木蓮
寺田寅彦
木蓮 寺田寅彦 白木蓮は花が咲いてしまつてから葉が出る。その若葉の出はじめには実に鮮かに明るい浅緑色をしてゐて、それが合掌したやうな形で中天に向つて延びて行く。丁度緑の焔をあげて燃ゆる小蝋燭を点しつらねたやうにも見える。 紫木蓮は若葉の賑かなイルミネーションの中から派手な花を咲かせる。濃い暗い稍冷たい紫の莟が破れ開いて、中からほんのり暖かい薄紫の陽炎が燃え出
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寺田寅彦
木蓮 寺田寅彦 白木蓮は花が咲いてしまつてから葉が出る。その若葉の出はじめには実に鮮かに明るい浅緑色をしてゐて、それが合掌したやうな形で中天に向つて延びて行く。丁度緑の焔をあげて燃ゆる小蝋燭を点しつらねたやうにも見える。 紫木蓮は若葉の賑かなイルミネーションの中から派手な花を咲かせる。濃い暗い稍冷たい紫の莟が破れ開いて、中からほんのり暖かい薄紫の陽炎が燃え出
宮本百合子
木蔭の椽 宮本百合子 今朝は、家じゅうが目醒しで起きた。Yが京都へ特急で立つのだ。ゆうべ、N氏のところを訪ね、十一時すぎに帰ってから風呂に入った。よく眠り、目醒しが鳴った始めの方を聞きとれなかったらしい。はっと気がついたら、茶の間で盛にオテテコテンテン、と陽気にオールゴールが鳴って居るのでびっくりした。家の目醒しは、引越し祝にN氏から贈られたもので、普通の目
織田作之助
木の都 織田作之助 大阪は木のない都だといはれてゐるが、しかし私の幼時の記憶は不思議に木と結びついてゐる。 それは生国魂神社の境内の、巳さんが棲んでゐるといはれて怖くて近寄れなかつた樟の老木であつたり、北向八幡の境内の蓮池に落つた時に濡れた着物を干した銀杏の木であつたり、中寺町のお寺の境内の蝉の色を隠した松の老木であつたり、源聖寺坂や口繩坂を緑の色で覆うてゐ
小川未明
あるところに、人のよいおばあさんが住んでいました。このおばあさんはいろいろな話を知っていました。怖ろしいような話も、不思議な話も、またおかしいような話なども知っていました。この話は、やはりそのおばあさんが聞かせてくれたのであります。 昔、昔、あるところに、仲のいい姉と妹とがありました。姉はよく妹をかわいがり、妹はまたよく姉を慕いました。 姉は、気質のきわめて
豊島与志雄
未亡人 豊島与志雄 守山未亡人千賀子さん 私が顔を出すと、あなたはいつも擽ったいような表情をしますね。この擽ったいというやつは、なかなか複雑微妙な感情でして、私はいったいあなたから嫌われてるのか好かれてるのか、戸惑いさせられますよ。もっとも、私としては、あなたから好かれようと嫌われようと、そんなことはどうでも宜しいのですが、あなたの方では、それをはっきりさせ
野口雨情
雁が来た、雁が来た、田甫の上に雁が来た 澄み渡つた夕暮れの 空に、鳴き鳴き、雁が来た 親の雁は 下を見い見い飛んでゆく 子の雁も 下を見い見い飛んでゆく 親の雁は 先へ先へと飛んでゆく 子の雁も 皆な続いて飛んで行く 親の雁が 首を伸して鳴き出すと 子の雁も 首を伸して鳴いてゐる 雁は鳴き鳴き、夕暮れの 空を渡つて、飛んでゆく
今野大力
未婚婦人はそが暁近き薔薇色の感情に高揚されて浪漫主義的な、華やかな悩ましき春宵の恋を夢むおお恋!彼女等の夢なる恋!幻の如く描かれて現実の白日には霧の如く消ゆる霧には彩る虹を写すとも彼女等の勝利は遠く人生の花園への路傍に掠め奪わるる夢想の描き手。
岸田国士
