J・D・カーの密室犯罪の研究
井上良夫
J・D・カーの密室犯罪の研究 井上良夫 アメリカの青年作家ジョン・ディクソン・カーは、彼の新しい力作『三つの棺』の中で、特に一章を設け、作中の主要人物フエル博士の講義の体にして、探偵小説に扱われた密室犯罪の様々を分類発表してみせてくれている。読んでいても如何にも小気味よい態度であるが、同作品を貫く眼目が密室犯罪の解決に全然新しい思い付きを見せようと意気込んだ
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井上良夫
J・D・カーの密室犯罪の研究 井上良夫 アメリカの青年作家ジョン・ディクソン・カーは、彼の新しい力作『三つの棺』の中で、特に一章を設け、作中の主要人物フエル博士の講義の体にして、探偵小説に扱われた密室犯罪の様々を分類発表してみせてくれている。読んでいても如何にも小気味よい態度であるが、同作品を貫く眼目が密室犯罪の解決に全然新しい思い付きを見せようと意気込んだ
青柳喜兵衛
燃え上った十年、作家生活の火華は火華を産ンで、花火線香の最後に落ちる玉となって消えた夢野久作、その火華は、今十巻の全集となって、世に出ようとしている。 久作さんを知ったのは何時の頃からかは、はっきりしない。何でも幼い頃からで、産れながらに知っていたような気もする。 「夢野久作ってのが、頻りに探偵小説の様なもの――事実探偵小説の様なものであって、そん処そこらに
正岡容
小説 圓朝 正岡容 序 夕月淡く柳がくれの招き行燈に飛ぶ禽落とす三遊亭圓朝が一枚看板、八丁荒しの大御所とて、焉んぞ沙弥より長老たり得べけむや。あわれ年少未熟の日の、八十八阪九十九折、木の根岩角躓き倒れ、傷つきてはまた起ち上がり、起ち上がりてはまた傷つき、倦まず弛まず泣血辛酸、かくして玉の緒も絶え絶えに、出世の大本城へは辿り着きしものなるべし。即ち作者は圓朝若
正岡容
一 「今つけてやる」 そう言ったきり、フイと師匠の雷門助六は、立っていってしまった。もうそれから二時間近くが経っていた。キチンと座ったまま両方の足の親指と親指とを重ね合い、その上へ軽く落とした自分のお尻がはじめ小さな風呂敷包みを膝の上へ載せたほどに、だんだんギッチリと詰まった信玄袋の重さに、しまいにはまるで大きな沢庵石でも載せられたかのようになってきていた。
高浜虚子
俳諧の歴史というものは厳密にいえば殆んどまだ調べがついていないというてよい。芭蕉とか蕪村とかいう重な二、三の俳人については相当の研究をした人もあるけれども、俳句全体の歴史を文学史的に研究した人はまだ一人もないといって差支ないのである。しかして世間で普通に説いている俳諧史は極めて簡略な極まりきった説話に過ぎん。今一層大胆に引っくるめて言えば、徳川初期から明治大
高浜虚子
明治二十四年三月塀和三藏は伊豫尋常中學校を卒業した。三藏は四年級迄忠實な學校科目の勉強家で試驗の成績に第一位を占める事が唯一の希望であつた。それがどういふものか此一年程前より試驗前の勉強は一切止めた。この卒業試驗前は近松の世話淨瑠璃を讀破した。試驗の答案は誰より早く出して殘つた時間は控室で早稻田文學と柵草紙の沒理想論を反覆して精讀した。 三藏の父は竹刀を提げ
高浜虚子
漱石氏と私 高浜虚子 序 漱石氏と私との交遊は疎きがごとくして親しく、親しきが如くして疎きものありたり。その辺を十分に描けば面白かるべきも、本篇は氏の書簡を主なる材料としてただ追憶の一端をしるしたるのみ。氏が文壇に出づるに至れる当時の事情は、ほぼ此の書によりて想察し得可し。 大正七年正月七日 ほととぎす発行所にて高浜虚子 漱石氏と私 一 今私は自分の座右に漱
徳永直
