機関車
佐左木俊郎
機関車 佐左木俊郎 一 その線は、山脈に突き当たって、そこで終わっていた。そしてそのまま山脈の貫通を急がなかった。 山脈の裾は温泉宿の小さい町が白い煙を籠めていた。停車場は町端れの野原にあった。機関庫はそこから幾らか山裾の方へ寄っていた。温泉の町に始発駅を置き、終点駅にすることは、鉄道の営業上から、最もいい政策であったから。 終列車を牽いて来た機関車はそこで
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佐左木俊郎
機関車 佐左木俊郎 一 その線は、山脈に突き当たって、そこで終わっていた。そしてそのまま山脈の貫通を急がなかった。 山脈の裾は温泉宿の小さい町が白い煙を籠めていた。停車場は町端れの野原にあった。機関庫はそこから幾らか山裾の方へ寄っていた。温泉の町に始発駅を置き、終点駅にすることは、鉄道の営業上から、最もいい政策であったから。 終列車を牽いて来た機関車はそこで
梶井基次郎
この頃の陰鬱な天候に弱らされていて手紙を書く気にもなれませんでした。以前京都にいた頃は毎年のようにこの季節に肋膜を悪くしたのですが、此方へ来てからはそんなことはなくなりました。一つは酒類を飲まなくなったせいかも知れません。然しやはり精神が不健康になります。感心なことを云うと云ってあなたは笑うかも知れませんが、学校へ行くのが実に億劫でした。電車に乗ります。電車
原民喜
「リツ子・その愛」はまだ届かないので、先日お届け下さつた「その死」の方だけ只今、読み了へました。どうして、あなたは私にこの作品の感想を書かせようとなさるのでせう。私が七年前に妻を喪ひ、そのことを少しばかし作品に書いたりしてゐるからでせうか。それなら却つて、私のやうなものは、この書物を正しく解読できないのではないでせうか。私は最初の一頁から最後の二八六頁まで、
太宰治
檀君の仕事の性格は、あまり人々に通じてゐない。おぼろげながら、それと察知できても、人々は何かの理由で大事をとつて、いたづらに右顧左眄し、笑ひにまぎらはし、確言を避ける風である。これでは、檀君も、やり切れぬ思ひであらう。 檀君の仕事の卓拔は、極めて明瞭である。過去未來の因果の絲を斷ち切り、純粹刹那の愛と美とを、ぴつたり正確に固定せしめようと前人未踏の修羅道であ
梶井基次郎
えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終壓へつけてゐた。焦燥と云はうか、嫌惡と云はうか――酒を飮んだあとに宿醉があるやうに、酒を毎日飮んでゐると宿醉に相當した時期がやつて來る。それが來たのだ。これはちよつといけなかつた。結果した肺尖カタルや神經衰弱がいけないのではない。また脊を燒くやうな借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせた
波立一
昨日は重い空に湿っぽい風だった。 鋲どめた「五月祭のビラ」の傍に 白い優曇華の花が咲いていたっけ 梅雨時の箒を遁れて咲いていたっけ 首 うなだれてはこみあげる憤怒を 首 うなだれてはこみあげる憤怒を 奴! 首 うなだれてはこみあげる憤怒! 今日は薄縁三畳の檻の中 鉄格子と金網の窓に獅噛みつき ガラス戸の隙間三寸 高い石塀を越えて 黒雲ちぎれ飛ぶ空模様に 凝乎
小川未明
町から少し離て家根が処々に見える村だ。空は暗く曇っていた。お島という病婦が織っている機の音が聞える。その家の前に鮮かな紫陽花が咲いていて、小さな低い窓が見える。途の上に、二人の女房が立って話をしている。 「この頃は悪い風邪が流行ますそうですよ。」 「そうだそうですよ、骨の節々が痛むんですって。」 陰気な、力なげな機の音がギイーシャン、コトン! と聞えて来る。
