文学界後記
岸田国士
文学界後記 岸田國士 ○ 文学界の精神といふやうなものがだん/\はつきりして来たことはうれしい。 ○ 当代の文学者が、それ/″\の立場の上で、互に共通の目標を自覚しはじめたことの証拠である。 ○ 文学が文化運動の流れに沿ひ、しかも、これを誘導すべき役割をもつといふ意味が、俄かに拡大された理由をもつとはつきりさせねばならぬ。 ○ そのために、創造の幾部分が啓蒙
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文学界後記 岸田國士 ○ 文学界の精神といふやうなものがだん/\はつきりして来たことはうれしい。 ○ 当代の文学者が、それ/″\の立場の上で、互に共通の目標を自覚しはじめたことの証拠である。 ○ 文学が文化運動の流れに沿ひ、しかも、これを誘導すべき役割をもつといふ意味が、俄かに拡大された理由をもつとはつきりさせねばならぬ。 ○ そのために、創造の幾部分が啓蒙
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日本映画の水準について 岸田國士 映画愛好者の分布がはつきり二つに別れてをり、一つは西洋映画フアン、一つは日本映画フアンであり、その間に、ほとんど共通な分子がなく、強いて求めれば専門の研究家ぐらゐのものだといふ事実を、日本の映画当事者はなんとみてゐるか? 勿論、西洋映画フアンが悉く教養ある階級であるとも云へず、日本映画フアンがすべて無知識階級であるとも断言は
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批評家・作家・劇場人 岸田國士 最後の締めくくりをする順番だが、以上、小林、真船、千田三氏の文章を読み了つて、先づ第一に感じたことは、僕自身のなかにある三つの傾向が、はつきり分裂して、次ぎ次ぎに「走り」出した姿に似てゐるといふことであつた。 ところが、これはなにも、僕に限らず、誰でも、創造のよろこびをよろこびとする芸術家として、一旦演劇といふ迷宮に入る以上、
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新しき天地 岸田國士 シナリオといふものが、文学の一つのジヤンルとして発達するかどうか、例へば戯曲のやうなものになる可能性があるかどうか疑問である。しかし、映画の本質と結びついた、或は、映画の本質を本質とするやうな、新しい韻律文学の一形式が生れるであらうことは予想できる。さうなれば、シナリオ作者がはじめて映画的創造に参与することになるのである。単に物語の筋だ
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女性風俗時評 岸田國士 女の間に「キミ」「ボク」といふ言葉が流行してゐる。女同士の会話には非常にはやつてゐるのだが、さすがにまだ男と女との会話には余り出て来ない。もつとも男とそんな風な会話をするやうな女性だつたら、なか/\もつて油断のできない強か者であらう。 かうした口をきく女の子は、奇妙にアリストクラテイツクな学校の生徒に多い。例へば家庭では「遊ばせ」言葉
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日本に生れた以上は 岸田國士 さあ、僕はどういふ風に云はうか? 林君は熱情を見事に整理しつつ雄弁を振つてゐる。森山君は、縹渺たる感懐をリリカルな思考に托してゐる。何れも文学者らしい態度で堂々とこの課題を征服した。 僕は、率直に云ふ。林君にはまだついて行けないし、森山君には少し焦らされた。 かういふ問題は、といふよりも、「愛国心」といふやうな言葉に対しては、文
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続言葉言葉言葉(その一) 岸田國士 私は嘗て、「何かを云ふために戯曲を書くのではない。戯曲を書くために何かしらを云ふのだ」と揚言し、自分の戯曲文学に対する熱情と抱負とを、明かにしたつもりである。 その態度は最近まで変らずに持ちつづけてゐた。そして、それは、少しも誤つた態度ではないと今でも信じてゐるが、たまたま、近頃になつて「戯曲を書くため」に、なんだか邪魔に
