ちょうせんぶなと美しい小箱
小川未明
正吉くんは、はじめて小田くんの家へあそびにいって、ちょうせんぶなを見せてもらったので、たいそうめずらしく思いました。 「君、この魚はどこに売っていたの?」 「このあいだ、おじいさんが売りにきたのを買ったのだよ。」と、小田くんはいいました。 「こんどきたら、ぼくも買おうかな。」と、正吉くんは、あかずに、ちょうせんぶなのダンスをするのをながめていました。 「それ
Thư viện tri thức thế giới miền công cộng
小川未明
正吉くんは、はじめて小田くんの家へあそびにいって、ちょうせんぶなを見せてもらったので、たいそうめずらしく思いました。 「君、この魚はどこに売っていたの?」 「このあいだ、おじいさんが売りにきたのを買ったのだよ。」と、小田くんはいいました。 「こんどきたら、ぼくも買おうかな。」と、正吉くんは、あかずに、ちょうせんぶなのダンスをするのをながめていました。 「それ
太宰治
美少女 太宰治 ことしの正月から山梨県、甲府市のまちはずれに小さい家を借り、少しずつ貧しい仕事をすすめてもう、はや半年すぎてしまった。六月にはいると、盆地特有の猛烈の暑熱が、じりじりやって来て、北国育ちの私は、その仮借なき、地の底から湧きかえるような熱気には、仰天した。机の前にだまって坐っていると、急に、しんと世界が暗くなって、たしかに眩暈の徴候である。暑熱
高村光太郎
非目前的なのが美の持つ影響力の特質である。人は毎日の生活に惱む。毎日の生活とは即ち目前處理の生活である。人はその累積の中に埋もれてその生活そのものに内在する非目前的の一面を忘却する。そしてやりきれない鬱積を打ち拂ふために、手取早く、低い娯樂や、演藝物などの爆笑とか危險感とかいふものを漁つて一時をごまかす。實は何にも滿足が得られたのではない。結局さういふものに
堀辰雄
十月六日、鎌倉にて お手紙うれしく拝読いたしました。半年ぶりで軽井沢から鎌倉に戻ってきたばかりで、まだ何か気もちも落ちつかないままにお返事を遅らせておって申訳ありません。 丁度軽井沢を立ってくる前に、いただいた御本の中の「樹々新緑」などをなつかしく拝読して参ったばかりのところへ、又お手紙でその時分のことをいろいろと蘇らせられ、本当に何から先にとりあげて御返事
富永太郎
私はその頃不眠症に悩んで居た。 かなり多くの人々が私の病気を知つてしまつて、それに対する忠告を与へてくれる人も少くなかつた。 気軽な或る大学生は言つた。「運動が足りないんだね。君みたいに一日中室の中に居て煙草を吸つてる男に安眠の出来るわけはないさ。ちつと学校のコートへやつて来たまへ。昼休みにお対手しよう。」 肥満した或る若い会社員は言つた。「君、誰か見付けて
高村光太郎
美の日本的源泉 高村光太郎 民族の持つ美の源泉は実に深く、遠い。その涌き出ずる水源は踏破しがたく、その地中の噴き出口は人の測定をゆるさない。厳として存在し、こんこんとして溢れて止まぬ其の民族を貫く民族特有の美の源泉は、如何なる外的条件のかずかずを並べ立ててみても説明しがたく、殆ど解析の手がかり無き神秘さを感じさせる。近寄ってこれを観れば、或は紛々として他と分
岸田国士
友田夫妻を中心とする築地座の仕事は、最近目ざましい躍進ぶりを見せてゐる。恐らく現在の新劇団を通じて、最も着実に、最も純粋に、演劇精神を守り育みつゝあるこの一座は、次第に索寞たる研究劇の域から脱し、「劇」そのものゝ本質に徹して何人をも――少くとも真に芝居の「面白さ」を求める人々を、かなり満足せしめるに足る舞台を見せはじめた。俳優諸君も、無論、絶えざる精進によつ
牧野信一
