追っかけて来る飛行機
田中貢太郎
昭和六年の夏の夜のことであった。大連で夜間飛行の練習をやっていると、計器盤のある処に点いているライトの光で、その黒塗の計器盤に、己の乗っている飛行機の後から、今一台の飛行機がやはり同じ方向に向って飛んで来るのが映った。 そんなことはない、錯覚だ、と思いながら計器盤を見るとやはり映っている。とうとううす鬼魅が悪くなって、その夜の練習を中止したことがあったが、こ
公共领域世界知识图书馆
田中貢太郎
昭和六年の夏の夜のことであった。大連で夜間飛行の練習をやっていると、計器盤のある処に点いているライトの光で、その黒塗の計器盤に、己の乗っている飛行機の後から、今一台の飛行機がやはり同じ方向に向って飛んで来るのが映った。 そんなことはない、錯覚だ、と思いながら計器盤を見るとやはり映っている。とうとううす鬼魅が悪くなって、その夜の練習を中止したことがあったが、こ
坂口安吾
退歩主義者 坂口安吾 馬吉の思想は退歩主義というのである。猫もシャクシも実存主義とか共産主義などゝ月並な旗印をかゝげている時世に、とにかく誰の耳にもきゝなれない退歩主義という一流を編みだしたところは、馬吉タダの鼠に非ず、と申さなければならない。 馬吉というのは勿論アダナで、大食いというところからきている。五尺四寸五分、十五貫といえば、あたりまえの日本人で、顔
中谷宇吉郎
今まであまり思い出のようなものは書かなかったが、私も今年で一人前の年齢に達したので、これからはあまり遠慮しないで、一つそういう話も書いてみることにする。 もう十年以上も昔の話であるが、私は妙な難病にかかって、死に損ねたことがある。それが科学の力でけろりと治って、今では少しにくらしいといわれるくらい丈夫になっている。 科学の力は、科学に縁のない人の方が、余計に
坂口安吾
蒲原氏は四十七歳になつてゐた。蒲原家は地方の豪農で、もとより金にこまる身分ではなかつたが、それにしても蒲原氏のやうに、四十七といふ年になるまで働いて金をもらつた例がなく、事業や政治に顔を出した例もなく、かういふ身分の人々にありがちな名誉職にたづさはつた例もないといふ人は珍しいに相違なかつた。蒲原龍彦の名前は門札のほかに存在しないやうなものだつた。 勿論働かな
平出修
逆徒 平出修 判決の理由は長い長いものであつた。それもその筈であつた。之を約めてしまへば僅か四人か五人かの犯罪事案である。共謀で或る一つの目的に向つて計画した事案と見るならば、むしろこの少数に対する裁判と、その余の多数者に対する裁判とを別々に処理するのが適当であつたかもしれない。否その如く引離すのが事実の真実を闡明にし得たのであつたらう。三十人に近い被告が、
宮本百合子
逆立ちの公・私 宮本百合子 先ごろ、ある婦人雑誌で、婦人の公的生活、私的生活という話題で、座談会を催す計画があったようにきいた。何かの都合で、それは実現されなかった。しかし、その話をきいたとき、わたしは、それは面白い話題のつかみかただと思った。提案者の意企は、どういうところにあったか知らないけれども、今日の日本の現実と向い合ってこのテーマが出て来るからには、
太宰治
老人ではなかった。二十五歳を越しただけであった。けれどもやはり老人であった。ふつうの人の一年一年を、この老人はたっぷり三倍三倍にして暮したのである。二度、自殺をし損った。そのうちの一度は情死であった。三度、留置場にぶちこまれた。思想の罪人としてであった。ついに一篇も売れなかったけれど、百篇にあまる小説を書いた。しかし、それはいずれもこの老人の本気でした仕業で
太宰治
