Vol. 2May 2026

图书

公共领域世界知识图书馆

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アンドレアス・タアマイエルが遺書

シュニッツレルアルツール

小生は如何にしても今日以後生きながらへ居ること難く候。何故と申すに小生生きながらへ居る限りは、世間の人嘲り笑ひ申すべく、誰一人事実の真相を認めくるる者は有之まじく候。仮令世間にては何と申し候とも、妻が貞操を守り居たりしことは小生の確信する所に有之、小生は死を以て之を証明する考に候。今日まで種々の書籍に就て、此困難なる、又疑団多き事件に就き取調べ候処、著述家の

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ナポレオンの遺書

豊島与志雄

ナポレオンの遺書 豊島与志雄 ナポレオンの遺書――セント・ヘレナの島で、臨終より三週間ほど前に、彼が自ら口述し浄書したもので、現に文書保存局に原文が残っている――その遺書の中に、次のような一カ条がある。 予は、セント・ヘレナの手記、及び、最近六年間に刊行されたる、格言或は箴言と題せる著述を、否認するものなり。予の生涯を支配せし規範は、その中に存せず。 然るに

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遺牘

西郷隆盛

遺牘 西郷隆盛 東上初年の消息 東湖訪問心中清淨・櫻任藏豪傑・丈夫と呼ばる・逸散駈付・江戸風に染まず 尚々藏方目付替御座候處、何となく被二肝煎一候口氣、伊十院有レ之、誠に可レ笑事に御座候。 一筆啓上仕候。殘暑甚敷御座候得共、御祖母樣を奉レ初、御一統樣御機嫌能可レ被レ遊二御座一、奉二恐縮一候。伏而不肖無二異儀一相勤申候間、乍レ恐御安慮御思召可レ被レ下候。 扨、

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遺物・遺蹟と歴史研究

喜田貞吉

過去の住民たるわれらの祖先が遺した遺物・遺蹟が、過去におけるわれらの祖先の生活状態を明かにし、その変遷発達の蹟を示すうえにおいて、最も有益なる材料なるべきは言うまでもない。歴史家が史料として取り扱うべきものが、ひとり文字によって伝わった記録ばかりでなく、これら遺物・遺蹟またその重きをなすべきことは、今さらに余輩の贅言を要しないまでに公知の事実である。特に余輩

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遺産

水上滝太郎

おもいもかけない大地震は、ささやかな彼の借家と、堂々たる隣の家との境界を取払ってしまった。 いい家だけれど、あの塀があんまり高くて、陰気で、しめっぽくていけないと、引越して来た日から舌うちしていた忌々しい煉瓦塀は、土台から崩れて、彼の借家の狭い庭に倒れ込み、その半分をふさいでしまった。先住の手植らしい縁日物の植木や、素人の手でつくられたに違いない瓢箪池は、古

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遺産分配書

富永太郎

わが女王へ。決して穢れなかつた私の魂よりも、更に清浄な私の両眼の真珠を。おんみの不思議な夜宴の觴に投げ入れられようために。 善意ある港の朝の微風へ。昨夜の酒に濡れた柔かい私の髪を。――蝋燭を消せば、海の旗、陸の旗。人間は悩まないやうに造られてある。 わが友M***へ。君がしばしば快く客となつてくれた私の Sabbat の洞穴の記念に、一本の蜥蜴の脚を、すなは

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遺稿 01 「遺稿」附記

水上滝太郎

この無題の小説は、泉先生逝去後、机辺の篋底に、夫人の見出されしものにして、いつ頃書かれしものか、これにて完結のものか、はたまた未完結のものか、今はあきらかにする術なきものなり。昭和十四年七月号中央公論掲載の、「縷紅新草」は、先生の生前発表せられし最後のものにして、その完成に尽くされし努力は既に疾を内に潜めいたる先生の肉体をいたむる事深く、その後再び机に対われ

