Vol. 2May 2026

Sách

Thư viện tri thức thế giới miền công cộng

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丹波篠山

平野零児

「あなた、お国は?」 と聞かれる度に、私はちょっと自分で苦笑し乍ら、ためらうような調子で答える。 「丹波篠山ですよ」と、 別に丹波篠山で生れたからとて、少しも卑下する理由はない、それなのに、ついこんな調子になるのは何故だろう。 丹波篠山は、成程山間の都会だ。しかし日本のような山獄が、全土の脊骨となって貫いているような地形の国では、山間の都市や村落は無数にある

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丹藤川〔「家長制度」先駆形〕

宮沢賢治

丹藤川〔「家長制度」先駆形〕 宮沢賢治 火皿は油煙をふりみだし、炉の向ふにはこの家の主人の膝が大黒柱を切って投げ出しどっしりがたりと座ってゐる。 その息子らは外の闇から帰って来た。肩はばがひろくけらを着て馬を廐へ引いて入れ、土間でこっそり飯をたべそのまゝころころ寝てしまった。 もし私が何かまちがったことを云ったらそのむすこらの一人でもすぐに私を外のくらやみに

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丹那トンネル開通祝ひ

原民喜

頼太は四十歳の独身の独眼の発明家だったが、まだ汽車へ乗ったことがなかった。その癖十何年も前から丹那トンネルには興味を持ってゐた。いよいよトンネルが成功しかかった頃には、彼の発明まで成功し出すのではないかと考へた。山奥で二十年間、何とも云へない不思議な機械を考案しながら、世の中からまるで奇妙な道楽者扱ひにされてゐた頼太のことだ、トンネルが成功した時には誰よりも

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主のつとめ

北村透谷

主のつとめ 北村透谷 「汝ら只ヱホバをかしこみ心をつくして誠にこれにつかへよ」 (撒母耳前書第十二章二十四節)(七月分日課) この月の日課なる馬太伝の中には神の王国に就きて重要なる教へ多くあり。主のつとめは実に栄あるものにして、之を守るものは、尤も福にして尤も恩あるものとす。主のつとめには種々の類あり、或は難く或は易し、或は己れの利益に適ひ、或は然らず、基督

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主婦意識の転換

宮本百合子

主婦意識の転換 宮本百合子 義弟が、生れたばかりの赤坊と若い妻と母とをおいて再び出征するので、二十日ばかり瀬戸内海に沿った村へかえっていた。そこは、海辺近くだから春はめばる、夏は鱸と魚にこと欠いた経験はなくて何十年来暮していたところ、今度行ってみると、母は魚買いに苦心している。自転車のうしろに魚籠をつけて門口から声をかけて通る魚売りは三日に一度も来なくて、往

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主婦と新聞

宮本百合子

主婦と新聞 宮本百合子 十一月一日の各新聞のすみに、読者調整のカードがすりこまれていた。 そのカードには、現在どんな新聞をよんでいるか、これからどんな新聞が読みたいかを書きこむ欄があって、希望新聞の名を書けばその新聞へ切りかわることができるしくみになっていた。 何年もの間、読みたい新聞を読めずにいたわたしどもは、これをめずらしいことと思ったが、さてと考えてみ

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マルクス主義と唯物論

三木清

言葉は魔術的なはたらきをする。或る人々にとっては、唯物論の名は、すでに最初から何かいかがわしいもの、汚らわしいものを暗示する。彼らはその名を聞くとき、肩をゆすぶり、十字を切って去り、それを真面目に相手にすることをさえ、何か為すまじき卑しきことであると考える。それにもかかわらず自己の唯物論として憚るところなく主張するマルクス主義は、もはや誰も見逃すことの出来ぬ

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久保田万太郎

牧野信一

きのふしばらくぶりで東京へ行き「文藝通信」の机でこれを書かうと二時間あまりもぼんやりしてゐたが久保田さんときくといつそ目の前の電話機をとりたくなつて、だがとうとうその決心もつかなかつた。それといふのは、先生から名ざされた「飲み友達七人」なる末席の栄を担ふ小生たるもの、何かの罰があたつて冬からかけてのブラブラ病ひで、酒といふものが云ひやうもなく口にはいらぬので

