うぐいす
原民喜
うぐいす 原民喜 梅の花が咲きはじめました。学校の門のところにある梅も、公園の池のほとりにある梅も、静かに花をひらきました。雄二の家の庭の白梅も咲きました。花に陽があたると、白い花はパッとうれしそうにかがやきます。日蔭の枝にある花は静かに青空をながめています。梅の花はみんなじっと何かを待っているようでした。 雄二の家の庭さきに、ある朝、うぐいすがやって来まし
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原民喜
うぐいす 原民喜 梅の花が咲きはじめました。学校の門のところにある梅も、公園の池のほとりにある梅も、静かに花をひらきました。雄二の家の庭の白梅も咲きました。花に陽があたると、白い花はパッとうれしそうにかがやきます。日蔭の枝にある花は静かに青空をながめています。梅の花はみんなじっと何かを待っているようでした。 雄二の家の庭さきに、ある朝、うぐいすがやって来まし
萩原朔太郎
うすやみに光れる皿あり 皿の底に蟲かくれ居て啜り鳴く 晝はさびしく居間にひそみて 鉛筆の心をけづるに疲れ 夜は酒場の椅子にもたれて 想ひにひたせる我が身の上こそ悲しけれ ●図書カード
樋口一葉
うつせみ 樋口一葉 (一) 家の間數は三疊敷の玄關までを入れて五間、手狹なれども北南吹とほしの風入りよく、庭は廣々として植込の木立も茂ければ、夏の住居にうつてつけと見えて、場處も小石川の植物園にちかく物靜なれば、少しの不便を疵にして他には申旨のなき貸家ありけり、門の柱に札をはりしより大凡三月ごしにも成けれど、いまだに住人のさだまらで、主なき門の柳のいと、空し
樋口一葉
家の間数は三畳敷の玄関までを入れて五間、手狭なれども北南吹とほしの風入りよく、庭は広々として植込の木立も茂ければ、夏の住居にうつてつけと見えて、場処も小石川の植物園にちかく物静なれば、少しの不便を疵にして他には申旨のなき貸家ありけり、門の柱に札をはりしより大凡三月ごしにも成けれど、いまだに住人のさだまらで、主なき門の柳のいと、空しくなびくも淋しかりき、家は何
樋口一葉
家の間數は三疊敷の玄關までを入れて五間、手狹なれども北南吹とほしの風入りよく、庭は廣々として植込の木立も茂ければ、夏の住居にうつてつけと見えて、場處も小石川の植物園にちかく物靜なれば、少しの不便を疵にして他には申す旨のなき貸家ありけり、門の柱に札をはりしより大凡三月ごしにもなりけれど、いまだに住人のさだまらで、主なき門の柳のいと、空しくなびくも淋しかりき。家
ポーエドガー・アラン
二人で丁度一番高い岩山の巓まで登つた。老人は数分間は余り草臥れて物を云ふことが出来なかつた。 とう/\かう云ひ出した。 「まだ余り古い事ではございません。わたくしは不断倅共の中の一番若い奴を連れて、この道を通つて、平気でこの岩端まで出たものです。だからあなたの御案内をしてまゐつたつて、こんなに草臥れる筈ではないのです。それが大約三年前に妙な目に逢つたのでござ
佐藤垢石
うむどん 佐藤垢石 物が高くなって、くらしに骨が折れてきたのは私の家ばかりではあるまい。どこでも、同じであると思う。殊に、私の家庭のように田舎から出てきたものには、それが一倍身にこたえるのである。 家内も、子供も野菜が好きだ。山国にいたころの家族は、お正月とか物日とかでなければ塩ものの魚さえも味わうことができないのであった。だから大量の野菜がなければ一日も過
羽仁もと子
