二番めの娘
小川未明
毎年のように、遠いところから薬を売りにくる男がありました。その男は、なんでも西の国からくるといわれていました。 そこは、北国の海辺に近いところでありました。 「お母さん、もう、あの薬売りの小父さんがきなさる時分ですね。」と、二番めの女の子がいいました。 すでに、あたりは、初夏の日の光が、まぶしかったのであります。そして、草木の芽がぐんぐんと力強く伸びていまし
公共领域世界知识图书馆
小川未明
毎年のように、遠いところから薬を売りにくる男がありました。その男は、なんでも西の国からくるといわれていました。 そこは、北国の海辺に近いところでありました。 「お母さん、もう、あの薬売りの小父さんがきなさる時分ですね。」と、二番めの女の子がいいました。 すでに、あたりは、初夏の日の光が、まぶしかったのであります。そして、草木の芽がぐんぐんと力強く伸びていまし
高浜虚子
きのふは二百二十日であつて、おとゝひから蒸し暑く豪雨を降らしたり嵐がおとづれたりして、たゞならん景色であつた。それがきのふ午後になつて颱風が過ぎ去つて了つたのであらう、空を見ると雲は未だ空を覆うてはをるが併しその雲の色も險惡な色は無くなつて、殊に風の方向を示して居るやうな矢のやうな雲が數多く現れてその矢のやうな雲の外に綿のやうな雲が散らばつて居て、その綿のや
夏目漱石
二百十日 夏目漱石 一 ぶらりと両手を垂げたまま、圭さんがどこからか帰って来る。 「どこへ行ったね」 「ちょっと、町を歩行いて来た」 「何か観るものがあるかい」 「寺が一軒あった」 「それから」 「銀杏の樹が一本、門前にあった」 「それから」 「銀杏の樹から本堂まで、一丁半ばかり、石が敷き詰めてあった。非常に細長い寺だった」 「這入って見たかい」 「やめて来
小川未明
空高く羽虫を追いかけていたやんまが、すういと降りたとたんに、大きなくもの巣にかかってしまいました。しまったといわぬばかりに、羽をばたばたして逃げようとしたけれど、どうすることもできませんでした。 縁先で、新聞を読んでいたおじいさんは、ふと顔を上げた拍子に、これが目に入ってじっと眼鏡の底から、とんぼの苦しがるのを見たのであります。 かわいそうにと、おじいさんは
ハイドダグラス
昔、ガルウェーのダンモーアと云う処に一人の半馬鹿がいました。彼はひどく音楽が好きでしたが、たった一つの節しか覚えることが出来ませんでした。その一つの節は「黒坊のいたずら小僧」と云うのでした。 村の人達は彼をからかって遊ぶのが好きでしたから、半馬鹿はよく皆から沢山のお金を貰いました。或る晩、この半馬鹿の笛吹きは舞踏のあった家から自分の家に帰ろうとしていました。
寺田寅彦
二科会その他 寺田寅彦 安井氏の絵はだんだんに肩の凝りが解けて来たという気がする。同時にだんだん東洋人らしいところが出て来るように見える。もう一歩進むと結局南画のようなものに接近する可能性を持っているのではないかと思われる。あの裸体の少女でも、あれを少しどうかすると支那画の童子のような感じが出そうである。 そう云えば、すぐ隣りにある山下氏の絵にもやはり東洋人
寺田寅彦
二科会展覧会雑感 寺田寅彦 同じ展覧会を見て歩くのでも、単に絵を見て味わい楽しもうという心持で見るのと、何かしら一つ批評でもしてみようという気で見るのとでは、見る時の頭の働き方が違うだけに、その頭に残る印象にもかなりの差があり得る訳である。尤もほんとうに絵を味わい楽しむためには、ある意味での批評をしなければならない事は勿論であるが、しかし、意識的に批評のため
寺田寅彦
