アルカプトン尿の発現 化学的個人差の研究
ギャロッドアーチボルド
アーチボルド・ギャロッド MAオクスフォード大学MD グレート・オーモンド街小児病院医師、聖バーソロミュー病院化学病理学・実地授業助手 ランセット誌 pp.1616-1620(1902)より アルカプトン尿症についての最近の研究は、この病態で不変な特性はホモゲンチジン酸(*2,5-ジヒドロキシフェニル酢酸)の排泄であり、アルカプトン(*アルカリ+掴まえる)尿
Thư viện tri thức thế giới miền công cộng
ギャロッドアーチボルド
アーチボルド・ギャロッド MAオクスフォード大学MD グレート・オーモンド街小児病院医師、聖バーソロミュー病院化学病理学・実地授業助手 ランセット誌 pp.1616-1620(1902)より アルカプトン尿症についての最近の研究は、この病態で不変な特性はホモゲンチジン酸(*2,5-ジヒドロキシフェニル酢酸)の排泄であり、アルカプトン(*アルカリ+掴まえる)尿
新美南吉
石太郎が屁の名人であるのは、浄光院の是信さんに教えてもらうからだと、みんながいっていた。春吉君は、そうかもしれないと思った。石太郎の家は、浄光院のすぐ西にあったからである。 なにしろ是信さんは、おしもおされもせぬ屁こきである。いろいろな話が、是信さんの屁について、おとなたちや子どもたちのあいだに伝えられている。是信さんは、屁で引導をわたすという。まさかそんな
豊島与志雄
バラック居住者への言葉 豊島与志雄 バラックに住む人々よ、諸君は、バラックの生活によって、云い換えれば、僅かに雨露を凌ぐに足るだけの住居と、飢渇を満すに足るだけの食物と、荒凉たる周囲の灰燼と、殆んど着のみ着のままの自分自身と、其他あらゆる悲惨とによって、初めて人間の生活というものを、本当に知ったに――感じたに違いない。 普通の生活に於ては、諸君の大部分は、生
坂口安吾
居酒屋の聖人 坂口安吾 我孫子から利根川をひとつ越すと、こゝはもう茨城県で、上野から五十六分しかかゝらぬのだが、取手といふ町がある。昔は利根川の渡しがあつて、水戸様の御本陣など残つてゐる宿場町だが、今は御大師の参詣人と鮒釣りの人以外には衆人の立寄らぬ所である。 この町では酒屋が居酒屋で、コップ酒を飲ませ、之れを『トンパチ』とよぶのである。酒屋の親爺の説による
今野大力
この一本のレール この一本のリベット この一本の枕木 この掘割、この盛り土 このコンクリート その上を平穏に走って行く機関車 機関車は一つの鋲から 一つのネジ 一つの管から、一つの安全弁 その機関車に焚く一塊の石炭までも 何から何まで、ピンからキリまで おお これが誰の仕事の成果であるか すべてはタコだらけの手のひらでなで 俺たちの仲間の労働がつくった 機関
岸田国士
屋上庭園 岸田國士 人物 並木 その妻 三輪 その妻 所 或るデパアトメントストアの屋上庭園 時 九月半ばの午後 二組の夫婦が一団になつて、雑談を交してゐる。一方は裕福な紳士令夫人タイプ、一方は貧弱なサラリイマン夫婦を代表する男女である。 男同志は極めて親しげな様子を見せてゐるに拘はらず、女同志は、互に打解け難い気持を強ひて笑顔に包んでゐるといふ風が見える。
林芙美子
鹿兒島で、私たちは、四日も船便を待つた。海上が荒れて、船が出ないとなれば、海を前にしてゐながら、どうすることも出來ない。毎日、ほとんど雨が降つた。鹿兒島は母の郷里ではあつたが、室生さんの詩ではないけれども、よしや異土の乞食とならうとも、古里は遠くにありて、想ふものである。 雨の鹿兒島の町を歩いてみた。スケッチブックを探して歩いた。町の屋根の間から、思ひがけな
田中貢太郎