ベルトランルイ
花のなかなる欝金草は鳥のなかなる孔雀の如し。かれに香無くこれに歌無し。かれは其袍を、これは其尾を矜る。 「珍華園」 あたりはしんとしてゐる。博士ホイルテンの指の下に羊皮紙の擦れる音ばかりだ。博士は彩色の飾文字を散らした聖典を見つめてゐて、たまに眼を放てば、うつすり曇る水盤の中に泳ぐ二尾の魚の金と紅とを眺めるのみだ。 部屋の扉がすうつと開いた。花屋は欝金草
北大路魯山人
欧米料理と日本 北大路魯山人 四月上旬(注・昭和二十九年)には日本を発って、アメリカからヨーロッパを回ってくる予定で、いま準備中である。自作陶芸の展示会を欧州各地で開き、文化交流のために一役買って出るというのが一応の目的になっているが、ヨーロッパ旅行の魅力は本場フランス料理、イタリア料理、ベルギー料理などをつぶさに吟味して来るということにある。 パリに着いた
坂口安吾
私は昔から家庭といふものに疑ひをいだいてゐた。愛する人と家庭をつくりたいのも人の本能であるかも知れぬが、この家庭を否応なく、陰鬱に、死に至るまで守らねばならぬか、どうか。なぜ、それが美徳であるのか。勤倹の精神とか困苦耐乏の精神とか、さういふ美徳と同じやうに、実際は美徳よりも悪徳にちかいものではないかといふ気が、私にはしてならなかつた。 多くの人々の家庭はたの
田山花袋
深い心理に入つて見ることが第一だ。 欲望と理想――これは生存には無論必要であるが、それが實際に當つて、如何に破壞されて行くかを細心に研究して見るが好い。欲望は即ち破壞ではないか。 ●図書カード
末吉安持
闇の幕危く垂れて 二十八宿星座揺ぎ 滅亡の香凄う乱るゝ 古寺の屋根に嬉しや 白鵠の夢は醒めたり、 あな嬉し霊の御告、 白鵠は夢より醒めぬ 頼しく威ある瞳に 喙の結びたゞしく みがまへて睨むか闇を、 平和の気温く密なる 巣の真隅、を吐いて 金鱗の閃き寒う 蜿りたる地獄の私生児 うとましの怪物、鎌首 巣の雛の機を窺ひて 倚り打たむ危の刹那、 星明り白く乱れて 一
小川未明
こちらの森から あちらの丘へ にじが橋をかけた。 だれが、その橋 渡る。 からすが三羽に 乞食が一人。 乞食はつえついて上がったが からすは、あわてておっこちた。 落ちたからすはどこへいった。 夕焼けの空へ。 上がった乞食はどこへいった。 お星さまの世界へ。 にじが消えた。 にじが消えた。 下の町には火が点いた。 ●図書カード
ダンテアリギエリ
「歌」よ、ねがふは「愛」の神さがし求めて かの君の前に伴ひ歌はなむ。 「歌」はわが身の言別を、主はかの君を 恐無く正眼に見つゝ語りなむ。 禮には篤き「歌」なれば、よしそれ唯の ひとりにて、 げに往きぬとも、恐るべき事は無けねど、 安かれと、心知ひに伴ふや 「愛」の神 それ後見と傍らにあるこそよけれ、 かの君が「歌」の言の葉きゝ給ふ その時なほも憤解けもやらぬ
正岡子規
仰のごとく近来和歌は一向に振い不申候。正直に申し候えば『万葉』以来、実朝以来、一向に振い不申候。実朝という人は三十にも足らでいざこれからというところにてあえなき最期を遂げられまことに残念致し候。あの人をして今十年も活かしておいたならどんなに名歌を沢山残したかも知れ不申候。とにかくに第一流の歌人と存候。あながち人丸、赤人の余唾を舐るでもなく、もとより貫之、定家
正岡子規
仰の如く近來和歌は一向に振ひ不申候。正直に申し候へば萬葉以來實朝以來一向に振ひ不申候。實朝といふ人は三十にも足らでいざ是からといふ處にてあへなき最期を遂げられ誠に殘念致し候。あの人をして今十年も活かして置いたならどんなに名歌を澤山殘したかも知れ不申候。兎に角に第一流の歌人と存候。強ち人丸赤人の餘唾を舐るでも無く固より貫之定家の糟粕をしやぶるでも無く自己の本量
