身についたもの
片山広子
身についたもの 片山廣子 M夫人は私たち十二三の時からの学校友達で、むかしも今も親しくしてゐるが、彼女は実家も婚家も非常に裕福なので趣味としての諸芸に達して、殊にお茶や歌では趣味以上のくろうとである。その彼女がある時言つた。「私はずゐぶんいろいろなお稽古ごとをやつてみましたけれど、何といつても、十代の時習つたものが一ばん身についてゐますね、それはお琴。家庭の
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片山広子
身についたもの 片山廣子 M夫人は私たち十二三の時からの学校友達で、むかしも今も親しくしてゐるが、彼女は実家も婚家も非常に裕福なので趣味としての諸芸に達して、殊にお茶や歌では趣味以上のくろうとである。その彼女がある時言つた。「私はずゐぶんいろいろなお稽古ごとをやつてみましたけれど、何といつても、十代の時習つたものが一ばん身についてゐますね、それはお琴。家庭の
長谷川伸
俳句とその成る事情が、戯曲や小説に企て及ばないものがあるといったが、その感をもっとも深くしたのは、 身の上や月にうつぶく影法師 の句である。この句だけで解ったとしたら私のいう意味とはひどく掛け違ったものになる。 伊勢の津城主藤堂家領地に起った寛政一揆の民間記述は『岩立茨』二冊だそうである。この一揆の直接責任者である茨木理兵衛は、匿名の『岩立茨』の著者にさんざ
土田耕平
五月雨がしよぼ/\と降りつゞいて、うすら寒い日の夕方、三郎さんは、学校からかへつて、庭向きの室でおさらひをしてゐますと、物置の方で、 「三郎や、ちよいと来てごらん。」といふお母さんの声がしました。障子をあけて見ますと、庭さきの物置小屋の軒下に、白手拭を姉さんかぶりにしたお母さんの姿が見えました。足もとに何か居ると見えて、お母さんは俯し目にして立つて居られます
野村胡堂
「花嫁の自動車は?」 「まだ来ない、どうしたのだろう、急行の発車まで、五分しかないじゃないか」 「迎えに行って見ましょうか」 東京駅の待合室に集った人達は次第に募る不安に、入口からまっ暗な外を眺めたり、売店や三等待合室を覗いたりしました。 「歩廊に居るんじゃありませんか」 「もう乗り込んだのかも知れませんね」 そんな事を言いながら改札口へ行った人達は、急行は
ソログープフョードル
フョードル・クジミッチ・チェーチェニコフ――これがソログーブの本名である。フョードルは名、クジミッチは父称といって、父親の名に特定の語尾をつけて、自分の名と併用するものである。 彼は千八百六十三年ペテルブルグで生まれた。父はポルタワ県出身の仕立屋で、母は農婦あがりだった。ソログーブが四つのときに父が死んで以来、母はよその家の女中奉公をして一人子を育て上げた。
倉橋潤一郎
その日 学校では不安なざわめきが感ぜられ 私はいくつかのあわれなささやきに耳をいためた つと立ち寄り じっとその子の瞳をみていると うちしずみものかなしいうったえるような色を浮べて じっとみかえす お前もか! お前もか! 私は うったえる瞳の奥にひろがる貧しい生活を思い浮べ 黙って生きてゆかねばならない 曇った運命をかなしんだ 先生! 蓄膿病ってなおるでしょ
宮本百合子
身辺打明けの記 宮本百合子 朝と夜 わたくしは、朝は大抵九時前後に目がさめます。最も前夜十二時頃か、一時二時頃までも夜ふかしをすると、朝もつい遅くなって、十一時頃でなければ目がさめません。わたくしは一体、たくさん睡るのが好きですから、眠られるだけ眠るようにしております。目がさめるとわたくしは床の中にじっとしていられない方で、すぐに起きてしまいます。 夜は電燈
中谷宇吉郎