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ジヨルジュ・クウルトリイヌに就いて 岸田國士 劇作家としてのクウルトリイヌは、既にその仕事ををはつてゐるやうに思はれる。しかしながら今日までに彼がなし遂げた業績は、仏蘭西戯曲史上重要な頁を占めるべきものであらう。 一千八百六十年六月二十五日、仏国中部の古都ツウルに生れ、モオの高等学校で普通学を修めた。父親は、名をジュウル、姓をムアノオと称してゐたのであるから
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十二月的感想 岸田國士 私は平生毛筆を使はない。墨をするのが面倒なのと、硯箱が場所を取るからである。それよりも第一、手が自由に動かない厄介さを知つてゐるからであらう。 私はまた万年筆を好まない。ペン先をインキ壺に浸す、あの伸びやかな気持がなく、書かれた文字の濃淡がもつ、あの特殊なリズムを失ふからである。それよりも第一、買ふしりからどこかで落して来ることがわか
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「チロルの秋」上演当時の思ひ出 岸田國士 「チロルの秋」は私の第二作であつた。それが、大地震の翌年、たしか大正十三年の十月か十一月かに、新劇協会の人々の手で帝国ホテルの演芸場で上演されたのが、私の処女上演であつた。正宗白鳥氏の「人世の幸福」と久米正雄氏の「帰去来」とがプログラムに並んでゐた。 正直に云へば、私は自分の処女上演について余り香ばしい思ひ出を懐いて
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悩みと死の微笑 岸田國士 私は芥川氏の作品を、半分ぐらゐしか読んでゐない。また直接言葉を交したのは、前後僅か三四回にすぎぬ。 生前極めて交遊の広かつたらしい同氏から見れば、一度もその私宅を訪れたことさへない私の如きは路傍の人に等しかつたらうが、それでも「遊びに来い――是非行く」といふやうなことは、お互に云ひ合つた。 芥川氏は、最も早く私の仕事に興味をもつてく
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「明るい文学」について 岸田國士 甲は云ふ――黒ずんだ文学にも少し飽きた。もつと明るい、赤味を帯びてゐても、青味を帯びてゐても、それはいゝ、もつと明るい文学が欲しいね。乙が答へる――人生は黒ずんだものだ。甲――明るいところもあるよ。乙――それは、人生を深く観ないからだ。人生を真面目に考へないからだ。苦悶の無い人生は無意義だ。甲――待つてくれ。明るいところも深
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「チロルの秋」以来 岸田國士 私の戯曲の処女上演は、「チロルの秋」です。 一昨々年の九月、演劇新潮に、私の第二作「チロルの秋」が発表されると、間もなく、新劇協会の畑中君が見えて、あれを出したいと云ふのです。 ステラの役は伊沢君にきまつてゐました。伊沢君は、数年前その初舞台を見たきりですが、あの落ついた物腰と云ひ、あのうるほひのある声と云ひ、申分ないと思ひまし
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ふらんすの芝居 岸田國士 一体、芝居の話といふものは、その芝居を観た同志でなければ、したつてつまらないと思ふのですが。……ですから、どの芝居がどうといふお話は、みなさんが仏蘭西へ一度いらしつてからのことにして、今日は、漫然と、仏蘭西の芝居で、日本の芝居と違ふところを、思ひ出しながらお話をして見ませう。 先づ、仏蘭西の芝居は、大てい晩の八時か八時半頃から初まり
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梅雨期の饒舌 岸田國士 自分一人の力ではどうにもならないやうなことを、やれどうしなければならぬ、かうしなければならぬと、むきになつていふのは、落付いて考へて見ると、甚だ滑稽であり、ある種の人から見れば、さぞ片腹痛く思はれるであらうが、何時の時代にもまた何れの社会にも、かういふ「おせつかい」がゐて、頼まれもせぬことを、頭痛に病んでゐるらしい。 例へば、社会改良
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走るノート 岸田國士 四十年ぶりで、郷里を訪れたいといふ母の望を叶へる好機会である。私は、講演旅行の勧めに応じた。それで、いよいよ出発といふ段取りになつて、家に病人ができ、母は病人を置いて家を明けることを気遣ひ、私もそれは仕方がないこととして、一方、講演の約束を今更破ることもできないので、不本意ながら、まあ、若葉は到るところにあらうといふぐらゐの気持で旅に出