光をかかぐる人々 徳永直 日本の活字 一 活字の發明について私が關心をもつやうになつたのはいつごろからであつたらう? 私は幼時から大人になるまで、永らく文撰工や植字工としてはたらいてゐた。それをやめて小説など書くやうになつても、やはり活字とは關係ある生活をしてゐるのであるが、活字といふものが誰によつて發明されたのか、朝晩に活字のケツをつついてゐたときでさへ、
犬田卯
橋の上 犬田卯 一 「渡れ圭太!」 「早く渡るんだ、臆病奴!」 K川に架けられた長い橋――半ば朽ちてぐらぐらするその欄干を、圭太は渡らせられようとしていた。―― 橋は百メートルは優にあった。荷馬車やトラックや、乗合自動車などの往来のはげしいために、ところどころ穴さえ開き、洪水でもやって来れば、ひとたまりもなく流失しそうだった。 学校通いの腕白どもは、しかしか
犬田卯
沼畔小話集 犬田卯 伊田見男爵 伊田見男爵と名乗る優男が、村の一小学教師をたずねて、この牛久沼畔へ出現ましました。 男爵令嗣は「男爵」と単純に呼ばれることをなぜか非常によろこばれたということであるから、私もこれから、単にそう呼ぶことにしよう。で、閣下、いや、男爵は霞ヶ浦の一孤島――浮島にしばらく滞在されて、そこの村役場の書記某というものの紹介状をふところに、
犬田卯
米 犬田卯 一 三間竿の重い方の鋤簾を持って行かなければならぬ破目になって、勝は担いでみたが、よろよろとよろめいた。小さい右肩いっぱいに太い竿がどっしりと喰いこんで来て、肩胛骨のあたりがぽきぽきと鳴るような気がする。ばかりでなく二足三足とあるき出すと、鋤簾の先端が左右にかぶりを振って、それにつれて竹竿もこりこりと錐をもむように肩の皮膚をこするのだ。勝は顔中を
犬田卯
瘤 犬田卯 一 中地村長が胃癌という余りありがたくもない病気で亡くなったあと、二年間村長は置かぬという理由で、同村長の生前の功労に報いる意味の金一千円也の香料を村から贈った直後――まだやっとそれから一ヵ月たつかたたないというのに、札つきものの前村長の津本が、再びのこのこと村長の椅子に納まったというのであるから、全くもって、「ひとを馬鹿にするにもほどがある」と
犬田卯
荒蕪地 犬田卯 一 「……アレは、つまり、言ってみれば、コウいうわけあいがあるンで……」 戦地から来た忰の手紙に、思いきって、いままで忰へ話さずにいたことを余儀なく書き送ろうと、こたつ櫓の上に板片を載せ、忰が使い残して行った便箋に鉛筆ではじめたが、儀作は最初の意気込みにも拘らず、いよいよ本筋へかかろうとするところで、はたと行詰ってしまった。……あれをどんな風
犬田卯
競馬 犬田卯 行って来るぜ……なんて大っぴらに出かけるには、彼はあまりに女房に気兼ねし過ぎていた。それでなくてさえ昨今とがり切っている彼女の神経は、競馬があると聞いただけでもう警戒の眼を光らしていたのである。 「今日は山だ!」 仙太は根株掘りの大きな唐鍬を肩にして逃げるように家を出た。台所で何かごとごとやっていた妻の眼がじろりと後方からそそがれたような気がし
犬田卯
錦紗 犬田卯 一 村はずれを国道へ曲ったとき、銀色に塗ったバスが後方から疾走して来るのが見えたが、お通はふと気をかえて、それには乗らぬことに決心した。たった十銭の賃銭ではあったが、歩いて行ったとて一時間とはかからぬ町である。四十分や五十分早く着いたにせよ、十銭を減少さすことはそれにかえられなかった。「十銭でも足りなければ買いたい物が買えないかも知れないのだし
犬田卯
おびとき 犬田卯 一 「いつまで足腰のたたねえ達磨様みてえに、そうしてぷかりぷかり煙草ばかりふかしているんだか。」早口に、一気にまくしたてる女房のお島であった。「何とかしなけりゃ、はアすぐにお昼になっちまア、招ばれたもの行かねえ訳にいくかよ、いくら何だって……」 向う隣の家に「おびとき」祝があって――もっとも時局がら「うち祝」だということだが、さきほどおよば