二科展院展急行瞥見記 寺田寅彦 九月三日は朝方荒い雨が降った、やがて止んだが重苦しい蒸暑さがじりじりと襲って来た。仕事をしていると『中央美術』から電話が掛かって今日が二科会展覧会の招待日であることを想い出させられた。数年前まではこの日を指折り数えて楽しみにしていたのが、近年どうしたわけか、急に興味が減退した。今年はとうとう肝心の日をすっかり忘れてしまっていた
寺田寅彦
二科狂想行進曲 寺田寅彦 一 古い伝統の床板を踏み抜いて、落ち込んだやっぱり中古の伝統長屋。今度の借家は少し安普請で、家具は仕入れ。ボールの机にブリキの時計、時計はいつでも三十度くらい傾いて、そして二十五時のところで止っている。いつまでも止っている。今度の大地震の来る日までは。 二 大掃除の午後の路地の交互点、こわれたおもちゃに葱大根の尻尾、空瓶空ボールの交
式場隆三郎
私の『二笑亭綺譚』の初版は昭和十四年(一九三九)昭森社から出た。好評でたびたび版を重ねて、特製、A版、B版、C版(学生版)の四種がでている。しかし資料の写真その他が戦災でやけてしまったので、戦後の復元は困難であった。そこで私は、この機会に写真の挿絵をやめてすべて絵でゆこうという計画をたてた。幸に建設社が豪華本の出版をひきうけたので、私は木村荘八氏に挿画と装幀
豊島与志雄
二等車に乗る男 豊島与志雄 十一月の或る晴れた朝だった。私は大森の友人を訪れるつもりで、家を出ようとしていると、高木がやって来た。 「お出かけですか。」 玄関につっ立ってる私の服装をじろじろ眺めながら、高木は格子戸の外に立止った。 「ああ。……だが一寸ならいいから、上ってゆかない。」 「ええ……でも……。」 「実は約束しているので、余りゆっくりはしておれない
国木田独歩
二老人 国木田独歩 上 秋は小春のころ、石井という老人が日比谷公園のベンチに腰をおろして休んでいる。老人とは言うものの、やっと六十歳で足腰も達者、至って壮健のほうである。 日はやや西に傾いて赤とんぼの羽がきらきらと光り、風なきに風あるがごとくふわふわと飛んでいる、老人は目をしばたたいてそれをながめている、見るともなしに見ている。空々寂々心中なんらの思うことも
内田魯庵
私が初めて二葉亭と面会したのは明治二十二年の秋の末であった。この憶出を語る前に順序として私自身の事を少しくいわねばならない。 これより先き二葉亭の噂は巌本撫象から度々聞いていた。巌本は頻りに二葉亭の人物を讃歎して、「二葉亭は哲学者である、シカモ輪廓の大なる人物である、」と激称していた。『浮雲』は私の当時の愛読書の一つで、『あいびき』や『めぐりあい』をも感嘆し
内田魯庵
二葉亭の歿後、坪内、西本両氏と謀って故人の語学校時代の友人及び故人と多少の交誼ある文壇諸名家の追憶または感想を乞い、集めて一冊として故人の遺霊に手向けた。その折諸君のまちまちの憶出を補うために故人の一生の輪廓を描いて巻後に附載したが、草卒の際序述しばしば先後し、かつ故人を追懐する感慨に失して無用の冗句を累ね、故人の肖像のデッサンとして頗る不十分であった。即ち
内田魯庵
二葉亭四迷の全集が完結してその追悼会が故人の友人に由て開かれたについて、全集編纂者の一人としてその遺編を整理した我らは今更に感慨の念に堪えない。二葉亭が一生自ら「文人に非ず」と称したについてはその内容の意味は種々あろうが、要するに、「文学には常に必ず多少の遊戯分子を伴うゆえに文学ではドウシテも死身になれない」と或る席上で故人自ら明言したのがその有力なる理由の
内田魯庵
二葉亭が存命だったら今頃ドウしているだろう? という問題が或る時二葉亭を知る同士が寄合った席上の話題となった。二葉亭はとても革命が勃発した頃まで露都に辛抱していなかったろうと思うが、仮に当時に居合わしたとしたら、ロマーノフ朝に味方したろう乎、革命党に同感したろう乎、ドッチの肩を持ったろう? 多恨の詩人肌から亡朝の末路に薤露の悲歌を手向けたろうが、ツァールの悲