かわいいおさなご、幼児はいまもむかしも世界に充満しているけれど、そうして愛らしい意味でも、手のかかる意味でも、私たちの注意をその身のまわりにひきつけずにはおかない彼らだけれど、幼児というものをほんとうに知った人は、むかしから幾人いたでしょう。そうしてだれでも幼児をかわいがるけれど、本当の意味でかわいがる人は事実たくさんいないように思われる。おとなも子供もそれ
小泉八雲
陸奥の国、田村の郷の住人、村允と云う鷹使でありかつ猟師である男がいた。ある日猟に出たが鳥を得ないで空しく帰った。その途中赤沼と云う所でおしどりが一つがい泳いでいるのを見た。おしどりを殺すのは感心しないが、飢えていたので、村允はその一つがいを目がけて矢を放った。矢は雄鳥を貫いた。雌鳥は向うの岸の蘆の中に逃げて見えなくなった。村允は鳥の屍を家に持ち帰ってそれを料
小川未明
赤ちゃんが、おかあさんの おっぱいを すぱすぱと のんで いました。そばで みて いた つね子ちゃんは、 「おいしそうね。」 と いいました。 「おまえも こう して のんだのですよ。」 と、おかあさんが おっしゃいました。つね子ちゃんは きゅうに おちちが こいしく なりました。 「あたしにも のましてよ。」 と、おかおを だすと、赤ちゃんが、 「ううん。
国木田独歩
五月二日付の一通、同十日付一通、同二十五日付の一通、以上三通にてわれすでに厭き足りぬと思いたもうや。もはやかかる手紙願わくは送りたまわざれとの御意、確かに承りぬ。されど今は貴嬢がわれにかく願いたもう時は過ぎ去りてわれ貴嬢に願うの時となりしをいかにせん。昨年の春より今年の春まで一年と三月の間、われは貴嬢が乞わるるままにわが友宮本二郎が上を誌せし手紙十二通を送り
長谷川時雨
おとづれ 長谷川時雨 十五夜の宵だつた。新らしい借家に移つてから、ちよつと一度歸つて來て、そそくさと徹夜で書物をして出ていつたままのあるじから、幾日ぶりかで二度目の速達便が來た。丁度其日の新聞に連載ものが休みになつてゐたので、どこぞで病氣でもしてゐるのではないかと案じてゐたところなので、居所不明の手紙でもなんでも、無事だつたといふことが氣持ちを輕くさせてくれ
原民喜
わたしはからくりめがねの夢になってしまふたのです 紺の筒袖と色黒ばばさんと 暗いカンテラと お寺の甃石と 緋の着物に紅繻子の帯を締めた子娘と さうして五厘の笛と 唐獅子と わたしはお母さんに抱かれて居たいのです 風船玉が逃げぬやうにぢっと握ってゐたいのです (銭村五郎) 前吉は家へ帰って来ると、老眼鏡を懸けて新聞を読んでゐる、おふくろの肩を小突いた。と、力が
堀辰雄
アトリエとその中庭は、節子の死後、全く手入れもせずに放つておかれたので、彼女が繪に描くために丹精して育てられてゐた、さまざまな珍らしい植木は、丁度それらの多くがいま花をさかせる季節なのでごちやごちやにそれぞれの花を簇がらせながら、一層そこいらの荒れ果てた感じを目立たせてゐた。彼女の父親が一種の愛惜と無關心との不思議な混淆から自然とさういふ状態におかせてあつた
宮本百合子
おもかげ 宮本百合子 睡りからさめるというより、悲しさで目がさまされたという風に朝子はぽっかり枕の上で目をあけた。 夏のおそい午前の光線が、細長くて白い部屋の壁の上に窓外の菩提樹の緑をかすかに映しながら躍っている。その小さい部屋に湛えられている隈ない明るさと静寂とはそとの往来やこの町いっぱいつづいている感じのもので、臥ている朝子の今の悲しさとよくつりあった。
末吉安持
父ぎみはしはぶき二つ、 母ぎみはそよ一雫、 瀬戸の海、東をさしし 三日まへに我を見ましぬ。 世馴れざる野がくれわらべ、 手文筥を封じもあへず、 ゐざり出て閾の端の 柱抱き面かくしぬ。 いとほしや小き学生 いくとせを東の京の 旅に寝ね旅にねざめて 文のわざいそしまむとや。 口軽く胸冷やけき 旅館女の待遇ぶりに、 慨きては、雨の夕の 欄に、おゝ、何のおもひで。