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遺篇

西郷隆盛

失題 嚴寒勉學坐ス二深宵ニ一。冷面饑腸燈數挑ク。私意看來レバ爐上ノ雪。胸中三省愧ヅルコトレ人ニ饒シ。 偶成  ○傳説、詠二傑士秩父太郎一、太郎文化中人。 一貫唯唯ノ諾。從來鐵石ノ肝。貧居生ジ二傑士ヲ一。勳業顯ル二多難ニ一。耐ヘテレ雪ニ梅花麗シク。經テレ霜ヲ楓葉丹シ。如シ能ク識ラバ二天意ヲ一。豈敢テ自ラ謀ランレ安ヲ。 失題 學ンデレ文ヲ無クバレ主等シ二痴人ニ一

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遺言文学

葉山嘉樹

遺言文学 葉山嘉樹 無名作家Nの情熱(上) プロレタリア作家が、現在、どんなに困難な道を歩いてゐるか、といふ事は、クド/\と述べ立てる必要の無い事であらう。 それにしても、私は、今、一つの話をしないではをれない。 私たちの友人のNは、無名作家である。Aといふ批評家が紹介して、私たちのグループに入つたのだつた。 このNは、もう三十を越してゐるのであるが、体が小

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遺言状・遺族善後策

二葉亭四迷

遺言状・遺族善後策 二葉亭四迷 遺言状 一 余死せば朝日新聞社より多少の涙金渡るべし一 此金を受取りたる時は年齢に拘らず平均に六人の家族に頭割りにすべし例せば社より六百円渡りたる時は頭割にして一人の所得百円となる計算也一 此分配法ニ異議ありとも変更を許さず右之通 明治四十二年三月二十二日 露都病院にて 長谷川辰之助 長谷川静子殿 長谷川柳子殿 遺族善後策 こ

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遺訓

西郷隆盛

遺訓 西郷隆盛 一 廟堂に立ちて大政を爲すは天道を行ふものなれば、些とも私を挾みては濟まぬもの也。いかにも心を公平に操り、正道を蹈み、廣く賢人を選擧し、能く其職に任ふる人を擧げて政柄を執らしむるは、即ち天意也。夫れゆゑ眞に賢人と認る以上は、直に我が職を讓る程ならでは叶はぬものぞ。故に何程國家に勳勞有る共、其職に任へぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也

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避病院

正宗白鳥

町村の自治制が敷かれてから間もないころであつた。私の父は選ばれて村長になつた。父の性質としてかういふ煩い役務は好まなかつたのであるが、人物に乏しい僻村では他に適當な候補者が見つからないので、據所なく選ばれ據所なく承諾したのらしかつた。 名譽職だといふので、しるしだけの俸給に甘んじて、終日出勤して、五つの字の合した廣い村の面倒な事務を執つてゐた。父の一身が忙し

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邂逅

北条民雄

高等科二年の多吉は、ある夕方、校門を出るとただ一人きりで家路に向つた。学友たちは幾つかのかたまりになつてそれぞれの方向へ別れ、何か大声で議論し合つてゐるのもあれば、また軍歌を合唱してゐる組もあつた。多吉はちらりと彼等の方に視線を移したが、見てはならぬものを見たかのやうにすぐ顔を外向けると、幾分頭を垂れ気味にして足を早めた。彼は何事か深く考へ込んでゐた。足を早

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還暦反逆

久保田万太郎

去年の大晦日である。 ――あなたも、いよ/\、来年は還暦ですね。 と、ある人にいはれた。 ――さうですね。 と、ぼくは、それに対して、人ごとのやうにこたへた。 ――だつて、さうなんでせう?……六十一におなりになるんでせう、来年?…… と、相手は、あきらかに、そのこたへに満足しなかつた。 ――数へ年ならね…… ぼくのこたへはしかし、どこまでも素つ気なかつた。

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那珂先生を憶う

桑原隲蔵

那珂先生を憶ふ 桑原隲藏 文學博士那珂先生の卒去は實に突然の事で、吾輩は今猶夢の如く思ふ。左に少しく先生に就て知れる事實を紹介致さう。何分客舍匆卒の際であるから、年月や書名などには、多少の間違はあるかも知れぬ。是は豫め容赦を願つて置く。 先生は非常の勉強家で、其の記憶力は絶倫であつた。其の結果として博識であつたことは申す迄もない。先生の勉強は實に驚くべきもの

