あほう鳥の鳴く日
小川未明
若者は、小さいときから、両親のもとを離れました。そして諸所を流れ歩いていろいろな生活を送っていました。もはや、幾年も自分の生まれた故郷へは帰りませんでした。たとえ、それを思い出して、なつかしいと思っても、ただ生活のまにまに、その日その日を送らなければならなかったのであります。 もう、十七、八になりましたときに、彼は、ある南方の工場で働いていました。しかし、だ
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小川未明
若者は、小さいときから、両親のもとを離れました。そして諸所を流れ歩いていろいろな生活を送っていました。もはや、幾年も自分の生まれた故郷へは帰りませんでした。たとえ、それを思い出して、なつかしいと思っても、ただ生活のまにまに、その日その日を送らなければならなかったのであります。 もう、十七、八になりましたときに、彼は、ある南方の工場で働いていました。しかし、だ
小川未明
ちい子ちゃんは、床の中で目をさましました。うぐいすの鳴き声が、きこえてきました。 「おや、ラジオかしら。」 このごろ、いつもお休み日の朝には、小鳥の鳴き声が放送されたからです。しかし、その声は、お隣の庭の方からきこえてくるような気がしました。あちらには、梅林があるし、木立もたくさんしげっていますから、どこからかうぐいすが飛んできて鳴いているのでないかとも、思
原民喜
鶉居山房と私とは路傍に屈んで洋服屋の若旦那を待ってゐた。別に用事なんかなかったのだが、待ってゐるうちに帰るのがめんどくさくなった。若旦那は今朝から留守なのださうだから、なかなか帰っては来まい。そこの通りは人通りも稀れで静かだった。私達は煙草を吸ってぼんやりしてゐた。その時学校から帰る二人連れの小学生がすぐ側を歩いてゐた。そして、小学生の肩の辺に鳩がたまたま飛
中谷宇吉郎
今度の四巨頭會談で、アイクはついに、世紀の大政治家の列に加わったようである。チャーチルの格になったと、歐洲の言論界では、言っているそうである。 先年の大統領選擧で、アイクは初めかなり苦戰であった。相手のスティヴンソンは、ウィルソンの再來といわれる人で、現代アメリカの知性を代表する人とされている。一度テレビで、スティヴンソンの演説をきいた人は、一遍でスティヴン
宮原晃一郎
鳩の鳴く時計 宮原晃一郎 一 一時間ごと、三十分ごとに、時計の上の方にある小さな戸を押し開いて、赤いくちばしをした鳩が顔を出して、時間の数だけホウホウとなく時計のあることは、みなさん御存じでせうね。わたしが今こゝにお話しようといふのは、この時計のことです。 あるりつぱなお家の応接間に、この鳩のなく時計がかゝつてゐました。こゝの御主人がもう二十幾年前にスヰツツ
小川未明
自転車屋の店に、古自転車が、幾台も並べられてありました。タイヤは汚れて、車輪がさびていました。一つ、一つに値段がついていました。わりあいに安かったのは、もうこの先長くは、使用されないからでしょう。 原っぱで遊んでいた、辰一は、なにを思い出したか、駆け出して、自転車屋の前へきました。そして、並んでいる古い車の中の、一つにじっと目をとめていました。 「ああ、まだ
新美南吉
どらん どらん どらん どらが鳴る。 よふけの部落のひろつぱで。 どらん どらん どらん まどがあく。 あつちこつちで音がする。 どらん どらん どらん かけてくる。 ブーメラングや毒鎗が。 どらん どらん どらん みんな来た。 獅子でも出たか、火事なのか。 どらん どらん どらん をどるのだ。 月だよ 月だよ 月なんだ。 どらん どらん どらん 輪がをどる
小川未明