犬田卯
一老人 犬田卯 一 「諸君! 我輩は……」 突然、悲憤の叫びを上げたのである。 ちょうど甥が出征するという日で、朝から近所の人達が集まり、私もそのささやかな酒宴の席に連っていた。 障子の隙間から覗いた一人が「四郎右衛門の爺様」だと言った。 怒鳴った爺様は、さめざめと泣き出したのである。着物の袖と袖の間に顔を突っ込み、がっくりとして声を発していたが、やがて踵を
ガンジーマハトマ
始めに告白せざるを得ません。あなた方を敵視しているわけではありませんが、私はあなた方の中国に対する攻撃を激しく憎悪しています。あなた方は立派な高みから帝国の野望へと落ちてしまったのです。あなた方がその野望を実現することはできないでしょうし、あるいはアジアを分断した張本人となるかもしれません。かように、あなた方はそれと知らぬうちに世界の連盟と同胞愛とを妨げてい
ガンジーマハトマ
私は嘗つて巡歴中に制服を着た少年に出遭つたので、その制服は何の服であるかと尋ねた。私はその制服が外國製の布、即ち外國製の羅紗で作つてあるのを見た。少年たちは、これはスカウツの制服であると云つた。その答は私の好奇心を煽つた。私は彼等がスカウツとしてどんな働きをしたかを知りたいと思つた。彼等は、自分たちは、神と、國王と、國家のために働いてゐるのだと答へた。 「君
ガンジーマハトマ
人が非暴力であると主張する時、彼は自分を傷けた人に對して腹を立てない筈だ。彼はその人が危害を受けることを望まない。彼はその人の幸福を願ふ。彼はその人を罵詈しない。彼はその人の肉體を傷けない。彼は惡を行ふ者の加ふるすべての害惡を耐忍ぶであらう。かくして非暴力は完全に無害である。完全な非暴力は、すべての生物に對して全然惡意を有たぬことだ。だから、それは人間以下の
ガンジーマハトマ
親愛なる妹※たちよ。 全印度國民會議委員會は、來る九月三十日を以て、外國製布非買同盟を徹底的に決行するといふ重大な決議をした。この非買同盟はロカマンヤ・チラクを記念するために、去る七月三十一日にボンベイで點ぜられた犧牲的な火と共に始まつたのである。私はあなた方が今まで立派な美しいものと考へてゐた高價なサデイやその他の衣服の山に火をつける特權をあなた方から與へ
ガンジーマハトマ
一 現今印度の大衆を皷舞しつつあるスワデシの希望は、あらゆる讃辭に値ひするが、彼等はそれが實行の途上に横はつてゐる困難を十分に認識してゐないやうに私は思はれる。誓ひはいつでも成就の困難でない事柄に關してのみなさるるものだ。何事かを爲さんとして、努力を續けた後で失敗する時、これを成就せんとの誓ひを立て、背水の陣を布くならば、吾々はその誓ひから釋放され得ないから
ガンジーマハトマ
私は、この「インデイアン・オピニオン」の記念號が發刊される時には、母國に到着してゐないにしても、少くともフエニツクスから遠く離れてゐるであらう。ところで、私はこの特別號を發刊するに至つたところの私の衷心の思想を置土産にしたいと思ふ。受動的抵抗がなかつたら立派な畫があつて、極めて重要なインデイアン・オピニオンの特別號はこの世に現れなかつたであらう。インデイアン
ガンジーマハトマ
暴力支配の現代では、暴力の終局の至上權の法則を誰かが拒否し得やうとは、何人も考へることが出來ないであらう。それだから、たとひ一般の暴動が起らうとも、「非協同」の進行を妨げないやうにといふ忠告の手紙が匿名の人から私のところへ來るのである。又、他の者は私が密かに暴動を劃策してゐるに違ひないと獨りで決めて、公然と暴力を宣言する樂しい時がいつ來るかと尋ねて來る。英國