未完成な現代劇 岸田國士 私はこれから、日本の所謂「新劇運動」に対する考察、批判、研究の一端を、断片的にではあるが、そこから、努めてある一つの結論をひき出し得るやうに、述べて見るつもりである。 「新劇運動」といふ言葉は、「近代劇運動」といふ言葉と区別されなければならないことは勿論であるが、これは、西洋でのことであつて、現代日本の演劇を云々する場合に、果して、
太宰治
未帰還の友に 太宰治 一 君が大学を出てそれから故郷の仙台の部隊に入営したのは、あれは太平洋戦争のはじまった翌年、昭和十七年の春ではなかったかしら。それから一年経って、昭和十八年の早春に、アス五ジ ウエノツクという君からの電報を受け取った。 あれは、三月のはじめ頃ではなかったかしら。何せまだ、ひどく寒かった。僕は暗いうちから起きて、上野駅へ行き、改札口の前に
坂口安吾
未来のために 坂口安吾 織田作之助が死んだ。「可能性の文学」は日本文学に対する彼の遺書的な抗議であつたが、実は、これくらい当り前の言葉はない。 織田はアンチテエゼだと自ら述べているのだが、文学における可能性とかウソというものは、実はオルソドックスだつたので、そこに日本文学の悲劇もあつたし、織田の悲劇もあつた。 昔、オスカア・ワイルドがアンドレ・ジイドの口を指
豊島与志雄
幸福というものは、何時何処から舞い込んでくるか分らない。それをうまく捉えることが肝要なのだ。――あの朝、遅くまで寝床に愚図々々してた時、天井からすっと蜘蛛の子が降りてきた。あるかなきかの細い一筋の糸を伝って、風よりも軽いちっちゃな蜘蛛の子が、室の中に澱んだ空気の間をぬけて、すーっと降りてくる拍子に、私の顔へぼやりと落ちかかった。微妙な一種の感触――それもある
中谷宇吉郎
いよいよ今年は、二十世紀前半の最後の年にかかった。ここでふり返ってみると、この二十世紀の前半五十年の間に、科学はその歴史の上に類例のない大飛躍をした。そして、科学が今日のように力強いものになってくると、この五十年間は、人類の歴史の上でも、特別の意味をもっているように思われる。 例えば物理学を見ても、十九世紀の物理学は、力学を完成し、電気を人類の僕とするところ
正宗白鳥
或る日私は急な相談事があつて、友人末永を訪ねた。例の通り案内をも乞はず、庭木戸から聲を掛けて座敷の障子を開けると、彼れの細君や母や妹やが一所になつて、腹を抱へて笑つてゐる。私は相變らず氣樂な家庭だと、少し呆れ氣味で、 「どうしたんだい。」と、座敷に突立つたまゝ、皆んなを見廻した。すると末永は一人笑ひを止め、 「何でもないんさ、今武部といふ男が來てね、變な眞似
岸田国士
編集者は私に「新劇の総決算」といふ課題を与へた。私に特にこれをせよと命ずる正当な理由のあるなしは別として、私は甘んじて、それに応じてみる気になつた。それは、自分自身の総決算を事の序にしてもよいと覚悟をきめたからである。
堀辰雄
僕は夢の中で見た本のことを話さうと思ふ。 芥川さんに「本の事」と云ふ隨筆がある。その中に矢張り夢の中で見た本のことが書かれてある。その本と云ふのはの Quarto 版の「かげ草」である。しかしその「かげ草」には鴎外漁史の書畫の寫眞版が載つてゐたり、書簡が出てゐるのである。芥川さんは「この本こそ手に入れば稀覯書である」と云つてその Quarto 版の「かげ草」
坂口安吾
本因坊・呉清源十番碁観戦記 坂口安吾 上 対局前夜、夕方六時、対局所の小石川もみじ旅館に両棋士、僕、三人集合、宿泊のはずであった。翌日の対局開始が、朝九時、早いからである。 僕が第一着、六時五分也。本因坊、六時五十分。さて、あとなる、呉氏が大変である。 ジコーサマの一行が呉氏応援に上京し、呉氏の宿所へ、すみこんだ。すみこむだけならよかったのだが、即ち、これ宗
