神西清 · 일본어
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원문 (일본어)
飜訳遅疑の説 神西清 滝井孝作氏の筆になる『志賀直哉対談日誌』というのを読んでいたら、偶然次のような一節にぶつかった。 「文体は必ず斯うだと限定出来ないネ、例え調子が不可んと言ったって調子がつかなければ何うにも出せない感じの場合もある、(中略)作品は一つ一つ各々違った文体を持つのが当然だネ、結局文体はどうでもいいのだ、此方の態度が文体を定めるのだ、文体など何うだっていいヨ」 内容と形式、意と形、或いはその他の対辞で現わし得る創作上の大切な契機が、作家としてののっぴきならぬ境地から、きっぱり言い切られている。ここに、文体という変幻不可思議なもやもやしたものが、どうだっていいヨと突放されながら而もその作品を生かすべく、その作品固有のものとして生まれ出るわけだが、このもやもやしたものを各人の鑑識によって具象化する、そこに千人の直接読者があり、更に、このもやもやを千人の読者に謂わば予め代って、恐る恐る或る具象にまで仮にもち来たす、――ここに飜訳者の座があり、同時にその罪障を宿命づけられた悲しい存在理由があるに相違ない。当り前の事だが、考えれば考えるほど腹の立ってくる馬鹿げた事実に相違ない。 だ
神西清
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