏に焼き付けていた顔を、囚人たちの中に見つけたのである。
「あの男は?」獄吏に尋ねた。
「窃盗犯でありますが、ここでは草部と記録されております。」
刑事は囚人のところに歩み寄ると、言った、
「お前の名前は草部ではないな。熊本の殺人容疑でお尋ね者の、野村禎一だ。」
重罪犯人はすっかり白状したのである。
停車場に到着するのを見届けようと私も出かけたが、かなりの人が詰めかけている。人々が憤るのをたぶん見聞きするだろうと思っていたし、一悶着起こりはしないかとすら恐れてもいた。殺された巡査は周囲からとても好かれていたし、彼の身内の者も、おそらくこの見物人たちの中にいるはずである。熊本の群集もとても温和しいとはいえないのである。それで警備のために多数の警官が配置されているものとばかり思っていたが、私の予想は外れた。
汽車は、下駄を履いた乗客たちのあわてた急ぎ足やカラコロという音が響き、また新聞やラムネなど飲み物を売る少年たちの呼び声などで、いつものようにあわただしく、また騒々しい光景の中に停車した。改札口の外で、私たちは五分近くも待っていた。そのとき、警部が改札口の扉を押し開けて出てきて、犯人が現れる――大柄の粗野な感じの男で、顔は俯き加減にしており、両の手は背中で縛られている。犯人と護送の巡査は二人とも改札口の前で、立ち止まった。そして、詰めかけている人たちが黙って一目見ようと前の方に押し寄せた。そのとき、警部が叫んだ。
「杉原さん! 杉原おきびさん! いませんか?」
「はい!」と声がすると、私の近くに立っていた、子どもを背負った細身の小柄な婦人が人混みをかき分けて進み出た。この人は殺された巡査の妻で、背負っているのが息子である。警部が手を前後に振るしぐさをすると、群衆は後ろずさりに下がった。そうして、犯人と護衛の警官のためのスペースが出来た。この空間で子どもを背負った未亡人と殺人者とが向き合って立つことになった。あたりは静まり返っている。
そして、警部がこの未亡人にではなく、子どもに話しかけた。低い声だが、はっきりと喋ったので、一言一言が明瞭に聞き取れた。
「坊や、この男が四年前にあんたのお父さんを殺したんだよ。あんたはまだ生まれちゃいなくて、お母さんのお腹の中にいたんだからなぁ。あんたを可愛がってくれるはずのお父さんがいないのは、この男の仕業だよ。見てご覧――ここで警部は犯人の顎に手をやり、しっかりと彼の目を向けるようにした――坊や、よく見てご覧、こいつを! 怖がらなくていいから。辛いだろうが、そうしなくちゃいけない。あの男を見るんだ!」
母親の肩越しに、坊やは怖がってでもいるかのように、眼を見開いて見つめる。そして、今度はしゃくり泣き始め、涙が溢れてくる。坊やは、しっかりと、また言われたように男をじっと見つめている。まっすぐにその卑屈な顔をずっと覗き込んでいた。
周りの人たちも息を呑んだようである。
犯人の表情がゆがむのが見えた。後ろ手に縛られているにもかかわらず、彼は膝の上に崩れ落ち、顔を土埃の中に打ちつけて、人の心を震わせるような、しゃがれた声で自責の念に駆られて、しばらく嗚咽していた。
「済まない! 許してくれ! 坊や、堪忍しておくれ! 憎んでいたからじゃねぇんだ。怖かったばかりに、ただ逃げようと思ってやっちまったんだ。俺がなにもかも悪いんだ。あんたに、まったく取り返しの付かない、悪いことをしちまった! 罪を償わなくちゃならねぇ。死にてぇだ。そう喜んで死にますとも! ですから、坊や、お情けと思って、俺を許しておくんなせぇ!」
男の子は静かにまだしゃくり泣いている。警部は肩を震わせている犯人の男を引き起こした。黙りこくったままだった人々は、左右に分かれて道を空けた。するとそのとき、まったく突然に、群衆がみなすすり泣き始めたのである。銅像のような表情をした護送の警官がそばを通りすぎるとき、私は以前にも見たことのないもの――ほとんどの人もかつて見たことのない――そして私もおそらく再び見ることのないであろう――日本の警官の涙を目撃したのである。
人だかりも潮が引くように少なくなった。私は取り残され、この場の不思議な教訓について考えている。ここには、自分が犯した犯罪行為のために遺児となり、未亡人となったという明白な結末を目の当たりにして、心情的に犯罪の意味について悟らせるという、本来そうあるべきだが、温情ある裁きがあったのである。ここには、死を前にしてひたすら赦しを乞う、一途な後悔の念があった。また、ここには、怒りだせばこの国の中では最も危険な庶民がいた――ところが、この人たちは、人生の困難さや人間の弱さを純朴に、また身にしみて経験しているので、激しい怒りではなく、罪についての大きな悲しみだけで胸塞がれ、後悔の念と恥を知ることで満足しており、またあらゆることに感動し、何もかもを分かっているのであった。
このエピソードのもっとも重要な事実は、それがきわめて東洋的であるからだが、つぎのことにある。犯人を悔い改めさせたのは、彼自身も持っている、子に対する父親の心情に訴えたからであった――子どもたちへの深い愛情こそが、あらゆる日本人の心の大きな部分を占めているのである。