日曜の朝でした。――「稀にはお母様のお手伝ひをしたら、」とお母様はちよつと機嫌の悪い顔をなさいましたので、美智子は、 「だつてお母様……」と、あべこべに不機嫌な顔をして、「だつて……だつて……」と、わけのわからない弁解を示して、おさげに結むだリボンを前に廻して、それをもてあそびながら、もう一遍「だつて……」と云ひました。 「そら始つた、こんな時に限つて勉強な
牧野信一
美智子は、朝から齲歯が痛んで、とう/\朝御飯も喰べませんでした。眼に触れるものが悉く疳癪にさわりました。焦れツたくて/\堪りませんでした。家ぢうを大声あげて、出来るだけの速さで駆け回つても、まだ飽き足りないやうな気がします。鐘をグワン/\と打ち叩くやうに、或ひは歯のなかへ太い釘を叩き込むやうに――その響がビンビンと脳髄にしみ渡ります。 「あゝ。」と云つて美智
宮本百合子
美しき月夜 美しき月夜 宮本百合子 静かな晩である。 空気は柔かく湿って、熟しかけた林檎(りんご)からは甘酸い、酸性のかおりが快く、重く眠たい夜気の中に放散し、薄茶色の煙のような玉蜀黍(とうもろこし)の穂が澄みわたった宙に、ひっそりと影を泛べている。到るところに陰翳(いんえい)の錯綜があった。夏と秋の混り合った穏やかなどことなく淋しい景物が、今パット咲いた銀
堀辰雄
天の気の薄明に優しく会釈をしようとして、 命の脈が又新しく活溌に打っている。 こら。下界。お前はゆうべも職を曠うしなかった。 そしてけさ疲が直って、己の足の下で息をしている。 もう快楽を以て己を取り巻きはじめる。 断えず最高の存在へと志ざして、 力強い決心を働かせているなあ。 ファウスト第二部
高村光太郎
いつたん此世にあらわれた以上、美は決してほろびない。 眞理はつねに更生せられて、一つの眞理から次の眞理へとうつりかわり、前の眞理はほろびる。それが眞理の本然である。 美は次々とうつりかわりながら、その前の美が死なない。紀元前三千年のエジプト藝術は今でも生きて人をとらえる。 一民族の運命は興亡常ないが、その興亡のあとに殘るものはその民族の持つ美である。その他の
原民喜
美しき死の岸に 原民喜 何かうっとりさせるような生温かい底に不思議に冷気を含んだ空気が、彼の頬に触れては動いてゆくようだった。図書館の窓からこちらへ流れてくる気流なのだが、凝と頬をその風にあてていると、魂は魅せられたように彼は何を考えるともなく思い耽っているのだった。一秒、一秒の静かな光線の足どりがここに立ちどまって、一秒、一秒のひそやかな空気がむこうから流
林芙美子
美しい犬 林芙美子 遠いところから北風が吹きつけている。ひどい吹雪だ。湖はもうすっかり薄氷をはって、誰も舟に乘っているものがない。 ペットは湖畔に出て、さっきからほえたてていた。ペットはモオリスさんの捨犬で、いつも、モオリスさんの別莊のポーチで暮らしている。野尻湖畔のモオリスさんの別莊へ來た時は、ペットはまだ色つやのいい、たくましいからだつきをしていた。 モ
小川未明
さびしい、暗い、谷を前にひかえて、こんもりとした森がありました。そこには、いろいろな小鳥が、よく集まってきました。 秋から、冬へかけて、そのあたりは、いっそうさびしくなりました。森は陰気な顔をして、黙っていました。そのとき、眠りをさまさせるように、いい声を出して、こまどりが鳴きました。 これを聞くと、森は、元気づいたのです。 「あの美しいこまどりがきたな。ど
太宰治
美男子と煙草 太宰治 私は、独りで、きょうまでたたかって来たつもりですが、何だかどうにも負けそうで、心細くてたまらなくなりました。けれども、まさか、いままで軽蔑しつづけて来た者たちに、どうか仲間にいれて下さい、私が悪うございました、と今さら頼む事も出来ません。私は、やっぱり独りで、下等な酒など飲みながら、私のたたかいを、たたかい続けるよりほか無いんです。 私