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久保田万太郎氏著「釣堀にて」

岸田国士

久保田万太郎氏著「釣堀にて」 岸田國士 これは久保田氏の五冊目の戯曲集だといふことである。なるほど数へてみるとさうだ。なぜそれがそんなに不思議な気がするかといふと、戯曲界のこの大先輩が、今日まで劇作の筆を執りつゞけ、しかも、量にすると僅にそれくらゐの数しか書いてゐないかと思ふからである。実際、僕は、久保田氏の作品を随分昔から愛読した。その独得の詩的境地もさる

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久保田米斎君の思い出

岡本綺堂

久保田米斎君の思い出 岡本綺堂 久保田米斎君の事に就て何か話せということですが、本職の画の方の事は私にはわかりませんから、主として芝居の方の事だけ御話するようになりましょう。これは最初に御断りしておきます。 たしかな事はいえませんが、私の知っている限りでは、米斎君がはじめて舞台装置をなすったのは、明治三十七年の四月に歌舞伎座で、森鴎外博士の『日蓮上人辻説法』

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久助君の話

新美南吉

久助君の話 新美南吉 久助君は、四年から五年になるとき、学術優等品行方正のほうびをもらってきた。 はじめて久助君がほうびをもらったので、電気会社の集金人であるおとうさんは、ひじょうにいきごんで、それからは、久助君が学校から帰ったらすぐ、一時間勉強することに規則をきめてしまった。 久助君は、この規則を喜ばなかった。一時間たって、家の外に出てみても、近所に友だち

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久坂葉子の誕生と死亡

久坂葉子

久坂葉子の誕生と死亡 久坂葉子 今からざっと三年半前、一九四九年の夏前に、久坂葉子は、この世に存在しはじめた。人間の誕生は、偶然に無意識のうちに、それでいておごそかに行われるものだと思う。しかし、この名前は、自分の意識的な行為によって名附けられ、誕生を強いたのであった。この名を、原稿用紙の片隅に記した時は、私一人しか認めることの出来ない名前であったのだから、

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久米の仙人

薄田泣菫

久米の仙人 薄田泣菫 私がじめじめした雜木の下路を通りながら、久米寺の境内へ入つて來たのは、午後の四時頃であつた。 善無畏が留錫中初めて建てたといふ、恰好のいい多寶塔をちらと振仰ぎながら、私は仙人堂へ急いだ。久米仙人の木像を見ようといふのだ。仙人は埃だらけの堂のなかで、相變らず婦人でも抱かうとするやうな、妙な手つきをして龕のなかに納まつてゐた。 私は久米の仙

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久野女史をいたむ

兼常清佐

久野女史をいたむ 兼常清佐 二年前久野女史が始めてベルリンに来た時私はその最初の下宿の世話をした。そして私がベルリンを去るまで半年余りの間幾度か女史に会った。すべて昔の思い出は物悲しい、特にこの不幸な楽人の思い出は誠に私の心を痛ましめる。 よほどの語学の素養と外国生活の予備知識とがない限り、たれも外国に来ればまず初めの数カ月はぼんやりして仕事が手に着かぬ。私

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久野さんの死

宮本百合子

久野さんの死 宮本百合子 最近私の心を大きく搏ったことは久野久子さんの死です。わたしは小さい頃あの方から三年程ピアノを教えて頂いたことがあるものですからね。先生として、芸術家として、そしてまた女として考えさせられることがいろいろあったの。 それに就てではないけれど、私、女と情熱ということを思うのよ、つまり女はどうかすると情熱のために負かされはしないかと。情熱

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乗合自動車

川田功

新米の刑事、――そんな事を云っては相済まんが、兎に角箕島刑事は最近警視庁へ採用された一人で、云わばまだ見習い位の格である事に間違いはなかった。――其刑事に今、守川英吉は尾行されて居る事を知って居る。 何しろ彼は、商売仲間では隼英吉と云う名で通って居る丈けに、年は若いが腕にかけては確乎したものである。尾行られて居るのも知らない程茫然して居よう筈はない。だけど彼