日本では最もよく知られた盗賊の石川五右衛門に、つぎの話がある。ある夜、殺して、盗みを働こうと人家に忍び込んだときに、自分に両手を差し伸べている赤ん坊の微笑みに、五右衛門はすっかり気を奪われた。そして、この無邪気な幼子と遊んでいるうちに、自分の所期の目的を達成する機会を失ったというのである。
これは信じられない話ではない。警察の記録には、毎年、プロの犯罪人たちが子どもらに示した同情の報告がある。地方新聞に載った、数ヶ月前の凄惨な大量殺人事件は、強盗が睡眠中の一家七人を文字通りに切り刻んだものであった。警察は、一面の血の海の中でひとり泣いている小さな男の子を発見したが、まったくの無傷であった。警察によれば、犯人らが子どもを傷つけまいとしてかなり用心した確かな証拠があるという。
Ban dich Tiếng Indonesia (Pagera AI)
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Sketsa observasi Lafcadio Hearn yang berbasis pada peristiwa nyata di stasiun kereta Kumamoto pada Juni 1893 (Meiji 26). Seorang penjahat yang membunuh polisi empat tahun sebelumnya akhirnya tertangkap di Fukuoka dan dibawa kembali ke Kumamoto. Saat tiba di stasiun, kepala polisi memanggil janda korban dan anaknya yang baru lahir setelah ayahnya terbunuh. Konfrontasi tanpa kata antara pembunuh dan anak yang belum pernah melihat ayahnya menjadi puncak kisah ini, diakhiri dengan permintaan maaf yang menyayat hati dan air mata para saksi—bahkan polisi pengawal. Hearn menutup esai ini dengan refleksi tentang inti budaya Jepang: kasih sayang seorang ayah kepada anaknya yang mampu menggerakkan hati bahkan penjahat paling keras sekalipun. Cerita pendek 2.794 kata yang menggabungkan jurnalisme, dokumenter, dan meditasi humanis—karya khas Hearn sebagai pengamat luar yang menjadi suara batin Jepang Meiji.
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Koizumi Yakumo (1850~1904), nama asli Patrick Lafcadio Hearn, adalah penulis dan jurnalis kelahiran Yunani yang menjadi naturalisasi Jepang pada 1896 setelah menetap di Matsue dan Kumamoto sejak 1890. Karyanya menjembatani Barat dan Timur, memperkenalkan cerita rakyat, lanskap spiritual, dan kehidupan rakyat Jepang Meiji kepada pembaca berbahasa Inggris. Karya terkenalnya termasuk Kwaidan (Kisah Hantu, 1904), Glimpses of Unfamiliar Japan (1894), dan Kokoro (1896). Sebagai pengamat luar yang berempati mendalam, Hearn menulis esai ini berdasarkan peristiwa nyata yang ia saksikan di stasiun kereta Kumamoto.
小泉八雲
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