この港は山の陰になっていましたから、穏やかな、まことにいい港でありました。平常はもとより、たとえ天気のよくないような日であっても、この港の中だけはあまり波も高く立たず、ここにさえ逃れれば安心というので、たくさんな船がみんなこの港の内に集まってきたのであります。 ある日のこと、沖の方がたいへんに荒れたことがありました。沖を航海していたいろいろな船は、みんなこの
内藤鳴雪
此の集を出すに方つて、子規居士と余との関係を思ひ出さずに居られぬ。居士は余の俳句の指導者である。而して是れは誰れも知る所で、今、改めて言ふの要もないから嘗て居士の生前に余の物した一二の文を摘記して、いさゝか今昔の感を叙する代りとした。 憶ふ昔と云ふ程でもないが、明治二十五年の一月其頃寄宿舎に居た子規子始二三の人が俳句と云ふものを作るので、僕も少々真似がして見
豊島与志雄
丘の上の小径から、だらだら上りの野原をへだてて、急な崖になり、灌木や小笹が茂っている。その崖の藪に、熊か猪かと思われるようなざわめきが起り、同時にわっと喚声があがって、一人の青年が飛び出して来、次で子供が三人飛び出して来た。 吉村はびっくりして、小径につっ立っていた。 見ると、青年はたしかに李永泰である。無帽で、運動シャツ、学校の教練ズボンのお古らしいのをつ
シュミットボンウィルヘルム
ライン河から岸へ打ち上げられた材木がある。片端は陸に上がっていて、片端は河水に漬かっている。その上に鴉が一羽止まっている。年寄って小さくなった鴉である。黒い羽を体へぴったり付けて、嘴の尖った頭を下へ向けて、動かずに何か物思に沈んだようにとまっている。痩せた体が寒そうである。 河は常よりも涸れている。いつも水に漬かっている一帯の土地がゆるい勾配をなして露われて
寺田寅彦
鴉と唱歌 寺田寅彦 帝劇でドイツ映画「ブロンドの夢」というのを見た。途中から見ただけではあるし、別に大して面白い映画とも思われなかったが、その中の一場面としてこの映画の主役となる老若男女四人が彼等の共同の住家として鉄道客車の古物をどこかから買って来るという事件がある。そうして、若い娘と若い男二人がその奇抜な新宅の設備にかかっている間に、年老った方の男一人は客
国枝史郎
鴉片を喫む美少年 国枝史郎 1 (水戸の武士早川弥五郎が、清国上海へ漂流し、十数年間上海に居り、故郷の友人吉田惣蔵へ、数回長い消息をした。その消息を現代文に書きかえ、敷衍し潤色したものがこの作である。――作者附記) 友よ、今日は「鴉片を喫む美少年」の事について消息しよう。 鴉片戦争も酣となった。清廷の譎詐と偽瞞とは、云う迄もなくよくないが、英国のやり口もよく
太宰治
鴎というのは、あいつは、唖の鳥なんだってね、と言うと、たいていの人は、おや、そうですか、そうかも知れませんね、と平気で首肯するので、かえってこっちが狼狽して、いやまあ、なんだか、そんな気がするじゃないか、と自身の出鱈目を白状しなければならなくなる。唖は、悲しいものである。私は、ときどき自身に、唖の鴎を感じることがある。 いいとしをして、それでも淋しさに、昼ご
永井荷風
凡てのいまはしい物の形をあからさまに照す日の光が、次第に薄らいで、色と響と匂のみ浮立つ黄昏の來るのを待つて、先生は「社會」と云ふ窮屈な室を出で、「科學」と云ふ鐵の門を後にして、決して躓いた事のない極めて規則正しい、寛濶な歩調で、獨り靜に藝術の庭を散歩する。藝術の庭は實に廣く、薄暗く、隅々までは能く見えない。いろ/\な花がさいて居るけれど、まだ誰も見た事のない
永井荷風
森先生著述の全集十八卷いよ/\印に付せられんとす。そも/\今年七月九日先生の俄に簀を易へらるゝや、之を哭し之を悼しむ者、心竊に先生が著述全集刊行の擧の一日も速ならむことを希ひたり。蓋先生を喪ひたる文壇の損傷を補ひ、又聊吾人痛惜の情を慰むべきもの、今や纔に先生生前の著書を蒐集し、之を重印して以て後世に傳へんとするの外他に道なきを以てなり。然りと雖この事固より容