私がものを書き出したのは、四十くらいからのことで、まだ十二、三年にしかならない。それにしては、ずいぶんたくさん書き散らしたもので、曠職のそしりは、所詮まぬかれないものと、内心観念している。 しかし少しくらい、あるいは大いに、評判が悪くなっても、それを償ってあまりあるくらいの歓びがある。どんなに小さいものでも、ものを創る歓びは、何ものにも換えられない。実験が一
徳田秋声
四五日前に、善く人にじゃれつく可愛い犬ころを一匹くれて行った田町の吉兵衛と云う爺さんが、今夜もその犬の懐き具合を見に来たらしい。疳癪の強そうな縁の爛れ気味な赤い目をぱちぱち屡瞬きながら、獣の皮のように硬張った手で時々目脂を拭いて、茶の間の端に坐っていた。長いあいだ色々の労働で鍛えて来たその躯は、小いなりに精悍らしく見えた。 上さんが気を利かして、金を少し許り
宮沢賢治
車 宮沢賢治 ハーシュは籠を頭に載っけて午前中町かどに立ってゐましたがどう云ふわけか一つも仕事がありませんでした。呆れて籠をおろして腰をかけ弁当をたべはじめましたら一人の赤髯の男がせはしさうにやって来ました。 「おい、大急ぎだ。兵営の普請に足りなくなったからテレピン油を工場から買って来て呉れ。そら、あすこにある車をひいてね、四罐だけ、この名刺を持って行くんだ
寺田寅彦
私が九つの秋であった、父上が役を御やめになって家族一同郷里の田舎へ引移る事になった。勿論その頃はまだ東海道鉄道は全通しておらず、どうしても横浜から神戸まで船に乗らねばならぬ。が、困った事には父上の外は揃いも揃うた船嫌いで海を見るともう頭痛がすると云う塩梅で。何も急く旅でもなしいっそ人力で五十三次も面白かろうと、トウトウそれと極ってからかれこれ一月の果を車の上
新美南吉
りんごが三かご のつてる車、 ころころいつた。 子供が押した。 (りんごが一かご あちらで売れた。) りんごが二かご 木箱の車、 ころころいつた。 子供が押した。 (りんごが一かご こちらで売れた。) りんごが一かご のこつた車、 ころころいつた。 子供が押した。 (りんごが一かご どこかで売れた。) 帰りは子供が のつてる車、 ころころいつた、 お家の方へ
正岡子規
四月廿九日の空は青々と晴れ渡って、自分のような病人は寝て居る足のさきに微寒を感ずるほどであった。格堂が来て左千夫の話をしたので、ふと思いついて左千夫を訪おうと決心した。左千夫の家は本所の茅場町にあるので牡丹の頃には是非来いといわれて居たから今日不意に出て驚かしてやるつもりなのだ。格堂はさきへ往て左千夫の外出を止める役になった。 昼餉を食うて出よとすると偶然秀
小津安二郎
汽車、電車、バスなどの公衆の交通機関は現代世相の風俗画とも言ふべきで、かういふ観点から例へば通勤の往復も極めて興味ありかつ有益な時間になるわけである。元来僕のなかには空想と観察が一緒にすんでゐるらしく、時に応じて新聞雑誌を読み、考へごとをし、連想し、退屈し、眠り、そしてまた乗り合はした人に興味や関心をひかれるといふ、この点極めて尋常の乗客なのであるが、それで
上村松園
車中有感 上村松園 汽車の旅をして、いちばん愉しいことは、窓にもたれて、ぼんやりと流れてゆく風景を眺めていることである。 いろいろの形をした山の移り変りや、河の曲折などを眺めていると、何がなし有難い気持ちになって、熱いものを感じるのである。 ふっと、一瞬にして通りすぎた谷間の朽ちた懸け橋に、紅い蔦が緋の紐のように絡みついているのを見て、瞬時に、ある絵の構図を
田中貢太郎
明治も初めの方で、背後に武者絵などのついた人力車が東京市中を往来している比のことであった。その車を曳いている車夫の一人で、女房に死なれて、手足纏いになる男の子を隣家へ頼んで置いて、稼ぎに出かけて往く者があった。 小供は三歳位であった。隣家の者はおもがとおり一片の世話であったから、夜になると、父親の車夫が帰らなくとも、 「もう、爺親も帰って来るから、我家へ往っ