老人ではなかつた。二十五歳を越しただけであつた。けれどもやはり老人であつた。ふつうの人の一年一年を、この老人はたつぷり三倍三倍にして暮したのである。二度、自殺をし損つた。そのうちの一度は情死であつた。三度、留置場にぶちこまれた。思想の罪人としてであつた。つひに一篇も賣れなかつたけれど、百篇にあまる小説を書いた。しかし、それはいづれもこの老人の本氣でした仕業で
宮本百合子
逆襲をもって私は戦います 宮本百合子 みなさん! 八十日間の検束の後自由を奪いかえして来た第一の挨拶を送ります。去る三月下旬以来、ファッショ化した帝国主義日本の官憲が狂気のような暴圧を日本プロレタリア文化連盟とその参加団体に加えつつあることはみなさん御承知の通りです。世界の一般恐慌切りぬけ策として、帝国主義日本は他のブルジョア国とともに第二次世界戦争を計画し
宮本百合子
透き徹る秋 宮本百合子 空を、はるばると見あげ、思う。何という透明な世界だろう。 晴れ渡った或る日、障子を開け放して机に向っていた。何かの拍子に、フト眼が、庭の一隅にある青桐の梢に牽かれ、何心なく眺めるうちに、胸まで透き徹る清澄な秋の空気に打たれたのだ。 平常私の坐っている場所から、樹は、丁度眼を遣るに程よい位置にある。去年の秋、引越して来てから文学に行きつ
原民喜
透明な輪 原民喜 三角形の平地を七つに岐れて流れる川は瀬戸内海に注いでゐた。平地を囲んで中国山脈があった。平地は沢山の家や道路で都市を構成してゐた。それは今も活動してゐるのだが、彼は寝たまま朧げに巷の雑音を聞いてゐるので、活きてゐる街の姿がもう想ひ出せなかった。 そのかはり殆ど透明な輪のやうな風景が、彼の頭には次々と浮んで来る。風景と云ふものは、臭ひや温度を
谷崎潤一郎
東京T・M株式会社員法学士湯河勝太郎が、十二月も押し詰まった或る日の夕暮の五時頃に、金杉橋の電車通りを新橋の方へぶらぶら散歩している時であった。 「もし、もし、失礼ですがあなたは湯河さんじゃございませんか」 ちょうど彼が橋を半分以上渡った時分に、こう云って後ろから声をかけた者があった。湯河は振り返った、―――すると其処に、彼には嘗て面識のない、しかし風采の立
嘉村礒多
途上 嘉村礒多 六里の山道を歩きながら、いくら歩いても渚の尽きない細長い池が、赤い肌の老松の林つゞきの中から見え隠れする途上、梢の高い歌ひ声を聞いたりして、日暮れ時分に父と私とはY町に着いた。其晩は場末の安宿に泊り翌日父は私をY中学の入学式につれて行き、そして我子を寄宿舎に托して置くと、直ぐ村へ帰つて行つた。別れ際に父は、舎費を三ヶ月分納めたので、先刻渡した
牧野信一
都合に出て来ると都合の空気を腹一杯に満喫したいのが念願である。物資に依つて購ひ得られる享楽はこよなく楽しい。殊に田園生活者の僕には止め度もなく嬉しい。だが僕の物資は忽ち無に直面する。だが僕は、その無にさつぱり動じない自分を発見した。山間でのストア派的生活のおかげであらう。山間といへば、ついこの頃、その村で山の神様の祭り日に当つて、今年は一つ新時代的の祭りを行
浜尾四郎
途上の犯人 浜尾四郎 一 東京駅で乗車した時から、私はその男の様子が気になり出した。思いなしではなく、確かにその男の方でもじろじろと私の方にばかり注意して居る。 色の青白い、三十四、五の痩せた男である。身なりは大して賤しい方ではない。さっぱりした背広を着し、ソフトを戴いて居るのだが、帽子は乗り込むとすぐ棚の上においたようだった。外套は特に取り立てていうような
中野鈴子
わたしは途中で一人の女とすれちがった 女のかおは白粉と紅で白く赤く美しかった 背が高くふっくら円かった 年は二十三四 そして藤色チリメンの長袖 厚いフェルト草履の大股でトットッと歩いて行った それは大変に自慢そうで からだ全体が得意で一ぱいのようだった わたしは洗いざらしの浴衣を着て 青じけた顔をうつむけて通りすぎた わたしは顔をうつむけて通りすぎた そうし