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乗用車発表に際して ――豊田常務のメッセージ――

豊田喜一郎

トヨダ乘用車の發表は既に五月頃から屡々噂に上り各方面から非常な期待を以て觀られてゐたがその後愛知縣刈谷の同工場ではボデーの製作を順調に進め先月[六月]中旬新組立工場完成移轉を機として愈々生産能力も擴充された。又一方乘用車發表遲延の一因とされてゐたボデー用大型鐵板もこの程多量に輸入を了したので愈々[八月]十五日を期して先づ名古屋に於て乘用車發表を行ふことに決定

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九代目団十郎の首

高村光太郎

九代目団十郎の首 高村光太郎 九代目市川団十郎は明治三十六年九月、六十六歳で死んだ。丁度幕末からかけて明治興隆期の文明開化時代を通過し、国運第二の発展期たる日露戦争直前に生を終ったわけである。彼は俳優という職業柄、明治文化の総和をその肉体で示していた。もうあんな顔は無い。之がほんとのところである。明治文化という事からいえば、西園寺公の様な方にも同じ事がいえる

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九州の学生とともに

小泉八雲

官立の高等中学校(a)の学生たちは、かろうじて少年と呼べるくらいであろう。彼らの年齢が低学年では平均一八歳から、高学年の平均が二五歳までというように広い幅があるからである。修業年限がおそらく長すぎるのである。最も優秀な学生ですら二三歳にならないと帝国大学に進学することは期待できない。また、大学に進学するには、漢文の修得に加えて、英語もしくは独語から一科目、英

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九州の東海岸

宮本百合子

九州の東海岸 宮本百合子 細い流れがうねって引込んである。奥の植込みに、石南花が今を盛りに咲いていた。海、砂、五月の空、互になかなか美しい、もう一本目を牽く樹があった。すんなり枝を延ばし梢高く、樹肌がすべすべで薄紅のに、こちゃこちゃ、こちゃこちゃとかたまって濃緑、臙脂、ぱっとした茶色などの混った若芽が芽ばえ出している。ちょうど若葉の見頃な楓もあったが、樹ぶり

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九月一日

水上滝太郎

八月三十一日の夕方、朔日から学校の始まるちいさい子供達を連れて、主人夫婦は東京に帰る事になり、由井ヶ浜の曲淵の別荘には、九人の人数が残る事になった。長男の一郎と、長女の甲子と、次女の乙子と、夫人の里の遠縁の者の娘で甲子や乙子の世話をする養子と、一郎の同級生の澤と、女中の延と鉄と、別荘番のじいやとばあやがいた。外には英国種のポインタアの年をとってよぼよぼしてい

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九月十四日の朝

正岡子規

朝蚊帳の中で目が覚めた。なお半ば夢中であったがおいおいというて人を起した。次の間に寝て居る妹と、座敷に寐て居る虚子とは同時に返事をして起きて来た。虚子は看護のためにゆうべ泊ってくれたのである。雨戸を明ける。蚊帳をはずす。この際余は口の内に一種の不愉快を感ずると共に、喉が渇いて全く潤いのない事を感じたから、用意のために枕許の盆に載せてあった甲州葡萄を十粒ほど食

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九月十四日の朝

正岡子規

朝蚊帳の中で目が覺めた。尚半ば夢中であつたがおい/\といふて人を起した。次の間に寝て居る妹と、座敷に寐て居る虚子とは同時に返事をして起きて來た。虚子は看護の爲にゆふべ泊つて呉れたのである。雨戸を明ける。蚊帳をはづす。此際余は口の内に一種の不愉快を感ずると共に、喉が渇いて全く濕ひの無い事を感じたから、用意の爲に枕許の盆に載せてあつた甲州葡萄を十粒程食つた。何と

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九月十月十一月

太宰治

九月十月十一月 太宰治 (上) 御坂で苦慮のこと 甲州御坂峠の頂上に在る茶店の二階を借りて、長篇小説すこしづつ書きすすめて、九月、十月、十一月、三つきめに、やつと、茶店のをばさん、娘さん、と世間話こだはらず語り合へるくらゐに、馴れた。宿に著いて、すぐ女中さんたちに輕い冗談言へるやうな、器用な男ではないのである。それに私はこれまで滅茶な男のやうに言はれてゐるし

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