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那珂川の鱸釣り

佐藤垢石

那珂川の鱸釣り 佐藤垢石 私は、ふた昔それ以上も久しい前、水戸に浪人していたことがあった。毎日、なすこともないのであるから、釣りにばかり耽っていた。千波沼の、おいかわ釣り。那珂川上流の、鮎の友釣り。那珂川下流の、鮭の子に鱸釣り。備前堀の鯉釣りなど、季節季節の釣りに追われるような思いを持ってきた。 しかし、おいかわや鮭の子など小物釣りにはいささか飽いてきたよう

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那須、尾瀬、赤城、志賀高原

木暮理太郎

那須火山群は、広漠たる那須ヶ原の北端に在って、南北に長い連嶺をなし、所謂那須の五岳を含む山塊を総称したものである。五岳とは南の黒尾谷岳から順に北へ南月山、茶臼岳、朝日岳及び北肩は下野、磐城、岩代の三国界に跨る三本槍岳を指したもので、主峰は千九百十七米の茶臼岳である。普通那須岳と言えばこの茶臼岳を意味している。この山は南月山と朝日岳との間に開口した大火口内に噴

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邪宗門

北原白秋

邪宗門 北原白秋 父上に献ぐ 父上、父上ははじめ望み給はざりしかども、児は遂にその生れたるところにあこがれて、わかき日をかくは歌ひつづけ候ひぬ。もはやもはや咎め給はざるべし。 邪宗門扉銘 ここ過ぎて曲節の悩みのむれに、 ここ過ぎて官能の愉楽のそのに、 ここ過ぎて神経のにがき魔睡に。 詩の生命は暗示にして単なる事象の説明には非ず。かの筆にも言語にも言ひ尽し難き

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邪教問答

坂口安吾

璽光様の話がでるとみんなが笑う。双葉山が小娘の指一本でひっくりかえったり、世直しの後には璽光内閣の厚生大臣であったり、京浜地方へ落ちるはずの神罰大天災が一向に起らなかったり、愛きょうがある。 けれども璽光様ははじめから邪教の様式で登場したからお笑い草ですんでいるだけのことで、人ごとではない、璽光様はわれわれの心に住んでいるのである。 大東亜戦争という、これが

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郊外

国木田独歩

郊外 国木田独歩 一 時田先生、名は立派なれど村立小学校の教員である、それも四角な顔の、太い眉の、大きい口の、骨格のたくましい、背の低い、言うまでもなく若い女などにはあまり好かれない方の男。 そのくせ生徒にも父兄にも村長にもきわめて評判のよいのは、どこか言うに言われぬ優しいところがあるので、口数の少ない代わりには嘘を言うことのできない性分、それは目でわかる、

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郊外生活の一年 大久保にて

岡本綺堂

震災以来、諸方を流転して、おちつかない日を送ること一年九ヵ月で、月並の文句ではあるが光陰流水の感に堪えない。大久保へ流れ込んで来たのは去年の三月で、もう一年以上になる。東京市内に生まれて、東京市内に生活して、郊外というところは友人の家をたずねるか、あるいは春秋の天気のいい日に散歩にでも出かける所であると思っていた者が、測らずも郊外生活一年の経験を積むことを得

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郭公のおとずれ

中谷宇吉郎

六月に入ってしばらくすると、郭公が鳴く。 そして郭公とつれて、待ちかねた北海道の初夏が訪れて来る。 長い寒い北国の春につかれた人々は、爽かな初夏の風が、ようやくに出揃った楡の青葉をぬけて来る日が二、三日つづくと、やっと安心する。そして九月までの短い夏にいろいろの希望をかけるのである。 夏に北海道を訪れた人は、誰も北海道の美しさを讃美する。 それには緑の鮮かさ

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「郭子儀」異変

長谷川時雨

「郭子儀」異變 長谷川時雨 柳里恭の「郭子儀」の對幅が、いつのころかわたくしの生家にあつた。もとより柳里恭の眞筆ではない。ほんものならば、その頃でも萬といふ級の取引であつたらう。或はわたくしのうちにあつた、その寫しものでも今日の賣立などであつたら、矢張り萬とか千とかいふ代物であつたかも知れない。 それは、とて大幅で、書院がけとでもいふのか、もとよりわたくしの

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