これは喜多村緑郎さんの持ち話で、私も本年六月の某夜浜町の支那料理で親しく喜多村さんの口から聞いて、非常に面白いと思ったから、其のうけうりをやってみることにしたが、此の話の舞台は大阪であるから、話中上場の人物は、勢、要処要処で大阪辯をつかわなくてはならないが、私には大阪辯がつかえないから、喜多村さんの話のように精彩のないと云うことをあらかじめ承知していてもらい
原民喜
かちんと、羽子板にはねられると、羽子は、うんと高く飛び上ってみました。それから、また板に戻ってくると、こんどはもっと思いきって高く飛び上りました。何度も何度も飛び上っているうちに、ふと羽子は屋根の樋のところにひっかかってしまいました。はじめ羽子はくるっと廻って、わけなく下に飛び降りようとしました。しかし、そう思うばかりで、身体がちょっとも動きません。 しばら
田中貢太郎
昭和九年の夏、横井春野君が三田稲門戦の試合を見て帰って来たところで、その時千葉の市川にいた令弟の夫人から、 「病気危篤、すぐ来い」 と云う電報が来た。横井君は令弟の容態を心配だから、夜もいとわずに市川へ駈けつけた。そして、令弟の家の門口を潜ろうとして、何気なく屋根の上へ眼をやったところで、其処に一匹の黒猫がいて、それが糸のような声で啼いていた。瞬間横井君は、
坂口安吾
その日は大晦日です。何者か戸を叩く音に、ヤモメ暮しの気易さ、午ちかくまで寝ていた医者の妙庵先生、起きて戸をあけると、 「エエ、伊勢屋源兵衛から参りましたが、本日はお風呂をたてましたので例年の通り御案内にあがりました。どうぞお運び下さいまし」 「では本日は伊勢屋の煤はらいか」 「ヘエ、左様で。例年は十二月の十三日に行う慣いでしたが、当年に限って忙しかったので大
中山太郎
* 栃木県足利郡地方の村々では、死人があると四十九日の間を、その死人が肌に着けていた衣類を竿に掛け、水気の断えぬように水をかけるが、これを『七日晒し』と云うている。俚伝にはこの水がきれると、死人の咽喉が乾いて極楽に往けぬから、こうするのだと云うているが、元より信用することの出来ぬ浮説である。私の考えるところでは、この民俗はかつて同地方に住んでいたことのあるア
原民喜
「屍の街」 原民喜 私はあのとき広島の川原で、いろんな怪物を視た。男であるのか、女であるのか、ほとんど区別もつかない程、顔がくちゃくちゃに腫れ上って、随って眼は糸のように細まり、唇は思いきり爛れ、それに痛々しい肢体を露出させ、虫の息で横たわっている人間たち……。だが、そうした変装者のなかに、一人の女流作家がいて、あの地獄変を体験していたとは、まだあの時は知ら
上村松園
屏風祭 上村松園 京都という町ほど祭の多いところも全国ですくないだろう。 そのどの祭も絢爛として天下に名を知られたものばかりだ。時代祭、染織祭、祇園祭などが代表的なものとされているが、その祇園の祭を一名屏風祭とも称ぶ――私にとって、この屏風祭は他のどの祭よりも愉しかったものである。 祇園祭になると四条通りの祇園界隈では、その家の秘蔵の屏風を表玄関の間に飾って
福士幸次郎
展望 福士幸次郎 A elle, Tu es mon guide… Dante(Enfers, , 140) 著者の序 この集は私の既刊の二詩集『太陽の子』の十數篇と『惠まれない善』の全部とに、その後隨時に世に出して、未だ集として纒めてない作全部とを集めたもので、この未だ集にならない部分はその前半を凡そのところ『惠まれない善』と作風を同じくし、その後半はこれ
斎藤茂吉
ポンペイの街をやうやく見物してしまつて、午過ぎて入口のところの食店で赤葡萄酒を飲み、南伊太利むきの料理を食べて疲れた身心を休めてゐる。それから、此処で発掘した小さい瓶子などを並べて売るのをのぞくが、値が相当に高いので買ふ気にならない。 そこに、数人の導者が来て、ヴエスヴイオ登山をすすめて止まない。此処から登山するとせば、驢馬に乗つて行く、その方が登山鉄道で行