正岡子規
歌よみに与ふる書 正岡子規 歌よみに与ふる書 仰の如く近来和歌は一向に振ひ不申候。正直に申し候へば万葉以来実朝以来一向に振ひ不申候。実朝といふ人は三十にも足らで、いざこれからといふ処にてあへなき最期を遂げられ誠に残念致し候。あの人をして今十年も活かして置いたならどんなに名歌を沢山残したかも知れ不申候。とにかくに第一流の歌人と存候。強ち人丸・赤人の余唾を舐るで
折口信夫
歌の円寂する時 折口信夫 われさへや 竟に来ざらむ。とし月のいやさかりゆく おくつきどころ ことしは寂しい春であった。目のせいか、桜の花が殊に潤んで見えた。ひき続いては出遅れた若葉が長い事かじけ色をしていた。畏友島木赤彦を、湖に臨む山墓に葬ったのは、そうした木々に掩われた山際の空の、あかるく澄んだ日である。私は、それから「下の諏訪」へ下る途すがら、ふさぎの虫
寺田寅彦
歌の口調 寺田寅彦 歌の口調がいいとか悪いとかいう事の標準が普遍的に定め得られるものかどうか、これは六かしい問題である。この標準は時により人により随分まちまちであってその中から何等かの方則といったようなものを抽き出すのは容易な事とは思われない。 しかし個人的には、たとえそれは自覚されないにしても、何かしら自ずから一定の標準をもっていて、それに当嵌めて口調の善
宮本百合子
今日、日本は全面的な再出発の時機に到達している。軍事的だった日本から文化の国日本へということもいわれ、日本の民主主義は、明治以来、はじめて私たちの日常生活の中に浸透すべき性質のものとしてたち現れてきた。 民主という言葉はあらゆる面に響いており、「新しい」、という字を戴いた雑誌その他の出版物は、紙の払底や印刷工程の困難をかきわけつつ、雑踏してその発刊をいそいで
北村透谷
「歌念仏」を読みて 北村透谷 巣林子の世話戯曲十中の八九は主人公を遊廓内に取れり、其清潔なる境地より取り来りたる者は甚だ少数なる中に「お夏清十郎歌念仏」は傑作として知られたり。余は「歌念仏」を愛読するの余、其女主人公に就きて感じたるところを有の儘に筆にせんとするのみ。若し巣林子著作の細評を聴かんとする者あらば、逍遙先生又は篁村翁が許へ行かるべし、余豈巣林子を
牧野信一
蝉――テテツクス――ミユーズの下僕――アポロの使者――白昼の夢想家――地上に於ける諸々の人間の行状をオリムパスのアポロに報告するためにこの世につかはされた観光客――客の名前をテテツクスといふ――蝉。 「その愚かな伝説は――」 さあ歌へ/\、今度はお前の番だ! と攻められるのであつたが、何故か私には歌へぬのだ――だが、私は凝ツとしてゐられないのだ――酒樽の上に
水谷まさる
序 この小さな童謠集を「歌時計」と名づけたのは、べつに深い意味はない。 わたくしはただ、驚異のねぢを卷いて、そのほどけるがままに、澄み切つた歌をうたひたいと思ふから、あへてかういふ名をつけたのであるが、赤や紫や青の、夢のきれはしを投げつけて、少年のわたしの心をさざなみ立たせたところの、あの「歌時計」の歌のやうな、それほどの魅力がわたしの童謠にあるかないか。
フリーマンリチャード・オースティン
おとなの論理的な頭では、とうてい分らないような人間のかくれた性格、そんなかくれたものを、おさなごや下等動物がわけもなく見破るという迷信は、かなり広くゆきわたっているようだ。そして彼らの判断を、経験を超越したすぐれたものとして、受けいれてしまうのである。 こんな迷信は人々がパラドクスを愛するところからくるのかどうか、そんな問題は問う必要がなかろう。これは社会一