岸田国士
車引耕介に答ふ 岸田國士 十一月三十日の壁評論「新劇さびれ戯曲栄ゆ」を読んで、小生が徒らに空言を弄するやうに思はれては困るから、「世界的水準に迫るのも遠からぬ各戯曲が何故新劇を興隆させることができぬかその謎をハツキリ解け」といふ車引氏の注文にちよつと挨拶をしておく。 第一に、この謎は、もう解かれてゐる。新劇に不断の関心をもつてゐるものなら、もうこれを不思議と
北大路魯山人
車蝦の茶漬け 北大路魯山人 えびのぜいたくな茶漬けを紹介しよう。これまた、その材料の吟味いかんによる。これから述べようとするのは、東京の一流てんぷら屋の自慢するまきと称する車えびの一尾七、八匁までの小形のもので、江戸前の生きているのにかぎる。横浜本牧あたりで獲れたまきえびを、生醤油に酒を三割ばかり割った汁で、弱火にかけ、二時間ほど焦げのつかないように煮つめる
岸田国士
人物 女。 男。 酔漢。 駅夫。 場所 大都会の郊外に通ずる高速電車の小停留場。 時代 現代。 舞台はプラツトフオームである。 正面に腰掛。 終電車の時刻。 初夏。 自称紳士風の酔漢が、ただ一人、腰掛の上に横はつてゐる。 電話の呼鈴。 職業婦人らしくも見え、それにしては、やや夢想家らしい、それで、どことなく、多分口元であらう――冷たい魅力といふやうなものを有
坂口安吾
もう軍備はいらない 坂口安吾 原子バクダンの被害写真が流行しているので、私も買った。ひどいと思った。 しかし、戦争なら、どんな武器を用いたって仕様がないじゃないか、なぜヒロシマやナガサキだけがいけないのだ。いけないのは、原子バクダンじゃなくて、戦争なんだ。 東京だってヒドかったね。ショーバイ柄もあったが、空襲のたび、まだ燃えている焼跡を歩きまわるのがあのころ
今野大力
「おお源造よ 帰って来たか」つまごをはき、雪路を踏んで、馬橇の上で別れて行ったあの日、「俺あクジ逃れだ、俺には只一人のお母がいる、お母はおいぼれ……」「でも源造よ、お上はお前や俺等のために、どうにもなんめいぞ、誰ぞと代って下されと、あれ程ねがったんだに 仕方のねい世の中だ 諦められない世の中よ そんだば、元気で行ってこう 源造よ、元気でだぞお!」 戦争におび
海野十三
軍用鮫 海野十三 北緯百十三度一分、東経二十三度六分の地点において、楊博士はしずかに釣糸を垂れていた。 そこは嶮岨な屏風岩の上であった。 前には、エメラルドを溶かしこんだようなひろびろとした赤湾が、ゆるい曲線をなしてひらけ空は涯しもしらぬほど高く澄みわたり、おつながりの赤蜻蛉が三組四組五組と適当なる空間をすーいすーいと飛んでいるという、げに麗らかなる秋の午さ
海野十三
軍用鼠 海野十三 探偵小説家の梅野十伍は、机の上に原稿用紙を展べて、意気甚だ銷沈していた。 棚の時計を見ると、指針は二時十五分を指していた。それは午後の二時ではなくて、午前の二時であった。カーテンをかかげて外を見ると、ストーブの温か味で汗をかいた硝子戸を透して、まるで深海の底のように黒目も弁かぬ真暗闇が彼を閉じこめていることが分った。 もう数時間すれば夜が明
樋口一葉
軒もる月 樋口一葉 「我が良人は今宵も帰りのおそくおはしますよ。我が子は早く睡りしに、帰らせ給はゞ興なくや思さん。大路の霜に月氷りて、踏む足いかに冷たからん。炬燵の火もいとよし、酒もあたゝめんばかりなるを。時は今何時にか、あれ、空に聞ゆるは上野の鐘ならん。二ツ三ツ四ツ、八時か、否、九時になりけり。さても遅くおはします事かな、いつも九時のかねは膳の上にて聞き給