高山樗牛
美的生活を論ず 高山樗牛 一 序言 古の人曰へらく、人は神と財とに兼ね事ふること能はず。されば生命の爲に何を食ひ、何を飮み、また身體の爲に何を衣むと思ひ勞らふ勿れ。生命は糧よりも優り、身體は衣よりも優りたるものならずやと。人若し吾人の言をなすに先だちて、美的生活とは何ぞやと問はば、吾人答へて曰はむ、糧と衣よりも優りたる生命と身體とに事ふもの是れ也と。 二 道
登張竹風
美的生活論とニイチエ 登張竹風 高山君の「美的生活論」を一読せる吾等は、不覚拍案快哉を呼び、心窃かに以為らく。これ実に空谷の跫音也、現代の文士は両手を挙げて之を賛すべしと、然れども事実は此の如くならざりき。これそも/\何の故ぞ。 吾等は吾国批評家の文を読むごとに、その論難の多くは、語の概念の争に止まり、議論の大体に通ずること少なきを歎ぜざる能はず。漫に自己の
中井正一
スポーツの美的要素 中井正一 1 スポーツが人々によって研究され始めたのは、それを遊戯の一部としてであった。遊戯論については多くの人々が関心をもっている。それを今類別するならば大体五つに分れるかと思う。まず第一は剰余エネルギー論というべきものである。シラーが『人間の美的教育論』にのべており、スペンサーがその『心理学原論』にのべ、ジャン・パウル、ベネケ、シェリ
高村光太郎
私は美術のことに從つてゐる者なので、この世の美について常に心を用ゐざるを得ない。そして世人の普通考へてゐるやうな眼や感情に、ただ奇麗に見える事物を直ちに美なりとする考へ方を、もう一歩深めてもらひたいと熱望してゐる。 美とは決してただ奇麗な、飾られたものに在るのではない。事物ありのままの中に美は存するのである。美は向うにあるのではなく、こちらにあるのである。芋
中谷宇吉郎
美しいという言葉を、人々はふだん何気なくつかっているが、考えてみると、美しさにはいろいろな種類のものがある。 絵や彫刻や音楽など、いわゆる芸術の世界では、美がその対象であるから、話は簡単である。目で見たり、耳で聞いたりして、美しいと感ずれば、それが美である。その感じの内容や、どういうところに美を感ずるかという話は、その先の問題である。 ところで一般には、芸術
岸田劉生
美術上の婦人 岸田劉生 婦人は美くしいものである。 だから婦人は画家にとつて何時の時代でもよき画材とされてゐる。古来からの名画の中には婦人を描いたものは甚だ多い、もし古今東西の美術の中から「婦人」を除いたら実に寂寥たるものであらう。実に「女ならでは夜の明けぬ」は只にこの世のみの事ではない。美術の王国は美のみの国だけに一層に婦人を尊しとするのである。 一体、美
高村光太郎
美術学校時代 高村光太郎 僕は江戸時代からの伝統で総領は親父の職業を継ぐというのは昔から極っていたので、子供の時から何を職業とするかということについて迷ったことはなかった。美術学校にも自然に入ってしまった。二重橋前の楠公の銅像の出来上ったのは明治二十六年頃で僕が十一歳の時であり、美術学校に入ったのは明治三十年の九月だったから齢でいえば十五歳であった。 その頃
北大路魯山人
書のこと、すなわち字のうまいまずいを最も明白に率直に説明しようとするときは、大体次のような甲乙二つの色別が出来るかと思う。甲はいわゆる書家の書というものであって、現在でいえば、よくある書道展覧会などに出陳されているような物を指すことが出来る。これには看板、版下など書く人、あらゆる習字の先生などを含むものである。要するに手本の形態を模倣する筆技を楽しみとし、筆