永井荷風
一文學美術の理論に關して疑問の起つた時にはまづ審美綱領と審美新説の二書を讀む。一批評の文など書く時專門の用語がわからない時には以上二書の外に洋畫手引草を參照してゐます。一小説をかく時、觀察の態度をきめやうと思ふ時は雁と灰燼とを讀返す。既に二十囘くらゐは反復してゐるでせう。一大正五年初て澀江抽齋の傳を讀むまでわたくしは江戸時代の儒家の詩文集にはあまり注意してゐ
内田魯庵
若い蘇峰の『国民之友』が思想壇の檜舞台として今の『中央公論』や『改造』よりも重視された頃、春秋二李の特別附録は当時の大家の顔見世狂言として盛んに評判されたもんだ。その第一回は美妙の裸蝴蝶で大分前受けがしたが、第二回の『於母影』は珠玉を満盛した和歌漢詩新体韻文の聚宝盆で、口先きの変った、丁度果実の盛籠を見るような色彩美と清新味で人気を沸騰さした。S・S・Sとは
宮本百合子
つい先頃、或る友人があることの記念として私に小堀杏奴さんの「晩年の父」とほかにもう一冊の本をくれた。「晩年の父」はその夜のうちに読み終った。晩年の鴎外が馬にのって、白山への通りを行く朝、私は女学生で、彼の顔にふくまれている一種の美をつよく感じながら、愛情と羞らいのまじった心でもって、鴎外の方は馬上にあるからというばかりでなく、自分を低く小さい者に感じながら少
宮本百合子
鴎外・芥川・菊池の歴史小説 宮本百合子 森鴎外の「歴史もの」は、大正元年十月の中央公論に「興津彌五右衛門の遺書」が載せられたのが第一作であった。そして、斎藤茂吉氏の解説によると、この一作のかかれた動機は、その年九月十三日明治大帝の御大葬にあたって乃木大将夫妻の殉死があった。夜半青山の御大葬式場から退出しての帰途、その噂をきいて「予半信半疑す」と日記にかかれて
永井荷風
森鴎外先生の記念館が先生の健在中その居邸の立つてゐた駒込千駄木町十九番地に建てられると云ふことで、わたくしは文京區長井形卓三氏、また建設委員會事務長代理中出忠勝氏の訪問を受けた。二氏はわたくしに一日も早く森先生に關する文章を書いて新聞か雜誌に載せて貰ひたいと言はれた。記念館の建築費は千五百萬圓ほどになるさうで、此の金額の寄附を募集する趣意書やら何やら、いづれ
福永信
丸一日続いた沈黙が破れた。「見えます。ああ見えた。見えてきましたよ」と言った。「冷たい。水だな、これは」と言った。言ったのは超能力者である。日本語だったことに皆驚いた。「流れています」と流暢な日本語で続けた。驚きは声にはならなかったが、次に、ははあ川かと誰かが口走って慌てて別の誰かにふさがれた。近くで、あるいは遠巻きに全部で十一、二名ほどの人々が取り囲んでい
澤西祐典
街や鴨川のほとりで、道ゆく人々の胸元やカバンをよく御覧なさい。そこに鴨のピンバッジがついていれば、彼らは秘密結社の一員かもしれない。 人目を忍ぶように暗がりに身を寄せ、眼光鋭く辺りに一瞥をめぐらす者など特に怪しい。その人物を注意深く追跡し、それからあなたに多分に運があれば、彼(あるいは彼女)が、河原のベンチ裏やカッフェーに仕組まれた隠し扉にさっと姿をくらませ
新村出
上賀茂のダムのあたりの河鹿のね老いには今やきこえすなりぬ 私が京都にきたのは、欧州留学から帰った直後の明治四十二年五月でした。いまから、もう五十三年も前のことです。 さっそく、京都大学教授として教壇に立つはずでしたが、当時は、いまと違って、大学だけは七月に学年が終わり、九月十日から新学年がはじまることになっていましたので、三学期は教壇に立たず、教授会に顔を出