喜田貞吉
喜田貞吉 · 日语
喜田貞吉 · 日语
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原文 (日语)
余輩が明治三十八年五月を以て、所謂法隆寺再建論を学界に発表してから、早くも三十年の星霜が流れた。当時余輩は現存の法隆寺金堂・塔婆・中門等の古建築物に関して、該寺が天智天皇九年庚午四月三十日夜半の大火に一旦焼失し、その後いつの頃からか再建築に着手して、奈良朝の初め頃までにはほぼ完成を見るに至ったものであることの前提の下に、所謂非再建論に対して素人の無鉄砲なる駁論を発表したのであった。しかもその論鋒が甚だ鋭利にして、文辞辛辣を極めたものであったが為か、図らずも当時の学界に一大センセーションを捲き起し、爾後数ヶ月間は甲論乙駁、盛んに雑誌の紙面を賑わしたものであった。しかしながら当時余輩に対する直接の反駁としては、畢竟非再建論者が主としてその芸術史的見地より、これらの建築物が到底大化以後の所産でありえないと云う実物上の立論を繰り返したもののみで、文献上より余輩の立論に対して、学界を首肯せしむる程の議論には終に接する事が出来なかったのであった。したがって余輩のさきに発表したところの不完全なる論旨は、今もなおほぼ無疵の儘に保存せられているのである。しかも文献的資料の扱いに慣れざる世間の人々は、失礼
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