楠山正雄
かちかち山 楠山正雄 一 むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがありました。おじいさんがいつも畑に出て働いていますと、裏の山から一ぴきの古だぬきが出てきて、おじいさんがせっかく丹精をしてこしらえた畑のものを荒らした上に、どんどん石ころや土くれをおじいさんのうしろから投げつけました。おじいさんがおこって追っかけますと、すばやく逃げて行ってしまい
田山花袋
金剛山にある二つのホテル、中でも長安寺にあるものは面白い。ホテルと名には呼ばれてゐても、大きな建物があるではなく、長安寺の一部を借て、僧房を仕切て、それに No, 1 とか No, 2 とか番号をつけてゐる。そこに無造作に寝台と卓子とが置いてある。食堂と言つても、いくらか大きい僧房に二つ三つ卓子を配置してそれに晒布をかけただけである。そしてそこにゐる人達が面
折口信夫
山のことぶれ 折口信夫 一 山を訪れる人々 明ければ、去年の正月である。初春の月半ばは、信濃・三河の境山のひどい寒村のあちこちに、過したことであつた。幾すぢかの谿を行きつめた山の入りから、更に、うなじを反らして見あげる様な、岨の鼻などに、さう言ふ村々はあつた。殊に山陽の丘根の裾を占めて散らばつた、三河側の山家は寂しかつた。峠などからふり顧ると、必、うしろの枯
斎藤茂吉
瑞西の首都 Zrich をば午後二時十分発の急行列車で立った。そして、方嚮を東南に取り、いわば四方から湖に囲まれたという姿の、Rigi の山上に一夜泊ろうとしたのであった。 汽車の立つ時、窓から首を出して見ていると、向うの丘陵に家のたて込んでいる工合は丁度長崎を思わせるようなところがあった。汽車は急いで走った。だんだん山地になり、その起伏の工合が如何にも鮮媚
小川未明
山の上に、一本の木が立っていました。木はまだこの世の中に生まれてきてから、なにも見たことがありません。そんなに高い山ですから、人間も登ってくることもなければ、めったに獣物も上ってくるようなこともなかったのです。 ただ、毎日聞くものは、風の音ばかりでありました。木はべつに話をするものもなければ、また心をなぐさめてくれるものもなく、朝から夜まで、さびしくその山の
今村恒夫
同志等よ 素晴らしい眺めではないか 君達の胸はぶるぶると打ちふるえないか 脚下の街に林立する煙突と空を蔽う煤煙と るるるるっと打ちふるえている工場の建築物 おお そして其処で搾りぬかれた仲間等が吹き荒ぶ産業合理化の嵐の前に怯え 恐れ 資本への無意識的な憤懣の血をたぎらせているのだ 街は鬱積した憤懣で瓦斯タンクのようになっている 街は燐寸の一本で爆発へ導く事が
豊島与志雄
山上湖 豊島与志雄 十月の半ばをちょっと過ぎたばかりで、湖水をかこむ彼方の山々の峯には、仄白く見えるほどに雪が降った。翌日からは南の風で少し温く、空晴れて、宵に大きな月がでた。 「まあ、きれいな月……。外に出てみよう。」 誘うともなく、誘わぬともなく、言いすてて、私は外套をまとい、スカーフを首に巻きつけた。 「ちょっと待って。これで大丈夫かな。」 寒くはない
寺田寅彦
山中常盤双紙 寺田寅彦 岩佐又兵衛作「山中常盤双紙」というものが展覧されているのを一見した。そのとき気付いたことを左に覚書にしておく。 奥州にいる牛若丸に逢いたくなった母常盤が侍女を一人つれて東へ下る。途中の宿で盗賊の群に襲われ、着物を剥がれた上に刺殺される、そのあとへ母をたずねて上京の途上にある牛若が偶然泊り合わせ、亡霊の告げによってその死を知る。そうして