野上彰
本因坊名人秀哉がまだ元気でいられたころだから昭和十年前後のこと。碁界では、現在の名人とその一時代前の名人……本因坊秀甫、秀栄とはたしてどちらが強いのだろうか問題にした……ぼくたちも、それを話題にし、人からも訊かれた。このような話は比較しようのないことなのだから、具体的にはつきりした答えが出ようはずはない。ただ田村保寿と呼ばれた昔から、先生の秀栄には一目を置い
関根金次郎
本因坊と私 関根金次郎 本因坊もたうとういけなかつたネ。全く惜しいことをした。寂しいかつて?そりや、本因坊と私は四拾年近い交際だからな普通の友達つきあひにしたつて三十年、四十年となると仲々難しいのに、馬が合つたと言はうか、二人ツきりの水入らずで、よく旅行もしたし、睾丸も見せ合つた仲だからネ。 男の交際と言ふものは、羽織袴の交際だけじや駄目なものだよ。素ツ裸に
今野大力
津軽の海風は 暮れ行く夕日の彼方へと連絡船を冷たく吹き送る 桟橋に立ち去り兼ねて見送る人々とも別れて 身をマントに包み 頬をうずめて 物蔭甲板に佇めば 防波堤に点る明滅の灯火も見えずなり 巍然たる函館山の容姿も 次第に海をへだてて 水夫の投げこんだ速度計の速めらるるままに 闇の中に失われゆく かくて海峡の海は次第に荒く 空よりは白き贈り物音もなく 真闇の中に
本田親二
□本居士 本田親二 時代はよく解りませんが、僕の祖父の若い時ですから、七十年ばかり前でしょう。 大隅国加治木に長念寺という寺がある。其寺に、或人が死んで葬られた。生前の名は忘れました。四十九日経ってから家族が墓石を建てたんです。その墓石――高サ約二尺くらいの小さな墓――に、仏名が彫ってある、慥か四字でした。上の字は忘れましたが、「□本居士」と彫ってあります。
押川春浪
いよいよ一行は四人と相なった。水戸以来総勢八人、八溝の天も何のその、一足跳びにワッショイワッショイと飛び越えて来たものの、急に少なくなると何だか寂しい。それに春浪冒険将軍が都合で帰京したので、恰かも百千の味方を失ったような心地だ。 西那須からは三島通庸君が栃木県令時代に俗論を排して開いた名高い三島道路。先頭に立ったのが吉岡虎髯将軍、屑屋に払ったらば三銭五厘位
押川春浪
この奮励努力すべき世の中で、ゴロゴロ昼寝などする馬鹿があるかッ! 暑い暑いと凹垂れるごときは意気地無しの骨頂じゃ。夏が暑くなければそれこそ大変! 米も出来ず、果実も実らず、万事尽く生色を失う事となる。夏の暑いのがそれほど嫌な奴は、勝手に海中へでも飛込んで死ぬがよい。今や狭い地球上――ことにこの狭い日本では、碌でもない人間が殖え過ぎて甚だ困っている。怠惰者や意
喜田貞吉
本編は去る七月十一、十二の両日にわたって、仙台放送局の需めに応じて放送したところであります。本州における蝦夷の末路は、実は私が創刊号以来、引続き本誌上で継続研究したい積りの東北民族研究中の主要なる部分であります。爾今なお数回にわたり、その研究を積み重ねた最後の結論としてあらわるべきものの、おもなる部分を占めているのであります。私の研究は実はまだ途中におりまし
尾崎士郎
吉良の殿様よい殿様 赤いお馬の見廻りも 浪士にうたれてそれからは 仕様がないではないかいな、―― 巷間に流布されている俗謡は吉良郷民の心理を諷したものであろう。まったく仕様がない。メイファーズである。人間万事塞翁が馬、――何が起るか見当もつかないところに人間の宿命があるのであろう。終りよければすべてよしというのはシェークスピアの戯曲であるが、家庭を愛し、隣人