新美南吉
二ひきの蛙 新美南吉 緑の蛙と黄色の蛙が、はたけのまんなかでばったりゆきあいました。 「やあ、きみは黄色だね。きたない色だ。」 と緑の蛙がいいました。 「きみは緑だね。きみはじぶんを美しいと思っているのかね。」 と黄色の蛙がいいました。 こんなふうに話しあっていると、よいことは起こりません。二ひきの蛙はとうとうけんかをはじめました。 緑の蛙は黄色の蛙の上にと
豊島与志雄
看護婦は湯にはいりに出かけた。 岡部啓介はじっと眼を閉じていた。そして心の中で、信子の一挙一動を追っていた。――彼女は室の中を一通り見渡した。然し何も彼女の手を煩わすものはなかった。火鉢の火はよく熾っていた。その上に掛ってる洗面器からは盛んに湯気が立っていた。床の間にのせられてる机の上には、真白な布巾の下に薬瓶が並んでいた。机の横には、吸入器や紙や脱脂綿や其
田中貢太郎
小説家後藤宙外氏が鎌倉に住んでいた比のことであると云うから、明治三十年前後のことであろう、その時鎌倉の雪の下、つまり八幡宮の前に饅頭屋があって、東京から避暑に往っていた××君がその前を通っていると、饅頭屋の主翁が出て来て、 「あなたは××さんと云う方ではございませんか」 と己の姓名を云うので、そうだと云うと、 「こんなことを、だしぬけに申しましては、へんでご
小川未明
風の出そうな空模様の日でありました。一ぴきのせみが、小さなこちょうに出あいました。 「なんだか怖ろしいような空模様ですね。今夜はあれるかもしれません。早く家へ帰りましょう。」と、せみはいいました。 正直なこちょうは、空を見上げて、 「ほんとうに暗くなりました。あんなに雲ゆきが早うございます。早く家へ帰りましょう。」と答えました。 そこで、ふたりは、風に吹かれ
小酒井不木
二重人格者 小酒井不木 一 河村八九郎は今年二十歳の二重人格者である。 第一の人格で彼は大星由良之助となり、第二の人格で高師直となった。 彼がどうしてこのような二重人格者となったかは、はっきりわかっていない。父が大酒家であるという外、父系にも母系にもこれという精神異常者はなかった。ただ父方の曾祖父が、お月様を猫に噛ませようと長い間努力して成功せず、疲労の結果
黒島伝治
二銭銅貨 黒島伝治 一 独楽が流行っている時分だった。弟の藤二がどこからか健吉が使い古した古独楽を探し出して来て、左右の掌の間に三寸釘の頭をひしゃいで通した心棒を挾んでまわした。まだ、手に力がないので一生懸命にひねっても、独楽は少しの間立って廻うのみで、すぐみそすってしまう。子供の時から健吉は凝り性だった。独楽に磨きをかけ、買った時には、細い針金のような心棒
小酒井不木
「二銭銅貨」を読む 小酒井不木 「二銭銅貨」の原稿を一読して一唱三嘆――いや、誰も傍にはいなかったから一唱一嘆だったが――早速、「近頃にない面白い探偵小説でした」と森下さんに書き送ったら「それに就ての感想」を書かないかとの、きつい言い付け。文芸批評と自分の法名ばかりは、臍の緒切ってからまだ書いたことが御座りませぬからと一応御断りしようと思ったところ、オルチー
鈴木鼓村
二面の箏 鈴木鼓村 自分の京都時代にあった咄をしよう。 元来箏という楽器は日本の楽器中でも一番凄みのあるものだ、私がまだ幼い時に見た草艸紙の中に豊國だか誰だったか一寸忘れたが、何でも美しいお姫様を一人の悪徒が白刃で真向から切付ける。姫は仆れながらに、ひらりと箏を持ってそれをうけている、箏は斜めに切れて、箏柱が散々にはずれてそこらに飛び乱れ、不思議にもそのきら