桜間中庸
濱に出て砂にころべは夕さりて町に歸ればしみじみと、思ひ出ぬるふるさとのこと。 夕燒がまつ赤だ 故郷の臺山の夕やけを思ひ出す。いつもは見えない富士の頂の鋸齒が一つ一つくつきりとまつかな空と眞白な頂との境を見せて何とも云へない莊巖さだ。おゝ富士・富士・富士・刻々に消えて行く空のまつ赤な光りは又何といふ淋しさだ、臨終を見つめる心にも似て。 飴色に輝いて寄せつ返しつ
橘外男
逗子に了雲寺という天台宗の寺がある。詳しく言えば、逗子とは言ってもここは田浦との中間地点、むしろ田浦の方に位していると言った方がいいのかも知れぬが、東京からの避暑客などは道の遠いのとあまりにも物淋しいのとで、ほとんど顧みる人もいなかった。 田越川に沿うて神武寺を左に眺めつつ三崎街道の埃っぽい道をどこまでもどこまでも伝わって行くと、やがて小一里近く道は二股に分
田中貢太郎
這って来る紐 田中貢太郎 某禅寺に壮い美男の僧があって附近の女と関係しているうちに、僧は己の非行を悟るとともに大に後悔して、田舎へ往って修行をすることにした。関係していた女はそれを聞いてひどく悲しんだが、いよいよ別れる日になると、禅宗の僧侶の衣の腰に着ける一本の紐を縫って持って来て、「これを、私の形見に、いつまでもつけてください」 と云ってそれを僧の腰へ巻い
坂口安吾
「問はず語り」は話が好都合にできすぎてゐる。主人公の老画家が松子(女中)と関係を結ぶと気附かれぬうちに妻君の辰子が急病で死んで、それも深い感謝をさゝげて死んでしまふ。 荷風においては女中との関係が辰子に知られることによつて始まる人間関係や人間性への追求が問題にならないのである。淪落のどん底から拾ひあげて一生愛していたゞいたと死に当つていひ足りぬ感謝をのこした
坂口安吾
通俗と変貌と 坂口安吾 文学といふものは政治と違つて、こと人性に即したものであるから、戦争に負けたから変らなければならないといふ性質のものではない。文学の戦犯などゝいふことからして妙なことで、尤も中には暴力に訴へて言論に圧迫を加へた右翼主義者があつたが、この連中は論外だ。時局便乗といふことは決して犯罪ではなく、つまり、通俗といふことなので、たゞ、それだけの話
田山花袋
△ 私が鈍才であるためかも知れないが、何うも本格的な小説が書けない。一時は随分そのために苦労もし、骨も折つて見たのであるが――人一倍いろいろなことをやつて見たいと思つてゐるが、その出来栄の如何といふことよりも、何うもそれでは自分で満足が出来ない。こんなものをいくら書いたつてしやうがないといふやうに思はれて、あとでそれを振返つて見る気になれない。その癖、私のか
太宰治
みみずく通信 太宰治 無事、大任を果しました。どんな大任だか、君は、ご存じないでしょう。「これから、旅に出ます。」とだけ葉書にかいて教え、どこへ何しに行くのやら君には申し上げていなかった。てれくさかったのです。また、君がそれを知ったら、れいの如く心配して何やらかやら忠告、教訓をはじめるのではないかと思い、それを恐れて、わざと目的は申し上げずに旅に出ました。先
中谷宇吉郎
七月六日の午後、ノース・ウェスト機で羽田を立った時は、雨の中であった。しかし間もなく雲の上に出たので、気象状態はそう悪くなかった。 ときどき霧雨が窓を濡らし、灰色の雲がちぎれちぎれにとぶ。そして機は時々軽くゆれた。ところが千島の沖へかかった頃から、急に気流の状態がよくなった。三十六人乗りのあの大きい飛行機は、まるでぴたりと空中に静止したように、ちっとも動揺が