太宰治
じぶんで、したことは、そのように、はっきり言わなければ、かくめいも何も、おこなわれません。じぶんで、そうしても、他におこないをしたく思って、にんげんは、こうしなければならぬ、などとおっしゃっているうちは、にんげんの底からの革命が、いつまでも、できないのです。 ●図書カード
水野葉舟
私が――これは私たちがと言つた方がいいのだ。その時には私たちは三人づれでそこに出かけて行つたのだから――村はづれの谷田の澪に沿つた堤で、初めてカタクリの群落を見つけたのは、ほんの偶然の機会であつた。 四月にはいつたばかりの或る日。林にも野にも春の力が動き出してゐるはずだのに、見渡した目には冬そのまゝの枯色がまだつづいてゐる。目立たない微かないろいろの感覚にも
高見順
赤羽の方へ話をしに行つた日は白つぽい春の埃が中空に舞ひ漂つてゐる日であつたが、その帰りに省線電車の長い席のいちばん端に私が腰掛けて向うの窓のそとのチカチカ光る空気にぼんやり眼をやつてゐるといふと、上中里か田端だつたかで、幼な子を背負つたひとりの若い女が入つてきて手には更に滅法ふくらんだ風呂敷をさげてをつた。そこで席を譲つた私であつたが、このごろ幼な子となると
宮本百合子
からたち 宮本百合子 その時分に、まだ菊人形があったのかどうか覚えていないが、狭くって急な団子坂をのぼって右へ曲るとすぐ、路の片側はずっと須藤さんの杉林であった。古い杉の樹が奥暗く茂っていて、夜は五位鷺の声が界隈の闇を劈いた。夏は、その下草の間で耳を聾するばかりガチャガチャが鳴いた。 杉林の隣りに細い家並があって、そこをぬける小路の先は、又広々とした空地であ
正岡子規
植物学の上より見たるくだものでもなく、産物学の上より見たるくだものでもなく、ただ病牀で食うて見たくだものの味のよしあしをいうのである。間違うておる処は病人の舌の荒れておる故と見てくれたまえ。 ○くだものの字義 くだもの、というのはくだすものという義で、くだすというのは腐ることである。菓物は凡て熟するものであるから、それをくさるといったのである。大概の菓物はく
宮本百合子
くちなし 宮本百合子 童心 うちから二人出征している。一人は世帯持ちであるがもう一人の方はひとり者だから、手紙をうち気付でよこす約束にして出発して行った。 行ったきり永い間何のおとさたもなかった。四ヵ月ほどして、ハガキが来た。部隊の名と自分の姓の下に名を書かないで少尉としてあった。そういう書式があるということはそのときまで知らなかった。ハガキをうちかえして眺
太宰治
南洋パラオ島の汽船會社に勤めてゐる從兄があります。名前を云へばわかるかも知れませぬが、わざと書かない。この從兄は十年前に或る政治運動に獻身して捕へられ、殆ど十年近く世の中から遮斷せられ、このごろ出ることを許され、今は南洋パラオ島で懸命に働いてゐるのであります。先日南洋から手紙が來て「東京の家にはお前の唯一人の叔母たる小生の母と、小生の妹と家内と三人で侘しく留
上司小剣
先づごりがんといふ方言の説明からしなければならない。言葉の説明は、外國語でも日本語でも、まことに難儀なことで、其の言葉自身より外に、完全な説明はないのだ。言葉をもつて言葉を説明するといふほど愚かなことはない。言葉を説明するものは、言葉の發する音による以心傳心で、他のいろ/\の言葉を幾つ並べたとて、其の言葉を底の底まで透き通るほどに説明し得るものでない。しかし