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シャルル・ヴィルドラックについて 岸田國士 「演劇の本質は、古来の劇的天才が、その不朽の作品中に遺憾なく之を盛つてゐる。吾々は、その本質を探求吟味して、之を完全に舞台の上に活かし、あらゆる不純な分子を斥けて、真に演劇の光輝と偉大さとを発揮せしめよう」――此の主張の下に生まれたのが、ヴィユウ・コロンビエ座である。新奇を衒ふ似而非芸術家と、因襲を墨守する官学的芸
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新劇自活の道 岸田國士 日本の現状は、まだ新劇の自活を許さないと云はれてゐるのですが、その理由は、言ふまでもなく新劇なるものを進んで観ようとする見物が少いからです。 勿論、西洋諸国に於ても、先駆的傾向の著しい劇場は、常に経営難に陥つて、絶えず悪戦苦闘を続けてゐるのですから、日本だけがさうだとは云へませんが、それは、既に、西洋では、民衆の欲求と趣味に応じた「現
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俳優養成と人材発見 岸田國士 わが国に於ける新劇不振の原因が、俳優に未だその人を得ない所にあるといふ私の意見は、たまたま劇壇一部の批難を生んだやうであるが、これはたしかに、解釈の仕方によつては、不都合な言辞として受け取られるであらう。 しかし、その事実は、私の筆を以てどう曲げることもできない。 今日まで新劇のために力を尽して来た人々の功績は、無論世間と共にこ
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新劇の危機 岸田國士 震災後擡頭した新劇運動の目覚ましい機運は、私の観るところ、あまり順調な進み方をしてゐないやうに思はれる。それは「続いてはゐるが、進んでゐない」といふことである。 なるほど、僅か二三年にこれほど眼に見えた進み方をするわけがないといへばいへるであらうが、それなら、「進まうとする」気配さへ見えないのはどうしたものか。 私は、新劇の舞台的完成が
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『ハイカラ』といふこと 岸田國士 近頃の若い人達は、もうこんな言葉は使はないかもしれないが、それでも、言葉そのものは、まだなくなつてはゐない。 「あの男はハイカラだ」といへば、その男がどういふ風な男であるかは問題ではなく、寧ろ、さういふことをいふ人間が、どんな人間であるかを知りたいほどの時代になつてゐるのかもしれない。 一体、この「ハイカラ」といふ言葉は、だ
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或る日の動物園 岸田國士 鷲がその威風に似ず、低脳らしい金属性の声をたてた。 支那の聖人に似てゐる駱駝が、唇をふるはせながら子供にせんべいを貰つてゐる。彼女は、それを見て、やつぱり日向ぼつこをしてゐるときが一番好きだと云つた。 火食鳥は神主。駝鳥は DEMI-MONDAINE のなれの果て。 「さけい」といふ鳥の前で、彼女はまた、「農民ね」と呟いた。 眠つて
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端役 岸田國士 端役をすら、一生懸命に演ずる俳優は頼母しい俳優だ。それは、端役しか勤まらない俳優であつてもいゝ。彼は主役に選ばれる幸運に繞り合はずに、その生涯を終ることがあつても、彼は、その生涯を通じて、一座の「必要な人物」であつたことに何の変りもない。端役しか勤めないといふ理由で、その俳優を軽蔑するものがあつたらそのものこそ、芝居を心得ぬものである。 私た
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新劇運動の二つの道 岸田國士 「新劇運動」といふ言葉の意味は様々に用ひられてゐる。それは、しかしながら、常に、所謂「新劇」といふ言葉の内容から生じる区別であると同時に、「運動」なるものゝ本来の性質が極めて漠然としてゐるところに基因してゐるやうに思はれる。 現在、日本で呼ばれてゐる「新劇」とは、歌舞伎劇及び新派劇に対するもので、その特色とする処は、「欧米近代劇